ワイドナショー出演取りやめ 改めて松本人志さんの人権について考える

松本人志さんがワイドナショーに出演しないことが決まった。この件に関してはもちろん被害を訴えている側の女性の人権の問題についても考えなければならないが松本さんの人権についても考慮する必要がある。

関係者が選んだ道は「面倒な問題には関わらない」ことだった。吉本興業は徐々にラインをずらし「松本さん個人の問題」に落としこもうとしている。極めて日本的な解決方法だ。

徐々にスタンダードが作られてゆき「何が良くて何がいけないのか」が空気によって決まるのが日本式だ。今回の件は日本でどのように改革が進むのかを示す好例となった。

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松本人志氏が芸能活動を休止し法廷闘争に専念 時代の転換を感じる幕引き

吉本興業の松本人志氏が芸能活動の休止を発表した。お笑い界と吉本興業に強い影響力を持つうえ、奔放な私生活もウリの一つになっている。この強気なイメージを維持しつつ吉本興業とテレビ局が抱えるリスクを問題から切り離すためにはこれしかなかったのだろう。週刊文春側は報道に自信を持っているとされるが、気になるのはやはり間に挟まれることになる告発者の人権問題である。

本来ならばテレビのワイドショーで総括すべき問題だが、おそらくこの件に関してテレビやテレビとつながりをもつ新聞社が分析を加えることはないだろう。報道機関としては「終わった」といっていいのかもしれない。あまりにも複雑な利害関係が生まれておりおそらくテレビ局は自分達で自分達を総括できなくなっている。

2011年に島田紳助さんが引退した時、原因とされたのは「反社会勢力」だった。吉本興業が地場のお笑い産業からテレビコンテンツプロバイダーに成長したことで島田さんのような存在を包含できなくなった。同じように松本さんの件も新しい時代の転換を意味しているのかもしれない。ある意味では「放埒さ」とみなされていたのだろうが国際的なエンターティンメント産業はこうした放埒さから切り離されなければならない。

松本さんがどう戦いどう戻ってくるのかにも注目したい。

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スキャンダルで却ってやる気になった松本人志氏 放送局が作るモラルハザード

文春のスキャンダルが出たことで松本人志氏が却ってやる気になったようだ。「いつ辞めても良いとおもっていたんやけど…… やる気が出てきたなあ」とXでコメントした。

吉本興業は放送局と資本関係にある。このため「守ってもらっている」という意識があるのだろう。さらにファンも彼の気持ちを高揚させる。Xの投稿には応援コメントが多数寄せられている。

これを見た若手たちが「これくらいのことはやっても良いんだ」と考えても不思議ではない。テレビ局は両論併記で乗り切ることでモラルハザードを引き起こしたことになる。

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「松本人志事案報道」を全否定 ジャニーズ問題から何も学ばなかった吉本興業とマスコミ

松本人志さんに性加害スキャンダルが出ている。文春は報道に自信を持っているようだが吉本興業は全否定した。吉本興業はジャニーズ問題から何も学ばなかったのだなと感じた。中でも気になったのが「客観的事実」という用語の違和感だ。そんな日本語はない。メディアも両論併記にとどまっておりジャニーズ事件から全く学んでいないことがわかる。

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宝塚歌劇団の生徒さんたちが「実は私たちは異常な状態にあった」と気がついてしまう 報道の激化で広がり続ける動揺

宙組25歳の劇団員(宝塚歌劇団では「生徒さん」と呼ぶ)の不幸な事故をきっかけにした報道の波紋が広がり続けている。中でも深刻なのは宙組の中に動揺が広がっているという点だ。「実は私たちは「生徒」というなのもとに搾取されていた」と気がついてしまった。

彼女たちが当たり前だと思っていた境遇は世間から見るとかなりブラックなものだった。報道を通じて閉ざされた世界にいた彼女たちがそれを知ってしまったのである。

歴史を紐解いてゆくと問題の根幹には「劇団員を生徒と呼ぶ」という慣習がある。小林一三が提唱したスタイルだがいつしか搾取のための装置になってしまっていた。芸能人を独立したアーティストとして尊重しなかった弊害が出ているのだ。

今後このような歌劇団に子女を預ける良家の親は減ってゆくかもしれない。宝塚の生徒は良家の子女というブランドイメージが剥落した上にあまりにも閉ざされた異常な世界だということがわかってしまったからである。生徒さんの再定義をしない限り宝塚歌劇団は復活しないだろう。これまでの問題をなかったことにはできないからだ。

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「日本人が変われない理由」がもれなく網羅された、宝塚歌劇団の0点記者会見

「名ばかり管理職」となっていた25歳の宙組劇団員が亡くなった事件が発端となり、宝塚歌劇団が会見を行った。予想されていたことではあるが「日本人が変われない理由」が全て網羅されていると言っても良いダメな会見の見本になった。当然遺族は反発している。また、宙組のメンバーの中にも聴取に応じない人たちがいたそうだ。どうせ歌劇団は変われないだろうと諦めているのかもしれない。

ここでは「日本人が変われない理由」としてこの問題を分析したい。個人と集団が癒着が見られ肥大化した自己を正当化するために容赦なく他人を犠牲にしてしまうという基本構造が見られる。これがより大きなSNS世論によって逆攻撃されている。

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「名ばかり管理職放置」で宝塚歌劇団が内部崩壊の危機 ヘアアイロンで顔に傷までつけられていた

9月末に起きた宝塚歌劇団の25才の娘役の事件をきっかけに宝塚歌劇団が揺れている。遺族側が会見を開き歌劇団の「ブラック企業ぶり」を告発した。歌劇団の内部には動揺が広がっているようで公演の継続は見通せないままである。11月23日までは大劇場はほぼ閉館状態になるようだ。

背景にあるのは名ばかり管理職問題だ。娘役はフリーランス扱いだったそうだが事実上は労働者としてか劇団側から各種の制約を受けていた。そればかりか管理職の責任を押し付けられ残業時間は277時間にもなっていたそうだ。さらにイラついた上級生からヘアアイロンを額に押し付けられ火傷まで負っていたという。

問題の兆候は早くから出ていたことも知られている。つまり防げる事故だったのだ。

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「性別変更の法律の手術要件は憲法違反」報道に見る日本人と憲法の奇妙な関係

性別変更の手術要件めぐり 特例法の規定は憲法違反 最高裁」など各メディアが大きく取り上げていた。日本では最高裁判所が違憲判決を下すことが珍しいため「戦後12例目だ」というのがニュースのポイントだったようだ。

このメディアの扱いを見てかなり違和感を持ったのだが、その違和感を共有することは難しいのだろうとも感じている。

憲法の修正と違憲判断が頻繁に出るアメリカ合衆国は「問題解決」を指向するだ。今回弁護団は「困りごとから離された」と表現しているので「困りごと指向」と言っても良い。日本の場合は憲法の一貫性と司法の権威保持が優先される。これが却って「だったらとにかく憲法を変えて政治の力を認めさせたい」という欲望に火をつけ、そのカウンターとして「絶対に変えさせない」という護憲派を生み出す。

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ジャニー喜多川氏に加害の場所貸し NHKは「知りませんでした、これから気をつけます」と報道

話をこう置き換えてみよう。学校がクラブ活動で校庭と校舎を開放している。コーチは民間人だ。そのコーチが児童・生徒に校内で性加害を加えていた。にもかかわらず学校側は20年間も何も気が付かなかった。さらに性加害を受けた児童・生徒はそれが「いいことなのか悪いことなのか」が全くわかっていない。今回騒ぎになり「ああ騒いでもいいんだ」と気がついた。

まず学校側がやることはなんだろうか。「知りませんでしたこれから気をつけます」と伝えることだろうか。

校長が出てきて謝罪すべきだろう。その上で教育委員会などの信頼できる第三者を立てて調査を依頼し再発防止策を検討すべきである。性加害の現場になった「人目につかない場所」にはそれなりの改修が必要だ。さらにいえば温床になったクラブ活動は即刻廃止すべきだ。なぜならば「子供の教育を目的としている場所で人権侵害を行う」ような活動とはしっかりと縁を切っていると児童・生徒・保護者に示すべきだからだ。

さらいいえばクラブ活動に参加していたOBたちにも広く聞き取りを行うべきだ。いじめでいうと「傍観者」だがいじめでは「傍観者もまた加害者」なのだ。普通の常識で当たり前のことがなぜ芸能界とテレビ局では当たり前でなくなる。電波権限で守られている地上波放送局には高い社会的責任とモラルが求められる。

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新しいBBC砲 アバンクロンビー・アンド・フィッチの元経営者が男性を性的搾取

アパレルメーカーのアバンクロンビー・アンド・フィッチの元経営者の男性への性的搾取疑惑が浮上した。元経営者はモデル志望の若い男性をセックス・イベントに参加させていたそうだ。BBCは「セックス・イベント」と表現しているが、性行為中もスタッフに監督させた上で男性同士の性交渉を楽しみスタッフが多額の現金を渡していたなどと書かれている。

ジャニーズ事務所の問題は少年に対する性加害だったがアバクロのケースでは成人の参加者に守秘義務契約を結ばせており「話せば訴えられること」がわかっていたそうだ。日本では特殊事例のように語られる男性の男性に対する性加害・搾取問題だが、世界のエンターティンメント業界では割とありふれた話であるということもわかる。

ただし現在のアバクロファンの間に動揺は広がらないだろう。既にこの元経営者に対する不買運動が起こりかなり前にCEOを退任している。その後新しい経営者たちのもとでリブランディングが進んでおりブランドに対する影響は軽微である。BBC砲によって価値観の転換を迫られたジャニーズファンと自発的に価値転換を図ったアメリカのアパレルファンの違いがよくわかる。

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