吉本興業の松本人志氏が芸能活動の休止を発表した。お笑い界と吉本興業に強い影響力を持つうえ、奔放な私生活もウリの一つになっている。この強気なイメージを維持しつつ吉本興業とテレビ局が抱えるリスクを問題から切り離すためにはこれしかなかったのだろう。週刊文春側は報道に自信を持っているとされるが、気になるのはやはり間に挟まれることになる告発者の人権問題である。
本来ならばテレビのワイドショーで総括すべき問題だが、おそらくこの件に関してテレビやテレビとつながりをもつ新聞社が分析を加えることはないだろう。報道機関としては「終わった」といっていいのかもしれない。あまりにも複雑な利害関係が生まれておりおそらくテレビ局は自分達で自分達を総括できなくなっている。
2011年に島田紳助さんが引退した時、原因とされたのは「反社会勢力」だった。吉本興業が地場のお笑い産業からテレビコンテンツプロバイダーに成長したことで島田さんのような存在を包含できなくなった。同じように松本さんの件も新しい時代の転換を意味しているのかもしれない。ある意味では「放埒さ」とみなされていたのだろうが国際的なエンターティンメント産業はこうした放埒さから切り離されなければならない。
松本さんがどう戦いどう戻ってくるのかにも注目したい。
BBCがジャニーズ問題を報道して以来、我が国の性加害・性被害報道に対するスタンダードは大きく変わってしまった。YouTubeやYahoo!ニュースなどの代替選択肢が増えておりテレビの報道番組に対する不信感は高まっていたが、ジャニーズにコンテンツを依存するテレビ局・出版社がこの問題を長く伝えてこなかったことでそれが証明された形になった。テレビ局は複雑すぎる利害関係を処理できなくなっており、純粋な報道機関としては存在できない。あえていうならば放送法が規定しているから報道番組も持っているというような状態だ。
テレビと吉本興業には資本関係がある。出資者が出資先の人権状況に対して全く無関心という事になると報道を超えて事業体としての放送局もダメージを負う事になる。今回の件との切り離しはマストだった。
加えて吉本興業と大阪・関西万博の問題もある。吉本興業はこのプロモーションに大きく関わっている。万博には国内から「中止すべきだ」という声が上がっている。だがおそらくそれより怖いのは国外からの批判だろう。吉本興業は地場の興業会社から世界的なエンターティンメント・コンテンツ・プロバイダーになりつつある。
アメリカの大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタイン氏が性的暴行事件で有罪評決を受けている。キャスティングに大きな影響力があり長く犯罪化されてこなかった。この事件のおかげで欧米では芸能界に強い影響力を持つ人が性的に有利な立場に立ち女性の人権を侵害するということは広く知られている。
形式上の同意も人権侵害からの免責事由にならない。アバンクロンビー・アンド・フィッチの元CEOの事件において被害者も加害者も男性だが、被害を受けた側の男性がモデルの仕事を得るために仕方なくジェフリーズ氏の誘いに応じたがのちに精神的に深い傷を負ったとされている。
このように芸能界の力関係の歴然とした差が性被害・性加害をうむという認識は欧米では定着しておりこの問題を理解するのはさほど難しくない。仮にこの問題が万博と結びつけて考えられるようになると、主催者と主催者のパートナー企業である吉本興業には大きなダメージになっていただろう。
松本人志さん側にも当然自己の正当性を主張する法的な権利がある。もともと世間の常識に縛られない型破りなお笑い芸人という打ち出しがあり「多少のことは芸の肥やしだ」という認識もあるのだろう。そのイメージを守るために法廷で戦うことは、松本さんだけでなく日本人全員に与えられた権利である。
ただし、訴えた側に二次被害が及ばないかは気になるところだ。懸念点は主に二つある。
第一に訴え出た側が社会的な批判にさらされることが想定される。今回はファンたちやサイレントマジョリティが大好きな松本さんを取り上げられたと感じて被害女性に批判の矛先を向ける可能性がある。文藝春秋側は「取材に自信を持っている」として法廷闘争も辞さない構えだそうだが、間に立った女性の実名が表に出るようなことになればおそらくかなりの批判にさらされるだろう。ジャニーズ問題では自殺者も出ておりこうした悲劇は繰り返されてはならないと感じる。ハーヴェイ・ワインスタイン氏の事件では被害者は匿名化されている。日本でどのような扱いになるのかは気になる。
次に日本人女性が抱える特有の「ジェンダー的な」要素も見逃せない。例えばジャーナリスト志望の伊藤詩織さんは「名前を出して戦う」選択をしているが、「周りに流されることなく自分の権利を主張しなければならない」という教育が背景にあってのことだろう。ただそれでもかなりの批判に晒された。子供の頃から「周りに合わせて波風を立てずに生きてゆくのがいいことなのだ」と教育されている日本の女性の中には「世間が大騒ぎになって自分が何か悪いことをしているのではないか」と感じる人もいるのではないかと思う。
テレビ局は積極的に「告発者を法的に守るスキーム」の必要性を提示し社会的同意を形成する道義的責任があるが彼らはあくまでも「我々は当事者ではない」として逃げ回るのではないか。テレビ局はいよいよ報道機関を名乗ることができなくなったと感じる。おそらくこの問題に対しては両論併記的な報道しか出てこないだろう。かと言って全く触れないと「テレビ局は吉本興業を忖度している」と言われてしまう。形式的に「活動一時休止と法廷闘争への専念」を伝えて終わりになってしまうはずである。
今回の背景には企業の成長に伴って倫理も成長させていかなければならないという問題がある。
日本市場の成長が見込めなくなり、エンターティンメント企業も外を目指さざるを得なくなる。吉本興業は「大阪の労働者のためのお笑い」から「日本を代表するテレビ・コンテンツ・プロバイダー」になったことで反社会的勢力との関係を維持できなくなったという歴史がある。もともと日本の「興業」は地元を仕切る反社会的な勢力との関係を維持しながら大きくなってきた。これはお笑いだけではなく歌謡の世界でも見られた傾向だ。その代表的な事例が島田紳助氏だった。引退したのはもう10年以上も前だそうだが当時は「島田紳助さん芸能界引退 暴力団と親密な関係」と報道されている。
「旧時代の証人」だった大崎洋氏もすでに吉本興業を離れておりこれに伴い松本人志氏の去就も注目されていた。吉本興業をめぐる外的環境が大きく変わりつつあり今のままでは立ち行かなくなることは明らかだったと言えるだろう。
テレビ局も海外市場を視野に入れざるをえなくなっており吉本興業も万博を通じて「世界のスタンダード」を意識せざるを得なくなった。松本さんがどんな形で戦いを終えて芸能の世界に戻ってくるのかはまだわからないが、旧時代を象徴する存在になったと言えるのかもしれない。吉本興業から切り離された以上これはもう彼個人の戦いであり彼にはその社会的権利がある。
あとはくれぐれもテレビ局や吉本興業が彼の側に立って告発した人を社会的に追い詰めることがないようにと祈るばかりだ。
Comments
“松本人志氏が芸能活動を休止し法廷闘争に専念 時代の転換を感じる幕引き” への1件のコメント
ネットでの無責任な騒ぎ立ては、碌なことにならないのは今までの経験から分かります。
女性のLineメッセージで感謝を示すものがあり、それを証拠に冤罪と決めつけている人たちもいます。しかし、性被害にあった人物が、何でもないような振る舞いをしたり、加害者を庇ったり感謝する行動や発言をする例はあるようです。いじめられっ子がいじめられているのにヘラヘラしているのを思い浮かべると分かりやすいかもしれません。よって、Lineメッセージの件だけでは真実は分かりません。
どのような真実があったか分からないのに、憶測や推測だけでSNS等であのような誹謗中傷を書きこむのはやめたほうが良いと思うと同時に、自分もそういう書き込みをしないように気を付けなければいけないと思いました。冤罪だったとしても、告発者に対しての誹謗中傷や、誤った対応が正当化されるわけではないです。