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ジャニーズ事務所PR会社のNGリストが波紋 井ノ原快彦氏にはトーンポリシング批判も 欠落する「モデレーション」という考え方

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ジャニーズ事務所をめぐる問題が新しい展開を迎えている。日本のPRとジャーナリズムの未成熟さが生み出した本来は必要のない混乱とえいえる。

だがおそらくこの批判と騒ぎは今後の日本の芸能記者会見を考える上で非常に貴重な事例となるだろう。これまでの予定調和的で平和な会見は少なくなり、予測不能な悪意をいかに取り除くのかという「モデレーション」スキルが必要とされるようになるのだろう。

その意味では望月衣塑子氏も反面教師として大いに日本の言論空間に貢献していることになる。

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今回波紋を広げている問題は2つあるそうだ。

1つが井ノ原快彦氏に対するトーンポリシング批判である。トーンポリシングとは「相手の態度」を問題にして責任から逃げる手法を指すそうだ。こんな言葉があるんだなと感心させられた。

最初にこの問題に注目した人たちは普段から社会問題を声高に主張し「責任を取らない相手」に攻撃を加える傾向のある人たちだ。追及者は自分の境遇や不満を相手に対して投影しているということに気がついていないため相手が何をいっても執拗に自分の主張を繰り返す傾向がある。結果的に彼らは空間を破壊し、その主張には落とし所がない。

特に今回問題になったのは攻撃を仕掛ける側が女性だったからだろう。冷静な男と感情的な女という「ジェンダー」の問題が加わり感情的な議論が展開されている。だが実際の議論の現場では男性にもこういう人たちはいる。自説にこだわり周りをうんざりさせ結果的に議論の空間が破壊される。そして、議論空間が破壊されると彼らは別のターゲットを目指して飛び去ってゆく。

最初は感情的な議論だったが、最終的に東大大学院の斎藤幸平准教授が井ノ原快彦氏はトーンポリシングだと批判したことで「罪状」が確定した。

だが問題はこれでは終わらなかった。外資系のPR会社が「NGリスト」を持っていたということがわかり「感情的な質問者」を排除しようとしていたということがわかったのである。モデレーション手法としては稚拙だった。

元々ジャニーズ事務所の一連の会見は「取引企業向けPR」の一環であると考えるべきだ。またこれを見ている人たちも一種の落とし所を探している。

ジャニーズ事務所と取引のある企業は潜在的な訴訟リスクを抱えている。そこで国際社会に向けて疑念を払拭しようとした。その意味では最初から日本のメディアは眼中になかったといえる。最初に日経に記事がリークされたと言われているのもこれが企業向けのPRの一環だったからだろう。木目田弁護士の専門は危機管理であるのだから弁護士とPRチームは言われた仕事をやっただけだ。

危機管理の要諦は「悪意」や「疑念」からクライアント企業をどう守るかである。最初からお互いが折り合わないことを前提として対策が組み立てられる。ところがおそらくこれをクライアント側(ジャニーズ事務所)がうまく理解できなかったのであろう。特にこれまで「日の当たる側」にいてうらで問題が抑えられてきたということが理解できていない。つまり、自分達の注文を自分達でうまく把握できなかったという点に最初の問題がある。

まず、藤島ジュリー景子氏は精神的な不安定さを抱えておりすでに病名まで付けられている。資産を守りたいという気持ちはあるのだろう。一方で何もかも捨てて自由になりたいという気持ちもあるかもしれない。いずれにせよ心理的には頼りになりそうにない。彼女はすでに単に法的に補償の原資を持っているだけの存在だ。

この時にしっかりと対応すべきなのは後見者である東山紀之新社長だがこちらは自分がやりたいことを諦めさせられたという気持ちがある。この東山さんの心象がよくわかるシーンがあった。性加害の共犯者であると問われて「そうかもしれないですね」と答えていた。責められるならそれを認めて楽になりたいという気持ちがうっすらとあるのだろう。これを静止したのが木目田弁護士だ。クライアントの要である東山さんが「罪」を認めてしまうと訴訟リスクを抱えてしまうために、弁護士とそのチームが書いていた危機管理のシナリオが崩れてしまう。

さらに井ノ原快彦新副社長も「誠意を持って臨めばみんなわかってくれる」と思っているようだ。このため「当てないのはダメですよ」とPR会社に注文をしたと言われている。協力が前提になっている日本社会では美風とされる考え方かもしれない。だがその美風は白波瀬氏に代表される「やんわりとした恫喝」の上に成り立っている。さらに、疑念が前提になっている海外では通用しない。今回は井ノ原快彦氏の対応は「トーンポリシングだ」と批判されることになった。

おそらくは、弁護士とPR会社の間では今回の記者会見とされるショーの内容はきちんと共有されていたのであろう。だがジャニーズ事務所関連の人たちとの間でそれが共有できていたのかは甚だ疑問である。弁護士が「監督」だったとすると主演俳優2名に対してきちんとシナリオを理解させることができていなかったのだ。

さらに問題だったのは記者側の対応である。メディアもこの件では「ジャニーズ事務所の共犯者」とみなされている。一方でそれを崩したい新しいWebメディアの記者たちも混じっている。井ノ原快彦氏に拍手をしてしまったことで「やはりメディアと事務所は共犯関係なのだ」という疑いを補強することになってしまった。記者会見は国民の知る権利のためにあるのだが記者会見と記者たちが問題を作り出す側になっている。新しいメディアの記者たちは次のジャーナリズムのあり方を提案することなく単に破壊を目論んでおり、拍手をした側も「やはり事務所とメディアはグルなのだ」という印象を作り出す。

内容を理解できていない日本のマスコミ、内容は分かっているが数としては少数派の海外・経済系のメデイア、さらに潜在的な破壊者が入り混じっているPRをどうコントロールするのかという課題はおそらく今後のモデレーションを考える上では貴重な教材となりそうだ。

今回の件でPR会社が謝罪をするかどうかをコメントしていないそうだ。日本人の常識で考えると「とにかく世間から反発されたのだから謝ってしまえ」ということになるのだろうが、欧米の常識だと「瑕疵を認めることで賠償などの責任が生じる」ということになる。逆に言えば「とりあえず謝っておいてその場をやり過ごす」という安易な道は選ばないということなのだが、おそらくこれも「反省が足りない」と攻撃されることになるだろう。

あくまでも「後知恵」になるのだが、これを防ぐためには2つのことをやっておくべきだった。1つは事務所の考える狙いを明確にした上で事前に記者会見の内容を告知しておくことだ。あらかじめテキストを配って事前予習させておくべきだった。次に攻撃者たちに時間を与えるのは良いが感情的に巻き込まれないように「監督」は「俳優たち」に伝えておくべきだった。時間を区切った上で通り一遍の回答でやり過ごし次に会見の狙いを汲み取った記者たちに協力を求めて議論をリードさせるべきだった。

相手の協力を得つつ会議を望まし方法に持ってゆく手法を「モデレーション」という。悪意ある質問者というのはどこにでもいるものだ。そうした人たちをいかに議論の中心から遠ざけるのかについては技術を磨いてゆくしかない。モデレータは会議の趣旨を周知した上で善意の協力を求めつつ悪意には妥協しない意思をみせるべきである。モデレータはルールを設定するがあくまでも参加者がそのルールは「自分達にとっても良いルールなのだ」と感じる必要がある。

日本の記者会見もかつての予定調和的なものから「一定数の悪意」にどう対処するかという欧米型に移行しつつあるといえるのかもしれない。ジャニーズの記者会見はそのための良い教材だったと言えるだろう。

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