ミシェル・バチェレ氏の退任に合わせて国連が中国の人道犯罪の可能性を指摘したレポートを発表した。人道犯罪の可能性に踏み込んだことでこれまで以上の重みを持ったレポートになった。ただし「ジェノサイド」との認定は避けた。
ネットでは「中国を罰することができない国連の発表など無意味だ」と指摘する人がいるのだがバチェレ氏が指摘した意味は非常に大きいのではないかと思う。中国が指摘するような「西側の代表者」ではなく、バチェレ氏自身が拷問を受けた経験を持っているからだ。
同じ痛みを共有する人が淡々と調査を続けてきたからこそ信憑性の高い報告書になっている。
まずバチェレ氏の指摘の内容について確認する。ロイターがまとめている。
- ウイグル族やイスラム教徒をはじめとする他のグループに対する恣意的で差別的な拘束の度合いは、国際犯罪、特に人道に対する犯罪に当たる可能性があると指摘。
- 訓練施設や刑務所、収容施設で拘束されている全ての人の解放に向けた措置を速やかに取るよう勧告。
- 2017年以降、家族計画政策の強制的な執行を通じて生殖権が侵害されていることを示す信頼できる兆候があると懸念を表明。
もちろん、中国はこれを内政干渉として否定した上で「西側の策謀」だと分析している。だが中国の人権侵害の動きは長年指摘されてきており中国はこの疑惑にまともに答えていないことも確かである。特にウィグル人の間には「家族の行方が分からない」という報告をする人たちがたくさんいる。このことから何らかの犯罪的な行為が行われていることは明白だが国際社会は被害者の声を十分には汲み取れていない。
国際秩序に反抗するロシアや国内に人道犯罪の可能性を抱える今の中国は国連が求めている高い理想に答えていないし答える資格もないだろう。中国がどのように主張しようとも現在の共産党政権が世界の平和や秩序について口にする資格がないことは明白だ。
ただし、人権侵害について指摘する目的は「中国に勝つ」ことでも「中国を罰する」ことでもない。実際に人権を侵害されているイスラム系の中国人に対する不当な扱いをやめさせることだ。その意味でバチェレ氏は与えられた権限を最大限に利用しできる限りのことをやったと評価できる。
そもそもバチェレ氏の動機はどこにあるのだろうか。既にチリの大統領を経験しているのだから国内政治に対する野心が原動力であるとは考えにくい。
あまり知られていないかもしれないがバチェレ氏はピノチェト独裁政権下で拷問を受けた被害者である。人権高等弁務官就任時の記事によると「電気ショックによる拷問を受けなかったのが幸運だった」というバックグラウンドが紹介されている。つまりバチェレ氏は政治的な野心ではなく自身の経験から「拷問は良くない」ということを世界に訴えることができる人だったということになる。
そんな経験があるバチェレ氏でも退任するまでレポートが発表できなかった。在任時に特定の国を非難すれば活動がやりにくくなるということを意識していたのだろう。中国はレポートの公表自体に強硬に反対している。残念ながら「退任時にレポートを残す」のが国連の今の体制では限界だったことになる。
2022年5月末の調査終了時の会見でバチェレ氏は「これは調査ではない」と中国に一定の配慮をしつつ、チベットや香港の問題についても懸念を表明していた。拷問の痛みを共有するバチェレ氏でもできるのはここまでだった。あとは国際社会がどのようにこの告発を生かすことができるのかが試されることになる。
中国は単なる主権国家の一つではない。常任理事国として世界秩序の構築に大きな責任を負っているはずだ。だが、中国はその責任を十分に果たしているとは言い難い。一方で、国際世論の力なくしては中国に状況の改善を求めるのは難しいだろう。これまで「バチェレ氏は弱腰だ」と非難してきた人たちの覚悟が試される番なのかもしれない。