岸田総理の不規則発言と秘書官の暴走によってLGBT理解増進法案の審議が始まった。自民党の一部が安倍路線の否定につながるとしてこれに反発している。差別を許さないという文言は残りそうだが「不当な差別はいけない」という表現に修正することが提案されているという。売り言葉に買い言葉で「不当な差別があるということは不当でない差別もあるのか?」と反発したくなる。調べてみた。
まず「不当でない差別」という概念だが実際に存在するそうだ。
実は法律や条例の中に「差別を禁止するもの」と「不当な差別を禁止するもの」があるようだ。三重県議会の「差別を解消し、人権が尊重される三重をつくる条例 逐条解説」という記事を見つけた。
正当な理由なく差別することは許されないということは、つまり正当な理由があれば差別的な対応も是認されるということになる。一般的な言葉で言うと差別ではなく「区別」で男女別のトイレなどが例に出されることが多い。性別による差別を無くすべきだからトイレも一緒にしましょうというのは乱暴だろうなどと説明される。ファッション・モデルとして女性を起用するのも差別には当たらないとされる。
つまり法的には「正当な理由がある区別」と「正当な理由がない差別」が別れていることになる。
従来の憲法学の通説や判例では「差別」を価値中立的に用いており「合理的差別」という概念も措定されていることから、単に「差別」とするのでなく「不当な差別」としています。
元々の議論は「LGBTの区別が合理的である事例もあるのだろう」ということになる。つまり「不当な差別」という用語は「区別をする権利」を留保しようとしていると捉えられるのだ。確かにあるかもしれないし、ないかもしれない。これは話し合って決めるしかない。
さらに男女別トイレやファッションモデルの例にしても「女性モデルとしてトランスジェンダーが採用されてもいいではないか」という議論をすることは可能だ。この合理的な区別・差別という言い方は「そうは言っても常識はなかなか変わらない」という変化に後ろ向きな姿勢から設けられた政治的な法律用語と言って良い。
推進派は文言の修正について「正当な区別もあるのですよね」と確認した上で「その正当な区別は何なんのですか?」と問わなければならない。普通こうした主張には差別的な「区別」が滲むものである。これを一つ一つ検討して潰してゆけばいい。
推進派がさらなる理解増進を図りたいのであれば、実は「何が合理的な区別」で「何が不当な差別」なのかも議論されなければならないはずである。つまり今回の議論は世の中に理解を訴えかける良い機会になる。だが法案の目的は単なる論点潰しになっており法案の中身について理解が深まらない。非常に残念だ。
もともとこの法案は差別禁止法案だった。それを自民党の一部に配慮して「理解増進」に後退させた経緯がある。背景には統一教会の教義の影響であると考えられるがそれは表立って語ることができないことになっている。この時から状況が変わったわけではない。だが岸田総理の不規則発言と秘書官の暴走によって世論の反発が強まる。またG7の反発も予想された。海外にも大々的に報道されたからだ。
このように賛成の動機も反対の動機もどこか見えにくい。さらに推進派の当事者が可視化されているわけでもない。これが議論をわかりにくくしている。
この「合理的な差別」という文言の問題はその上に載っている。法律用語が象牙の塔の中で精緻化されていて一般の常識と乖離しているのだ。この用語が一人歩きしているというのが今回の問題だ。安倍派にとってこれは宗教的な教義闘争になっている。教祖である安倍晋三氏が「不当な差別」という言葉を使ったからその通りでなければならないというのは単なる原理主義だろうが、今の自民党では立派に「政策論争」として成り立ってしまう。
とにかく、安倍元総理も岸田総理も「不当な差別」という用語を使っているからこのため「差別」でなく「不当な差別」と言っておけばとにかく間違いはないだろうということになっている。
理解増進法案の審議過程はおそらく当事者たちをを傷つけている。
NHKが当事者のインタビューを掲載している。理解増進法案は単なる「入口」に過ぎないのだが、その入口議論すらまともに扱えない国に住んでいるということがわかるからだ。
だがここであまりナイーブになってはいけないのだろうとも思う。
なぜナイーブになるべきではないのか。男女雇用機会均等法の扱いを見れば明らかだ。この法律は1985年に女子差別撤廃条約を批准したことで導入されたそうなのだが、日本のジェンダーギャップ指数は120位でありG7の中では低いスコアにとどまっている。日本人は男女差別が国際的に認められないことは十分にわかっている。差別を禁止する法律もあり具体的な対策も提示されている。だが男女の差別はなくなっていない。
他人の権利に冷笑的な日本では黙っていても女性の権利は拡大しない。女性は数の上では少数派ではないが社会的な地位では依然マイノリティとして扱われている。
大人しくしていればやがて社会が認めてくれるだろうという期待を持っている人は多いだろうが、黙っていてもいいように使われるだけである。自分達で問題点を研究し積極的に訴えてゆかなければならない。マイノリティであるという自己認識をどう乗り越えて行けるのかは、おそらく権利の拡大を願う人たちに共通のテーマである。おそらく最初の壁は自分の心の中にある障壁なのだろう。