ワイドショーを見ない人はあまりご存じないかもしれない。今大阪地検の元検事正の問題が盛んに取り上げられている。性的暴行事件を巡って準強制性交の罪に問われていた大阪地検の検事正が謝罪の後に一転否認に転じ社会的な非難が高まっている。
元検事正は保釈を勝ち取るために「反省の意思」を示したものと考えられている。だが、その後で主調を展開すれば無実になるかを熟知しており一転容疑を否認した。システム側を支配しているのは男性であるという自信が垣間見える。
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被害を訴えている検事はトップに逆らうことで組織から制裁を受ける立場だがあとに続く女性が泣き寝入りすることを避けたいという気持ちがありあえて被害を公表することにしたそうだ。
すでにPTSDに苦しめられているが今回の元検事正の豹変に心を揺さぶられている。顔なしの会見なのだが手が震えていることがわかる。
この事件ではシステムに守られる側の男性の尊大さと、被害者でありながら葛藤から逃れられない女性という立場の違いが顕著に現れている。
こうした非対称性は政治や社会システムの至る所に内蔵されており、女性の中にもこれに加担する人達がいる。
自民党は政治とカネの問題でこの女性の被害性をを利用する姑息な議論を仕掛けている。
自民党が政治とカネの問題で支出先を公表できないのは支援者や集票の担い手になっている地方議員たちへの支出を明らかにすることができないからだろう。「公開方法工夫=隠すとは言っていない」という新しい項目を作り非公開支出を温存しようとしている。
そもそも自分たちの共助を温存しようという動きだが、ここでも女性を二重に利用している。自民党は性被害にあった女性を引き合いに出しそれを女性に質問させている。この手の問題に立憲民主党が取り組んでいることから否定しにくいと考えたのだろう。が、女性が女性を道具化していることに気がついていない。浅慮の極みといえる。
自民は今国会に「公開方法工夫支出」を新設する法案を提出しているが、野党は支出の全面公開を求めている。13日に開かれた衆院政治改革特別委員会では、自民の牧島かれん氏が家庭内暴力や性被害の被害者への聞き取りにかかる交通費を例示し、野党に「公開にそぐわない項目はないか」と見解を尋ねた。
自民「非公開支出」先送り 修正案提示、立民は拒否―規正法改正(時事通信)
こんなことをして心が傷まないのかとは思うがシステムに守られていると感じる男性はおそらく罪の意識を感じないのだろう。
現在容疑がかけられている検事正は大阪地検の元トップだったそうだ。
女性は今年に入って検察幹部に被害を申告し、大阪高検が6月下旬に逮捕した。被告は関西でキャリアを重ね、大阪高検次席検事や最高検刑事部長などを歴任。「関西検察のエース」とも呼ばれた。大阪地検検事正を最後に退官し、その後は弁護士として活動していた。
「これでお前も俺の女だ」元大阪地検検事正、犯行時に部下に発言か 検察側冒頭陳述(産経新聞)
検察は「お前も」俺の女だと語ったと主張している。つまり、おそらく被害者は現在提訴している女性だけではなかったと示唆している。被害者は検察の中にいるのだからおそらく彼らは実情がわかっている。
被告は犯行時、「これでお前も俺の女だ」などと発言。女性は恐怖で抵抗できず、事件後も被告が検事正という立場だったため、「検察組織のために事件を明らかにするのは避けなければならない。自分も職を失う」と考えて被害を打ち明けられなかったという。
「これでお前も俺の女だ」元大阪地検検事正、犯行時に部下に発言か 検察側冒頭陳述(産経新聞)
大阪地検は身内であった「元エース」に挑んでいることになるのだが彼女以外に提訴している人はいない。つまり組織内に「これではいけない」という気持ちもありながら勇気ある一人が出てこないことで事件化ができなかったということになる。実際に告発者はPTSDの診断を受けて休職中という厳しい立場に置かれているが、それでも検察は自己改革ができないでいるのだ。検察組織の同僚の中には女性を誹謗中傷する人もいるそうだ。
また「妻として母として」と語っていることから夫がいることがわかる。仮に容疑が認められるとすれば自分の支配欲のために夫から妻を奪ったことになる。泣き寝入りした夫がいるということになりもはや時代劇の世界としか言いようがない。日本は先進国と言われるが政府組織の中ではまるで1000年前のような状況がいまだに続いている。
この遅れた意識が政治の側に染み付いており、政治とカネの問題でも「そうだ女を利用すればいいじゃないか」ということになったのだろう。牧島かれん氏はその残忍さに気がついているだろうかとは思うが、おそらく無自覚なのではないかと思う。
Comments
“女性を道具としか見ない男性社会の忌まわしさがわかる「政治とカネ」の議論” への2件のフィードバック
日本は国連の女性差別撤廃条約(CEDAW)を1985年に締結しているらしいですが、女性差別問題の解決に対して消極的だと思います。形ばかりで、女性差別について内容の本質を捉えようとはしていないように感じます。政治の世界でこういう現状ですから、日常における女性差別は解決されないでしょう。暇空茜が女性支援団体に対しておこなってきたことを否定しないどころか、自分の支持を盤石にするために応援するような政治家もいることには呆れました。
もともと日本人は権利を主張することをしないこともあり、女性は男性以上に抑圧されてしまう現状があります。こういう状況でも「女尊男卑」だという男性がいて認知が歪んでいるなと思いますし、そういう主張をする男性を抑圧しているのは、女性ではなく男性または男社会であることから目を背けていると感じます。
日本は、政治や会社の意思決定に関わる部分で女性の存在が弱いです。働く女性は増えましたが、ただの「労働力」としてしか見ていない現状です。この部分を変えていかなければ、日本は変われないどころか衰退していく一方でしょうね。
日本人は権利を主張しないとあります。確かにと思う一方で権利を主張するとそれを叩く人が多いという事情もありますよね。ジャーナリスト志望の女性が性被害を告白して壮大に叩かれたという事例もありましたし、今回の女性検事さんも身内からかなり苛烈なバッシングを受けているようです。こういう状況を目の当たりにすると「権利なんか主張してもいいことなんかない」と学習する人は増えてゆくのかもしれないです。