LGBT法案が衆議院の委員会を通過した。来週には参議院を通過する予定になっているそうだ。G7広島サミットで「世界と価値観を合わせる」ためのやっつけ仕事に過ぎない今回の法案だったが、意外と成立までに手間取っている。今回の敗者は立憲民主党などのリベラル政党だった。さらに勝者は維新だったことになる。では、彼らはいったい「何に勝ち」「何に負けた」のか。
LGBT法案は本来は「LGBTへの理解を増進」するための法案になるはずだった。だが議論は迷走し最終的に政局に利用されることとなった。冷静に見ると「リベラルの退潮」と「一般国民の不満」という色彩が色濃く滲んでいるということがわかる。
この法案は自民党が急遽維新・国民民主の案を丸呑みしたと言われている。LGBT問題に早くから取り組んできた立憲民主党を「外す」のが目的だったのだろう。民間団体の活動を支援するという条文は削除されたようだ。「立憲民主党が活動屋の巣窟になっている」という偏見が滲む。
当事者たちは「誰の方向を向いている法案なのか?」と疑問を呈している。これは明らかに「人権擁護活動」によって保護されない一般の人たちの不満に応えるための法案だ。
立憲民主党はおそらく左派の退潮に気がついていて「無党派」の取り組みを行おうとしている。また立憲民主党の松原仁氏は立憲民主党を離党し維新との連携を匂わせている。立憲民主党は明らかに維新の台頭のを意識しているのだろう。では、維新がどのような人たちを取り込もうとしているのかということが問題になる。
今回の維新案はLGBT活動家が使っていた性同一性という言葉を排除し「ジェンダーアイデンティティ」という言葉に置き換えている。何らかの意図があったのであれば説明してほしいところだがどうやら議員たちはこの言葉の違いがわかっていないようだ。理解する能力がないのか理解する気がないのかは不明である。
自民党 新藤義孝衆院議員
「性同一性であろうが、性自認であろうが、ジェンダーアイデンティティであろうが、いわゆる性の多様性について理解を深めましょうということで」
おそらく維新案の眼目は「普通の人たちこそ評価されるべきだ」と考える「ものいわぬ無党派」に対してメッセージを送りたいのだろう。この配慮を「社会活動化外し」と「シスジェンダー」という言葉で表現している。「どれくらいの票になるかわからないLGBTよりも数として勝る多数派」を選択したということになる。
権利を主張する一部のわがままな活動家ばかりが優遇されるのはずるいという「物言わぬ人たち」の劣情をすくいとることでこれまで政治に興味がなかった「無党派」の支持を集めようとしている。
立憲民主党が仮に本気で「この手の無党派」を集めようとすれば、これまでの「人権擁護」という看板を下ろすことになる、だが、それはこれまでの支持層を見放すことになるだろう。
ただ今回は一部の保守派議員たちからも反発が出ているそうだ。これは委員会採決が行われる前の代議士会の様子だ。「LGBTについての理解が促進されてもそれが自分達のトクになるかがよくわからない」ということなのかもしれないし、支持母体に宗教的な色彩を帯びた「反LGBT」がいるのかもしれない。彼らが何に反発しているのかは結局よくわからない。
この一連の議論を見ていると「リベラルを悪者にして維新を取り込んだ方が選挙で有利だ」と考える自民党多数派が拙速な議論を主導しているように見える。ただ損得勘定なので一部の議員は反対する。さらに自民党の内部の賛成派も反対派も一体何を理解してどう賛否を決めているのかがよくわからない。
一方でLGBTの権利擁護に興味を持っている人はそれほど多くない印象である。「話すら聞いてもらえない」と言った状態で完全に議論からはずされている。
議論の影の主役はおそらく「我々の方こそ優遇してもらいたい」と考える物言わぬ一般の人たちだろう。
ではこの状態が自民党にとってトクなのかということになる。
このところマイナンバーカードシステムをめぐってトラブルが多発している。「日本のIT化はシステムを理解しないおじさんたちによって足を引っ張られている」というような感想を持った人は多いのではないかと思う。つまり日本の足を引っ張っているのは誰かという犯人探しだ。
「要領の悪いおっさんたちが国会に居座っているのがいけない」というような単純なメッセージを発する政党が出てくると現在の政権は間違いなく攻撃の対象になるだろう。河野太郎大臣は「自分で自分を処分します」と言っている。おそらくこの敵意に気がついている。だがこの程度のお手盛り処分は茶番とみなされるはずだ。既にヤフコメでは冷笑的な批判が多く集まっている。
加えて秋になれば増税の議論が行われる。これも「要領の悪い政府が国民に負担を押し付けている」ということになるだろう。これを声高に言えるのは「普通の人たち」の側に立っておりなおかつ政権を担当したことがない政党だけということになる。日本ではこのような政党は限られる。
いったん「政治に関わっていない普通の人たち」の敵意が「ダラダラと仕事をしている要領の悪い仕事のできない」人たちに向かえば、おそらく今の政権の「説明」に聞く耳を持ってくれる人はいなくなる。弱者とみなされた今回のLGBTと全く同じ立場に置かれてしまうのである。
「普通の人たち」はおそらく比較優位で政党を選んでいる上に「自分達はできるはずなのに誰かに足を引っ張られている」と思っている可能性が高い。「悪夢の民主党政権よりマシ」として安倍政権を選んでくれていた人たちがいつまでも岸田政権で我慢してくれるかはよくわからないということになる。