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共同親権導入は事実上の離婚禁止法案?

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日本社会は崩壊に向けて動いている。これがよくわかるニュースがあった。共同親権の問題が大きな反発を呼んでいる。

本来ならはこの手の問題は大きな保守・リベラルという動きに集約されてゆくのだが日本はそうなっていない。反発する人たちは勝手に盛り上がり勝手に落胆してゆく。

馬鹿の壁に阻まれた挙句、最終的に「私のいうことを聞いてもらえなかった」「もう社会に関心を持っても仕方がない」として政治から離れてゆく。

結果的に日本は少子高齢化社会となった。日本人だけでいうと人口が83万人以上も減っているそうだ。また会社へのエンゲージメントが125カ国中最下位という調査もある。

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この文章の目的は「このままでは大変だ」と嘆くことではない。その構造研究が目的である。そしてその帰結を考える。帰結は生産性の低下と少子高齢化である。

曖昧なアジェンダセッティング、「馬鹿の壁」と呼ばれる常識の固着、権利主張に罪悪感を持つ当事者の組み合わせが「無限疲弊地獄」をうんでいる。このサイクルが繰り返されるたびに疲弊して戦線を離脱する人たちが増え「もう社会に参加しても仕方がない」という人が増えてゆく。このため将来展望や社会参加意識について国際調査をするといつも悲惨な結果が出る。

日本で離婚が成立した場合子供の親権はどちらかが持つことになる。これを単独親権という。日本では共同親権は認められていない。日本は男女平等に基づく住民登録制度と家・世帯の概念を持つ戸籍制度が混在している。このため離婚後に元夫婦が共同して子育てに関与するという枠組みの入り込む余地がなかった。

この「土台」の議論をせずに議論を先に進めたことで議論自体が混乱した。出発点はアジェンダセッティングの稚拙さである。日本人にとって心地いい社会制度設計を目指すのではなく外国から後ろ指を指されないされない制度設計を目指してしまうのだ。

アメリカやオーストラリアなどの共同親権が認められている国の人と結婚した人(主に母親)が子供を引き取ってしまい父親が会えなくなるという事例がいくつか報告されていた。トランプ政権下のアメリカでこれが問題になった。共和党の議員が「日本は子供の連れ去りの常習国である」と訴え、日本、中国、インド、ブラジル、アルゼンチン、バハマ、ドミニカ、エクアドル、ペルー、ヨルダン、モロッコ、アラブ首長国連邦(UAE)の12カ国を「ハーグ条約違反の常習国」に設定する。アメリカでは「拉致」という言葉が使われている。北朝鮮が日本人を拉致したというのと同じ言葉が使われている。

今春、米共和党のクリス・スミス連邦下院議員は議会の証言で「1994年以降、国際結婚で生まれた300~400人の子供が米国から日本に連れ去られた。今なお日本にいる35人以上の子供が米国の親たちと再会できる日を今か今かと待っている」と訴えました。

オーストラリアも日本政府に対して共同親権の導入を訴えている。

おそらくは外圧を受けて法務省では共同親権の議論を開始した。まず2020年に法務省が外国の事例を調査研究している。次に上川陽子法務大臣が2021年に法制審議会に検討を要請した。だがこの時に「外圧で仕方なく」と正直に説明しなかった。さらに日本が持つ固有の戸籍制度と住民登録制度のギャップについても考慮しなかった。

議論は3年かけて行われたが反対派の3名は意見を変えなかった。37回も部会が開かれたが溝は埋まらなかったので3人の反対者を残したままで多数決で要綱案がまとめられた。これがしこりを残す。

おそらく問題になったのは男性と女性の社会的地位の違いである。また養育費の不払いやドメスティックバイオレンス対策不在の問題もあった。さらに言えば夫婦別氏制度が認められていないこと(これも戸籍的な考え方に基づいている)に対する不満もあったことだろう。外面を意識した改革だったため国内の状況整備の議論が疎かにされた。

子供に対する権利がいつの間にか戸籍的世界観の男性支配という封建システムへの反発に置き換えられてゆく。

さらに話は複雑化する。離婚後の円滑な枠組み作りについて話し合っているのになぜか離婚が難しくなる制度を作れなどと言い出す人が出てきた。

それが自民党の谷川とむ議員だ。「離婚しづらい社会が健全」と発言し反感を買っていた。谷川とむ氏は谷川秀善元参議院議員の息子で議員2世である。大阪19区(貝塚市など大阪の最南端)で維新の丸山穂高議員に敗れて比例復活で当選している。旧安倍派の議員の一人であり選挙に弱いこともあり「右寄りの姿勢」でサイレントマジョリティの価値観を代表しようとしたのだろう。また選挙が弱い議員が統一教会の支持を頼ることがあり谷川氏も統一教会の影響が指摘されていた。統一教会は韓国儒教を影響を受けた通俗的な韓国の伝統的な家庭観を日本に浸透させようとした疑いがあることから、谷川氏の発言の背景に統一教会の影響を指摘する人もいる。

谷川氏の問題発言は法務省官僚に対してさまざまな質問をした後の総括として語られている。突然個人の価値観を持ち込んだことで周囲にいる議員たちが凍りついていた。

結果、状況はさらに混乱し、Xでは「離婚禁止法案だ」という過激な意見が飛び交うようになった。今回の共同親権議案には衆議院通過時点で「夫婦双方の真意を確認する」という附則がついたが附則の表現が曖昧だったこともあり反対意見はさらに先鋭化している。

背景はいくつかある。個人の幸せを追求したい女性に対する「馬鹿の壁」問題がある。権利を訴える女性に対して「女性の人権は大切」「昭和の価値観と令和の価値観は違う」として頷きながらも、最後には「でもやっぱり女の人は家庭に入った方が幸せよね」という価値観に回帰してしまう。結局、働きかけは1ミリも心に響いておらず最終的にはその人が元来持っていた価値観に固着されてしまう。働きかけた側の人たちに残るのは虚無と絶望だけだ。これが馬鹿の壁の威力である。

次に内在化された意識の問題もあるだろう。「女の子」は社会に出る前に「世間に迷惑をかけてはいけない」「みんなのいるところでは騒いではいけない」という「女はおとなしくしていろ」という価値観を徹底して刷り込まれる。こうした価値観を刷り込むのは大抵の場合は母親である。このため日本の女性は無意識で権利主張を嫌う。

今回の「離婚禁止法案」の訴えを聞いていると、そもそも裁判所が「離婚を悪いことのように考えているのではないか」「離婚する人たちを悪者にしようとしているのではないか」という疑念の声が多く寄せられていた。

さらに権利を主張する女性には強い同調圧力が働く。SNSでは、性被害を訴える女性に「でもお前にも落ち度はあっただろう」と攻撃の矛先を向ける人たちをよく見かける。

もちろん諸外国にも同じような問題はある。例えばアリゾナ州では160年前にできた中絶禁止法案が掘り起こされて問題になっている。女性の政治参加が認められていないばかりかそもそもアリゾナ州がなかった時代の法律が掘り起こされたのだ。女性が自分達の人生を優先することは罪悪だと考える古い伝統に基づいている。

ところがアメリカの場合こうした運動は保守とリベラルという構造に吸着してゆく。中絶禁止の問題はバイデン政権に有利と考えられている。女性の権利を守りたい人たちがリベラルな民主党に投票するからである。女性はリベラル化し若い男性は保守化する傾向がある。

ところが日本の場合にはこうした枠組みが機能しない。それぞれの権利を主張する人たちはそれぞれに孤立した運動体を作る。孤立した運動体ができてしまうと周りのいうことを聞かなくなり「どうして私たちの主張が通らないのか」というイライラ同盟に進化する。イライラ同盟の周りいいる人たちは触らぬ神に祟りなしだと感じるようになり運動体としてはさらに孤立してしまう。

最終的にイライラ運動は疲弊に変わり「もう政治や社会に興味を持っても仕方がない」という認識が生まれてしまう。日本の場合この孤立は2つの明らかな弊害をもたらした。社会制度が現代人の期待に応えるものではないため少子高齢化が進んでいる。日本人だけで見ると83.7万人が減っておりこれを外国からの労働者で補っている。

また会社への貢献度や満足度を聞くと日本は必ず最下位になる。その低さは異常なもので125カ国中エンゲージメントが最下位という調査すらある。日本は「社会への参画を嫌々ながら行っている」国なのだ。生産性が上がるはずがない。

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Comments

“共同親権導入は事実上の離婚禁止法案?” への2件のフィードバック

  1. 細長の野望のアバター
    細長の野望

    前回の共同親権の記事で、私は共同親権が進まないことについてDV被害のことだけを考えていましたが、戸籍制度(それに伴う夫婦同姓)についても考慮しないといけなかった今回の記事で気付かされました。
    海外(主に欧米諸国)からせっつかれて制度を作成することは少なくありません。それが良い結果になる場合もありますが、関連している制度を放置しているために、ちぐはぐな結果になってしまうのは悩ましいですね。