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なぜ、ジャニーズの東山紀之新社長は世間を納得させらなかったのに、井ノ原快彦氏には一定の説得力があったのか

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ジャニーズ事務所の記者会見が行われた。藤島ジュリー景子氏が社長を退任し、東山紀之氏が新しい社長に就任した。東山氏は「鬼畜の所業」などと厳しい口調でジャニー喜多川氏を糾弾していたがSNSの「X」では厳しい声が飛び交っていた。特に東山紀之氏が過去に性加害に関わっていたという報道が飛び交っていた。昭和の体育会的な東山新社長はおそらくステークスホルダーを納得させられないだろう。一方で存在感を発揮したのが井ノ原快彦氏だった。今回の会見で最も「株を上げた」といって良い。この2人の違いはどこにあるのかを中心に考えた。その上でなぜ「井ノ原快彦的」な資質が重要なのかについて分析する。

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東山紀之氏が無自覚に継承する「ジャニイズム」

記者会見の表向きの戦略はジャニー喜多川氏を表向きは激しく断罪した上で切り捨てると言うものだった。そのため東山新社長はこれまでのように「ジャニーさん」とは呼ばず「喜多川氏」と呼称していた。ただし、事務所の名前はそのままで残すと言う。最も問題なのは東山紀之新社長そのものに性加害やハラスメントの疑いがある点だろう。

東山氏は十分い「ジャニイズム」を継承しているといって良い。

では「ジャニイズム」とはなにか。ジャニー喜多川氏は歴史的に最悪で病的な少年性加害者ということになった。これ自体は個人の性癖である。しかしながら、これを隠蔽するために、体育会的な上位下達の命令系統と事務所の地位を使ったメディアへの圧力が加えられた。つまりこの問題には少なくとも二つのレイヤーがある。

東山紀之新社長は性加害の問題については認識しているが体育会的な「ジャニイズム」については無自覚だ。自分がそれを受け継いでいる自覚もなくおそらくは問題とも思っていない。東山氏は被害者との対話もやぶさかではないとしているが、被害者んの側は「黙殺してきた側」としている。

東山紀之新社長の態度からは「芸能というのは厳しい世界でありトップにいる人の理想が絶対的でなければならない」という昭和の体育会的な思想が窺える。舞台上がきれいであれば「舞台裏はどんなに汚れていても構わない」という気持ちもあるのだろう。東山紀之氏はアイドルや俳優としていっかんして「きれい事」の担当だった。ワイドショーの司会者としても活躍しているが基本的には「きれい事」しか言わない。

東山紀之新社長が世間を納得させられなかったのはこの体育会的なマインドセットを捨て去ることができず、単にジャニー氏の代わりに「世間」のいうことを聞くことにしたからである。

俺のソーセージを喰え

楽屋裏では「俺のソーセージを食え」というような逸話が流布されておりSNSのXでも記者会見でも面と向かって質問をされていた。

ただ本人はよく覚えていないという。

東山新社長がこれくらいのことはありふれていて当たり前だと思っていたということを意味している。ただ繰り返しこれについて詰問され次第に目が虚になっていった。今後、彼が社長であり続ける限りずっとこの問題と付き合ってゆくことになる。だが、おそらく意識は変わらず被害者との溝も埋まらないだろう。

記者から「ジャニイズムを継承するのか?」と聞かれて東山新社長はうまく返事ができていなかった。それが自然に身についているため言語化ができていないのかもしれない。性加害・隠蔽・芸実的な統合・楽屋裏での体育会的な文化などが渾然一体となっているのが「ジャニイズム」なので、ここから何かを取捨選択して一部だけを継承し切り捨てることはできないのである。

井ノ原快彦氏の団地育ちのバランス感覚

ところが井ノ原快彦氏は少し違っていた。NHKの朝の情報番組「あさイチ」の司会を経験していた人だが、この番組はきれい事のみを扱っている番組ではなかった。過去には団地で女性に囲まれバランス感覚を磨いたという報道もある。「男子の当たり前」が通じない世界で育っているのだ。

このため彼は正解を破壊することを厭わない。進行を遮って「僕もこの問題を聞かれたんですよね」と答えたり質問をしたいがなかなか司会者に当ててもらえない記者たちを指名してみたりと「キャスターぶり」を発揮していた。NHKで原稿以外のことを話すことができるのは権限を与えられたキャスターだけである。スタッフレベルよりも広い視点が求められる。

さらに、年齢差のあるグループの中で「年長チーム」と「年少チーム」のリエゾンとして機能していたという話も聞く。その場の空気を読み取り「正解でない行動であってもあえて実行する」という柔軟さがあるのだが、それだけではなく社会的責任を自覚して権限を持って行動しているといえる。

昭和的体育会系の東山紀之氏がジャニー喜多川氏をトップにしたピラミッドに容易に順応したことがわかる。順応したからこそ「加害者側」に組み込まれてしまった。一方で井ノ原快彦氏はこうした難しい状況をうまく立ち回っていた可能性が高い。組織の内部では正解であっても「これは外では通用しないのではないか」ということが見えていたのだろう。これがそもそもの立ち位置の違いになっている。

問題を把握して的確に行動しそれを伝える能力

この井ノ原快彦氏のバランス力が良くわかる発言があった。ジャニーズJrを育成する上で「選抜する立場」なので権力を持ってしまうのは当然だとしたうえで、そうなることはわかっているのだから第三者の視点を導入して過度な権力を持たないように気をつけているという。この3人の中では唯一問題の構造が理解できていることがわかる。問題を外から見ているのだ。

松谷創一郎氏が「テレビ局はジャニーズに忖度をしているが上官が「もうそれはいらない」と言わないとなくならない」としていた。この言葉の意味が理解できない東山紀之氏は言われたままに「忖度は要りません」と言っていた。ここで井ノ原快彦氏の発言は期待されていなかったのだが、ここでも割って入っていた。弁護士ドットコムに詳細が紹介されている。

井ノ原快彦氏は「自分でも疑問に思うことがあり「これはなんでなの?」と聞くことがある」という。話を聞いてみると「昔ジャニー喜多川氏がこう言ったからだ」と考えてそれを守っている古いスタッフが多いそうだ。そこで「毎日、これは変えてゆこうよ」と提案しているという。問題を共有し実際に行動していますよとアピールしている。

「ジャニイズム」の東山紀之氏は終始「べき論」を語っているだけなのだが、井ノ原快彦氏は空気を読み現状を変えるために具体的な行動を起こしていることを積極的に表現していた。記者たちが疑念を持っていて「べき論」を語っても全く説得力がないということがよくわかっているのだろう。

東山紀之氏は形式的に「喜多川氏」と呼び切り捨てようとしているが実際にはジャニイズムを引きずっている。一方で井ノ原快彦氏はジャニーさんと呼んでいたが「こわい」「なんて事してくれたんだ」と正直な感想を語っていた。その上で「子供たちを育てる責任」に言及している。単にその場を乗り越えようとするだけでなく、自分のポジションをうまく全面に出すことに成功していた。

共感は誰にでもできる。難しいのは飲み込まれないで主張すべきところは主張すると言う点だ。意外と「したたか」なのだ。

望月さん、望月さんが取材していた人が今声を上げたのが問題なんですよね

中でも井ノ原快彦氏の手腕が際立ったのが「望月衣塑子」対策だった。オフマイクでしつこく噛みついてくる望月氏に対して「望月さんが取材してきた人」と名前を語りかけていた。望月さんという記者をきちんと認識したうえで語り返し対話を開始した。「望月衣塑子」が問題になるのはこの人が対象物を「あいつら」認定し攻撃するからである。名前を認識していることを知らせた上で対話に持ち込めば攻撃を和らげることができるのだ。

「我々とあいつら」の構図

ではなぜこれが今後重要な手腕になるのか。それは今後のジャニーズ事務所が再生するためには「対立構造を変化させること」が重要だからである。

もともとこの問題は「西洋と日本」という語られ方をしていた。当初この報道は西洋的規範を押し付けるBBC対日本人という構図で語られることが多かった。確かに性加害は問題かもしれないがBBCに規範を押し付けられたくないという反発があった。

この図式は国連の調査団が入った時までは実はあまり大きく変わらなかった。確かに国連はビジネスと人権という高い理想を掲げている。だがこれも「国連が日本人に対して規範を押し付けている」という評価があった。

この図式は林真琴氏を座長とする調査委員会が「報告書」を出した時に根本的に変わった。林座長らはビジネスと人権という観点から放送局などが高い規範意識を持って問題再発を目指すべきだと訴えた。だがマスコミはあまりこうした高い理想には興味や関心を示さず、代わりに「誰に石を投げるべきか」というような話を執拗に聞きたがった。

世間に逆らう「あいつら」は誰なのか?と言う対立と線引き

ここで「国連が言っているにもかかわらずそれに従わないジャニーズ事務所はけしからん」という話になりつつある。望月衣塑子氏は被害者に取材をしているのだろうが心理的に癒着してしまい「こちら側」から「あちら側」を叩いている。だから望月衣塑子氏は「記者会見のルールなど無視しても構わない」と考えている。心理的な対立は倫理を超えてしまう。

世間が「望月衣塑子化」している。彼らは最も簡単に境界線を都合良く動かす。

国連という権威が出てきたことでまず動揺したのがスポンサーだった。大手の企業はタレント起用を控えるのではないかと言われている。今下手に動けば「お前らはジャニーズの見方をして金儲けに力を貸すのか」と言われかねない。つまり世間にいる「望月衣塑子的な人たち」からジャニーズ事務所に連座して「お前ら認定」されることを恐れているのだ。

つまり「国連の権威を身にまとった我々」に対して「創業家と東山新社長」という図式が作られつつある。調査チームはこの権威付に利用されただけということになる。文春オンラインの記事の書き方は非常に上手である。「経営から退くべきという再発防止特別チームの提言に逆らう」という一説がある。

再発防止特別チームは会見で「これは判決ではありませんよ」と言っている。つまり権威ではない。にもかかわらず勝手に「逆らう」ということになっている。そして、文章の最後は「世間の理解を得られるのだろうか?」と結ばれている。巧みに「世間様に逆らうのか」ということになっている。

求められる「あいつらとこいつら」をつなぐ人材

「黙認してきた側が被害者救済などできるのか」といっていた被害者たちは納得がゆく結論が得られなければ刑事告発や海外での訴訟を準備している。封筒に入った文書を高々と掲げ「準備は全てできている」と言っている。これも人々の懲罰感情を満たす方向に左右するだろう。

「我々とあいつら」の区分ができてしまうと当然「あいつら」の側に取り残される人たちも出てくる。被害者に対する誹謗中傷が増えているそうだ。おそらく今回の件で最も被害を受けているのはファンだろう。ファンの中には事務所のやり方に疑問を持つ人と事務所の側に立って告発者を叩く人への分断が起きている。特に告発者を叩く人たちは加害者になり刑事罰の対象になるリスクを負っている。つまり加害者化する可能性がある。

となると、解決のためには井ノ原快彦氏のように「つなぐ」人材が求められるのだが、井ノ原快彦氏のジャニーズ事務所での立場は曖昧なものであった。あくまでも育成期間の社長に留まり本体の副社長などにになる予定はなさそうだ。

ブランド再構築のために必要な人材ではあるのだが……

東山紀之新社長としては責任を一手に引き受けることによりタレント活動を続ける井ノ原快彦氏を守りたかったのではないかとも考えられる。だが、仮にジャニーズ事務所が今後も活動を続けるならば経営に参画させるべきだろう。

井ノ原快彦氏の人柄の良さは評判になっていた。だが細かく見てゆくと戦略的なアサーティブさを感じる。状況を客観的に見た上で対立構造を切り崩した上で、自分のポジションと主張を通そうとしている。大企業の経営者にもなかなかこういう人は多くないのではないかと思う。

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