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宝塚歌劇団の生徒さんたちが「実は私たちは異常な状態にあった」と気がついてしまう 報道の激化で広がり続ける動揺

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宙組25歳の劇団員(宝塚歌劇団では「生徒さん」と呼ぶ)の不幸な事故をきっかけにした報道の波紋が広がり続けている。中でも深刻なのは宙組の中に動揺が広がっているという点だ。「実は私たちは「生徒」というなのもとに搾取されていた」と気がついてしまった。

彼女たちが当たり前だと思っていた境遇は世間から見るとかなりブラックなものだった。報道を通じて閉ざされた世界にいた彼女たちがそれを知ってしまったのである。

歴史を紐解いてゆくと問題の根幹には「劇団員を生徒と呼ぶ」という慣習がある。小林一三が提唱したスタイルだがいつしか搾取のための装置になってしまっていた。芸能人を独立したアーティストとして尊重しなかった弊害が出ているのだ。

今後このような歌劇団に子女を預ける良家の親は減ってゆくかもしれない。宝塚の生徒は良家の子女というブランドイメージが剥落した上にあまりにも閉ざされた異常な世界だということがわかってしまったからである。生徒さんの再定義をしない限り宝塚歌劇団は復活しないだろう。これまでの問題をなかったことにはできないからだ。

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報道激化の理由は3つあるようだ。1つは独立を主張していた調査が実は独立ではなかったという点。もう1つはいじめ被害者に立証責任を負わせようと画策しているという問題。さらに最後の1つは4人の聞き取り辞退者である。歌劇団の受け答えが曖昧だったため、さまざまな憶測が飛び交っているという。説は2つある。加害者だから調査から逃げたのだろうという憶測の一方でショックを受けている当事者たちの心の回復を待たずに聴取を打ち切ったという説が存在する。

今回の問題で最もショックを受けているのはおそらく下級生を中心にした団員たちだろう。自分達が当たり前だと思っていた境遇が「実はものすごくブラックだった」ことに気がついてしまった。その報道は容赦のないものだ。

動揺が収まらず宙組は12月14日まで再開できない見込みとなっている。大劇場は12月1日から雪組の公演が再開される見込み。花組は梅田芸術劇場から全国ツアーを再開した。劇団員同士でいじめあっているのではないかという世間の好奇の目とブラック企業で働かされている可哀想な人たちだという同情にさらされつつ「良家の子女」たちが全国を公演するという想像を絶する苦行になりそうだ。

責任の所在も曖昧なままだ。阪急阪神ホールディングスという親会社があり、傘下に阪急電鉄がくっついている。歌劇団は阪急電鉄の一部門で「阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部」なのだそうだ。研修生は社員だがその後業務委託契約を結び「出入りの業者」扱いになる。ただし会社からのさまざまな要求に縛られており実質的には労働契約のような支配関係が存在する。

ここまで便宜的に「劇団員」と書いたのだが実は彼女たちは「生徒」と呼ばれる。プレジデントオンラインに由来を説明した記事がある。

芸能人の格が今よりもずっと低かった時代には「宝塚の女優は芸者みたいなものだろう」と揶揄れることが多かった。小林一三が立腹し「宝塚歌劇団は良家の子女に教育を施した「生徒」によって構成される」と宣言したことが「生徒」の由来なのだそうだ。

ただその位置付けは最初から倒錯したものだった。二つの動機が混在している。一つは良家の子女として厳しく管理しこれまでの下賤な芸能人のイメージからの脱却を目指したものである。記事にはこう書かれている。つまり生徒たちは独立した人格を持たずに管理される対象だった。

宝塚音楽歌劇学校の校長に就任して、勉強、服装、外出時のマナーなどあらゆる面で少女たちの学校生活を管理し、厳しい風紀を維持した。また、少女たちは、高等女学校の女学生になぞらえられ、そうすることで、従来の温泉芸者や役者とは異なる演技者のステータスを得ることができた。

一方で彼女たちを一流の芸術家とは認めずに「未完成な生徒」として扱うことで庶民に身近な演目であるという印象がつくことを狙ったと記事は指摘している。日本人に特有の「ネオテニー信仰」に根ざした考え方だ。ジャニーズ事務所が性的に成熟した男性のイメージを嫌い日本にアイドル文化を浸透したのと同じように宝塚歌劇団は「未婚のお嬢さんたちの芸事」という印象で関西に定着した。

これは一種の愛玩物としての扱いだ。実は宝塚に求められていたのは「清く正しく美しく」ではなく「無邪気な幼稚さ」だった。ジャニーズと同じように「おままごと」だからよかったのだ。

独立した芸術家として尊重せず「生徒」として扱う姿勢はやがて実家の援助なしには成立しない中途半端な芸能人という存在を誕生させる。昭和、平成、令和と進む中で芸能人の社会的位置付けは大きく変わり始めている。「少年たちを育てる」構造が性的搾取の温床となり社会問題になったことでジャニーズ事務所は「エージェント制度」を導入してタレントをアーティストとして再定義せざるを得なくなった。宝塚歌劇団が「芸術」であるためにはその担い手たちはそれで食べてゆける独立したアーティストとして尊重されなければならない。他のエンターティンメントではそれが当たり前なのだ。

宝塚歌劇団は阪急電鉄の一部門という扱いだが、何らかの形で「生徒さん」の再定義を行わないことにはこの先の存続は難しいものと思われる。その意味では一人の「生徒さん」の死が訴えるものは非常に大きいのだろう。きっかけは何であれ起こったことはなかったことにできない。

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