ざっくり解説 時々深掘り

ジェンダーがわからない小沢一郎さんと有権者が見えない立憲民主党

みんなジェンダーなんてわからないと言っているよというのは俺にはもう何が何だかさっぱりという意味だろう。小沢一郎さんがジェダーがわからないと嘆いている。もう引退すればいいのにと思った。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






小沢一郎さんは「どういうことだと聞かれても、ほとんどの人が分からない」と発言したそうだ。日本人が「みんながそう言っている」と主張するのは自分がわからない時なので、おざわさんはジェンダー議論にはついてゆけないのだろう。

ジェンダー問題は多くの女性にとって切実な問題である。何か決定的に困ったということはないにせよ、自己責任を求められる現代社会において「男性より少し大きな荷物」を背負わされる人もいるだろうし自己決定権がない中で幸せが実感できない人もいることだろう。制度変更だけですべての問題が解決するとは思わないのだが、少なくとも理不尽な制度や社会慣習はなくしてゆかなければならない。さらに男性も男性であるからという理由だけで大きな責任を押し付けられたり子育てへの参画に困難を感じたりすることがある。つまりジェンダーはみんながわからないどころかみんなにとって切実な問題である。

おそらく小沢一郎さんの政治とは下水道を整備したり橋をかけたりということなのだろう。確かに昭和の高度経済成長期にはこれが政治だったし、それは日本にとって大切なことだった。だが、それはもう過去の話だ。政治が扱うべき領域は速い速度で変わり始めている。

だがこれもまだマシな方かなという気がした。日本の政治家には「俺にはさっぱりわからない」がなんとか対応しなければならないという理由でおかしな理屈を持ち出す人が数多くいる。中にはニュートンという科学雑誌がY染色体の揺るぎなさを証明したなどと言い出す政治家もいるし、女性や子供の人権を尊重すると左翼が日本を共産化すると言い出す人までいる。

おそらくこうした人たちは「現役世代が何を求めているのかがよくわからない」ということを言い出せずにいる人たちだ。とはいえ科学的議論の訓練を受けているわけでもないのでめちゃくちゃな理屈を持ち出して人々を怒らせ続けている。また、これにいちいち「科学的論理的に」反応する人がいる。

日本人の合理的理解度にはかなり限定条件がつく。普段から政治議論をしていると「エビデンスを出せ」と言ってくる人がいる。彼らは「お前の言っていることは認められない」と言いたいだけなのだが政治的議論には科学的合理的証拠が必要なのだと思い込んでいる。だから、じゃあこれがあなたが欲しているエビデンスですねなどと言って提出しても「やっぱり認められない」ということにしかならない。

おそらくその裏にあるのは社会的合意ができてしまうとそれに従わざるを得ないという恐怖感だろう。日本人は一般的に不確実回避傾向が強くわからないことが怖い。わかりやすい言葉で言うと「未確定な未来に恐怖感を覚える」のである。とはいえみんなに合わせなければならないと言う気持ちも強い。だからある程度説得力のある議論に遭遇すると「あなたはそう思うのですね」とはいえず「エビデンスを出せ」とか「何かピンとこない」と言って過剰に防衛してしまうのだ。小沢さんの「もう現代の政治がわからない」と言う不安もその一つの象徴だろう。

新しい支持者を掴むことが求められる立憲民主党は「ジェンダーがわからない」という重鎮議員にはなにか適当な仕事を与えて当たり障りのない範囲で頑張ってもらうのが良いのだろうなと感じた。

とはいえ立憲民主党の幹部も有権者たちが何を求めているのかを掴みかねているようである。彼らもまた不確実な未来に戸惑っている。ロシア・ウクライナ情勢が緊迫し安倍元総理が核共有の議論を提示したことにまともに反応し「非核三原則」を堅持する方向で調整を始めたそうだ。おそらくこれが彼らにとってわかりやすい枠組みだったからなのだろう。安倍元総理というお馴染みの的に執着することで未来への議論を避けている。

これまでも散々分析してきた通り我々の安全保障環境は未来が見通せない状態になっている。

ロシアという常任理事国が暴走を始めた今となっては国連中心主義は成り立たない。とはいえアメリカも核兵器保有国には何もしないということがわかってきた。つまりアメリカの核の傘は抑止力としては働くだろうが有事の際にはアメリカの援助は期待できそうにない。だが、兵力はアメリカによって制限されている。個別自衛権だけを解釈改憲で容認したため集団安全保障の議論も進展しにくい。

これまで戦後積み重ねてきたものが周りの環境と全く合わなくなってきている。

こうした難しい条件をクリアするためにはかなり大胆な安全保障の枠組みの変化が必要である。だがおそらく立憲民主党も不確実性回避傾向が強く「今までの支持者を手放してまで新しい枠組みを議論する」という一歩が踏み出せないのだろう。

こうして見ていると、立憲民主党のみならず日本の政治は不確実な未来を扱いかねているように思える。不確実性回避傾向が強く未来に強い不安を感じてしまうのである。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です