ざっくり解説 時々深掘り

ワイドナショー出演取りやめ 改めて松本人志さんの人権について考える

Xで投稿をシェア

松本人志さんがワイドナショーに出演しないことが決まった。この件に関してはもちろん被害を訴えている側の女性の人権の問題についても考えなければならないが松本さんの人権についても考慮する必要がある。

関係者が選んだ道は「面倒な問題には関わらない」ことだった。吉本興業は徐々にラインをずらし「松本さん個人の問題」に落としこもうとしている。極めて日本的な解決方法だ。

徐々にスタンダードが作られてゆき「何が良くて何がいけないのか」が空気によって決まるのが日本式だ。今回の件は日本でどのように改革が進むのかを示す好例となった。

Follow on LinkedIn

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで

|サイトトップ| |国内政治| |国際| |経済|






松本人志さんがワイドナショーへの出演を取りやめた。週刊文春の続報に複数の証言があったことが背景にある。

この件についてはテレビ局によって伝え方に温度差がある。テレビ朝日やTBSの情報系番組は記事の内容を伝えはじめている、特に筑紫哲也氏の「TBSは死んだ」発言をきっかけにしてワイドショー全廃に追い込まれた歴史を持っているTBSはかなり神経を尖らせているようだ。共犯者と見られたくないのだろう。

朝日新聞の報道によるとフジテレビは松本さんの一方的な出演宣言にかなり驚いていたようだ。建前上はタレントが一方的にテレビ出演を宣言することはあってはならない。編成権の重大な侵害になるからだ。また番組が要請を受け入れてしまうと「裁判になるかもしれない案件」において一方の当事者の意見のみを聞いたことになってしまう。これは放送法違反だ。結果的にフジテレビは「松本さんを出さない」判断をした。松本さんはYouTubeの番組などで自分の主張を伝えることはできるが公共性の高い電波で一方的な主張をするべきではない。フジテレビも巻き込まれたくないと考えていたのではないかと思う。

経済的な影響も出始めていた。一部の番組がスポンサー名公表を取りやめていたそうだ。各社とも「人権への懸念」を明確に表明しておりジャニーズ事件をきっかけに外圧を背景にしたコンプライアンス基準の変更があったことがわかる。松本さんには松本さんの人権があるがスポンサーもまたブランドイメージをコントロールする権利がある。

松本さんの人権を考えた場合、これは妥当な判断なのだろうか。答えは「妥当ではない」になる。日本は法治国家であり刑事事件化になるかを待ってから対応を決めるべきだったというのが建前上の答えだ。

そもそももう一方の当事者である被害女性の出方がよくわからない。2023年7月に強制わいせつが「不同意わいせつ」という名前に変わっている。さらにわいせつと性交で公訴期間(いわゆる時効)が変わっているのだが、刑事事件化するのかできるのかについては女性側が訴えなければ議論が始まらない。一旦確定した時効が過去に遡って変更できるかについては専門家の間に意見の相違もあるようだ。

一部スポンサーの対応を見ればわかるように、今回の件では外圧をきっかけにコンプライアンス基準が変わっている。さらにいえば「処罰」についての基準も変わってしまっている。ジャニーズ事件では被疑者が亡くなっており罪に問えなかったが心情的にはジャニーズ事務所が許し難い。そこで「法を超えた救済」という一種のスタンダードができてしまっている。そもそも「ジャニー喜多川氏への忖度」がありそれが反対側に振れてしまったことがわかる。戦前の大勢翼賛体制が逆側に振れてたのに似ている。外圧に対して敗戦した結果として価値観の揺り戻しが起きたのだ。

このため現在では極端な「識者」が週刊誌報道による社会的制裁もありだというようなことを言っている。これは「必殺仕事人」とか「バットマン」の世界観であり正常な法治国家のスタンダードとは言えない。妥当でないにも関わらず一種の社会的相場ができてしまっているというのが今回の「事件」の特徴なのかもしれない。

この件で最も「日本的な」逃げ方をしたのが吉本興業だ。法的なリスクと風評リスクを抱える一方で会社内に松本さんに近い幹部たちや後輩芸人たちがいる。また、松本さんのファンも敵に回したくない。このため当初は松本さんの言い分を取り入れて「訴訟も辞さない」という強気の姿勢を見せていた。だが、徐々に「松本さんがどうしても芸能活動をお休みしたいと言っている」と軌道修正を図る。さらに朝日新聞の報道では「もう松本さん個人の提訴だ」と変わった。つまり自分達は関係ないと表明しているということになる。白黒はっきりさせると波風が立ってしまうので徐々に間合いをとりながら最終的には逃げてしまった。この吉本興業の姿勢に「一貫性がない」と憤る人は誰もいない。

万博関係者も同じ姿勢だ。松本さんがアンバサダーを続ければ海外企業から離反されかねない。かといって切ってしまうと松本さんのファンから攻撃される可能性もある。結局彼らは「ご本人の強い意向でお休みされたいならしかたないですね」と幕引きを図ろうとしている。吉村知事経団連の十倉会長はそれぞれ同じトーンでこの問題から逃げ出した。両方とも「松本さんや吉本とは連絡を取ってない」と強調している。つまり彼らも実質上は逃げてしまったのだ。

日本人はあまり人権を意識しない。今回被害女性の人権を守るべきだという声は全く聞かれなかった。松本さんの人権について言及する人もいるがどちらかと言えば「弱い立場にある被害者女性」への反動的バッシングという象徴的な意味合いが強く本気で松本さんの人権について考える人はいないのではないか。

一方で、人権問題への関わりを通じて自分達の組織がどう見られるかという文脈にはとても敏感だ。本質よりも見た目を重視する社会的背景があるといえる。さらに「立場を明確にしてしまうとどちらかから攻撃されてしまう」という事情もある。このため関係者は問題について自分達の立場を明確にすることはなく津波から逃げるようにしてそれぞれの方向に散っていった。

松本さんがこの間どのような情報空間にいたのかは興味深い課題だ。報道とXの投稿を見るかぎり「俺は悪くない、今までこれで通ってきたじゃないか」という気持ちがあり、それを周囲に確認してきたのではないかと思う。芸能のように基準がはっきりしない分野では自分で基準を作ってゆくしかない。あるいは取り巻きのような人たちがいて松本さんが気にいるようなことばかりを言ってきたのかもしれない。強気ゆえに取り残されたのだとすれば気の毒としかいいようがない。突然の報道だったこともあり「リアクティブな」反応をするのが精一杯だったのだろう。

あとは長い時間をかけて「松本さんご本人」という資格で週刊誌報道と向き合うことになる。この長い戦いを経て松本さんがどのような形でファンの元に戻ってくるのかに注目したい。仮に裁判ということになれば数年かけて「向き合う」ことになるだろうと言われているそうだ。

コンテンツのリクエストや誤字脱字の報告はこちらまで