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「市川猿之助さん一家」に起こった悲劇にマスコミはただただ戸惑う

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市川猿之助さんが意識朦朧とした状態で見つかった。ご両親は亡くなったそうだ。このニュースを聞いて歌舞伎に詳しい人はかなり動揺したのではないだろうか。「父親」として紹介された段四郎さんもまた歌舞伎界の重鎮だったからである。ただこの件は単に「澤瀉屋に起きた私的な悲劇」に止まらない。性的嗜好・性的指向をめぐる問題を我々がどのように扱うべきかを突きつけてくる。キーワードは「恥の意識」である。

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一般には「テレビで有名な市川猿之助さん」として知られている。だがこの家は歌舞伎界では「澤瀉屋(おもだかや)」として知られている。一般には「伝統を支える存在」という印象もあるだろう。一方で「芸事をやる人たちの常識と我々の常識は違う」という認識もある。

市川團十郎が率いる家が「市川宗家(成田屋)」だが、澤瀉屋は成田屋の番頭格として知られているそうだ。また成田屋に宗家が不在の時期があり市川一門を引っ張る存在だったとも言われている。また「スーパー歌舞伎」と言われる型破りな歌舞伎を始めたのも澤瀉屋である。つまり澤瀉屋には必ずしも伝統に囚われないという破天荒なイメージもついている。新国劇、新派、新劇のように歌舞伎の外で実現した人たちが多い。また歌舞伎にも「新歌舞伎」と呼ばれる西洋リアリズムに影響を受けた作品群がある。

スーパー歌舞伎という名称には、こうした新劇と旧劇(歌舞伎)の両方の要素を吸収してこれまでの歌舞伎を超えてゆくという含みがある。つまり、「歌舞伎の中」で新しいことを次々とやっているというのが澤瀉屋の特徴ということになる。それを支えてきたのが「猿之助さん一家」として紹介された澤瀉屋だったわけである。

普通の歌舞伎の家の「筆頭」は一人なのだが、澤瀉屋には猿之助と段四郎という二枚看板があった。当初「父親」として紹介された段四郎さんは歌舞伎界の重鎮として知られている。共同通信は「父として紹介されていたのは実は段四郎さんでした」とわざわざ配信している。

このため今後の歌舞伎の演目に大きな影響が出るのは間違いないと見られている。報道は一斉に今後のスケジュールの変更を聞きたがったが当然「今後の予定は未定」という答えしか返ってこなかった。

マスコミはこの段四郎さんの死を取り上げつつ「猿之助さんが回復してから事情を聞くつもりだ」と伝えている。つまり猿之助さんは今後この悲劇を背負うことになる。どのような事情があったのかはわからないがこれほど過酷なことはないのではないかと思える。

今回の件でマスコミがあまり伝えたがらないことがある。それが「ある」スキャンダルとの関係である。文春オンラインが「《“セクハラ報道”直後に心中か?》市川猿之助さん(47)の“遺書”の宛名に記されていた名前とは…「騒動の前は両親と3人でひっそりと暮らしていた」」という記事を書いている。「セクハラ報道」があったことはテレビでも伝えられている。

スクープは「女性セブン」のものと書かれている。確かに「【スクープ】市川猿之助が共演者やスタッフに“過剰な性的スキンシップ”のセクハラ・パワハラ「拒否した途端に外された」」という記事が出ている。ジャニー喜多川氏に関連する報道が盛んに行われており「今が出しどきだ」ということだったのだろう。

この記事で一貫して避けられている項目がある。それが「被害者の性別」である。歌舞伎であれば演者に女性はいない。だがスタッフも含まれていると書かれており「対象が男女のどちらだったのか」がよくわからない。「被害を受けたのが女性である」という書き方になっていないのでおそらく男性も含まれていたのではないかと思えるのだが、それを断定してしまうことには怖さもある。それだけ「この手のことは軽々に語ってはいけない」という社会的タブーがあるのだ。

被害者の立場に立てば次のようにまとめることができる。たとえ男性が男性に被害を受けたとしてもこれはれっきとした「性被害」である。決してパワハラやセクハラとして片付けられるべきではない。

一方で加害者(とされる)人の視点に立つと「とは言え本人が望まない形で世間に公表するという行為は社会的懲罰にあたるのではないか」という論点が成り立つ。

おそらくマスコミが今回のスキャンダルについて報じられないのはこの辺りの社会的な認識がまだ生まれていないからなのだろう。つまり「正解がない」議論では報道が組み立てられないということになる。だが興行に与える影響は大きい。また、今後の進展によっては事件化することも考えられる。

だから伝えないわけにはいかない。

仮にこれがLGBTの問題と結び付けられてしまった場合はさらに複雑なことになりそうだ。

地味党と公明党はサミットに間に合わせる形でLGBT法案を提出した。NHKの報道に不思議な一節がある。法案を提出してから法律の精神について考えよと言っている。つまり何のために出した法案なのかがよくわかっていないのである。

今後について「この法律の基本的な精神がどこにあり何のために作るのかはっきりさせることが重要だ。性的マイノリティーの人たちを誰ひとり取り残さない多様性のある社会の実現に向け具体的に取り組んでいくことが大切であり、今後、国会での議論など成立に至るプロセスも大事に注視していく必要がある」と話しています。

おそらく自民党・公明党の焦りの裏にはアメリカへの配慮がある。バイデン大統領の支持基盤の一つが性的多様性を訴える人たちなのである。直前にも「LGBTの権利擁護へ決意 バイデン大統領「敬意と平等を」」と決意を述べている。

同性愛者に対する権利保護が十分ではない日本は十分バイデン大統領の「標的」になりえる。自民党と公明党がサミット開始前の法案提出にこだわったのはおそらくこの辺りが背景なのだろう。バイデン大統領は次のように指摘する。

一方で、世界の60カ国以上が依然として同性愛を犯罪として扱い、米国内でもLGBTへの攻撃が増えていると懸念を表明した。

この問題の最初のきっかけがBBCだったことを考えると「欧米に向けて恥ずかしい」という恥の意識がありさらにアメリカの政局に対する配慮などが積み重なり今の状態ができてることがわかる。ただし単に「外から悪く見られたくない」ということだけが先走っている。このため保守派に配慮して文言を訂正して内向きな配慮を示している。

猿之助さんは現在「会話ができるレベルではない」ということで状況が整理されるまでにはまだ時間がかかりそうである。代役は中村隼人さんがつとめた。宙乗りや早がえなどをこなしたそうだ。

今回の発端となった女性セブンの報道でも「これが同性の間のセクハラ」なのか「異性間の間のセクハラなのか」という問題は一貫して避けられている。ジャニーズ問題だけを引用すると「同性間の」を匂わせることになってしまうのでわざわざ宝塚の事例を入れるという徹底ぶりだ。それだけ「同性愛を公然と語ることに恥の意識がある」と言えるのかもしれない。

もちろんはっきりしたことがわかっているわけではないので軽々に断じるわけにはいかないのだが、報道の抑制は裏返すと内情を明かされた側の意識にも深い「恥」の感覚が生まれるという可能性はあるわけだ。

「外国に対して恥ずかしいから」という意識で渋々と議論を前に進めるだけではこの辺りの問題が解消することはないだろう。

今回の件は歌舞伎界のみならず日本の演劇にとっては非常に大きな出来事である。と同時に社会的に与えるインパクトも大きい。LGBT法案問題でも「トイレやお風呂問題」が盛んに報じられていた。またテレビに出てくる同性愛者の人も「夜のお仕事」の出身者かファッション関係者が多い。同性愛は「どこか特殊な人たち」か「夜の世界の人たち」の問題という漠然とした印象がある。今回の件も成り行きによってはそうした同性愛特殊論をさらに強化してしまいかねないという危険性がある。

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