タグ: 安保法制
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嘘の芸術 – なぜ集団的自衛権の議論は分かりにくかったのか
この夏行われた集団的自衛権の議論は分かりにくかった。調べれば調べるほど混乱したという人も多かったのではないだろうか。ではなぜ、分かりにくかったのだろうか。経緯を見てみよう。
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戦争に参加するということについてもう一度だけ考えてみて欲しい
平和安全法案に賛成の人も、戦争法案に反対の人も、どうか、一分間でもいいから立ち止まって考えてみて欲しい。
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自衛隊は戦前の陸軍と同じ仕組みで暴走するだろう
自衛隊は米軍と一体化し、日本政府は事実上の支配権を失っている(あるいは始めから持っていなかった)。そう考えると、議会審議は単なるお芝居にしかすぎないように思える。
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安倍さんの嘘と抑止力という安全神話
実際に有事が起きない限り、安倍首相の内外での言動のずれが破綻することはないのかもしれない。しかし、本当にそれで大丈夫なのだろうか
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中谷防衛大臣の過大な約束
日本の両極端なマスコミ報道や与野党の議論に疲れたので、アメリカ国防省のウェブサイトにある記事をいくつか和訳してみた。あることないこと仄めかしてみたり、憲法に書いていない事を約束してはダメなのではないか…
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アメリカ軍日本撤退という噂
2016年にアメリカ軍が東アジアから引き上げるのだという噂がある。真偽のほどは定かではないが、もし本当ならこれまでの議論はすべてやり直しだ。
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戦争法案か安全法制か
将来の衝突を予想した時点でこの法案は「戦争準備法案」だ。現在、最大の抑止力になっているのは、軍事力ではなく、経済的なネットワークである。このネットワーク抑止論について考える。
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教育 – 戦争を防ぐ力
1994年のルアンダではラジオに乗って流されたヘイトスピーチに乗せられて80万人が虐殺された。情報リテラシーが高ければこの悲劇は防げたかもしれない。
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「戦争」法案と国民の抵抗権
全体に民主主義に疲れてしまったような雰囲気を感じる。日本人は戦後70年間民主主義とうまく付き合ってきた歴史をもう少し誇りに思ってもよいのではないだろうか。
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将来、SEALDsが抑圧されるかもしれないというお話
戦前は「戦争に行きたくない」と考える事は思想犯罪だった。今のところこうした思想を取り締まる法律はないが、将来に渡って保障されるかどうかは分からない。
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自衛隊はどのように暴走するか
「自衛隊は安全な場所にしかいかないし、士気も高く暴走の危険はない」と考える法案賛成派の人にこそ読んで欲しいナットアイランド症候群の教訓。
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イラン核合意 – 外交か戦争か
泥沼の戦争を経験したあと、世界の指導者はどうにかして新しい戦争が起こるのを防ごうとしている。そんな中で力による封じ込めと戦争を希求する安倍総理が異質に見える。
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武藤貴也議員と考える自衛戦争の大義
自民党の武藤先生は、日本精神は核武装してでも守られなければならないと主張する。だが、その権力の基盤は明確ではなく、大義の正体もはっきりしない。
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先制攻撃は違法なのか
先制攻撃は国際法上で違法とはいいきれないが、厳密な解釈が必要だ。民主党議員は「予防的」か「自衛的」かを明確に区分した上で議論を進めるべきだろう。
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一国平和主義か積極介入主義か
集団的自衛権について政策議論をしたいのなら、まず共通の物差しを持たなければならない。だが、中立な立場から物差しを提供しようという人はなかなか現れない。
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安倍さんが火事の模型で国民を困惑させる
夏休みの工作のような模型を見て心底震えた。この人は本当は何も分かっていないのではないかと思ったからだ。自衛隊は本当にこんな説明で海外に派遣されるのだろうか。
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安倍首相によって傷つけられる人たち
安倍さんはステークスホルダーを説得するのを避けて自己の構想を実現しようとしている。これによって傷ついているのはむしろ熱心な賛成派なのではないかと思う。
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他衛か自衛か – 集団的自衛権を巡る認識のずれ
一般的に、議論が噛み合ないのは双方に認識のずれがあるからである。ところが集団的自衛権の議論の場合には、そもそも議論の素地すらない。だから、合意に至ることはないのだ。
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ジュネーブ条約と自衛隊
捕虜になっても国際上の保護が期待できない自衛隊は、正社員の中にいる非正規雇用みたいなもの。とすると、日本国はブラック企業みたいなものではないだろうか。
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自民党の考える表現の自由
今回の自民党議員たちの表現の自由についての発言は現行憲法下では間違っている。しかし、自民党の考える新しい憲法下では間違っているのは国民の側になるかもしれない。
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戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である。
言論弾圧が公然と議論されるようになった自民党が全体主義政党なのかという疑問には意味がない。だが、なぜそうなってしまったのかという疑問は残る。