自衛隊の統合幕僚長がデンプシー統合参謀本部議長と会談した際に「自民党が選挙で勝ったから、安保法案は2015年の夏までに成立するだろう」と語った件が参議院で問題になっているらしい。関連して、ツイッター上には、デンプシー統合参謀本部議長と河野克俊統合幕僚長が握手する写真が流れてきた。この写真を見て「自衛隊は戦前の軍隊と同じ仕組みで暴走するんだろうなあ」と思った。と、同時に日本人にはこの暴走を止める手だてがないのだなあとも考えた。
戦前の日本には国民が軍隊を制御する仕組みはなかった。日露戦争で出費が嵩み、国民の不満が爆発したので、慌てて選挙権を拡大したが、それでも国民の半数(つまり女性)は選挙権が得られなかった。
理論的には天皇が統帥権を持っていた。だが、実際には暴走を止める事はできなかった。日本の権力構造は「中空」になっていて、誰も責任を取らない体制が伝統的だからだ、などと言われることがある。
日本の陸軍は政府から独立していたから暴走した。
一般的には、現在の自衛隊はシビリアンコントロールが働いているから安心だと考えられている。ところが、自衛隊は米軍と一体化している。つまり、自衛隊は二つのコントロール経路を持っていることになる。一つは米軍で、もう一つは日本政府だ。
この二つが相矛盾なく成り立つ為には、両者の意思が完全に一致してなければならない。だが、異なる二つの主体がいつも完全に一致するなどということがあり得るだろうか。
自衛隊の統合幕僚長が米国の統合参謀本部議長と握手をしている写真を見たときに思ったのは「自衛隊は心理的に米軍に取り込まれているのだろうなあ」というものだった。これは、大手企業とやりとりをしている出入りの業者の営業マンに見られる心理状態だ。
本来営業マンは自分の出身会社の利益を守るために行動するはずなのだが、大手企業に出入りしているうちに、あたかも自分が大手企業の一員であるかのように行動しはじめる。その方が大きな仕事ができて気分がよいからだ。同じように自衛隊も「軍隊以下の存在」と思われるより「世界一の軍隊の一部」として扱われた方が気分がいいに違いない。
米軍に監督されている自衛隊が単独で暴走することはないだろう。問題なのは内閣の方針と米軍の方針が衝突した時だ。そのとき自衛隊は米軍に背き、国民の味方をしてくれるだろうか。米軍にとっては、自衛隊に日本政府と日本国民を鎮圧させ、自分たちに都合のよい政府を樹立するほうが手っ取り早いし、自衛隊にとってもその方が心地よいのではないだろうか。つまり、自衛隊は日本人を鎮圧する動きをするだろう。
法律などどうにでもなる。そもそもイラク戦争を見ても分かるように、日本の内閣はイラク戦争で米軍と自衛隊が一体化する状態を黙認し「確認のしようがない」と言っている。実際には支配権がないのだから確認しても責任の取りようがない。加えて日本国民一人ひとりはこの件に関して部外者だとされているので、国民が違憲裁判すら起すことができない。立憲主義はあってなきがごとしなのだ。
つまり、戦前と同じように日本政府は自国の軍隊に対する支配権を持っていない。今回の安保法制はその状態を追認しているに過ぎない。
このような事態を避けるためには、日本国政府は「あたかも自分たちが支配権を持っているかのように振る舞う」しかない。一方、野党も内閣を追求すれば事態がコントロールできるというフリをするしかない。もし逆らえば傀儡であることがばれてしまうからだ。過去の歴史を考えると、この動きはどうにかしたほうがよい様にも思えるし、恐ろしさを感じる。しかし、安倍政権を攻撃してみても仕方がないことだとも思える。内閣も議会も単なる予算の担い手、つまりは単なる金づるにしか過ぎないからだ。
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