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通貨戦争とブロック経済

1929年の金融恐慌をきっかけに、各国は深刻な経済不況に見舞われた。第一次世界大戦後の経済好況で生じたアメリカの生産過剰が急激に調整されたものと考えられている。
1929年にアメリカはホーリー・スムート法を成立させ、国外からの製品に高い関税をかけるようになった。ヨーロッパの国々も報復し域外からの輸入品に高い関税を課した。こうしてでき上がった経済圏を経済ブロックと呼ぶ。主な経済ブロックは、アメリカドル圏、フランスフラン圏、イギリスポンド圏だった。ソ連は資本主義経済を離脱しており、大きな影響を受けなかった。
1931年にはイギリスは金本位制を離脱し、それまで割高だったスターリングポンドの価値を切り下げた。通貨の価値が下がると、それだけ自国製品を輸出しやすくなり、国内市場でも自国製品が有利になる。イギリスが通貨を下げるとアメリカやフランスもこれに追随した。その結果起きたのが通貨安競争だ。通貨安競争はやがて近隣窮乏化策と呼ばれるようになった。結果的に域内の失業が輸出されたからだ。
結果、世界の貿易額は4年で1/3に縮小した。経済圏から閉め出された国の経済は困窮した。これが海外進出につながった。出遅れていた日本、ドイツ、イタリアは「世界秩序への挑戦者」となり、そのまま第二次世界大戦に突入した。
連合国は通貨安競争が世界大戦を誘発した経験から、1944年にIMFを設立しドルを基軸に通貨価値を安定させることを決めた。また、自由貿易を促進するために1947年にGATT(関税および貿易に関する一般協定)と呼ばれる枠組みが作られた。GATTは1995年にWTO(世界貿易機関)に引き継がれた。
高い関税が世界貿易を縮小させたのは間違いがないが、通貨安競争が近隣窮乏化だったのかについては議論がある。1930年代の経験から、世界経済に悪影響をもたらしたものと信じられている。
通貨安競争もブロック経済化もその当時は自衛の手段だったと考えられる。ところが、いったん自己防衛メカニズムが働くと、全体の経済規模は縮小をはじめた。部分的な調整が始まると、全体としての利得は著しく減る。すると、それぞれの国々がいくら努力しても、本来得られるはずだった利得は得られなくなってしまう。
2008年のリーマンショック以降、通貨安競争が再燃した。まずはアメリカが金融緩和を行いドル安を誘導した。アメリカのドルは近隣諸国に流れ込み新興国の通貨が値上がりしたので、G20諸国はアメリカを非難した。最近では中国が元を切り下げ、アメリカにはこれを非難する人がいる。
TPPは域内から見れば自由貿易に資する取り組みなのだが、域外から見ればブロック経済圏だと見なすこともできる。つまり、自由貿易の確保と域外の囲い込みは表裏一体の関係にある。
同じ事が、現在の安保法制案にも言える。確かに、日米の軍事同盟は域内の平和と安全保障を目指す取り組みなのだが、これは域外の国への囲い込みを通じて戦争を誘発する危険性を持っている。その意味では、安全法制という呼称も戦争法案というラベルも実は同じコインの裏表のようなもので、どちらが間違いとは言えない。
通貨安競争、他国を排除する経済圏の設立、そして軍事同盟の強化など、現在の状況が1930年代に似ていると考える人も多い。


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