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将来、SEALDsが抑圧されるかもしれないというお話

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現在、いろいろな地方で「安倍政治を許さない」とか、学生による「戦争に行きたくない」としてデモが行われている。批判も多いのだが、多様な意見が民主主義を健全にすると考えると好ましい行動だと言えるだろう。
現在の民主主義社会ではこうした思想を取り締まる法律はないが、戦前は「戦争に行きたくない」と主張することは立派な思想犯罪だった。思想犯罪の取り締まりに使われた法律を治安維持法と呼ぶ。GHQの指令によって廃止された。
現在憲法下では表現の自由は概ね守られるべきと考えられている。だが、自民党の考えはそうではない。まず、第十二条では、自由及び権利は濫用してはならず、公益および公の秩序に反してはならないと規定されている。さらに二十一条でも、念を押す形で、結社の自由は公益および公の秩序に反してはならないとされる。
いくらなんでも市民のデモを「公の秩序に反する活動だ」と認定するのは難しいのではないかと思えるが、何が公の秩序に反するかに関する規定はない。どこまで許されるのかはよく分からないので、一定程度の自粛効果はあるに違いない。
さらに、改正案には「緊急事態」という概念がある。外部からの武力攻撃・内乱・地震などの大規模災害・その他の緊急事態が発生した場合、内閣は法律と同じような効力の政令を制定できることになっている。100日ごとに国会の承認が必要なのだが、緊急事態が発生した場合衆議院は解散されないので、緊急事態を維持する事も可能だ。なお、国会承認は事後でも構わない。
注目すべきなのは、緊急事態が内乱や大規模災害などといった内側の事象にも向いているという点である。「安倍政治を許さない」というのは、見方によると政権転覆運動なので「公の秩序に反対する」とも「内乱」だとも定義できる。
こうした緊急事態下では「国民財産の総動員」のような政策を内閣の一存で決めることもできる。いくらなんでも憲法を上書きすることはできないだろうと思って財産権(第二十九条)を見ると「正当な対価を払えば公共のために私有財産を用いることができる」と書いてある。
安保法制の議論を見ていると、よく「国会議員を信用できないのか」とか「国会議員は民主主義的な選挙で選ばれたのだから民意を反映しているはずだ」という意見を聞く。ところが、この新憲法案を読んでいると、政治的な異議申し立てに対して、幾重にも予防線が貼ってあることがわかる。自民党は国民をあまり信用していないのだろうということが伺い知れるのである。
新憲法案は自民党が野党に転落している間に起草された。自分たち否定した民意というものに恨みの気持ちを持っているのかもしれない。
言論や結社の自由が制限される憲法が選定されても、当面の間は平和的な市民デモが抑圧されることはないだろう。戦前の治安維持法も最初は共産主義のような一部の思想を抑圧するために制定されたに過ぎなかった。ところが、政府は後になって適応範囲を拡大させた。いったん人権の侵害に手を染めてしまうと世論の反発や反動を怖れて適用範囲を大きくしてゆかざるを得なかったものと思われる。
最終的には「戦争に行きたくない」というのも、立派な思想犯罪だとされ、取り締まりの対象になったのである。

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Comments

“将来、SEALDsが抑圧されるかもしれないというお話” への1件のコメント

  1. […] 前回のエントリーで、新しい自民党の憲法案のもとでは「戦争に行きたくない」という思想が犯罪になってしまうかもしれない可能性について考えた。自民党の憲法案では表現の自由が制限される上に内乱鎮圧の規定まであるのだ。 […]