戦争を防ぎ、平和を保つためにはどうするべきなのかという議論がある。70年間戦争を経験していない日本人は概念的に「軍隊を捨てて平和を希求すべきだ」とか「軍事力を増して抑止力を高めるべきだ」という二項対立に陥りがちである。
ところが、世界の紛争を見ると別の抑止力が見えてくる。それが「教育」の力だ。
1994年、東アフリカのルワンダでツチと呼ばれる人たちが80万人殺された。たった、100日間の出来事だった。
もともと、ルワンダにはフツとツチと呼ばれる社会集団があった。両者は同一言語を話す1つの民族だったが、ベルギーの植民地支配下で「異なる民族」として分離された。農耕民族のフチは人口の8割を占めるが被支配者層とされ、牧畜系のツチが支配するという図式ができあがる。ベルギー人は税や教育などで徹底的にツチを優遇した。
ベルギーから独立した後、ルワンダの政権を握ったのは多数派のフツだった。報復を怖れた多くのツチは海外に逃れていたのだが、祖国への帰還を目指して内戦を起こした。
内戦は政府軍と反政府軍の戦いだったが、虐殺を引き起こしたのはフツ至上主義に煽動された一般市民だった。識字率が50%程度だったルワンダで煽動に大きな役割を果たしたのはラジオだった。「ツチが報復に来るから先制攻撃しなければならない」というメッセージは情報リテラシーの低い国民にすんなりと受け入れられた。虐殺に反対したフツもいたが「裏切り者」だと見なされ、真っ先に殺された。つまり「虐殺に参加するか、自分が殺されるか」という空気が作られたのである。
この虐殺に際して、多くのツチ女性が強姦された。中には強姦相手の子供を産んで現在でも育てている女性がいる。HIVに感染した女性も多かった。
国連からは2500人程度の部隊が送り込まれていたが、この虐殺に対して積極的な介入ができなかった。大量虐殺(ジェノサイド)が起こるまでは、政治に介入してはいけないと支持されていたからだ。国際社会は資源もない小国のもめ事に巻き込まれるのを怖れており、同時期にボスニアで発生している紛争の解決を優先させたかった。そこで、この出来事をジェノサイドだと認めなかった。
国連がジェノサイドが行われていたかもしれないと認めたのは50万人が殺された後だった。しかし、認定後もアメリカは協力を渋り、積極的な展開ができなかった。アメリカ政府は事態が沈静化するまで「ジェノサイド」という言葉の使用をかたくなに拒んだ。
内戦終結後に成立した新しい政府はフツとツチという「民族区分」を禁止して表立った対立はおさまり、年に8%ほどの経済成長を達成した。マスコミが民族対立を煽った反省から、中立公正な報道を心がけるマスコミもうまれた。
しかし、この紛争は西隣にあるコンゴ民主共和国(旧ザンビア)に飛び火した。資源争奪を巡る争いに発展し、周辺諸国を巻き込んで泥沼の戦争が起きた。戦争の余波で500万人以上の市民が飢えで死んだり、虐殺されたりした。
この事件から分かることはたくさんある。人間は極限の状態に置かれると限りなく残虐になれる。民族は自明の概念ではなく、ときには人工的に作られる。一定の条件が整えば民主主義は狂気を生み出す。西洋が関心を寄せる「世界」はごく一部に過ぎず、その枠外にある地域の紛争は忘れられてしまう傾向にある。
こうした惨事を防ぐにはどうすればよいのかということを一概に言う事はできないが、ルワンダの国民が適切な教育を受けており、自前で情報を取得できれば、ラジオのメッセージを真に受けて80万人もの市民を虐殺することはなかったのではないかと思われる。
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