自民党の若手有志が勉強会「文化芸術懇話会」を立ち上げ、ここで講師に呼ばれた百田尚樹氏は自民党に批判的な新聞には経済的な圧力が加えられるべきであるという主張をした。これを受けたTwitterのタイムラインは朝から荒れている。「全体主義だ」とか「自民党は極右政党になったのか」という反応が飛び交った。ヒトラーユーゲントとかファシストとかいう言葉も見られる。
この会合は自民党とっては害悪だろう。
自民党が全体主義政党化しているのは間違いがない。一部が勝手に暴走しているわけではなく、党全体が全体主義を指向しているようだ。
全体主義を批判したジョージ・オーウェルの小説『1984年』に有名な一説がある。戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である。というフレーズだ。
安倍自民党は「積極的平和主義」を唱い、戦争は平和であるという主張を掲げている。さらに、アメリカ追従政策を追求し、日本の自立を指向しようと考えている。追従することこそが自由なのである。
安倍首相は国会答弁でよく「敵に手のうちを明かせないから、それは言えない」と主張する。「敵に手のうちを明かせないから言えない」のではなく、安倍さんには決められないし知らさられていないのではないだろうか。それを決めるのはアメリカの軍や政府だ。日本国民に知らせようがないから、分かりやすくもならない。
「無知は力」である。知らないほうが良い事もあるのである。
この一連のロジックに従うと、国民は何も知らせない方がよいことになる。故に、マスコミは自民党に翼賛的な報道をすべきではない。「マスコミは何も知らせないこと」が重要なのだ。自民党にとって幸いなことにテレビからは報道番組が消えつつある。政府が抑圧しているのではない。視聴者はニュース番組であってもお天気やグルメニュースを求めており、政治には興味がない。
興味がないところに、わざわざ興味を引きつけるような「ネタ」を提供する必要はない。周囲や世論に賞賛されていないと自分たちの政策に自信が持てないようでは、全体主義政党の次代を担う自覚が足りないのだと批判されても仕方がない。
この思想を拡張すると、改憲は無意味だ。どっちみち政治に興味のない国民が「判断」できるはずはないのだから、自民党が指導した正しい解釈(ただしそれは場合によって変わりうるが)を持っていればよいだけの話である。解釈が変わったら、その都度過去の教科書を修正して回れば良い。どっちみち最高裁判所は何も判断しないだろう。
さて、ここまで書いて来て大きな疑問が湧いた。全体主義の蔓延の背景には大きな混乱や危機がある。第二次世界大戦下のヨーロッパでは共産主義の台頭や経済の行き詰まりから民主主義では何も決められなくなった。日本では議会への不信感から軍部への期待が高まって行く。人々は複雑さに疲れ果てて、強い指導力を指向することになった。
ところが、現在の日本にはそれほどの危機は認められない。むしろ一番の危機として考えられるのは、増え続ける国債、人口減少、世界一急速に進む高齢化などだろう。非正規雇用が増えて中流層が崩壊してゆくというのも危機的な問題なのかもしれない。例えば、財政が破綻し年金制度が崩壊したりすれば、民主的な政府では何も決められなくなるかもしれない。
だが、これといった危機がないにも関わらず、政治だけが急進化してゆくのである。政治家は一体何と戦っているのだろうか。
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