本当は簡単なはずのe-taxを始めるには

この時期になると税務署の周りの駐車場は迷惑駐車があふれるのではないか。税務署は申告に訪れる人たちのために駐車場を準備しないので、周りに流れるからだ。高齢者も遠く離れたところに車を停めて歩かなければならない。
だが、最近はわざわざ税務署に行かなくても税務申告ができる。窓口の混雑も減るだろうし、いい事尽くめのような気がする。マイナンバーカード制度が始まるので、利用できる人が増える。カードリーダーが必要だが実はそんなに高くない2,000円程度である。
いいことばかりのe-taxだが難点もある。
セットアップがかなり面倒で、国も積極的に宣伝していないようなのだ。
国税局のウェブサイトを見ても、いったいどうすれば始められるのかがさっぱりわからない。情報があらゆる場所に散らかっていていてとてもわかりにくいからだ。その割りに予防線ばかり張ってあって面倒なことこの上ない。いくつかのサイトを閲覧した結果をまとめた。要件は次の通りらしい。

  • パソコンを準備する。XPはだめ。ソフト版とウェブ版があるが、ソフト版はMacでは使えない。パソコンのスペックはPentium 4(1.6Ghz)以上とのこと。512MBのメモリと2GB以上のハードディスクスペースが必要。何かの冗談だと思うのだがブラウザーはIEを使えと書いてある。(Macの場合はSafari)あんなにセキュリティに不安があるブラウザーを推奨するのはどうしてなのだろうか。Web版でもサーバーでデータは預かってくれないらしく、途中経過をファイルにしてダウンロードするらしい。
  • 税務署に事前申請する。Webサイトからもできるらしい。
  • ルート証明書などを事前にインストールする。これはWeb版でも必要な模様だ。
  • マイナンバーカードが使えるようになったので、マイナンバーカードが読めるカードリーダーを準備する。国税局のウェブでは3,000円くらいと書いてあるのだが、Amazonの最安値は1,780円だった。ソニーがPasofiというリーダーを3,000円弱で提供しているがMacには対応していない。
  • ポップアップブロックを解除しておく。最近ポップアップブロックがデフォルトなので、どうしてAjaxを使って擬似ウィンドウを作ったりできないのだろうか。

ちなみに書類(医療費の証明など)は別途郵送するそうだ。まあ、自営業者(ウェブの専門家とか)はいいと思うのだけど、こんなに複雑では医療費控除を受けようとする高齢者にはきついですよね。
使いやすい仕組みを作ることは技術的にはできると思うのだが、多分、日本のITベンダーには無理だったのだろう。悲しいことだが、Googleあたりに依頼することになるのだろうか。銀行は一般に使われているルート証明書を使っているわけで、なぜ個別にインストールしなければならないのか、さっぱり意味がわからない。
素直に考えると日本人はめんどくさいのが好きなんだろうなあと思う。それぞれの持ち場で責任を取らされるのがいやで、総合的な判断ができる人がいないのだろう。
銀行の場合は利用してもらえないと誰かが責任を取らされるわけだが、そういう人もいないに違いない。またいったん作ってしまうと顧客満足度を上げるような仕組みもなさそうだ。政治家が関心を持っているとも思えないし、仮に関心があったとしても顧客満足度を上げるための知識がないのかもしれない。
電子申告が増えれば、高齢者がわざわざ税務署にでかける必要がなくなり、税務署も人件費が削減できる。本当に必要な人も余裕を持って対応してもらえるだろう。わかっていてもそれができないんだなあと思った。
最初の壁は「新しいハードを買うのは面倒だなあ」というところだと思うのだが、カードリーダーは意外と安いですよということくらいPRすればよいと思う。ポイントカードつけてマイナンバーカードを国民に普及させるなどということを大真面目で検討するよりよっぽど良いのではないかと思うのだが。

この夏の参議院選挙で安倍自民党が勝つべき理由

朝起きて、今年の夏の参議院選挙では安倍自民党が勝つべきなのではないかと思った。何なら衆議院選挙も同時にやってもらいたい。日本は良くなるだろう。理由はいくつかある。
第一に安倍自民党が勝てば憲法改正が議論になるだろう。どの条文が争点になるかはわからないのだが、国民は一度改憲派の本音を聞く必要がある。彼らに悪気があるかどうかはわからないのだが、基本的に民主主義のプロセスや価値について理解していないことをしっかりと見る必要があるだろう。「民主主義は戦勝国が正当化のために作り上げた理屈に過ぎない」という発言が堂々と飛び交うことになる。
次に景気が悪くなりそうだ。中国が失速しているとかいろいろ理由はあるだろうが、この状況にしっかり直面していただく必要がある。年金などで株価を支えることはできるかもしれないが、実質賃金は下がり、非正規雇用も増えている。一方、エコノミストや経済評論家という人たちは「お金をたくさん印刷しろ」「増税はするな」「もっと派手にばら撒け」くらいのことしかいわなくなった。経済を好転させることはできないと多くの人が暗に認めているのだ。
第三の理由は少し複雑だ。野党は安倍政権の不満の受け皿になっている。左派にインテリ層が多いことは無視され「下層階級だ」とみなされることが多い。左派が福祉の充実に熱心だからだろう。そこで中流階級の人たちは左派を見下すことで溜飲を下げているのである。ところが不思議なことに左派が退潮してしまうとこの見下し感が政権政党に向かうのだ。
社会党が政権に取り込まれて信者から見放されたあと、中流階層は叩く政党がなくなり、自民党が叩かれた時代があった。皮肉なことだが、左派・中道系の政党はあまり自民党を攻撃しないほうがいいのだ。攻撃すればするほど不満の受け口になってしまうからである。逆に民主・維新が退潮すれば、政権運営の不満は自民党に向かうのだ。
第四の理由はアメリカである。現在、民主党はクリントン、共和党はトランプかクルーズが有力候補だと考えられている。候補者の資質はともかく、アメリカの経済が比較的うまく行っているにもかかわらず、アメリカ人が不満を抱えている実態が露になりつつある。その不満の捌け口になっているのが外国と不法移民・難民などらしい。ヒスパニック系ですら「不法移民と俺たちは違う」と思ってトランプ氏を応援しているらしい。2017年以降政権を担う政権はこのアメリカからの圧力を受けるわけだ。
例えばクリントン氏はTPPを推進していたにもかかわらず現在は「私がいなくなってから、期待はずれにまとまってしまった」と言い出した。日本は為替操作をしているので、関税で報復しろなど言っている。オバマ大統領時代に批准してしまうから反対してもいいと考えているという話もあるのだが、一度反対を表明した以上は「私の水準(ゴールデンスタンダードと言っている)にあうように仕組みを変えろ」などと言い出すに決まっている。
アメリカ人は「自分たちの国は特別だから世界中で優遇されて当たり前」だと思っている。悪気があるわけではなく「要求があったら主張する」文化なのである。だが、思いつきで何か提案しても責任を取ることはない。
安倍政権はアメリカに寄り添っていれば安全と主張しつつ、経済の不調はすべて民主党のせいだと言っている。現在はこの主張がほぼ受け入れられている。まあ、それは良いだろう。
だが、今後はアメリカから過大な要求を突きつけられ、当てこすりをする野党もなく、経済不調への対策を求められることになっても同じことを言い続ける必要がある。日銀が始めた戦争に出口もない。消費税増税するかしないかは別にしていつかはやらざるを得ないわけだし、他の負担増も決めざるをえなくなるだろう。
一度大勝すると次の選挙がやりにくくなる。議席を失うことが確実になるからだ。すると内部で動揺が始まるだろう。また大勝した議員さんたちは「なんとかチルドレン」と呼ばれることになり、不規則発言を繰り返す。
それでも支持者たちに約束した手前、他の問題をすべて無視して「憲法改正議論」をやらざるを得ない。支持者たちは「できるのになぜやらない」などと騒ぎ出すはずだ。こうしてはじまった憲法改正議論は国論を二分する大騒ぎに発展するだろう。
今の執行部のもとでは、自民党の中にいる改革に燃える若手は退潮するだろう。口利きは政治の仕事だと思っているわけだから、倫理観のないスタッフが跋扈することになる。野党は淘汰されてより優秀な人たちかより過激な人たちだけが生き残ることになる。
これだけ状況が揃うと、ぜひダブル選挙をやって大勝していただきたいと思う。少なくとも中途半端に野党が勝って政権も取れず建設的な提案もできないという状態が続くよりはよっぽど面白い。

今すぐ国会議員の歳費を半減させる方法

磯崎陽輔衆議院議員が「合区なしで参議院の格差を2倍以内に収めるためには100人を超える増員が必要」と主張している。個人的には県という単位はこだわるべきではないと思っているので、合区してもらっても構わないのだが、もし県にこだわりたいなら方法はあるのではないかと思った。議員報酬を半分にすれば議員数を倍増できるのだ。簡単な算数だ。
ではそのためにはどうすればいいか。それも簡単だ。現在議員は専業でなければならない。そのためには専業でも暮らしが成り立つだけの歳費が必要なのだ。専業でなければならないのは地方の人たちがわざわざ東京に出てこなければならないからである。であれば、テレワークにして仕事を持っている人に担ってもらえばよいではないか。東京に出てくる費用も浮くし、一石二鳥だ。
議員は法律を作るのに難しい勉強が必要という人もいるかもしれないが、実際には官僚に書いてもらっている人がほとんど。中には質問すらしない人もいる。だったら、別に専業じゃなくてもよいだろう。大臣や政府の役職についた人だけ、休業手当を出せばよい。政治にお金がかからなくなれば変な不正や口利きも減るだろう。そもそも兼業なら、口利きする時間すらなくなるはずである。暇だから悪いことを考えるのだ。
数が増えれば専門家の議員が多く雇える。今の制度では議員が個人レベルで議員の専門性を知っているレベルだが、全員リモートということになれば、ネットワーキングが本格的に進むだろう。テレワークが進めば専門家でワーキンググループを作るのも容易になるのではないだろうか。
そもそもみんなが東京に集まるのはどうしてだろう。役職に就けてもらうのに、いろいろごちゃごちゃやらなくちゃならないからだろう。でも、みんなが東京に集まらなくなれば、それもなくなる。大臣は東京に集まるから、その輪からはずされるという危機感を抱く人もいるかもしれないが、それは役所が東京に集中しているからである。だったら、役所もバラしちゃえばいいのだ。
「先進国では事例がない」と言う人もいるだろうが、別にアメリカやヨーロッパでやらないことは「禁止されている」というのと同義ではない。メリットがあるのならいくらでもやってもらいたい。
この案の唯一の弱点は、専業議員が「誰でも議員になるチャンスを与えるはず」の制度であるという点だ。だが、ほとんどが二世議員で一般の参入は阻害されているわけだから専業議員を雇っておく根拠にはなりにくい。
もちろん、議員をパートタイムのテレワークにという議論は単なる頭の体操なのだが、このように極端な提案をして始めて「ああ、なんで考え付かなかったのか」というアイディアがいくつも出てくることがわかる。要するに私たちはほとんどが知らず知らずのうちに思考停止の状態に陥っているのだ。

組体操にみる日本型マネジメントが失敗するとき

もともと組体操は戦前から存在したようだ。日体大では今でも人間ピラミッドが作られている。しかし、日体大のピラミッドは4段程度なのだそうだ。名前も「組立て体操」というそうである。どういう経緯だかは分からないが、大学生でも4段しかできないものが中学生でも10段くらいできるという話にすり替わったのである。
面白いなと思った点はいくつもある。
第一にけが人(中には障害が残った人もいるらしい)が出ても「これは危ない」と言い出す人がでなかった。専門家が2年くらい騒いでやっと「ああ、これはヤバいのかも」という話になった。こうした人たちは「例外だ」ということにされてしまう。例外を作って「組体操は安全」という安全神話を作ってしまうのだ。例外になった人たちは疎外される。リスクは誰にでもあるのに誰も自分のこととは捉えない。
そもそも、なぜピラミッドは巨大化したのだろう。日本人のイノベーション競争はある一点に向かいやすい。例えばTVの場合にはどんどん「画質をきれいにしよう」という方向に進んだ。そのうちオーバースペックになるのだが、誰も止めない。ピラミッドの場合「とにかく高くしよう」という方向に向かったのだろう。いったん競争心に火がつくと誰も止められないのだ。
日体大の場合、評価の基準がクロウト好みの方向に流れているのではないかと思う。何が基準になっているのかは分からないが、芸術性とかいろいろとあるのかもしれない。一方で、小中学校レベルの先生にはそうした高度なことは分からない。そこで競争が単純化してしまったのだろう。つまり第三の点はマネジメント層が本質的にシロウトだということになる。また、先生が組体操をやるわけではない。自分たちでやれば危険が身にしみて分かったかもしれない。つまり先生は当事者でもなければ専門家でもない。しかし、なぜか自分たちのマネジメント能力に自信があり「自分たちは安全を確保できる」という仮想万能感に囚われている。
ピラミッド競争は競争は先生のために行われている。結局これは先生と先生、学校と学校の間の競争なのだ。生徒はその道具になっているに過ぎない。先生たちは生徒がどのような実力を持っているかを理解していない。もし理解していれば大学生でもやらないような10段組になど挑戦させるはずはない。だが、現場では「生徒を利用して自分の欲求を満たしている」という意識はないはずだ。「教育」というマジックワードがあるからだろう。人は指導的な立場に立つと我を忘れてしまうのだろうが、生徒は先生の欲望を満たす道具ではない。
本質的に出来そうもないことをやらせているので、指導はできない。そこで出てくるのが「絆」と「精神性」だ。がんばればできるというのが、それに必要な資源は与えない。すると無理が生じるので同調圧力をかけて潰すのである。
その結果、組織には無理がかかる。人間ピラミッドの場合には一番下にいる人たちだ。彼らが支えきれなくなったところで、構造は内部から崩壊する。
これを企業に当てはめてみると、面白い結論になる。シロウトの経営者が従業員の実力を無視して、今までの方向を変えずに、精神論を振りかざしどんどん外側から要求をエスカレートさせる。やがて従業員は組織の重みに絶えかねて内部から崩壊する。崩壊するのは生活すらおぼつかない非正規雇用かもしれないし、非正規雇用とのインターフェイスになる名ばかり管理職かもしれない。
第二次世界大戦の例でも同じようなことが起こった。当初の軍人は明治維新を戦った人たちだったのだが、その子孫の代になると外側から要求ばかりを繰り返すシロウト同然の集まりになった。判断を誤り精神論で戦線を維持したが、補給を考えなかったために多くが餓死し、一部は略奪に走った。最終的には戦線を支えきれなくなり内部から崩壊した。
人々が組体操に注目したのは、組体操が日本人が持っている元型のようなものを感じ取ったからだろう。その末路は悲惨だ。組体操そのものが悪いものではなかったはずなのだが、マネジメントが悪かったばかりに全否定されてしまうのだ。

今の時点で安倍政権を打倒するためにはどうすればいいか

政治ネタばかり書いていると、記事(というかヘッドライン)によって読者数が変わるのが嫌という程分かる。端的にいうと今は罵倒モードに入っている。「安倍政権を倒すには」という記事か「共産党は悪魔だ」という記事を書けば読んでもらえるのだ。だから、新聞が右派と左派に別れている理由がよく分かる。どっちかに寄せないと「読者の納得感」が得られないのだろう。
多くの人たちは「政治運動に巻き込まれると面倒なことを頼まれる」と考えているだろう。そこでまずその人たちが欲しがっているものを与えるのが重要だ。こちらからお願いごとをしてはいけないし、多分イベントに動員するのもよくない。あなたはアイディアを売り込もうとするセールスパーソンなのだから『人を動かす』くらいは読んでおこう。
世の中の人は都合の悪い事を敵のせいにしたがっている。「敵」陣営は悪いことはすべて共産主義者の陰謀だと思っている。だから、安倍政権を打倒したい人たちがやるべきことは簡単だ。徹底的に安倍晋三さんを個人攻撃すればよいのだ。もう、なりふり構っている時間はないので、徹底的に攻撃するのだ。攻撃材料は何でもよい。掘ればいろいろ出てくるだろう。
国民・有権者は「政権がうまく行っているか」は分からないらしい。指標にしているのは2点だけ。一つは「株価」で、もう一つは「組織がうまくいっているか」だ。だから株価が下がり、自民党内に内紛が起これば急速に自民党離れが起きる。
内紛を起すのは意外と簡単だ。安倍晋三さんが選挙に弱いということを実感させればよいわけだ。社会問題はいくつもあるが、それを全て安倍さんのせいにすればいい。
あと、意外と効果がありそうなのが「知った気になっている」ネトウヨ層の取り込みだ。どうやら本気で「自民党が中国か北朝鮮みたいなことをやるはずがない」と信じている人がちらほらいるようだ。分かりやすい形で自民党憲法案の問題点をリストしておくのも手かもしれない。彼らが嫌がっているのは共産主義(主に中国の台頭)なので、徹底して安倍さんを共産主義・国家社会主義者に仕立てるのも効果があるだろう。
もう一つのポイントは何回も書いたが「身近な問題」にすること。「立憲主義が崩れようが庶民にとってはどーでもいいこと」なので、煽ってでも何をしてでもいいから生活がむちゃくちゃになるようなイメージを与えればよい。例えば麻生大臣が「農家は税金を払っていない」と言った。これで麻生大臣を攻撃するのはよくない。農家を非難すべきだ。人は火の粉が飛んできて始めて「麻生さんとは距離を置いた方がいいな」と思うのだ。
もっとも、こうして議席を得ても本質的な問題は何一つ解決しないということは覚えておいた方がよいだろう。

明治から平成へ – 2つの物語

物語1

日本は東洋の中でも優れた文明を持つ優秀な民族だ。19世紀の終わりに西洋文明と接触し20世紀の初頭までに五大大国となった。2600年もの続く皇統を頂き民族の心は一致していた。優れた民族性は東洋の諸民族から尊敬を受けており、植民地化を狙う西洋文明から諸民族を解放する使命を帯びていた。
先進的な立憲主義と議会を整え経済は順調に発展した。民族の忠誠心に支えられた軍隊は強く中国とロシアに打ち勝った。西洋の帝国主義とは違った五族協和という崇高な使命のあった東アジアの解放運動も進んだが、中国権益から除外されていたことに嫉妬したアメリカとぶつかることになった。アメリカは狡猾にも石油などの物流を断つ戦略に出たので、中国大陸の解放計画は頓挫した。外交的な解決を図ったもの遂に戦争に追い込まれてしまった。
戦後日本はGHQにより弱体化された。あたかも日本の政体は劣ったものだったという洗脳計画が進んだのだ。GHQはアメリカでも社会主義に洗脳された人たちだった。その後、日本弱体化計画は悪辣な共産主義者の手に渡った。今でも教育界やマスコミには共産主義者が多く、すでに破綻したマルクス主義が日本を支配するという、ありもしない夢を見ている。彼らが狙っているのは判断能力のない子供と、無知蒙昧で意欲のない政治無関心層だ。
日本が経済不調に陥ったのはこうした反日勢力が跋扈しているせいだ。教育とマスコミを彼らから奪還刷れば、洗脳されていた人たちは真実に目覚め、日本経済は本来の活気を取り戻すだろう。

物語2

日本は島国という特性上、西洋からの侵略を受けなかった。このため政体が安定しており、植民地支配や
内戦を免れた。このため、19世紀後半に西洋文明と接触すると20世紀の初頭までに五大大国となった。しかし西洋と対抗するために近代国家の体裁を整えなければならなかったので、明治維新期に古代の神話を元に多くの「伝統」を捏造した。
国民を軍隊に動員する必要があり、しぶしぶ民主主義を導入することとなったが、その憲法は天皇が特典を与える恩典憲法の形を取り、民主主義に致命的な欠陥があった。軍隊の支持がなければ内閣が維持できず、内閣は軍隊をコントロールできなかったのだ。軍隊の独立は統帥権と呼ばれ次第に暴走してゆくことになる。経済は次第に行き詰ったが政治は問題を直視せず党派争いに明け暮れた。第一次世界大戦で混乱するヨーロッパを日本が代替し日本経済は成長していたのだが、その成長が止まったことで経済不調が生じたのだと考えられている。1929年には金融恐慌が起こり悲観論がさらに広がった。
打開策になったのは中国大陸への進出だったが、植民地獲得戦争に遅れたために、先行国と軍事的に衝突することになった。成り行きで始まった成長戦略は行き詰ったが、軍隊は戦争をやめることができず、戦争は消耗戦の様相を呈することになった。
アメリカからシーレーンをを断たれ資源が輸入できなくなると。戦線の維持はいよいよ難しくなった。その多くが戦死ではなく餓死だった。軍隊をコントロールできなくなり、略奪を繰り返すものもあらわれた。本質的に残忍だというわけではなかったのかもしれないが、結果的に各地で恨みを買った。物資不足は国民にも及んだがこれを精神性で乗り越えるべきだという論調が生まれ、国民は国体の為に死ぬべきだという原理宗教的な思想に傾倒した。
戦後GHQは民主主義を強化すれば日本の戦争は防げると考えたが、その姿勢は一貫しなかった。共産主義の勃興に怯えたために、一度は断罪していた旧支配層を復権させた。GHQの一貫しない政策は多くの人の恨みを買う事になった。最初に梯子を外されたのは「民主化」を喜んだ人たちだ。例えば教員組合は反動化し、社会主義勢力と結びつく人たちもあらわれた。もちろん、最初に否定された捏造された日本の伝統を信じる人たちも反発した。彼らは次第にそれぞれの経典を元に原理的な信仰心を持つことになった。
一方で多くの人たちは政治にそれほど関心を持たなかった。経済的な成功していたからだと考えられる。政治無関心層は「政治的に無力で情報にアクセスのない」人たちと「情報は潤沢に持っているが、積極的には政治に関与しない」層に別れるとされているのだが、日本は後者が多いと考えられている。情報は持っているわけだから、誰かに洗脳されることもないのだ。
一方で、市場経済体制を整えた中国に東アジアでの特権的な地位を奪われて経済は低迷した。結果的に政治は安定せず塔派争いを繰り返すようになり、55年体制は崩壊した。しかし、根本的な問題が解決したわけではなく棟派争いは継続している。一方で、国民のほとんどは根本的に問題を解決しない政治には興味を持たなかった。しかしながら、戦後に生み出された原理的な信仰心を持つ人たちを巻き込んた闘争が繰り広げられている。一部の人たちは民主主義そのものがよくなかったと考え始め、別の人たちは自民党が戦争をやりたがっていると考えている。

背教者たちよクリントンの足音を聞け

今日、関係のなさそうなニュースを二つ聞いた。
一つは黒田総裁がこれまでの説明を撤回したという話だ。これまでは潤沢な資金が市場に回ることで物価が自ずと上がると言っていたのだが、これを撤回して、実質金利が低下するので経済にプラスの影響が出ると言い始めたのだ。つまり物価の上昇という「リフレ派」の目標を事実上撤回してしまった。
リフレ派は既にクルーグマンからも梯子を外されている。クルーグマンは「自分の主張は正しかったが、日本政府はやり方が足りなかった」と言っている。もっともクルーグマンを責めても問題は解決しない。彼はアドバイスしただけで責任を取らないからだ。
もう一つの話はクリントン候補の話だ。日本は通貨競争を起しているので、罰せられなければならないと言っており、報復のために関税を上げると主張している。TPPは関税をなくそうという議論なので何かの間違いではないかと思ったのだが、そうではないらしい。クリントン候補は2015年の10月頃からTPPそのものに反対しているのだ。彼女はTPPの推進者だったのだが「ゴールデンルールに合致していない」との理由で寝返ったのである。
いっけん、つながらない二つのニュースだが、実はつながっている。一般に黒田総裁が金融緩和を行ったのは円安誘導のためだと考えられている。日経インデックスを構成する企業は輸出企業が多いので、円安誘導は株価対策になるのだ。経済に詳しくない人は株価が上がる事が好景気だと考える。
これはかなりあからさまな通貨誘導なのだが、アメリカは黙認した。日本には二つの交渉要素があったと考えられる。一つはTPPで国内市場を解放すること、もう一つは拡大する軍事費の肩代わりをすることだ。だが、クリントン候補は通貨誘導は許さないと言っているわけだ。TPPも安保法制も「日本が自ら望んでやったこと」で為替操作とは関係がないわけだから、日本は文句は言えない。
クリントン氏が円高誘導を許容しないと、黒田総裁は国債の追加購入ができなくなる。最後の引き受け手を失った国債は暴落するだろう。だから、日銀は国債の購入をやめられない。すると関税でアメリカから報復されてしまうのである。そもそも国債の購入にはたいした経済的な意味はない。物価は上がらないのだし、国内投資も増えなかった。
一方、共和党のトランプ候補は「アメリカは中国に1.3兆ドルを借りている。日本にはもっと借りている。彼らは仕事を取り、金を取り、利息まで要求する。その上ドルの価格が上がるのだから彼らに有利な取引になっている」と聴衆をあおり「日本は豊富な年金資金で通貨操作をしているが、オバマ大統領はTPP交渉を通じて日本が為替操作するのを禁止しなかった」とオバマ政権を批判する。トランプ氏にとってTPPとはアメリカが有利な貿易ルールを押しつける手段なのだが、これを「フェア」と呼んでいるのだ。優れた技術力を持ち、一生懸命やっているのにアメ車が売れないのは日本が陰謀を巡らせているからなのだ。
現在の日本の政治状況は米国追随派と左派野党という構図になっているので、どちらもアメリカが態度を変えるだろうなどとは思っていなかった。安保法制さえ通してしまえば、アメリカとの同盟は盤石になり中国に対抗できるという見込みがあったのだろう。ところが、多くのアメリカ人は日本はアンフェアな貿易の競合相手であり、罰せられなければならないと考えているのだ。
いろいろと無理の多かった安保法制とTPPの議論だが、民主党の大統領が誕生すれば、当の自民党が「TPPはやはりよくなかった」と言い出す可能性がある。彼らにアメリカ追随以外の選択肢はないからだ。
いずれにせよ、日本の政治家たちはコピペ政策を取っていたのだと言える。アメリカの望む政策をコピーして実行している限りは自分たちで考える必要がなかったからだろう。さまざまな不整合が生じるのだが、その度に場当たり的な「説明」を繰り返してきた。Twitter民主主義はその場当たり的な説明を総合して考える事はなかったし、英語のソースに当たる事もなかった。
今後、日本人はTwitter民主主義のツケを支払わされることになるだろう。請求書は遅れて届くのだ。

国民投票はどの程度されるべきか

政治団体「日本を元気にする会」の松田公太参議院議員が「国民投票の活用」について意見を述べている。国政の重要課題に関しては国民投票を活用すべきだというのである。別のエントリによると現在地方自治体で行われている住民投票が念頭にあるようだ。
ヨーロッパで行われている国民投票は民主主義の枠組みそのものについての議論だ。イングランドとスコットランドは分離すべきかとか、イギリスはEUに留まるべきかというのは、民主主義プロセスの上位にあり、議会制民主主義では決められない。だから、国民投票を行うのだろう。
この視点から見ると、国民投票の多用は議会制民主主義と政党政治の否定に思える。つまり、政党には民主主義の枠組みを決める力はないということになる。例えば、あなたの勤めている会社が「どう意思決定していいか分からないので、何を作るかを従業員に直接聞きます」と言い出したらどう思うだろうか。多分「この会社は危ないのでは」と思うだろう。
だが、実際に政党政治は意思決定能力を失いつつあると認めてしまうというのも手だろう。事実、現在の政治は状況認識も示してくれないし問題も提示されない。野党に至っては何のための集るのかすら提示できない。「ただ、現状は大丈夫だ」と繰り返されるばかりで、この何年も何も解決していない。
いずれにせよ、政党政治を打開するために直接民主主義を導入するなら、ぜひ在宅の電子投票にしてもらいたいと思う。ただし、それは投票率を上げるためではない。選挙期間を一週間に設定して、その間であれば何度でも投票し直せるようにして欲しいのだ。
投票状況は随時TVで報道し、国会では議論を行う。賛成派と反対派がいるのだからそれぞれを擁護する。有権者はTVで見て投票結果を変えるのだ。「自分が投票しなくてもなんとかなる」と考える人も選挙結果を見て考えを変えるかもしれない。
現在の投票は一発勝負だ。開票結果を見て後悔したことがある人も多いだろう。だが、技術的には投票は一発勝負である必要はない。
選択肢は2つでなくてもよい。複数の選択肢を残しておいて、途中で取り下げても構わない。すると死に票は減るはずだ。現在共産党の票が野党を分断して死に票を増やすことが問題になっているのだが、これが最小化されるだろう。
また、蛇足かもしれないがTVポリティクスの打破にもつながるかもしれない。擬似レファレンダムというと小泉郵政選挙や安倍消費税選挙などを思い出す。消費税が嫌だからと自民党に投票した人も多いだろうが、そのあとで多くの国民は「安保法制に賛成した覚えはない」とちょっとした騒ぎになった。自民党は「小さな字で書いてありますよ」と主張したわけだが、もし丁寧に説明していれば国民も「負担が増えるのは仕方がない」と納得したかもしれない。今度は憲法なので、さらに騒ぎは大きくなるだろう。
冒頭に述べたようにこれは現在の政党政治の否定だ。だから議員はその役割を変える必要がある。議員は問題を提供し、分析した上で、ソリューションを提案する。ただし、最終的に決めるのは国民1人ひとりだ。特に参議院は独自の視点を持った専門家の集まりとして、視点を提供する役割を果たす事ができるだろう。
現在の政治の問題がそもそもの現状認識と問題点を提示できないことだとすれば、電子国民投票はその解決策になり得るかもしれない。

民主・維新の合流に際して「資本主義の終わり」について考える

民主党と維新の党が合併を決めたらしい。党名は募集するという。これは失敗するなと思った。政党はあるイデオロギーを持った人たちの集まりだ。党名がないということはイデオロギーがないということだ。この両党は選挙互助組織だと見透かされているので、このままでは支持を拡大する事はないだろう。
もともと民主党は自民党の派閥抗争に破れた人たちが社会党と合流してできた政党だ。岡田克也代表を「左翼」だと思っている人も多そうだが、最初の選挙は自民党から出ている。
民主党結党の目的はアメリカのような二大政党制を目指すというものだった。一方は「共和党」なのだが、日本は共和制国家ではないので民主党しか使えなかったのだろう。もし、まじめに政党名を決めるとしたら「the alternatives」とでもするのがよかったのだろう。
だが、もはや自民党と民主党の二大政党制というアイディアに意味はないのではないだろうか。目の前にはもっと高次元の問題が起こっているようだ。それは「現代は資本主義の終わりなのではないか」という問題意識である。
国債の利子率が下がっている。少なくとも今までの常識では国債の利子率は概ね国家の成長の度合いを意味している。資本主義経済において成長とは、資本を投入してより多い資本を得るということだ。もし資本がそれ以上増殖しないのなら、そもそも資本は必要ないし、銀行も要らないのだということになる。
ある資本主義の類型によると、日本では金融システムと福祉システムが発展しなかった代わりに大企業がその役割を担っていたのだそうだ。確かに戦前には財閥があり、銀行は財閥の金融部門のような位置づけだった。だから「銀行が貸し手を失っている」というのは日本の金融システムの行き詰まりを意味しないのだが、企業が投資先を失っているというのは日本型金融システムの行き詰まりを意味していると言える。
これは日本だけの特殊な状況だと思われていたのだが、どうやらヨーロッパでも同じようなことが起こっているらしい。さらに、アメリカの状態も怪しくなっている。イエレン議長はマイナス金利の可能性について否定しなかった。先進国が軒並み低成長に陥っている。どうやら産業構造の問題ではなさそうだ。
だから、経済学者の中には「資本主義は終った」と主張する人もいる。資本主義は中央が周縁から富を吸い上げるシステムなのだが、周縁がなくなりつつあるというのだ。つまり世界は開発し尽くされてしまい、これ以上の資本は必要がなくなったということだ。歴史上、利子率が2%以下に下がったという事態はほとんど起こっていないらしく、史上初の特異点だの主張である。
一方で、お金が増殖しすぎて(あるいはリスクを分散しようとして)公害のような状況を引き起こしているだけなのではないかとも思える。この場合、資本主義が終ったわけではなく、単に未知の不調に侵されているだけだということになる。
日本は戦後急速に資本蓄積を行った。この蓄積された資本が安全な資産と目されていた土地への投資に流れてバブルを生んだ。バブルが崩壊して金融機関は信用を失ったのだが、これを国が保護した。しかし民間の金融への信頼は失われたままで、企業は銀行からの資金調達をやめて内部留保を増やす事になった。金融機関は貸し手を失い、唯一残ったの投資先が国債だった。
こんなことは起こらないと思っていたのだが、ヨーロッパでも同じような問題が起きた。ギリシャの国債が安全資産と見なされたのが、実はバブルだったのだ。アメリカでは信用力が低い人たちへの住宅ローン貸し付けがバブルを起した。リスクを細切れにして数式にぶち込めば安全になると考えたのだが、これは数学者の狂った考えに過ぎなかったのだ。共通するのは、資本の過剰な蓄積で金融システムが狂い、本来の信用システムとして機能しなくなるという図式だ。
だが、いかんせん誰にも状況が分からないらしい。状況が複雑に絡み合っているからだ。誰にも状況が分からないのだから問題意識の持ち方も異なってくるだろう。
もし「資本主義が終っている」という現状認識を持つならば、代替政党は無成長経済システムをいかに作り上げるかということを主眼に置いた政治体制を構築すべきだ。あるいは金融システムを世界から切り離しコントロール可能な体制を目指すべきかもしれない。無成長型の人は少なからず江戸時代を指向するようになる。金融も通商も外国から遮断されていたので、何のイノベーションも起こらなかったが、大規模な争乱もなかった時代である。この考えに立つと「資本主義は西洋が持ち込んだ異教であり日本人には馴染まなかったのだ」ということになる。自民党意外の保守政党は潜在的にはこの考えを持っているのではないだろうか。つまり「経済鎖国政策」だ。
「資本主義は終っていないが、現在の金融システムには問題がある」と考えるならば、国際協調を主眼に置いた政策が考えられる。問題を明確にした上で、解決策を提示すべきだろう。金融システムの正常化のために何ができるかということだ。いったん国家がプライベートセクターに与えた「過剰な信用」(つまりお金のことだが)をどのように回収すべきかということが問題になる。この選択肢が示唆するところは大変強烈だ。つまり、私企業からお金を奪えと言っているのと同じことだからだ。一国だけで行えば資金フライトが起こることは目に見えている。左派にはピケティの資本への累進課税を支持する人は多い。また、サンダース大統領候補も銀行家から課税して教育費をただにしろと言い始めている。あのアメリカで社会主義がおおっぴらに語られているのである。
さらに「資本主義は終っておらず、現在の金融システムにも問題がない」と考えるならば、再び経済成長を目指せる体制を整えるべきだろう。地方や個人に権限委譲して古い資本家から経営資源を切り離すことが政策の中心になるはずだ。「地方分権」や「エンパワーメント」が主眼になるはずである。これはもともと維新の党のアイディアの元になった大前研一氏などの主張に近い。国は人権を制限すべきではないし、思想信条にも立ち入るべきではない。経済にはできるだけ立ち入らず「小さな政府」を目指すべきである。地方分権はアメリカでは当たり前の考え方なのだが、日本では政治の果実を地方にも分配せよという主張にすり替わることが多い。大前研一氏と橋下徹氏はけんか別れしてしまったわけだが「現実主義者」の橋下氏には、アメリカの小さい政府論が絵空事に見えたのかもしれないし、邪魔になったのかもしれない。現在のおおさか維新がどれくらい小さな政府を指向しているのかはよく分からない。
最後の選択肢は「資本主義は終っておらず、現在の状況にも問題がなく、中央集権型の経済システムにも問題がない」と考える選択肢だ。これは従来の自民党が取っているポジションなので、新しい政党がここに取って代わることはできないだろう。自民党の意見によれば「アベノミクスは前進している」のだからだ。
よく「国家観」という用語を耳にする。政党を作るならまず「国家観」を持つべきだ。国家とは経済の主体であって、軍事や防衛といった問題はそれに付随する問題に過ぎない。国家の目的は住民の幸福の最大化であり、その存続そのものを自己目的とするのは倒錯しているとしか言いようがない。
しかし「議員になりたいが、何をやりたいか分からないので、何でも好きなことを言ってください」というのも正しい姿勢とは思えない。そもそも国民の間にこれといった現状認識がないのだから、答も得られないだろう。
問題の根幹は「そもそも何が起こっているのか分からない」という点にある。誰にも解決策がないという意味ではリスクではなくカタストロフなのだが、あまりパニックに陥っているという意識もないのではないかと思う。
いずれにせよ、民主と維新が合併する政党名が決められないというのは、モデルにする国がなくなったとういうことを意味しているように思える。バブル崩壊くらいから日本は資本主義の最先端を走っていたのだろう。日本は中国の後追いで文字を覚え、西洋諸国の後追いで資本主義を覚えた。後追いする国がないというのは歴史上始めての経験なのだ。

日本で徒弟制度はなぜ発達したか

Executive Summary

徒弟(弟子)制度は暗黙知を伝えるのに向いている。暗黙知が中心の世界では職人は早く技術を習得できない。最初は給与並の働きができないが、そこで辞められると後継者が育たない。だから、日本では弟子制度を作って「職人を育てていた」のである。なぜ日本人は暗黙知を中心の情報伝達をしていたのだろうか。変化が少なく均質な環境が影響していたのではないかと考えられる。しかし、終身雇用制度が崩れ、技術革新のペースが早くなってきており暗黙知中心の職業訓練制度は曲がり角を迎えている。

暗黙知と形式知

マニュアルに書ける知識のことを形式知と呼ぶ。例えばレシピを基に寿司を握る場合、レシピが形式知だ。しかし、寿司屋では寿司のレシピは教えてもらえない。寿司のレシピは湿度や温度など様々なパラメータによって変化しうる。職人はこれを経験で覚えているのでレシピは定式化できない。マニュアルに書けない知識を暗黙知と呼ぶ。寿司屋を寿司屋らしくしているものは寿司だけではないだろうから、寿司の作り方をマニュアル化しただけでは寿司屋にはなれない。
暗黙知は伝えるのが難しい。寿司屋の場合には10年程度の修行が必要かもしれない。しかし、いったん覚えてしまうと幅広く応用が利く。一方、形式知は早く覚えることができるが、条件が変わると応用が難しい。このように暗黙知と形式知には一長一短があり、一概にどちらかが優れているとは言えない。
暗黙知中心の世界では、職人は早く技術を習得できない。最初は給与なみの働きができないのだが、そこで辞められると後継者が育てられない。だから、日本では弟子制度を作って「職人を育てていた」と考えられる。

西洋では暗黙知は比較的最近に「発見」された。マイケル・ポランニーが「暗黙知の次元」という本を書いたのが始まりとされる。次元というくらいなので「隠れている」という含みがある。ところが、日本では暗黙知は一般的な知識の伝え方だった。野中郁次郎がナレッジ・マネージメントについて研究し、アメリカにも取り入れられた。ちょうど、アメリカの経営者の間に「日本に習え」というブームがあったころだ。

日本から暗黙知を学んだアメリカ人

製造業の現場レベルでは品質管理のためにボトムアップの改善活動が盛んであり、製造業成功の秘訣として研究が進んだ。当初、アメリカ人は日本の品質管理運動を模倣しようとしたのだが、うまく行かなかった。品質管理に必要なカイゼンは「職人のコツ」などを含んでいてよくわからなかったからだ。それをなんとか定式化(形式知化)したのが、シックス・シグマなどの品質管理技法だ。もともと日本の品質管理はアメリカのデミング博士が持ち込んだものだったが、日本で暗黙知の概念を取り入れ、再びアメリカで形式知化された。

日本はなぜ取り残されたのか

暗黙知と形式知に着目すると、なぜ日本の成長が失われたのかということが分かる。日本の終身雇用は内部から崩壊し、暗黙知の断絶が起こった。職場のノウハウや職人のコツといった暗黙知が伝わらず、差別化ができなくなった。さらに、産業技術革新のスピードにもついて行けなくなった。技術革新のスピードについてゆくためには分業と知識の共有が必要だが、そもそも自分たちが持っている知識を体系化して棚卸しできないのだから共有はできない。
この傾向は非正規化が進むといっそう悪化した。
日本人は形式知による情報伝達が苦手だ。非正規雇用者がスキルを学べないということが盛んに問題になるが、おおくの場合これは「暗黙知の継承ができない」ことを意味している。政府の職業教育は形式知の取得ばかりに力を入れるが、これで育成できるのは専門職であり、たいていの場合、専門職は非正規だ。
また、IT産業や金融産業のように変化が早い産業では新しい技術にできるだけ素早くキャッチアップすることが必要だ。とても、長い時間をかけて暗黙知を習熟している時間はないだろう。日本人は暗黙知の世界にも戻れず、かといって形式知中心の職場にも馴染めないという状態が続いている。これが「失われた20年」の正体だ。

淘汰される職人技

今回の例では暗黙知型産業の代表として寿司屋について考えている。かつてはじっくりと技術伝達できた寿司職人だが、機械化と寿司職人の非正規化が進んだ結果、以前の「奥深い味」が失われてしまった。すると、お客にも寿司の味が分かる人がいなくなり、いっそう職人が活躍できる寿司屋が失われる。結果的に寿司と言えば回転寿司ということになりつつある。「サーモンが一番美味しい」という子供が増えているという。このようなことは様々な業態で起こっているのではないかと考えられる。あの「ほろほろと崩れる感じが良い」といくら寿司職人が主張してみても、それを支える客がいなければ成り立たない。このように市場と知識の間にはスパイラルの関係がある。

暗黙知と文脈依存文化

なぜ、日本で暗黙知に頼った徒弟制度が温存されたのかは興味深い問題だ。第一に日本の産業があまり変化しなかったという事情がありそうだ。寿司の作り方は長い間変化しなかった。だから、10年程度かけて学んでも、その後寿司職人として十分に食って行けただろう。伝統芸能には形式知によらない知識伝達をするものが多い。歌舞伎、落語、文楽などが挙げられる。多くの場合「家」が情報伝達の主体になっている。生まれてから死ぬまで同じ仕事に従事していたのだ。
次に日本人が文脈依存の文化を持っていることも見逃せない。アメリカのように多民族の文化では「口に出して」「明確に」知識を伝達することが求められる。日本人はあまり多くを語らなくても「分かってもらえる」文化だ。比較的均質性が高いからこのようなことができるのだろう。「とても複雑で一言では説明できない」と聞いて戸惑うアメリカ人は多そうだが、日本人は「ああ、分かる」と思うのではないだろうか。

まとめに変えて

産業構想が変化した現在、日本人は形式知中心の世界に慣れる必要がある。ビッグデータの活用ができるようになり、かつては暗黙知だと思われていたものをそのまま形式知として取り扱う事ができるようになった。
すると「現代では形式知中心の文化の方が優れている」という結論を出したくなる。しかし、アメリカが暗黙知を習いたいと考えていたことがあるのも事実だ。この二つは状況に合わせて使い分けるべきで、どちらかが優れているというものではないのである。
いずれにせよ、ナレッジについての理解なしに終身雇用や非正規の問題を語ることはできない。単に終身雇用にも戻れといっても、それは無理なのだ。かといって、日本の経営者は定型知識ベースの経営にも慣れていない。「体で経営を覚えた」人が多いからだ。暗黙知・形式知について今一度考える必要がある。