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ファンタジーを信じ込んでしまう愛国者たち

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最近、「愛国者」たちが増えている。「愛国者たち」は日本は神話に守られた国であり、2600年以上もの連続した国体を持っていると主張する。確かに誇らしいことではあるのだが、その歴史のつくりは実に脆弱だ。たいていのものは明治期に新しく作られた「真実」だ。
例えば、日本の建国記念の日は、戦前には紀元節と呼ばれていた。紀元節は日本書紀にある記述(辛酉年正月庚辰朔)をもとに推定した日付を西暦に直したものだ。実際にこのような日付が存在するので「日本書紀には信頼がある」と考える人も多い。
日本人が建国の起源を西暦に直したのは明治時代に入ってからだった。西洋諸国が明確な建国記念日を持っているのに、自分たちに正確な知識がないのを恥ずかしいと思ったのだろう。歴史学者に辛酉年正月庚辰朔がいつなのかをと特定させた。この行為そのものはきわめて科学的である。
では、そもそもなぜ辛酉年正月が起源に選ばれたのだろうか。それは辛酉年に革命が起こりやすいと考えられていたからだ。根拠は中国の占いだ。どちらも金性なので人々の心が冷たくなりやすいと考えられていたのだ。革命が起こりやすいので、その年の正月に神武天皇が即位したことにした。当時はそれが「現代的で科学的」だったのである。
歴史家が推定した年は、西暦でいうとBC660年である。まだ稲作も伝わっていなかったし、中国風の暦もなかったはずだ。だから、正月を立春付近の新月の日に置いていた可能性は限りなく低い。そもそも暦が必要になるのは、農業の計画を立てるためだ。狩猟採集中心の文化では暦は必要ない。天体を書きとめて記録する必要もないので文字もできなかった。当時の人たちにとっては「暖かくなったら春」だったのだろう。魏志倭人伝には「倭には暦の概念がない未開地だ」という記述もあるそうだ。
だが、妙に具体的な記述をしてしまったために、各種の矛盾が生じた。そこでつじつまを合わせるために各天皇の在位期間を引き延ばしたりして対応したようだ。引き伸ばしを正当化するために後に「日本の古来の暦は1年を2年と数えていたのだ」とういう二倍年暦という説を唱える人もいる。そうだとすると、なぜ日本書紀の記述者がその歴史を完全に忘れたのかということが説明できなくなってしまう。
日本人は海の向こうから来る文明にとても弱い。中国文明や西洋文明など当時の最先端に合わせないと恥ずかしいと思ってしまうのである。ところが実際に起きていることに対する認識はかなりおおらかというか大雑把だ。ところが、いったん体裁を合わせたいとなると妙な緻密さを発揮する。結果的に、それぞれの記述が矛盾してしまうのである。
たとえて言うなら、酔っ払い傾向のあるおじさんから一族の歴史を聞いているようなものである。変に科学的な(占いも当時としては立派な科学だ)知識もあるので、もっともらしく聞こえる。そこで「おじさんはモノシリだね」と尊敬されるのだが、よくよく考えてみると各所のつじつまが合わない。普通の人なら「ああ、あれはおぼろげな知識をもとに作った嘘なんだなあ」と思うのだが、中には変におじさんを尊敬している人がいて「いや、あれは本当にあったことなのだ」と思い込んでしまうのだろう。
日本の歴史はファンタジー小説のようなものだと考えればいいのだが、妙に科学的な裏づけがある。そこで「あれは神話ではなく、事実だ」と考える変な人が出てくるのだ。