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日本で徒弟制度はなぜ発達したか

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Executive Summary

徒弟(弟子)制度は暗黙知を伝えるのに向いている。暗黙知が中心の世界では職人は早く技術を習得できない。最初は給与並の働きができないが、そこで辞められると後継者が育たない。だから、日本では弟子制度を作って「職人を育てていた」のである。なぜ日本人は暗黙知を中心の情報伝達をしていたのだろうか。変化が少なく均質な環境が影響していたのではないかと考えられる。しかし、終身雇用制度が崩れ、技術革新のペースが早くなってきており暗黙知中心の職業訓練制度は曲がり角を迎えている。

暗黙知と形式知

マニュアルに書ける知識のことを形式知と呼ぶ。例えばレシピを基に寿司を握る場合、レシピが形式知だ。しかし、寿司屋では寿司のレシピは教えてもらえない。寿司のレシピは湿度や温度など様々なパラメータによって変化しうる。職人はこれを経験で覚えているのでレシピは定式化できない。マニュアルに書けない知識を暗黙知と呼ぶ。寿司屋を寿司屋らしくしているものは寿司だけではないだろうから、寿司の作り方をマニュアル化しただけでは寿司屋にはなれない。
暗黙知は伝えるのが難しい。寿司屋の場合には10年程度の修行が必要かもしれない。しかし、いったん覚えてしまうと幅広く応用が利く。一方、形式知は早く覚えることができるが、条件が変わると応用が難しい。このように暗黙知と形式知には一長一短があり、一概にどちらかが優れているとは言えない。
暗黙知中心の世界では、職人は早く技術を習得できない。最初は給与なみの働きができないのだが、そこで辞められると後継者が育てられない。だから、日本では弟子制度を作って「職人を育てていた」と考えられる。

西洋では暗黙知は比較的最近に「発見」された。マイケル・ポランニーが「暗黙知の次元」という本を書いたのが始まりとされる。次元というくらいなので「隠れている」という含みがある。ところが、日本では暗黙知は一般的な知識の伝え方だった。野中郁次郎がナレッジ・マネージメントについて研究し、アメリカにも取り入れられた。ちょうど、アメリカの経営者の間に「日本に習え」というブームがあったころだ。

日本から暗黙知を学んだアメリカ人

製造業の現場レベルでは品質管理のためにボトムアップの改善活動が盛んであり、製造業成功の秘訣として研究が進んだ。当初、アメリカ人は日本の品質管理運動を模倣しようとしたのだが、うまく行かなかった。品質管理に必要なカイゼンは「職人のコツ」などを含んでいてよくわからなかったからだ。それをなんとか定式化(形式知化)したのが、シックス・シグマなどの品質管理技法だ。もともと日本の品質管理はアメリカのデミング博士が持ち込んだものだったが、日本で暗黙知の概念を取り入れ、再びアメリカで形式知化された。

日本はなぜ取り残されたのか

暗黙知と形式知に着目すると、なぜ日本の成長が失われたのかということが分かる。日本の終身雇用は内部から崩壊し、暗黙知の断絶が起こった。職場のノウハウや職人のコツといった暗黙知が伝わらず、差別化ができなくなった。さらに、産業技術革新のスピードにもついて行けなくなった。技術革新のスピードについてゆくためには分業と知識の共有が必要だが、そもそも自分たちが持っている知識を体系化して棚卸しできないのだから共有はできない。
この傾向は非正規化が進むといっそう悪化した。
日本人は形式知による情報伝達が苦手だ。非正規雇用者がスキルを学べないということが盛んに問題になるが、おおくの場合これは「暗黙知の継承ができない」ことを意味している。政府の職業教育は形式知の取得ばかりに力を入れるが、これで育成できるのは専門職であり、たいていの場合、専門職は非正規だ。
また、IT産業や金融産業のように変化が早い産業では新しい技術にできるだけ素早くキャッチアップすることが必要だ。とても、長い時間をかけて暗黙知を習熟している時間はないだろう。日本人は暗黙知の世界にも戻れず、かといって形式知中心の職場にも馴染めないという状態が続いている。これが「失われた20年」の正体だ。

淘汰される職人技

今回の例では暗黙知型産業の代表として寿司屋について考えている。かつてはじっくりと技術伝達できた寿司職人だが、機械化と寿司職人の非正規化が進んだ結果、以前の「奥深い味」が失われてしまった。すると、お客にも寿司の味が分かる人がいなくなり、いっそう職人が活躍できる寿司屋が失われる。結果的に寿司と言えば回転寿司ということになりつつある。「サーモンが一番美味しい」という子供が増えているという。このようなことは様々な業態で起こっているのではないかと考えられる。あの「ほろほろと崩れる感じが良い」といくら寿司職人が主張してみても、それを支える客がいなければ成り立たない。このように市場と知識の間にはスパイラルの関係がある。

暗黙知と文脈依存文化

なぜ、日本で暗黙知に頼った徒弟制度が温存されたのかは興味深い問題だ。第一に日本の産業があまり変化しなかったという事情がありそうだ。寿司の作り方は長い間変化しなかった。だから、10年程度かけて学んでも、その後寿司職人として十分に食って行けただろう。伝統芸能には形式知によらない知識伝達をするものが多い。歌舞伎、落語、文楽などが挙げられる。多くの場合「家」が情報伝達の主体になっている。生まれてから死ぬまで同じ仕事に従事していたのだ。
次に日本人が文脈依存の文化を持っていることも見逃せない。アメリカのように多民族の文化では「口に出して」「明確に」知識を伝達することが求められる。日本人はあまり多くを語らなくても「分かってもらえる」文化だ。比較的均質性が高いからこのようなことができるのだろう。「とても複雑で一言では説明できない」と聞いて戸惑うアメリカ人は多そうだが、日本人は「ああ、分かる」と思うのではないだろうか。

まとめに変えて

産業構想が変化した現在、日本人は形式知中心の世界に慣れる必要がある。ビッグデータの活用ができるようになり、かつては暗黙知だと思われていたものをそのまま形式知として取り扱う事ができるようになった。
すると「現代では形式知中心の文化の方が優れている」という結論を出したくなる。しかし、アメリカが暗黙知を習いたいと考えていたことがあるのも事実だ。この二つは状況に合わせて使い分けるべきで、どちらかが優れているというものではないのである。
いずれにせよ、ナレッジについての理解なしに終身雇用や非正規の問題を語ることはできない。単に終身雇用にも戻れといっても、それは無理なのだ。かといって、日本の経営者は定型知識ベースの経営にも慣れていない。「体で経営を覚えた」人が多いからだ。暗黙知・形式知について今一度考える必要がある。