ChatGPTやBingを使うと国際政治学の難しい記事も簡単に読めるようになる

Twitterに国際政治学の記事が流れてきた。フォーリンポリシーの「One World, Rival Theories」という記事である。国際政治理論の潮流にはどんな流派があるのかということを扱った英文の記事なので「読んでみたいなあ」とは思うのだが英語だしかなり長い。政治学の素養もないし「読むのは面倒だなあ」と思った。

ここでChatGPTでラクをしようという考えが浮かんだ。実際にやってみたところ10秒程度で要約と翻訳が完成した。これで国際政治の記事を読まずにまとめ記事が量産できるか?と期待したのだが、世の中はそんなに甘くない。まとめは間違っていた。

ただChatGPTが全く無能かというとそんなこともないようだ。使い方によっては非常に役に立つ。繰り返しになるが英語と政治学の素養がないにもかかわらず大体の骨子が理解できてしまうのである。ChatGPTとBingのチャットボットを使って記事をまとめてみた。

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クロネコヤマトで荷物を追跡するときわかることとわからないこと

ヤフオクで買い物をした。最近は伝票管理システムがしっかりしているので配送情報が追えるようになっている。配送状況が追えるようになると「今どこにあるのかなあ」ということが気になって仕方がない。だが、実際に追ってみると完璧な追跡もできないようだ。そこで「いったい、どんな仕組みになっているんだ」ということが気になりだしてしまった。気になったのでヤマト運輸に問い合わせをした。






伝票データは、誰かが入力しないと記録が残らない。ヤマトのシステムを使って出荷伝票が起票されていればメールで予定などを教えてもらえるらしい。そのためには、名前と登録電話番号が一致し(電話番号がキーになっているのだろう)ている必要があるとのことだ。また起票システムは顧客側の管理らしいので、手書きなどはトラッキングができないのではないかと思う。いちいち入力するのが手間だからだろう。

箱BOONの追跡画面。ヤマト運輸から情報をもらっているのだと思うが、伝票ナンバーを覚えてくれないので毎回入力する必要がある。お届け予定日まではわかる。

いずれにせよ、伝票がヤマトのシステムに乗れば、あとはクロネコメンバーズを使って伝票を追うことができる。できるのだが、最初から全てがわかっているというわけでもなさそうだ。今回は伊藤忠が展開している箱BOONというサービス(現在は廃止済み)をお願いしたのだが、これはファミリーマートで起票する。この時点で伝票番号は振り出されるが、この時点ではヤマトのシステムには載っていないので、ヤマトの人がピックアップするまではシステムで追うことはできない。

実はこの時点で3つのシステムが使われている。ヤフオクのシステムからファミポートに移り、最後にヤマト運輸に乗る。どうやらシステム連携はされていないのではないかと思う。手書きデータならヤマト運輸のオペレータが入力する手間があるわけだが、システム連携すれば入力の手間はないから、最初から到着予測ができるような気もするが、そうはなっていないようだ。ちなみにファミリーマートは伊藤忠が物流サービスを行っているということなので、システムは一体化されているのかもしれない。

いずれにせよ、荷物がコンビニからヤマト運輸のドライバーに渡った時点でヤマト運輸のシステムに入る。この時点でセンター(0570-200-000)に問い合わせをすれば、次のホップ先にいつ着くのかということは教えてもらえる。また、クロネコヤマトのシステムに受け手が自分で伝票登録すればあとは伝票番号を入れなくても随時検索できるようになる。

この場合は岩手県から千葉県に送られている。が、千葉側が受け取るまでいつ届くかが予測できないために当然変更もできない。地図上では岩手県の営業所に止まっていることになっている。荷物にGPSついているわけではないので、まあこれは当然かもしれない。対象外と表示されているが、千葉につけば対象になるはずで、ちょっと表示が紛らわしい。

例えば、奈良から千葉に荷物を送る場合は、奈良のセンターは次のホップ先が千葉であるということはわかっているので、そこまでの情報は入るのだが、それ以降「いつどこに発送するのか」ということはわからないようだ。それは千葉のセンターの管轄なのだ。

箱BOONでは依頼するときに局留め指定をすることができる。もしここで局留め指定をせずに、あとでスケジュールを変更することもできるのだが、その指定は、千葉なら千葉に届いたときに行われる。管轄指定局に自動的にゆくのだが、それが受け手にとっては最寄りの拠点かどうかはわからない。ゆえにここで最寄りの営業所に転送してくれというと、さらに1日かけて最寄りにトランスファーする仕組みになっているようだ。転送処理は千葉に届いたときにしかできないので、Webなどで伝票をチェックしつつ、伝票が受け取り県のシステムに入った時点から出荷されるまでのわずかな間に依頼を行う必要があるようだ。ちょっと不便である。

このようなシステムの話には興味がない人がほとんどだと思うのだが、わかっていると問い合わせのときに便利ではある。と同時に今のシステムでは、システムの都合を受取人が「忖度」してやる必要がある。システムが目配りをしてくれるということはないのだ。

出荷伝票が起票された時点で最短経路と受け取れり予想日時がわかれば、柔軟に対応できるとは思うのだが、これができないのには2つの理由があるということがわかる。システムが実は意外とつぎはぎになっており、伝票を起票した時点で将来を予想することができないからである。

後者は、例えばGoogleなどでおなじみの技術だ。Googleでは現在地と目的地がわかれば最短経路と到着予想時間が確認できる。最初は間違いがあるかもしれないが、精度はだんだんと上がってゆく。このためにはAI技術を使う必要があるわけだが、技術自体は難しいものではなさそうだ。

難しいのは既存のシステムに「配達予測」を組入れることなのかもしれない。もしヤマト運輸のシステムがCOBOLだったとすれば、そこにAIを組み込むことはほとんど不可能なわけで、意外とそんなところが生産性の向上を妨げているのかもしれない。

5分でイメージライブラリを作る

ウェブサイトを作る時に写真だけ並べたいことがある。普通だとすべてイメージタグを手書きで書いたり、データベースにあらかじめ登録したりという作戦を考えるわけだが、最近では随分と楽になっているようだ。作ってみて大変驚いたので記録を残しておく。PHPとjQueryを前提にしている。
第一にディレクトリの一覧を取得する。いろいろなやり方があるのだが、foreach(glob,$name_of_directory,GLOB_BLACE) as $filename {処理}の1分で済んでしまう。directoryを開けたり閉めたりする必要はなくなっているようだ。$name_of_directoryはpath_to_dictory/{*.jpg}としておくと拡張子を限ってファイル一覧を表示することができる。
次にjqueryを読み込んだ上で、masonryを読み込む。グリッドレイアウトを簡単に実現ができるjQueryのプラグインである。
この時にイメージの幅や高さなど揃えたいものに合わせてイメージそのものを編集していたのだが、cssで一辺を指定しておけば揃えることが可能だという(簡単なことなのだが)に気がついた。
jQueryはイメージがロードされたということがわからないので初期表示に不具合が出ることがあるのだが、これもimageLoadedというプラグインがあるので、それを導入すると表示の不具合が解消される。
あとは、ファイルをディレクトリに入れて適切な鍵をかけて(一般公開されたくない場合は)Webサーバーにロードするだけだ。
以前のバージョンのライトボックスはprototype.jsを使っていたのだが、最新バージョンはjQueryになっているのでリンクタグをつけてrel=lightox[xxx]とするだけでライトボックス化もできる。
今回はディレクトリごとにスキンを作ったのだが、配列に入れ込めば一枚で済むんだなあと思った。

「ディズニーランドには一眼レフを」という人たち

Yahoo!知恵袋にはいくつか「よくある質問」というものがある。一眼レフコミュニティでは「どの一眼レフを買えばいいですか」というものと「ディズニーランドにはどの一眼レフが向いていますか」という質問が多く寄せられる。
最初の質問はわかる。一眼レフは選択肢が多すぎる。だが、なぜディズニーランドに一眼レフを持ちこまなければならないのかがよくわからない。いろいろ調べてみると、ディズニーランドには一眼レフを持っている女子が大勢いるらしい。
詳しくみると、ディズニーランドには乗り物派とアトラクション派がいるということだ。このアトラクション派はディズニーランドに命をかけており、その思い出はできるだけ特別な機器で撮影しなければと考えるのだろう。
そうしているうちに「みんなが持っている」ものが欲しくなる。同調圧力に弱い女子たちは「私も一眼レフにしないと負ける」と考えるのだろう。そもそもみんなが行くからディズニーランドにゆくわけで、もともと同調圧力に弱い人が集まっていると言える。だが、実際には一眼レフでないと撮れない写真というのはそうそうないわけで、どのカメラを買ったらいいのですかという質問になるのだろう。
例えば鉄道写真を撮影したい人「動くものを綺麗に撮影したい」と考えるので、道具のスペックを容易に決めることができる。もともとシステム化が好きなのだから、仕組みから説明してやると喜ぶかもしれない。しかし、ディズニー女子は「できるだけ簡単に綺麗な写真が撮りたい」という希望を持っているので、アドバイスのしようがない。一番簡単に写真が撮影できるのはスマホなのだが「それでは特別感」がなくて嫌なのだろう。序列意識もあるのかもしれない。パレードの一列目には一眼レフを持った人たちが並ぶのだそうだ。
確かに一眼レフの満足度は高そうだ。ショーは原色系を多く使っているので「鮮やかな」写真が簡単に撮れる。実際に消費者が求めるのは派手な色彩とシャープさなのだが、これはカメラではなくソフトウェアで作っている。実際には超現実であってリアルな写真というわけではない。コツがあるとすれば遠近感をつけることだろう。一眼レフは背景が綺麗にぼやけるので、構図がある立体的な写真が撮影できる。いずれにせよ、色鮮やかな写真を見た人たちが「パレードを見たら写真を撮影しなければ」と考える。実際に一眼レフを構えたパレード女子を見て、さらに一眼レフカメラを買うという構図になっている。
同じような構図はスマホで見られる。日本は世界的にも有名なiPhone大国なのだが、これも友だちや同僚がiPhoneを使っているのを見ているうちに「スマホといえばiPhoneでなければならない」と考えることが原因になっていそうだ。スマホは顕示型消費なのだが、ディズニーの一眼には祝祭という要素が加わる。
面白いことに子連れになると一眼レフ熱は冷めるようだ。子供連れは荷物が多く、取り回しの悪い一眼レフは邪魔でしかなくなるのだろう。
いずれにせよ、東京ディズニーランドは文字通りの劇場であって、劇場は消費意欲を掻き立てやすいということが言える。ものを売るためには、機能だけを訴求していてもダメらしい。

産業蒸発とつながる未来

コンデジを手放した。中古で一眼レフを買ったからという理由もあるのだが、実際の写真はスマホで撮影することが多い。スマホで撮影すると自動的にパソコンと同期されるのでいちいち線をつなぐ必要がない。また、位置情報も付与されており「いつ、どこに行った」いう記録にもなる。どうしても構図をきちんと取りたい写真意外はスマホでいいやということになってしまうのだ。
これを図式化すると、ハイエンドとローエンドの需要だけが残り、ローエンドになんらかの利便性が付与されると、ミドルレンジがなくなるということになる。また、機器同士の接続性も問題になっている。
もちろん接続性のよい一眼レフもあるのだが、機械が重いので持ち運びは難しい。写真を撮影してやろうと思うことは少ない。たまたま撮影したいときにカメラがあることが重要なのだ。
実際にコンデジの需要は激減している。なんと数年間で7割減るだろうという予想もあったそうだ。きっかけはiPhone4なのだという。
このように電子機器は数年で蒸発するように消えてしまうことがある。
ではなんでもスマホに集約化すればよいのかという話になるのだが、これも違うと思う。例えばテレビを高機能化するのは明らかに無駄だ。テレビはチューナーを備えたモニター一体型の機能限定版パソコンだ。同じように電話はマイクとスピーカーがついたパソコンだし、それにプリンターを加えたのがファックスだ。すべてはモジュールであり、それを接続していけば良いからだ。
例えば液晶モニターとチューナーを分離すれば、どちらかが壊れても全てのシステムを買い替える必要はなくなる。
テレビ周りは10年で大きく変わりそうだ。ビデオレコーダーは消滅することが予想される。TVerを使えば過去一週間の番組をいつでも見ることができる。現在ボトルネックになっているのは通信回線ではないかと考えられる。極論すればテレビさえ必要がない。パソコンやスマホがあれば民放の番組が見放題だからだ。テレビがついているのは習慣としかいいようがない。ついていないとなんとなく寂しいからである。
民放とNHKは体系が違う。例えばTVer+アマゾンで映画というのが普及したとすると、NHKが排除されることになる。NHKは全てのパソコンからも受信料を取ろうとするだろうがこれはなかなか厳しいかもしれない。有料にするなら会員制にすれば良いだけの話だ。かつてのテレビのように国内で製造された受像機すべてに課金することは難しくなるだろう。すると、パソコンがわからない高齢者はテレビに残り、壮年層は無料+課金に移行するかもしれない。
一方で守られているものもある。電話回線をパソコンやスマホで受けるシステムはまだ作られていない。このため家の中から電話機をなくすことはむずかしい。ただ、これも悪い方に転がりつつある。無料通話で有名なLINEがスマホ市場に乗り出した。これは、電話回線がLINEの通話ネットワークから排除されつつあるということを意味している。
スマホを使いこなしている人たちは当然のようにLINEを使っている。これに月々500円を加えるとLINEだけにしかつながらない電話を持つことができる。回線はDocomoのものを利用する。すると、彼らにアクセスするためにはLINEを持たなければならないということが起こるのだ。一番安いのはパソコンにLINEのアプリケーションを導入することだが、設定にはスマホが必要だ。もし、こちらが多数派になってしまうと、店もLINE電話を持たざるをえなくなるだろう。
こんなことはありえないように思えるのだが、LINE側から見ると、余計な人たちから電話が入ってこないことを意味する。それは煩わしい老齢の義理の父母だったり、営業の売り込み電話だったりするかもしれない。中でも排除されてしまいそうなのが、こうした機器が自力で設定できない高齢者である。
ここから予想されるのは、高齢者と役所が過疎化した電話回線に取り残され、壮年層がLINEに移行するという未来だ。ここから取り残されているのは、政治の仕組みと消費者の意識だ。例えば、日本の法体系では通信と放送は分かれているが、この区分は意味をなくしつつある。ただ、これを変えようとすると役所を一つ潰す必要が出てくる。
また、高齢者は家電を単機能商品として捉えている。ラジオはラジオ放送を聞くものだし、電話は話をするものだ。すべての機能が動作と結びついている。スィッチをつけるとラジオが聞こえ、受話器を取ると通話ができる。これを乗り越えるのがなかなか難しいのだ。
 

モニター解像度の変遷と生産性

つい最近モニターをFull HDに買い換えた。これで最先端だろうなどと思ったわけだがそれは誤解らしい。

急速に普及したフルHD規格

長い間モニターの標準は15インチ(1024 x 768)だった。しばらくして17インチというソリューションが出てきた。しかし、地デジのパネルで使われる1360 x 768ピクセルがノートパソコンの普及で一般化た。これが去年の中盤あたりから急速に変化した。2016年までには約1/4が1920 x 1080ピクセルになっているそうだ。これはアクセス履歴からみたものなので「現役でネット接続されているモニター」と考えてよさそうだ。
このモニターが主流になったのは、テレビモニターの価格が下がったからなのだろう。1920 x 1080ピクセルはフルハイビジョンと呼ばれるテレビの主流画面なのだ。このため1920 x 1080ピクセルモニターは新品でも15,000円程度から手に入るほど価格がこなれてきたようだ。
1920 x 1080ピクセルはつい最近まで超巨大モニターとみなされていた。1360ピクセルですら巨大と考えられてきた。ところが実際には「標準型」モニターのシェアは確実に下がっている。中古市場では15インチモニターが500円程度で売られているほどの下がり方だ。
一方でインターフェイスは限界に近づいているようだ。DVIケーブルはシングルリンクの限界が1920 x 1200ピクセルなのだそうだ。ビデオカードも外部モニターは1920 x 1080までしか対応しないというものが多い。液晶パネルの価格が下がっても制御機能が追いつかないということが言えそうだ。

規模が機能やデザインを駆逐する

パソコンの画面が16:9が主流になってしまったのだがこれはなぜなのだろうか。パソコンを使う主な目的は文書制作とウェブの閲覧だと思うのだが、どちらとも関係がない。文書は紙を縦方向に置くことが多いし、ウェブも横書きにして下に伸びてゆく体裁をとっている。機能的には縦長モニターが求められるはずなのだが、実際のモニターは横型になっている。このため広いモニターを買っても右横がガラ空きということが起こりえる。
このため横置き前提のインターフェイスも増えてきた。Macのメールは横に3つのレーンが並ぶがこれは横置きを意識したものだろう。かつてはスクエア(実際には4:3だが)が前提だったので、2レーン・3分割だった。
Appleはかつて16:10というサイズのモニターを推奨していた時期がある。いわゆる黄金比でデザインとして美しかったのだろう。しかし、このサイズは普及しなかった。テレビモニターの方が生産台数が多いので16:10のようなサイズは相対的に価格が上がってしまうのかもしれない。見た目の美しさや機能性よりも、生産数で主流派が決まるのだ。

モニターが広くなると生産性は上がるのだが……

メーカーは盛んに「画面が広くなるほど生産性が上がる」としてきた。2006年のNewYorkTimesの記事がで元になっているらしい。当時はデュアルディスプレイにする必要があり、若干高価なソリューションだった。確かにメモを参照しながら文章を書いたりするためにはデュアルモニターは便利だ。1920ピクセル幅のモニターは960ピクセル幅のモニターを二つ並べたのと同じ条件になるので、かつての生産向上術が安く実現できるようになった。
傍にSkypeを置いて話し合いをしながら資料を共同で作るという使いかたをすれば会議時間を減らして生産性もあげられるし、Evernoteを開きつつブラウザでブログを書くというようなこともできる。一方で情報量が多くなると気が散りやすくなるという考察もある。当たり前の話だが、量も質もどちらも重要なのだ。

新しいOSさえ入れれば安心なのか

新しいOSが発表されるとすぐに「古い端末は危険だ」という大合唱が始まる。ところが実際には、新しいOSを入れても危険なことがあるようだ。
みずほ銀行のカスタマーセンターに話を聞いた。質問はマッキントッシュ利用が前提になっている。
被害の種類
最近起きている事件はいくつかの種類に分けられる。
まず、コンピュータが不正にアクセスされてパソコン内の情報が盗まれる被害が起きている。たいていはウイルスの仕業で、悪意のあるサイトへのアクセスやメールの添付資料を開いた場合に問題が起る。
マッキントッシュはKeyChainが暗号化されており、最新のメモも暗号化ができる。基本的にこうしたファイルは安心だが、暗号化されていないファイルは盗まれると危険だ。
クラウド上の被害もある。AppleIDを盗まれてiCloudにある平文(暗号化されていない)のメモが盗まれる被害も出ているそうだ。GoogleDriveでも同じような被害が出るだろう。
「宅急便が届いた」とか「ゆうちょ銀行からのお知らせ」というメールが詐欺の入り口になっているものもある。偽装されたURLに誘導されて、合い言葉や第二パスワードなどを入れさせるのだ。合い言葉を盗まれるとアカウントがリセットされ正規のユーザーがアクセスできなくなる。
ログインされたとしても預金の額が覗かれるだけで問題はないが、第二パスワードが盗まれると引き出しが行われる。ユーザーに入れさせたり、普段のキーストロークを盗まれることもあるという。

最新OSも安全ではない

問題はウイルスチェッカーがこうした問題を取り逃がすことがあるということだ。新しいOSもこうした問題を完全に防ぐことはできない。被害はWIndowsが多いということだがMac OSへの被害もゼロではないという。
URLをみていれば安心だと考えるのだが、これも確実ではないそうだ。知らないうちに違うアドレスに移動する場合もあるのだ。

銀行のおすすめはワンタイムパスワード

銀行が勧めているのはワンタイムパスワードだ。第二暗証番号は盗まれると取り返しがつかないが、数分間で消えてしまうワンタイムパスワードによる被害は今のところないという。メールのワンタイムパスワードは人によっては操作が難しいのだが、カード型(無料で申し込める)のワンタイムパスワードの操作はそれほど難しくない。また、ネットバンキングの情報が盗まれているということはメールも覗かれている可能性が高い。場合によっては、裏で不正なプログラムが動作して多額の現金が引き出されるケースもあるようだ。

補償

預金が盗まれても保証してもらえるとは限らない。「ケースバイケース」だという。法的な保護はないが、90%がなんらかの補償を受けているようだ。ただし、30日以上経過したり、警察への通報を拒んだりすると、確実に保証されない。別のサイトの情報によると、パスワードに類推されやすい生年月日を使っていたり、セキュリティソフトを入れていない場合は「過失」と見なされることもあるようだ。

まとめ

最新OSで使っているからといって安心ということはない。「ただ買い替えただけで対策しない」という選択はかえって危険かもしれない。
読まれたくない情報は盗まれても大丈夫なようにできるだけ暗号化しておいた方がよさそうだ。ウイルスソフトですべての被害が防げるという訳ではないが、既知の問題を防ぐことはできるのでないよりはましだ。さらに補償を受ける場合には考慮されることがあるということになる。
ネットバンキングの被害は減少傾向にあるが、それでも2016年前半で9億円近くが引き出されている。送金先の6割は中国人が名義になっているそうだ。

iPhone7の発売

TwitterのタイムラインはiPhone7のニュース一色だった。CPUの高速化・効率化が図られた。主に注目されたのは、FeliCa対応と有線のイヤホンが生き残ったことだったようだ。
いろいろ調べるとデュアルカメラが面白そうに思えた。カメラが深さを認識できるようになると、一眼レフのように背景をぼかした写真も撮影できるしARへの対応が進むだろう。
昔からのAppleウォッチャーは「クックは市場を気にしすぎる」と、Appleの姿勢に批判的だ。Appleは昔から古いテクノロジをいち早く切り捨てることで新しい技術を導入を推進してきた歴史があるからだ。古くは全面的なUSBへの移行があり、最近ではUSB-Cの採用やDVDドライブの全廃などがある。だが、Bluetoothへの全面的な移行は見送られたようである。
もう一つのFeliCaも意外だった。日本市場を気にしたものと思われる。日本は世界でもiOSのシェアが高いことで知られる(週刊ダイヤモンドの記事がよくまとまっている)。かつてのAppleであれば各国の市場シェアなど気にしなかっただろうが、最近のAppleはそうではないのだろう。かつてのFelicaチップは重かったので小型化の阻害要因になると考えられたようだ。また、ApplePayと呼ばれる決済方式の普及を狙ったのかもしれない。
意外なことにAppleがトップシェアを誇っている国はそれほど多くない。開発途上国ではApple製品は高嶺の花になっていて、Android端末の方が人気が高い。各社が価格を抑えた端末を開発できるからだ。
日本人がiPhoneを持ちたがるのはなぜだろうか。MM総研が面白い調査を実施している。
購入理由として一番多いのが「人気があるから」というもので、次に目立っているのが「買い替え時期だから」というものである。みんなが持っているから自分も持ちたいし、古いと格好が悪いから買い換えるのが日本人なのだ。裏を返せば性能が上がってもあまり意味がないことになる。プロダクトの良し悪しで買っているわけではなさそうだ。また、Appleのパソコンはシェアが高くないのでOSレベルでの連携を求めてiPhoneを選択している人もそれほど多くなさそうである。掲示板には「写真をなくした」という人が散見されるのだが、パソコンと同期していればありえない問題である。
この人気を支えているのが端末価格実質0円という施策だった。新しい端末はパソコンの価格を上回るのだが、月割りになっているので気軽に買い換えることができたが、安倍政権が禁止してからこれがなくなった。
つまり、考えられるシナリオは3つある。

  • 新しい端末が手に入れにくくなったのでApple人気が落ち込む。
  • 人々は他の支出を抑えてでも携帯電話につぎ込む。
  • 中古市場が発展する。

格安スマホが台頭すればIPhoneのシェアは確実に落ち込む。みんなが持たなければIPhoneを持つ理由はなくなってしまうわけだ。一方でスマホはAppleにすべきという常識が固着すれば日本だけでApple人気が残る可能性もある。

売れ筋のコンピュータとか日本のIT産業の将来とかいろいろ

パソコンについて調べている。パソコンは複雑な道具で利用するにはある程度の知識が必要である。高齢者は知識のなさをつけ込まれ、若者はパソコン離れしているなどと言われている。その一連の流れで「売れ筋」パソコンを調べることにした。
ノートパソコンはまだ見られる結果だった。Windows7機が未だによく売れているらしい。MicrosoftのOfficeが入った機種は不調で、互換のKingsoft Officeの入った機種が売れていた。Kingsoftは中国の会社だ。
しかし、ノートパソコンはまだマシだった。デスクトップの第一位はスティック型パソコンだ。年の初めに「高価でパソコンが買えない人が多い」という話があり、10,000円でもパソコンが買えるというご紹介をしたことがある。しかし、正直なところ自分では買う気がしなかった。廃熱に問題があるらしく長く使っているとクロックダウンを起こすらしい。実際に使っている人のレビューでもセカンド機という声が多い。
二位は中古のWindows7機だ。ランキング自体にやる気を感じられないところを見ると、もうパソコン自体が売れていないのだろうと思わざるを得ない。ノートはまだ学校の備品などとして売れているのかもしれないのだが、わざわざデスクトップを買いたい人などいないのかもしれない。
メーカーが売りたい機種は10万円以上する高性能のノートパソコンのようなのだが、実際に売れているのは5万円近辺の機種だ。最新のWindows10が使える物もあるが、ハードディスクの容量が足りなかったりと、いろいろ不満も多いようだ。時代に遅れたくないという人がパソコンを買って、結局使えなかったりするのは、こうした事情もあるのだろうなあと思う。さらにパソコンは「クラウドに自動バックアップ」というような対応にはなっていないので、メンテナンスについても覚える必要があるのだが、これについてはマニュアルがない。
いろいろな不具合や不便の結果「じゃあ、スマホでいいや」となったとしても誰も責められない。結局、自分の撮影した写真が安全に守られて、気軽にネット動画を見ることができたほうが便利に決まっている。
さてこのままでは日本の国力が損なわれると考える人も多いと思うのだが、これはこれでまた別の問題がある。実際にプログラムの基礎やコンピュータの基礎を学ぶためには、もっと単純なコンピュータを使ってOSを最初からインストールした上で、自作の周辺機器をプログラミングして動かすというような作業が必要だ。意外なことにこうした教育用のパソコンは安く売られている。だいたい5000円も出せばかなり高いスペックのものが買える。安いものは500円だ。最近では、IoTとして知られる小さなコンピュータなのだが、日本であまり話題になることはない。
プログラムの基礎というは、実は大したことはない。ある条件の時にはスィッチを入れるとか、ループを何回回すとかそういう単純な約束事の集まりで複雑な命令をこなしている。これはどのプログラム言語にも共通である。だから、最初からいろいろな機能のついたパソコンは却って邪魔なのだ。インストールに失敗したらデータが全て消えたということでは困るのだが、そういう経験もしないとコンピュータが分かるようにならない。
ところが日本ではこれはマニア向けのおもちゃというような位置づけになっている。あまりコンピュータの作り手側に回ろうとする人は多くないものと思われる。IoTでお金儲けをしたいと考える人は多いが、自分でやってみようとか、やるためにはどうしたらいいのかと考える人はそれほど多くないのかもしれない。
理由はよくわからないのだが、いろいろとちぐはぐな点が多いなあと思った。
 

若者のパソコン離れについて考えすぎる大人たち

ダイヤモンドオンラインで面白い記事を見つけた。「若者のパソコン離れ」が加速しているという記事だ。ありふれたものに思えるのだが、結論は少し意外なものだった。スマホのフリック入力に馴れていない中高年の方が時代に遅れるというのだ。それは中高年にとって「恐ろしい未来」なのだという。
一瞬「ほー」と思いそうな内容ではある。だが、ちょっとまとはずれなのかもなあと思った。
個人的にはフリック入力が苦手だ。使う前には「時代に遅れるんじゃないか」などと思っていた。そこでスマホにも挑戦してみたが「小さくて使いにくいなあ」と感じた。Twitterやインスタグラムで短い文章を打つのはよいが、まとまった入力や調べものには不向きだと思う。目的さえ達成できればいいわけで、別にスマホじゃなきゃ絶対にできないことは、実はそれほど多くない。
IMG_2899問題を解決するのは簡単だった、中古屋で300円のミニキーボードを買ったからだ。多分、秋葉原あたりにゆけば1000円くらいで買えるはずだ。これならスマホ(古いもので恥ずかしいのだが……)でも入力ができるし、持ち運びも苦にならない。
しかし、これもあまり使わない。スマホのたいていの機能はクラウドでPCと連携している。できないのはインスタグラムの投稿くらいで、あとは(LINEでさえも)PCから送信ができる。
確かに、スマホで文章を見るというのがどんなものなのか確認するのは重要だ。特にグランドナビゲーションを設計する上では、実機確認は欠かせない。
しかし、ユーザーとしてみれば「デバイス依存」というのはそもそも古い考えなのだなあと思った。
入力という観点から見れば、時代はさらに先に進んでいる。音声入力が実用化されつつあるのだ。Googleの検索で音声入力を使ったことがある人は多いと思うのだが、文脈判断のおかげで正確な検索ができる。ChromeでGoogle Documentを使うと自動音声入力ができる。APIが公開されているので、音声認識を使ったアプリケーションはこれから開発されるものと思われる。10年先の研修指導員は「そもそも若者は入力すらできない」と嘆く日がやってくるかもしれない。
しかし、音声入力ができるようになったから、キーボードがなくなるということはないだろう。好きな物を使えばいいのだ。
エッセイの要点は「顧客にあわせたソリューションを提供せよ」ということだと思う。それには問題はない。しかし、一つのテクノロジだけがデファクトになり、過去のユーザーごと排除してしまうという認識こそが過去のものになりつつあるようだ。いろいろなソリューションがあり、選択可能になっている。
このエッセイのもう一つの問題点は「時代遅れになるかもしれない恐怖」だけが現状を変えうるという視点だろう。コンサルタントとしては実感なのかもしれない。「ああ、いろいろ使えて便利だなあ」というのはポジティブなドライバーだが、遅れるかもしれないから習得しておこうというのはネガティブなドライバーだ。ポジティブなドライバーの方が強力で広がりが大きい。
ネガティブなドライバーにばかり意識が向くと「時代にさえ遅れなければ変わらなくてもよい」という気分になるだろう。
パソコンがあると表現手段が広がっておもしろいからパソコンを買うわけだ。だが、世の中について行くためにはスマホがあれば十分だと考えてしまえば、パソコンに手が伸びることはなくなるだろう。結局のところ「ついて行ければいい」という意識こそが「若者のパソコン離れ」とつながっていることになる。なんとも皮肉な話である。