イマドキの若者はおじさんたちのダサさをファッションに取り入れている

最近、YouTubeで20代のファッションの研究をしている。BEAMSが「ハズし方」について研究しているコンテンツがあった。最初は「なるほどなあ」と思いながら見ていたのだが、だんだん怪しくなって来た。多摩川でダサいおじさんファッションを見てそこからインスピレーションを得ていると言い出したからだ。

嘲笑される側のおじさんとしていい気分ではない。

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頭が小さいほどスタイルが良い女性だと考えられるようになったのはなぜなのか?

Quoraに「日本で頭が小さい女性がスタイルがいいと考えられるようになったのはいつ頃からなのか?」という質問があった。ミスユニバースで三位入賞した伊東絹子さんが八頭身美人という言葉を流行らせたという回答が複数ついていた。

その後、児島明子さんがミスユニバースで優勝した。1960年代になるとツイッギーというイギリス人女性が来日しミニスカブームが起きた。つまり頭が小さいだけでなく小枝のように細い女性が「グローバルスタンダードなのだ」という認識が徐々にできあがっていったことになる。

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イタリア・モードの誕生と発展

前回はサルトリアというイタリアの職人服が日本ですっかり定着しているということを書いた。今回はこれとは違う流れの「モード」について書く。近代モードはフランスで始まった。創始したのはシャルル・フレデリック・ウォルトというイギリス人だった。聞き馴染みのある名前だなと思ったのだが2015年にこのブログで取り上げていた。

フランスはヨーロッパ宮廷文化の中心地であり、今でもファッションの都である。だがイタリアはそうではなかった。ではイタリアでモードが発展したのはなぜだったのか。

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クラシコ・イタリアとイタリアのアパレル産業

メイド・イン・イタリアの服を見ていると明らかに異なる二つの系統がある。一つはアルマーニやベルサーチと言われるデザイナーが作る服である。イタリアではモーダと言われる。もう一つは紡績工場で作った服を職人が作っている。サルトリア(縫製技術)を持った職人をサルトと呼ぶそうだ。総合紳士服ブランドになったところもあるがジャケット専業メーカー・パンツ専業メーカーも存在する。日本には両系統が入ってきているのだが現在ではサルトリアの方が主流である。

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セレクトショップ御三家と「新御三家」

バラバラに買ってきた洋服の整理をしている。「セレクトショップ系のものが目立つな」と思ったのだが一体何がセレクトショップなのかがわからない。そこでセレクトショップについて調べてみた。

もともと戦後の日本の男性ファッションの歴史はヴァンヂャケットあたりから始まる。アメリカのIVYリーグのファッション(ブルックス・ブラザーズのことらしい)を持ち込んで国内生産したというのが始まりだと思う。代表の石津謙介さんはメディアにたびたび登場しTPOという言葉を定着させた。だがヴァンヂャケットは1970年代半ばごろから急速に業績が悪化し1978年に倒産してしまう。皮肉なことにあまりにも好調すぎたため経営を急拡大させたことが倒産の原因だったようだ。つまり大きすぎて潰れてしまったのだ。

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勝ちたい日本人が夢中になる「抜け感」

先日来、劇場型政治を燃え上がらせる日本人の勝ちたい感情について書いている。が街に出て一味違ったキーワードを見つけた。それが「抜け感を出すためのテクニック」である。これは勝ちたい日本人の屈折した感情を表していると思う。そしてこの抜け感によってファッショントレンドそのものが成り立たなくなっているように感じられる。






まずこの「抜け感」という言葉から見て行きたい。頑張っておしゃれをするのは粋ではないと見なされ、リラックスしたさりげなさを演出するのがよいとされている。つまり、洋服が良いのではなく自分がかっこいいから洋服もよく見えるというような見られ方が好まれるのである。

確かにここまでは納得ができる。「ファッションを理解していない」人は服の理解を内面化させず「洋服に着られている」ことが多いと思うからだ。今でもたまに1990年代の洋服の理解をそのまま正解として引きずっている大人を見かける。周りの動向に関心を持っていれば「ああはならないだろうな」と感じることがある。1990年代は、とりあえずトレンドには手を出しておけばなんとかなっていたというのも事実であるが最近では自分らしさが求められる。

自分らしさを出すためにはトレンドに合わせているだけではダメで、それを理解してこなさなければならない。だが、ファッション業界は内面的な理解に行かず外形的にそれを落とし込んでしまった。それが「抜け感テクニック」だ。雑誌をみると「今更聞けない抜け感の出し方」というような不思議な特集が組まれていることもある。そして不思議なことに「気にしていないがおしゃれに見える」ようにするためにみんな必死になってしまう。ここでも日本人は勝ちたいのである。

抜け感はそもそも服を理解して着こなしている人がかっこいいというところから始まっているので、すぐに真似できる正解がない。この傾向は繊研プラスによると2015年ごろから見られるようになったそうだ。繊研プラスは「曖昧で正解がない」と言っているのだが、同時にファッション界では正解になりつつあるのでセールストークとして有効だと言っている。つまり正解がないことがわかっているのだが、それが蔓延しているのでお店側が合わせてしまっていることになる。

こうしてできた抜け感スタイルは「単にだらしない」になりがちだ。手っ取り早く抜け感を出すためには、スタイルがいい人を連れてきて少し抜いてしまう「引き算」をすればいいが、これを普通の人が真似をすると似合わないのは実は当たり前なのである。

この抜け感の裏にある価値観は非常に複雑である。洋服で自分のスタイルを作ろうとすると他者とは違ったことをしなければならない。最初からうまく行くことはないので失敗があるのだが、この失敗が許されないのだろう。みんなと同じであることが求められ失敗も許されないが埋没してはいけない。これではいわゆる「無理ゲー」である。気がついた人から抜けて行くのは当然なのだ。

このため「抜け感が何なのか誰もわからない」という状態が生まれる。にもかかわらずこの言葉はファッション雑誌やアパレルブランドに蔓延していてあたかも正解のように語られる。

この言葉はリベラルのいう「私らしく生きたい」に似ている。正解がない言葉なのにあたかも正解として語られる。それでも自分なりの正解を見つければいいと思うのだが、実際に私らしく生きようとすると「普通」から逸脱してしまう。そしてその逸脱は失敗と見なされて非難の対象になる。さらに、多くの人が「実は他人に勝ちたい」と思っていて、自分なりの生き方やスタイルを見つけたい人たちの足を引っ張る。こうして最終的に行き着くのが「あの人たちよりマシ」という心理状態である。

これまで政治の問題として、リーダーシップを取ろうとする人たちが同僚間の闘争に巻き込まれてやがて不毛な足の引っ張り合いになる様子を観察してきた。行き着いた先は自己否定されたと感じて傷ついた人たちの二極化した匿名のつぶしあいだった。とてもナイーブであり同時に苛烈だ。この背景には何が正解かわからなくなった人たちが自分たちと異なる他者を見つけて叩きたいという動機があるのだろう。

政治はSNSの登場で二極化した<議論>が生まれたが、ファッションのこうした闘争は個人化しており社会的な結びつきを持たない。が、これはマイルドな突出(ファッショントレンド)の破綻なので、ファッションそのものが成り立たなくなってしまっているのである。

Dolce & Gabbanaと中国の炎上騒ぎ

Dolce & Gabbanaのショーを見て、身長が様々なモデルを使っていることが気になった。「多様性を受け入れてこのようなモデルを使っているのだろう」と思ったのだが、実際にはそうではないようだ。今回はクリエイターに勝手な思いを重ねてしまいがちな我々の性質について考える。






Dolce & Gabbanaのショーには様々な人たちが出てくる。例えば2019年春夏のショーには高齢のモデルが多数採用されている。このような光景を見るとつい「多様性を受け入れているのだ」などと書きたくなる。

ところがこれを裏打ちしようとしても「SNSが主流になった現代の多様性を受け入れるために様々なバックグラウンドの人たちを登場させた」などという記事は出てこない。出てくるのは中国でDolce & Gabbanaが炎上したというような話ばかりである。

中国について、デザイナー2人は苛立っていたようだ。コピー商品の氾濫を防ぐためには本物を浸透させることが大切なのだが、あまり中国マーケットが好きではなかったのはないかと思われる英語のインタビュー記事を見つけた。「コピーでいいならコピーを着ていればいいじゃないか」というようなことを言っている。日本からもD&Gが撤退している。コピーが多かったことに嫌気がさしたのではないかという観測がある。

ただ、同社本国のクリスティアーナ・ルエラ常務取締役は、こうもコメントを寄せた。「日本市場に氾濫(はんらん)するD&Gの模倣品が大きな障害になっている」

http://www.asahi.com/fashion/beauty/TKY201006010144.html

彼らはビジネスとして世界に自分たちの商品を売るよりもクリエイターとして尊重されたいという志向が強いようだ。

過去のインタビュー記事を何本か読んだのだが、Dolce&Gabbanaは過去に何回も問題発言を繰り返しているそうである。敵に回したのはアメリカのアンチトランプ、同性愛者などいわゆる「リベラル」な人たちである。デザイナー二人も長い間同性パートナーだった経験があるわけで、ついついリベラルに分類したくなるのだが、実はかなり保守的傾向が強いようである。メラニアトランプと親交がありトランプ大統領を支持している関係で、ショーに出演したモデルに反乱を起こされたこともあるそうだが、イタリア人なので政治に興味はないとこれを一蹴している。(HUFF POST

同性愛関連の発言ではエルトンジョンの怒りを買った。同性愛者だからといって全ての人がリベラルな家族観を持っているわけではないのだ。

「私たちはゲイの養子縁組に反対します。伝統的な家族が唯一のものなのです」。2人はことわざを引用してこう述べた。「化学的につくられた子供や借り物の子宮なんて必要ありません。人生は自然のままに。変えるべきでないものがある、ということです」

https://www.huffingtonpost.jp/2015/03/16/elton-john_n_6875760.html

今回の中国では、このやんちゃぶりが政治議論の枠を越えてしまった。つまり民主主義的な意見対立ではなく、ついに民族的な騒ぎに発展してしまったのだ。デザイナー2人は、最初は謝罪するつもりはなかったがようだが、最終的にSNSで謝罪するという「かっこ悪い」対応になってしまった。(FASHIONSNAP.COM

経済的に自信が出てくると今度は名誉が気になる。これは日本がかつて通った道である。Quoraでも何回か「日本人は中国人をどう思っているのか」というような質問を目にした。国力はついてきたが果たして立派な先進国になれたのかという後発先進国型の自意識だ。日本が長い間欧米の目を気にしてきたように、国もこれから長い間先進国の目を気にすることになるのかもしれない。

Dolce&Gabbanaはキャリアの最初にモデルを雇う金がなく一般の女性にモデルなってもらったことがあるとWikipediaに紹介されている。モデルに様々な人たちが登場するのはこの辺りが背景になっているのかもしれない。決して「政治的正しさ」から来ているわけではなさそうだ。そもそも既存の服のルールを破ったり、ボロボロのジーンズをハイファッションとして仕立てているわけだから政治的な正しさの対極にあるということも言える。デザイナーとしては型破りさが求められるがビジネスマンとしては政治的正しさが求められるというのはとても難しい。また自身も同性愛者なのに保守的な考え方を持っているという点にも難しさがある。

我々は「成功したクリエイティブ」であるファッションデザイナーに政治的正しさを求めがちだ。今回抱いたのは「クリエイティブな人たちは多様性を支持するリベラリストだろう」という根拠のない期待である。しかし、彼らが成功したのは既存の価値観に挑戦したからなのだから、我々の期待通りに「いい子でいてくれる」とは限らないのである。

笑顔が弛んだ政治家や経営者は信用するな

ビジネスで成功するためには外見に気を配ることが重要である。特に笑顔は重要だ。なぜ笑顔が重要かというと、笑顔は根性で作るからである。時々顔が弛んでいる政治家がいるが、彼らは多分部下に面倒ごとを押し付けているから自分で表情筋を使うことができなくなっているのだろう。こういう人には何をやらせてもだめだ。きっと嘘ばかりついているに違いない。

写真を撮られ慣れていない人が顔を撮影してみるとうまく笑えないことが多い。この状態でいろいろな書籍やウェブサイトの情報をみると混乱する。変に力を入れると不自然になってしまうからだ。笑顔は多くの筋肉で作られている。つまり、笑うための筋肉が衰えていると笑えなくなってしまうばかりか顔の動かし方すら忘れてしまうのである。顔が動かなくなると余分な老廃物が顔に蓄積され顔が弛んでしまう。こうして大人の顔は弛んで行くのである。

そこで特定の筋肉を鍛えて笑顔を取り戻したくなるのだが、これも実は愚策である。笑顔を作る特定の筋肉はない。

だから笑顔が弛んでいるなと自覚したらまず筋トレが必要だ。闇雲に顔を鍛えるのは得策ではないので、OSの仕組みを理解して賢く筋トレしたい。脳には理解できない信号を与えると休んでいる間に情報を整理する仕組みがある。これを知っていると様々な動作に応用ができるだろう。

笑顔を作るためには様々な方法が考案されている。例えば割り箸を口に当てて顔を横に広げたり、ペットボトルを吸うという方法がある。表情筋を使うのがトレーニングの目的だ。手っ取り早く効果を上げるために関係のある動作だけを取り出しているのだろう。しかし、表情筋が寝ている状態でこれをやろうとすると動作が不自然になる。特定の場所だけが力み過ぎてしまうからだ。場合によっては無理がかかり特定の場所が硬直してしまうかもしれない。無理に姿勢を作ろうとして腰を痛めるのと同じである。

笑顔は総合芸術であり、その意味では経営に似ている。賢い表情筋も作れないようでは、会社の経営もうまくできないだろう。ましてや国家の運営などできるはずもない。だから笑顔が作れない人を信頼してはいけないのである。

情報をインプットするためには、手始めに母音の形を一つずつ大げさに作ってゆく。例えば「あ」では口を大きく開ける。また「い」は口を横に開くという具合だ。しばらくやっていると口の周りの筋肉が疲れてくるはずだ。この時口だけでなく鼻筋の筋肉を意識したり目を見開いたりしてもよい。鼻が詰まっている人の場合、鼻が通るのがわかるはずである。ゆっくりやらずに早くやるのもよいだろう。つまり、何をやっているのかわからなくなるくらいの負荷をかけるとよいのである。

これを数日続ける脳に様々な動きがインプットされる。するとあとは脳が勝手に整理してくれる。だいたい3日もすればかなりの形になるだろう。あまり力を入れずに口角があげられるようになったら完了である。力んだ笑顔は怖い。この時に適切な睡眠が大切だという説がある。子供が自転車を覚えるのにも使われる理屈で細かな脳の仕組みはわかっていないようだ。要するに複数の筋肉の協働が必要な3Dの動きは寝ている間に脳で処理されるのである。

この時点で写真を撮影してみると、顔がほっそりしていることがわかる。顔を動かすと顔に溜まった余分な水分が下に押し出されるようである。例えば、ほうれ線を消すためにリンパマッサージをする方法がある。目の下をマッサージしてたるみの原因となっているとされるリンパ液を外に流し、そのあとで首を下にマッサージして外に出すというものだ。確かに一時的に効果が出たような気がするのだが効果は一時的である。それよりも顔全体を動かしたほうが効果が高いように思える。

顔の基礎トレが終わり老廃物も流れたら、楽に表情筋がコントロールできるようになっているはずなので、大人の余裕で口角を少しだけあげてかすかな微笑みを作ろう。

決して、アプリでズルをしたり、ボトックスで筋肉を緩めようなどと思わないほうが良い。あれは、言葉は悪いかもしれないがあまりにもお手軽すぎる。大人は正攻法と根性で笑顔の再建に取り組むべきである。

これは、表面的には笑顔のトレーニングのようだが、実は全体を管理するためにはいろいろな筋肉の協働が重要だということも学んでいる。そして学習のためには休息時間も必要だ。多分笑顔の作り方を忘れている人が学ばなければならないのはこのことなのである。どこか特定の場所に無理をかけると負担がそこに蓄積しやがてシステム全体が破綻する。これを避けるために全体をうまく動かすのが経営や政治の本来の役割なのだ。

インスタ映えするための正しい立ち方を覚えてついでにダイエットにも役立てる

正しい立ち方を覚えると本当の自分に出会えるかも

ファッション写真を気軽に投稿できるサービスが増えた。インスタグラムなどで自撮りをアップする機会もあるだろう。しかし、いざ写真を撮影してみると普段鏡で見ているよりスタイルが変に見える。実は自分で思っているより立ち方が悪いことがあるからだ。鏡を目の前にすると自然と格好をつけてしまうが、写真だとそれがわからない。

よく「体を上から吊っているように立てばいい」などと言われる。確かにその通りなのだが、このやり方だと体のあちこちに力が入り不自然な状態になる。立ち方の本を探してみるのだが、なかなかぴったりの本に出会えない。スポーツの立ち方やウォーキングまで視野に入れると幾つかの本が見つかる。

ネット通販にはいろいろなダイエット機器が売られているのだが、実はスタイル矯正を目的にしたものが多い。だから脂肪が燃焼していないのに「一瞬でウエストが5cm減った」みたいなことが起こるのだ。つまり、正しい立ち方を覚えるとこうした機器を買わなくても「一瞬でウエストが5cm減った」みたいなことが実現できる。本当にスタイルが悪くてどうしようもない人はそれほど多くないことになる。

まずは猫背矯正から

最初に壁に踵と背中と後頭部を付けて立つ。正確には背中とお尻と踵が後ろにつく。この状態で後ろに倒れている感覚があるとしたら普段体が丸まっていることになる。頭が前に出ていると顔が大きく見える。スタイルが悪いと考えているなら多分猫背のせいだろう。

よく、モデルの教科書などで「首を上から吊られている」と表現することがある。だが、実際にやってみると、どこに注意を向けていいかわからない。だから順番に覚えたほうが遠回りに見えて近道である。

最初にやったほうが良さそうなのは猫背対策だ。猫背対策といっても背中だけに力を入れて立とうとすると反り腰という中途半端な姿勢になる。また今まで猫背で前を向いている人が猫背を矯正すると当然ながら顔が上を向く。

文章だけだとよくわからないので図にしてみた。真ん中の状態が反り腰なのだが、これで長い間立っていると確実に腰痛になる。人間の体を支えるのは実は腹筋などの「コア」だ。腰には大きな筋肉はないので、腰だけで立とうとすると腰が緊張して腰痛を起こすわけである。逆にコアトレーンングをすると立ち方が改善され結果的に体重が減りスタイルがよくなる。

顎が上に上がっている状態は最初のうちはしかたがないのでそのままにしておく。無理に顔を下に向けると首にシワが寄ってしまうのだが、これを矯正するためには顔を上に上げて顎と首筋をストレッチすると良い。

最初は1の状態になっているのだが全体が前傾しているので気がつかない。顔だけをなんとかしようとすると首が詰まって首筋にシワができる。これを防ぐためには一度3のように顔をそらせて首を伸ばしてから顎だけを前に引く。ただ、猫背矯正をしている時には正直首までは気が回らないと思う。

お腹を引っ込めるためには力を入れずに上に伸ばす

猫背対策ができるようになったら次に腹をやる。太っている人はお腹を引っ込めようとするが、実は腹は前に出るのが正しい姿勢である。

まず体をだらりと下に下げると腹が出る。次に腕を組んで上に伸ばすと当然お腹が引っ込む。中年になってお腹だけがぽっこり出てくる人はたいていここが緩んでいる。これを常に上に伸ばした状態にしておくのが写真写り的には「正しい姿勢」であり、当然苦しい姿勢だ。腹筋などのコアトレの重要性を実感するはずだ。

足が地につかないのが美しい

最後に腰をやる。いわゆる骨盤を立てるというやつである。だが、骨盤がどこにあるのか、と聞かれてもよくわからない。ネットの情報には「骨盤が立っている日本人はほとんどいない」などと書いてあるものもあり(自分のメソッドだけでしか骨盤は立てられないなどと主張している)非常にわかりにくい。

片方の足をつま先立ちにして上に体を伸ばすのだ。これには二つ目的がある。骨盤を立たせることと、動きを作るためである。ファッション写真なので動きを作るのが重要だが、単に立ちたいだけなら骨盤が立った感覚だけを覚えれば良い。

つま先は立たせておいてもよいが、軽くつけてもよい。このときの骨盤の形が「正常に立っている」状態である。女性のヒールは多分この状態を人工的に作っているのだと思う。これをときどきやらないと、どうしても骨盤が寝てしまう。

軸になっている方の足は外即で立つ。いわゆる土踏まずの外の部分を使うのだ。片方だけを爪先立ちにするのは、バランスを崩してポーズを作らないと兵隊のような直立不動になってしまうからである。しっかり立っている方の脚を支脚と呼び、反対側の脚を遊脚という。この考え方はギリシャ彫刻の立方にも見られ「コントラポスト」として一般化されている。最初はクリティオスの青年像のように微妙に崩していたが、徐々に大胆に崩されるようになる。

立ち方の本にフォースタンス理論というものがある。あれは安定させる立ち方でファッション写真の基本の立ち方ではない。ただしファッション写真の中にも力強さや安定を重視するものがある。例えばストリート系やミリタリー系ではこうしたしっかりしたスタンス理論が役に立つ。美しさの基準は常に一つというわけではない。

吊られているように立てというのはシンプルでわかりやすそうなのだが、実際にはどこに力を入れてたっていいのかわからないのでアドバイスとしてはそれほどわかりやすくない。逆に変なところに力が入ると自然に動けなくなるし、動きを優先すると形が崩れてしまう。

基礎ができたら、顔・手・脚などの各パーツを調整する

ここまでで立てるようになるので、次に各パーツをやる。まずは先に述べたように首を後ろに引きストレッチする。そしてそのまま顔を前に出す。すると首が伸びた状態で前に出る。顎先を意識して自分と同じ高さのところをみると顔が正しい位置になる。次に手だが石坂浩二によると肩を意識すると自然と手の位置は決まるそうだ。そこまでできなければ何か持つとよい。実生活では何も持たずに手の位置を意識することはないので仕事をやらせると楽だ。何か持っていると(なければ襟でもバッグでもよい)何かしらの形は作れる。脚は開き気味にしたいのだが、これも普段脚を組んだりしているとうち向いているのでうまく外側に開いてくれない。反対側の肩を外に向けると不思議なことに脚が開く。

ここまで出来たら骨盤が前に出っ張っているところに手を当てて右や左に傾けるといろいろな形が作れる。こうして一つひとつの動きをプログラミングし直すと、安定的に綺麗に立つことができ、同時にダイエット効果も得られる。

ZOZOスーツの憂鬱

今回はZOZOスーツについて書こうと思う。「やる気がない思いつきなら最初からやらなければいいだろう」と思った話である。

ユニクロの柳井会長がZOZOスーツはおもちゃだといったという話が伝わってきた。日経新聞が面白おかしくこう伝えている。

人が服に合わせるのではなく、服が人に合わせる――。全身タイツのような「採寸スーツ」を無料で100万枚以上配る前代未聞のアイデアを実行したスタートトゥデイ社長の前沢友作(42)。ユーザーやマスコミを敵に回すことも辞さなかった異色の経営者が表舞台に出始めた。だがそのアイデアを「おもちゃだ」と一笑に付す人物がいる。アパレルの巨人、ユニクロの柳井正(69)だ。

これについては批判もでている。ユニクロは古い世代の会社であり、ZOZOこそが新しいというポジションなのだろう。ただ、柳井さんは実際に試したわけではない。実際に試さないのに批判するのはいかがなものかと思った。

そこで、実際に試してみた。だが、やってみて「あれ、この会社大丈夫なのかな」と思った。いろいろ考えて「あれは社長の思いつきだったので気にしない方がいい」という結論に達した。お金はかかっているが道楽なのだろう。

もともとZOZOスーツはお客様のためを思って作られたものではない。例えば、バナナリパブリックには客が入れた情報をもとに適切なサイズをレコメンデーションする機能がある。本気でオンラインサイトをよくしたいならあらかじめデータを採取した上でシステム化したはずである。ただ、このようなきめ細かな仕組みは現場からではないと出てこないだろう。

ZOZOスーツが最初に発表されたのは2017年だった。しかし、センサー型は大量生産がうまく行かず、途中でマーカー型に変更された。この時40億円の損出が出たとされる。これはこの会社が「社長の思いつき」を形にするやり方で運用されていることをうかがわせる。オーナーだから40億円の損出を出しても道楽で済むのである。

しかし、これでも受注した分の生産が間に合わず発送は大幅にずれ込んだ。だが、この時の対応は極めてずさんだった。社内調整が全くできていなかったのだろう。なんども「次こそは発送できます」という様なアナウンスが送られていたがモノは一向に届かなかった。このことからこれも社長と周囲の思いつきで走っていたことがうかがえる。

最初は送料だけはとるということだったのだがいつの間にか送料無料ということになったようだ。しかし、カスタマーサポートによると申し込みの時点でクレジットカードの与信枠を取っており、これを商品の発送が終わるまで引っ張り続けていたそうだ。結局これがキャンセルされたのは発送が終わった後だった。これを知ったのはスーツが送られてきても送料請求に対するお知らせがなかったからだ。最初は「クレジットカードの与信枠が途中で切れてしまうので、あらためて手続きをしていただきます」と言っていた。お金の管理も極めてずさんなのである。

さて、今年の8月になってようやくスーツが届いたので手元にあるiPod Touchで撮影をしようとしたのだが途中でアプリが落ちてしまう。何回も落ちるのでこれは同じことを経験している人がたくさんいるのではないかと考えたのだが、検索をしてみてまとめサイトまでできているのに驚いた。本当にたくさんそういう人がいるようだ。どうやら機種によってできたりできなかったりする様である。

そこで再びカスタマーサポートに問い合わせたところ「一つひとつの機種ごとに手作業でカメラの調整をしなければならず、お客様のお持ちの端末では処理ができません」と言われた。

ZOZOTOWNカスタマーサポートセンターXXでございます。いつもご利用いただきありがとうございます。このたびはZOZOSUITの計測につきましてご不便をおかけしておりますこと、深くお詫び申し上げます。お問い合わせの件について確認いたしましたところ大変恐縮ながら、お客様の機種は対応端末ではございませんでした。こちらは画像認識をおこなうためのカメラの調整が機種ごとに必要なため調整が完了した機種を対応機種として設定しております。今後調整のうえ、対応機種につきまして順次拡大を予定しておりますので大変申し訳ございませんが、お待ちいただけないでしょうか。せっかくご注文いただいたなかこのようなご案内しかできず大変心苦しいのですがご理解いただきますようお願い申し上げます。

ただ、これがその場しのぎの嘘なのか、それとも本当のことなのかはよくわからない。発想の時にも経験したのだがすぐに「お待ちいただけないでしょうか」と言ってしまう会社なのだ。社内でも「一生懸命頑張っているから」辛抱強く待っていて欲しいというようなことがまかり通っているのではないかと思える。「設定している」ということなのだが、音声ガイドまで流しておいて計測の段階でアプリを落とすことが「設定」なのだとしたらずいぶんずさんな設計である。いずれにせよすべての端末で手作業でカメラ調整などできるはずはないのだから、サポートはそもそも最初から諦めているんだろうなと思った。

するとさらに追い打ちをかける様なメッセージをもらった。

ただ、これを読むと「対応端末を確認しろ」と言っているのでテスト済みのものがこのページにでているのかなと考えて再び読んでみたのだが、その様な記述は見つけられなかった。記述があったとしても「対応していないから」という理由で突然落とすのは如何なものかと思われるが、多分部署ごとにバラバラに対応してて横同士の連絡がない会社なのだろう。ただ担当部署ごとのサイロ化も日本の企業では珍しくなく取り立てて批判する気にはなれない。

もし、仮に最初からわかっているのなら対応機種をどこかでアナウンスするべきだった。もともとは送料は取るということだったのだから「できないならできない」というべきだ。次にアプリを落とすのではなく「機種が対応されていません」というアナウンスを出して客に落としてもらうべきだろう。突然落ちたのでは何がなんだかわからない。そもそも、こんな不安定なことを客にやらせるべきではないのだが、それにしてもひどすぎる対応なのだろうなと思った。

この辺りでトップの道楽で個人情報を提供してやっているんだから、こっちがモニター料を請求したいくらいだと思う様になった。

この時点でもうZOZOTOWNでは買い物はしないだろうなと思った。個人的な見解だが、エンジニアが疲弊しているとわかっている会社のものは買いたくないと思うからだ。最初から社長の思いつきでセンサー付きの高価なスーツを無料配布しようというつもりになったのだろうが、それができなかった。そこで光学的に読み取ろうとしたのだろう。でも、もしそれをやるとしたら背景を白バックにするなどして距離を正しく区切ってもらわなければならない。エンジニアなら「そんなことは無理」とわかっていたはずだし、カスタマーサポートに力があれば「お客さんにそんなことはさせられないからオンサイト(実際の店舗)」でもやりましょうという提案くらいは出たはずである。

さらに不信感に追い打ちをかけたのがTwitter対応である。「できない人が大勢いるんですね」とつぶやいたらアプリをアプリをアップデートしろというレスポンスが来た。そもそもコンタクトセンターが「お客様の機種は対応していない」と言っているのだから、場当たり対応にもほどがある。

なぜこの様な状況になっているのかはわからないのだが、前澤友作社長の派手好きな性格にも問題がありそうだ。高価な絵を買ったり、野球チームが欲しいと言ってみたり、芸能人と付き合って「宣伝だ」とばかりにインスタグラムに載せて問題になったりしている。

ZOZOスーツは100万件も注文をもらったというアナウンスだけが大切なのであり、実際に利用できる人が少なくてもさほど問題にならないに違いない。こうしたリーダーシップだと現場が疲弊しそうだが、とにかく話題にさえなれば良いのだから、現場もあまり気にしていないのではないかと思われる。ただ、ネットは炎上の危機がありそれだけは怖いのだろう。

柳井会長は日経の記事の中で「ものづくりの背景がない」ことを限界だとしている。製品のできが悪ければ成長もみこめない。つまり実際のスーツやジーンズなどのデザインがいまいちだというのだ。実際にはIT産業としてもあまり実業に関心がなさそうである。話題先行型の企業なので、マスコミの評判で話題先行型のマネジメントをせざるをえないものと思われる。

ただ、後になってよく考えてみたのだが、そもそも中高年はZOZOTOWNのターゲットではないので「企業はお客さんのことを考えてきちんと対応しなければならない」という価値観をどの程度重要なのかはわからない。「お客さんの顔を見ていない」という批判はできるのだが、バブルの時代にはそんなアパレル企業はいくらでもあった。それでも認知されてさえいれば国内では通用してしま。つけを払うのは後になってからだが、その間の時間を十分に楽しめば良いとも言えるのだ。

ZOZOTOWNの場合大学生の認知度は高い。ファッション雑誌に「WEARISTA」のコーナーもあり憧れの対象になっている。WEARなどを使ってユーザーが作ったコンテンツをきっかけにネット経由で客を集めているので宣伝広告にはあまり問題がないのである。今ではPinterestにも情報が流れておりネットでファッション検索をすると必ず最後はZOZOTOWNに行き着く。ターゲットになっている人たちはスタイルに問題がない上にきちんとしたスーツをあつらえる機会はそう多くない。だからオーバーサイズのアイテムを着てもそれほど問題にはならなず、したがってスーツによる計測など最初からいらない。さらに前澤社長がしょうしょう「おいた」をしてもそれほどブランド価値が毀損しないのである。

問題は多分「成長のために次のステージに進まなければならない」とか「いずれは世界にでなければならない」せっつく大人にあるのではないかと思った。