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ズボンにシャツを入れるのはどうしてダサくなったのか

先日、Men’s NON-NOの1989年3月号を手に入れた。当初の予想通りゆったりとしたスーツを着ている人が多い。そもそもスーツを普段着にするというのは今ではありえないことでバブルを感じさせる。当時の人にこれが贅沢品だという認識はなかったはずだが、経済状況が悪化し、2009年にはユニクロでもいいのではないかという「ユニバレ」が提唱されそのまま定着してしまった。

当時のスタイリングで特に目を引くのは腰よりもかなり上にあるパンツだ。シャツはほとんどすべてがたくし込まれており、中にはトレーナーを中にたくし込むコーディネートさえある。当時はこれが当たり前だったのだ。

面白いことに2004年のMen’s NON-NOを見てもシャツはたくし込まれており、2008年になるとシャツが外に出ている。つまりMen’s NON-NOだけを見るとシャツを出すようになったのは2004年から2008年までのどこかということになる。古い雑誌はオークションで落としてくるしかないので、この間に何があったのかを連続して調べるのはちょっと難しそうである。

そこで目を移してインターネットの記事を調べてみることにする。タックインという言葉を時代を区切って検索するのだ。すると面白いことがわかった。2003年以前にはタックインという言葉はあまり一般的ではなかったようなのだが、2003年から2005年頃に突然と語られるようになる。どうやら秋葉原と結びつけて語られているようである。当時のアキバコーデについての認識はこんな感じだがこれはオタク差別としかいいようがなく、胸が傷んだ。

この認識が全国的に知られるようになったきっかけは脱オタクファッションガイドのようだ。ここでオタクはチェックのシャツをたくし込むという偏見が一般化してしまったらしい。そこで「シャツをタックインするのは」オタクみたいで格好悪いということになったのだ。その頃のオタクは気持ちの悪い存在とされていた。バブル期のオタクは差別の対象で、1988年から1989年に起きた宮崎勉事件などが記憶に残る。当時の世間はイタリア製やDCブランドのスーツを着て浮かれていたので、想像の世界に引きこもっているオタクは差別されたのだ。

大学生の当時妙に優しい先輩から紹介された経営学部の友達に渋谷のマルイに連れて行かれたことがあるのだが、今から思うと「服装をなんとかしろ」ということだったのだろう。だが、当時は気にさえしなければ特に自分たちの存在がおかしいとは思わなかった。Twitterはないので、世間がおっかけてくるということはなかったし、テレビは別世界の出来事だと思っていた。W浅野などが出てくるトレンディードラマを見ていた記憶はあるのだが浮世離れした恋愛ドラマを見て「あれはテレビだろう」と思っていた。

だが時代は徐々に変わってくる。「脱オタク」が叫ばれた当時は、2チャンネル発の小説「電車男」(参考資料:電車男 スタンダード・エディション [DVD])が話題だった。出版は2004年で「シャツをタックインするオタク」という像は山田孝之が広めたのかもしれない。さらに「オタクは差別される」という認識が一般化し「脱オタ」しなければならないというプレッシャーが生まれたのではないだろうか。何らかの理由でトレンドと一般が接近したのかもしれないのだが、景気が良かった時に許されていたサブカルチャーの存在が許容されなくなってきてるという事情があったのかもしれない。

個人的にはビジネスでアルマーニなどを着ていた。バブルの記憶を引き摺るソフトスーツだがこれにTシャツを合わせることもあった。つまりやはりトレンドからはズレていて「アルマーニ着てればオシャレなんでしょ」というマインドを持っていた記憶が残る。故に世間で何が流行っていたのかという記憶が全くないし、私服は今から思うとひどい格好だったのだが、渋谷西武などで服を買っていたので、今でもD Squared2などの「何でそんなブランドを知っているのか」というような服を持っている。

その後、ジーンズのローライズ化が進行し、一旦裾が広がり男性っぽいシェイプが好まれるようになる。その間もシャツをズボンに入れるのはオタクだという認識が強かったようだ。意外なことに2008年の2チャンネルには「シャツをズボンに入れるのはメンノン厨だ」という書き込みが見られた。また、メンズクラブはシャツインでもかっこいいという書き込みがあり、ファッション雑誌と一般が必ずしもリンクしていなかったことがわかる。つまりファッションとしてはかっこいいが普通の人は真似できないという認識があったようである。ジーンズはスリムストレート化が進行する。アバクロの銀座上陸が2009年だ。

2009年にはシャツをインしてはいけないのではないかという人がいる一方で、エディ・スリマンはタックインでもかっこいいではないかという記述が見つかった。この記事では流行としては遅れている(別の言い方をすると教科書的な)SMARTはタックアウトが主流とされる一方で、ハイウエストにタックインはやめたほうが良いという記述も見られた。さらに昔はシャツをタックインすることが秋葉系で今はシャツの裾を出しているのが秋葉系(電車男以降)とも書かれている。この間わずかに5年であるが、個人的な記憶と合致する。つまり、ラガード層も一足遅れで流行を追いかけるのだ。

ところがこの頃からMen’s NON-NOはタックアウト化が進展し始める。2008年のものでは短い丈で切り落としたようなシャツが増えてゆく。タックアウトされたシャツはやがて裾が長くなり最近ではロングシャツを合わせるというコーディネートも出ている。

このように一般と乖離していたトレンドだが、画期的な動きが起きる。2009年にユニバレという言葉が出てきた。ユニクロはマス層が着ていて無難な「教科書的な」服装だが、これが全国的に展開され「もうトレンドは追わなくて良い」ということになったのだ。

服に興味がない人が服を勉強しようとすると、渋谷のマルイに行ってトレンドを観察した結果、これは難易度が高いなあと考えて、その中にある無難なものを選んでくるという過程を辿るのだが、ユニクロに行けばそういう苦労はしなくて済むようになった。だが、当時はユニバレを避けるためにインナーだけをユニクロ二するという人が多かったようだ。つまりアウターはまだ既存の服が選択されていた。これもなし崩しになりやがてはMen’s NON-NOすらバリュー服の特集を組むようになる。

自分で撮影した2011年の秋葉原の写真をみるとシャツは外に出してる人が多かったが、これはこれで格好が悪く見える。秋葉原に集まる人は肥満体型の人が多いからだ。逆にどんな格好をしてもだらしなく見えてしまうのである。

さらに5年程度たつと状況がまた変わっている。2014年にはシャツをタックインしてドン引きしたという女性の声が語られており、2013年のMen’s NON-NOはタックアウト全盛である。しかし、その後「モデルたちは次のスタイルを実践している」というような特集が組まれる。古着を使ったビンデージ風コーデが好まれててタックインした服が選択されだす。2015年には、タックインするとカジュアルファッションが格上げされるというような書き込みが見られる一方で、スタイルが悪い人がやると様にならないというようなアドバイスが見つかった。

現在では状況が完全に逆転しており、スタイルがいい人はハイウエストの服をタックインするが、スタイルが悪い人は足の短さがバレるのでシャツを出してシャツとパンツの境目をごまかしたほうが良いのだというように理解されることが多いようだ。1989年にはみんなタックインしていたのだからおかしな話なのだが、タックインが「憧れの対象ではあるが、普通の人はちょっと真似できない」という位置付けになっている。

また、数年前まではファストファッションすら戸惑っていた人たちが古着を選択するようになっている。つまりデフレがどんどん進行しており、アパレルそのものがトレンドから遠ざかって行くという動きが見られる。するとトレンド側が一般を追いかける(つまりモデルが古着を着る)という動きが見られるのだ。

シャツをタックインすると格好が悪いとされたのはスタイルの悪いオタクの人たちが流行がわからないまま取り残され、それがメディアで誇張されたからなのだろう。それが一般常識化して固定したのだと考えられる。しかし、後発層がキャッチアップすると今度は逆転現象が起こる。つまりファッションにはトレンドセッターだけでなく、逆トレンドセッターのような人たちがいる。しかし、そのどちらでもない人たちも存在し、そのどちらでもない層を追いかけて古着屋が増えるとトレンド側が古着を追いかけるようになるといった三極構造になっているのではないかと考えられる。

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