最近、YouTubeで20代のファッションの研究をしている。BEAMSが「ハズし方」について研究しているコンテンツがあった。最初は「なるほどなあ」と思いながら見ていたのだが、だんだん怪しくなって来た。多摩川でダサいおじさんファッションを見てそこからインスピレーションを得ていると言い出したからだ。
嘲笑される側のおじさんとしていい気分ではない。
まずこのビデオによると「ハズす」はあまり表立って自慢できることではないらしい。参加者たちはアラサーと呼ばれる年齢層だが三人とも「ハズし」について解説するのは気まずいと言う感じだった。
お笑いタレントが自分たちのギャグがなぜ優れているのかを解説するのに似ている。
だが、話はだんだん怪しい方向に進み始める。彼らにはどうやったらファッションが整うかということが十分わかっているという認識があるのだろう。ファッションがわからない人を観察して「ずれている要素」を探すのだという。そしてその題材になっているのが多摩川を散歩しているイケていないおじさんたちなのだ。
確かにおじさんたちは大抵有り合わせの格好をしている。色のきれいなアイテムをみて「これはいい」と思うと全体のコーディネート度外視して組み入れてしまう。どうやらそれが嘲笑の対象になっている。
かつての大人は憧れの対象だった。だが憧れは消失しおじさんは単なる笑い者になっている。最近では「おじさん構文」という独特の構文も若者のネタになっている。「女の子」に大人が媚びる様子を面白おかしく再現したのがおじさん構文である。援助される側が「我慢して聞いてあげている」という鬱屈感もあるのかもしれない。本当は憎んでいるがおじさんが社会を支配しているのだから表向きは褒めてあげなければならないという閉塞感の漂う世界だ。
ところがこの話はこれでは終わらない。このおじさん臭さに「味がある」ということになっているようだ。「いい意味でダサい」という専門の用語までできている。それが「いなたい」だ。「いなたい」の語源は必ずしも明らかではないそうだが、田舎+野暮ったいという言葉が合わさった用語だという説が一般的だそうだ。起源は定かではない。
プラモデルの用語にウエザリングという言葉がある。雨ざらしになった車の塗装などをわざと再現する汚しの技術のことだ。ファッションでもジーンズなどをエイジングする「育てる」という文化がある。同じようにおじさんのくたびれた様子も「いなたさ」ということになる。
もちろん基本あっての「いなたさ」だ。基本からちょっと外れてみせるから外しなのであって、全身が「いなたい」人は単にくたびれたおじさんということになってしまう。また全体を昔風のルールで統一すると今度は「若作り・90年代コスプレ」とになる。これは別の意味で痛い。
この「いなたい」という言葉の語源について聞いたところ、面白い情報があった。もともとはアメリカの南部の田舎臭い骨太ロックを褒める形容詞だったそうだ。だがサザンオールスターズの1982年のアルバムに収録されている小林克也さんについて歌った歌にいなたさを揶揄する表現が出てくるというのだ。つまり音楽業界では割と古くから使われていたことがわかる。
ファッション用語として一般化したのはずいぶん後なのだろう。2018年のブログにいなたさについてのエントリーがあるが起源は良く分からないものとして記述されている。ただ、今でもMen’s Non-noの記事にはよく使われていてビデオでも言及されている。
おじさんが「いなたさ」を模倣しようとすると若者に混じりたがる痛いおじさんということになってしまうが、実際のおじさんたちはあまり若者には興味がない。ユニクロなどを使った「失敗しないファッション」の解説がある一方で贅沢な素材を使った「モテ」を目指すファッション指南のコンテンツなどが見られる。「モテたいから10万円のスーツを買います」というような売られ方をしていておじさんの方が欲望に忠実だということがわかる。こちらにはお金を持った人たちもいるわけである。
若者とおじさんの境目は意外と早くくる。このビデオに出てくる人たちはもうすぐ30歳だがやがて「おじさん」という自己認識になるはずだ。すると今度はいなたさから卒業して清潔感を目指すことになる。実はその先が極めて長いということを知るのはずっと後のことだろう。