ネトウヨと竹の子族の共通点についてもう少し考える

前回、政治はイデオロギーからファッションスタイルになるべきなのではと書いた。思いつき議論だったのだが意外と楽しんで書くことができた。

その中に出てきた竹の子族は最初はサブのテーマだったのだが書いているうちに面白くなってしまい最終的にはタイトルに格上げされた。ネトウヨはよくヤンキー文化と比較されるのだが、竹の子族と比較すると色々と面白い類似点が出てくる。リテラシーやセンスのない人たちが自分を大きく見せようとすると「ああなってしまう」という共通点がある。ネトウヨは間違った歴史観をどうどうと語り、竹の子族はいっけんきらびやかな化繊の洋服を着ている。だが、どちらもある意味「こけ脅し」である。

今回は少しだけ竹の子族について調べてみたい。竹の子族は原宿の歩行者天国で踊りだした人たちの総称で多いときには2000人くらいが50人程度の小集団に別れていたとされている。きらびやかな化繊の衣装にはハーレムスーツという名前がついており、これを売り出した店の名前がスタイルの名前になっているのだそうだ。(ファッションの歴史 竹の子族の歴史)これがテレビで紹介され多くの観衆を集めて社会現象化した。

書籍「東京ファッションクロニクル」によると、竹の子族は新宿や六本木などのディスコに入り浸っていた未成年が母体になっているという。大人の真似をしていたが未成年だということが露見してストリートに追い出されたのである。この本において竹の子族は「1970年代のファッションの大衆化」の一番最後のトピックになっている。ストリートと文化が一体化していた最後の世代である。

1980年代にはカラス族、渋カジなどの別の「族」が出てくる。これまでは東京のエリアとスタイルが結びついていたのだが1980年代になると雑誌などの媒体がスタイルをまとめるようになった。続く1990年代には「本物の」洋服が入手できるようになったが、西洋向けに作られたものをぶかぶかのままで着ていた。こうしたファッションのトレンドは21世紀になると消えてしまう。東日本大震災が起こる頃にはトレンドそのものが消えてしまうのである。デフレでファッションが売れなくなったという人もいるが、それぞれがアーカイブの中から好きなファッションを選ぶという個性化の時代に突入したとも考えられる。

昭和のファッションが族になるのは帰属意識があったからである。今風の言い方をすればアイデンティティということになる。つまり、街や集団に相応しいスタイルがあり、そこにいけばスタイルの一部になることができたという時代である。1970年代は音楽や街が帰属意識と結びついていた。1980年代になると「デザイナー」や「ブランド」という別の帰属意識が生まれる。最終的に行き着いたのは「それぞれが好きな格好を選択する」という時代である。つまり、ファッションは2010年代頃から「個人主義」の歴史が始まると解釈することができる。人々は少なくともファッションにおいては集団に頼らなくてもやって行けるようになったのである。

その意味で日本の今の政治状況は昭和のファッションに似ている。政党という集団があり、そこに帰属することで所属欲求を満たすといえるからだ。前回までは家産共同体という実用的な側面から日本の政治を見たのだが、今回は、安倍首相を応援して見せることによって所属欲求を満足させていると解釈している。対するリベラルは野党の再編が進まないために所属欲求を満たすことができない。これが「共産党と組んででも安倍首相を倒すべきだ」という苛立ちにつながっているのだろう。

竹の子族ファッションの特徴は「和風」ということであるが決して着物ではなくどことなく暴走族の衣装に似ていた。シルエットはだらしなく着崩されており、派手な色の化繊を使ったステージ衣装の色合いが強かった。昭和の若者は今よりも貧弱な体つきをしており体型を隠す必要があったのだろう。また服飾に関する知識はなかったが化繊を使えば安くてビビッドな色を出すことができたので、あのような衣装になったものと思われる。チームによって意匠が違っていたそうである。だが、こうしたファッションに観るべき価値はなくのちの世代に継承されることはなかった。

竹の子族は「和風ではあるが決して本物の着物ではない」。反社会勢力から不良までアンダークラスの人たちがなぜ和風の衣装に惹かれるのかはよくわからないのだが、服飾に対する知識がないので安易に「伝統」の持っている威厳に頼ろうとしたのかもしれない。一方で和装と洋装の統合に成功した人たちもいる。パリコレには和装にインスパイヤーされた衣装がたびたび発表されており人々の関心を惹きつけている。色数を制限した「シックさ」を体現した衣装はのちに「カラス族」と呼ばれる別の種族を生んだ。彼らは正しく和装を理解して洋装に取り入れている。だが、結果的には竹の子族もカラス族も絶滅してしまった。

竹の子族は個人の力を信じていないので集団で均一化した振り付けで踊っていた。これも政治家の意見をコピペして騒いでいるネトウヨに似ている。

一人ひとりは地味であまり技量もないのだが集団で集まることによってそれなりに見えるという仕組みになっており、それを眺める人がいるという構造があることがわかる。こうした戦略はAKB48や「モーニング娘。」にも引き継がれている。モーニング娘。はもともとはオーディションに落ちた人たちの集まりだが、オーディションに合格した人たちよりも人気が高かった。

これも実は特異な文化である。ヨーロッパ演劇ではコーラス(もともとギリシャ演劇のコロスに由来する)はメインキャストと厳密に区別されている。韓国のボーイズバンドでもメインになる集団とサブの踊り手たちは衣装で区別される。ところが、日本ではEXILEのようにバックダンサーがメインのパフォーマーに格上げされたりAKB48のようにもともと区別されないという文化も並存している。日本人は個人よりも集団が群れているのが好きなのである。

さらに、実は踊っている人たちよりも周囲で見ている人たちの方が多いという特徴もある。個人に技量がないので個人では輝けないのだが、実際には踊ることもしない大勢の人がいて「本格的な人たちよりも親近感が持てる」といって群舞を支持するのである。

よく日本は集団主義だなどというのだが、日本の集団には強力なリーダーはいない。何となくみんなが集まってそれをみんなが眺めるという核のない共同体である。ファッションという文脈でいうと「西洋流の洋服はなんとなく敷居が高い」ので伝統に回帰しようとしたが結果的に自己流になってしまったということになる。つまり、個人の自信のなさが伝統につながっているのだが、かといって伝統も理解できていないので自己流に解釈しているということである。

EXILEのようにパフォーマーが技術を磨くことでメイン化する例もあるが、ただの群舞に終わってしまう集団は周囲から見るととても「ダサく」見えてしまう。だから周囲には広がらずそのまま衰退してしまうのだ。竹の子族が衰退していったようにネトウヨもやがて衰退する運命にあるといえるだろう。ネトウヨ的言動を磨いて思想化するという動きはないからだ。

これといった伝統がない地域が伝統的な街のイベントを復活させようとして広まったものに「ヨサコイ」がある。地域おこしのために作られたB級グルメのような伝統である。ヨサコイの衣装にもどことなく特攻服的な匂いがある。フリーで利用できる和風の柄を使い体型を隠すためにダボダボに作られているから同じようなものになるのである。だが、竹の子族の衣装と比べるとかなり整理されて様式化されている。ダンスとして個人の技量は必要とされないので、スターヨサコイプレイヤーが出てきてセンターで踊るというようなことはない。ヨサコイという和風な名前がついているがひらがなのよさこいではない。日本の「保守」の伝統も実はカタカナの「ホシュ」なのかもしれない。

竹の子族が出てきた1979年というのはバブルの入り口にあたる。同じ頃に出てきたのがDCブランドブームである。個人がデザインの入った洋服を劇場化した渋谷の街を歩くというような文化が生まれるのだが、これに乗れなかった人たちが少し外れた原宿に集まったのだろう。

日本はすべての人が同じ生き方をする時代が終わり、一人ひとりが個人の政治的意見を持たなければならなくなってきているのだろう。それに乗り遅れた人たちが乱暴な意見を「自分を大きく見せることができる」として支持しているのがTwitterにおけるネトウヨ的言動の正体なのではないだろうか。多分、こうした派手な言動は放置していればやがて消え去ることになるだろう。第一に自身のなさから出てきた擬似思想なので自信がつけば誰も支持しなくなる。さらに、集団で群れれば群れるほど異様さが際立つようになる。

ただ、自民党にこうしたネトウヨ議員が集まるという点については注意深く見守らなければならないのかもしれない。安倍首相には統治の意欲や見識がない。この意欲や自身のなさが同じように政治的意見を持てない人たちを引き付けるのだろう。つまり、自民党が自ら進んでスラム化していることになる。スラム化が進めば進むほど普通の人は自民党を放置するようになるだろう。一部では政策論争を避けるために周辺候補を恫喝しているという噂もある。安倍首相は政策論争では石破茂に負けてしまうので周囲を威圧して権力を手に入れようとしている。いわば竹の子族がパリコレに殴り込みをかけるようなものであろう。そして、代々木公園の群衆に支えられた自民党はパリコレに勝ってしまうのである。

やがてこの政治的な虚しさは解消されるのだろうが、その後に出てくるのは多分「本格的な政治」にはならないのではないかと思う。日本人にも有名なデザイナーがいてヨーロッパでも高く評価されている。だが、日本人が選んだのはユニクロだった。ただ、ユニクロが悪いというわけではなく、人々が「自分の思うようなスタイルが選べる」ことになり、過激で不恰好なだけのスタイルはかつてのようには流行しなくなった。こうして一人ひとりがリテラシーを高めて行くことによって、過激な意見が抑えられることになるはずである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です