ざっくり解説 時々深掘り

男性向けファッション雑誌の動向

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このところ、男性向けファッションについて調べている。ネットでも情報が集められるわけだが、やはり雑誌だろうと思った。
そこでどの雑誌が売れているのかと思い情報を調べた。情報はすぐに見つかった。雑誌の売れ筋をまとめている人がいるのだ。このまとめによると、最近最も売れている雑誌はSafariらしい。2008年には50000部しか出ていなかったが、最近では20万部近くにまで増えている。一方、若いころに有名だったMen’s Non-noは以前は20万部以上の売り上げを誇っていたが、13万部を割り込んでいる。ラグジュアリ系のLeonは1万部程度増やして8万部近辺を推移している。

Men’s Non-noはなぜ落ち込んだのか

この中でMen’s Non-noの購読者は落ち込んでいる。なぜ落ち込んだのか、いくつかの仮説が立てられる。一つ目の仮説は雑誌が読まれなくなっているのというものだが、Safariは伸びているので必ずしもそうではなさそうだ。次の仮説は若者にはお金がないか、ファッションに興味がないのだという仮説である。必ずしも否定はできないが、実際には「別の経路で情報を得ているから」という仮も立てられる。たとえばWEARなどがアプリで情報発信をしている。こうした情報媒体を使えば無料でいくらでもファッション情報を得ることができる。最後にまだ仮説が発見できていないという可能性もある。

既存の情報経路の再利用で生き残るSarafi

もともとファッションはデパートが紹介した流行を大衆が模倣するという方法で日本に紹介されていた。そのもとになったは海外のセレブたちの流行を海外の仕立屋が形にしたものだ。そのうち、映画を使って流行が作られるようになった。日本のテレビが海外のスタイルを輸入して日本人のスターに着せてから日本に広めるという方法も取られた。総括すると、海外のコミュニティの憧れのライフスタイルを輸入するというのがファッションなのだ。
Safariはこの伝統をうまく使っているのではないかと考えられる。違いは、情報を直接仕入れているというところだ。また、Safariの読者層は過去の習慣から雑誌で情報を取るという経験が残っており、スマホでの効率的な情報収集に慣れていないという可能性も高い。

そもそもファッション雑誌はどれくらいの地位を占めているのか

ファッション情報の入手経路を調べた調査はそれほど多くない。ネットではインターネットで女性に調査したレポートが出回っている。この調査によると依然30%弱が情報収集のために雑誌を購読しているようで、雑誌の地位が落ちているとは言い切れない。しかし、購入の際には何を参考にするかという別の調査によると「ネット」という回答が返ってくるそうだ。普段は漠然と情報収集をしており、買うときにはネットで吟味するという方法がとられていることになる。ただし、こちらはOLに対する調査であり、すべての購買者向けの調査ではない。Safariが健闘しているという点を考慮に入れると「雑誌が滅びた」というのは間違った見方かもしれない。ただ、雑誌が「購買」というのとは別の目的で読まれている可能性はある。

ものへの関心は薄れているかもしれない

一方で面白い視点もある。LINE世代という人たちを研究した結果である。この調査によると、ファッションへの関心は高いものの、洋服に対して興味があるというわけではなく、経験をするための小道具として洋服が利用されているという洞察だ。思い出はパーソナライズされた特別なものでなければならないのだから、当然洋服も特別のものである必要があるということになのだが、シーンの一部なのでコードから外れてはいけない。
テレビからも情報を得ているようなので「テレビは死んだ」ということでもないらしい。面白いのは「雑誌には情報の押し付けがある」という意見だが、イヤだったらフォローを外せるSNS世代ならではの感覚だろう。
Men’s Non-noは伝統的なファッション雑誌なので、主役は洋服だ。そのため、体の線が細いモデルたちが大量に採用されている。こうしたモデルたちはどんな洋服でも着こなすが、何枚も洋服を着て体の線を作らないとビジュアルが成立しない。人間性を排除したのがMen’s Non-noなのだ。人気モデルの坂口健太郎は当初はアスリート体型では撮影に呼ばれず10kgほど減量したのだそうだ。
その裏にいるのが洋服が好きなスタイリストである。毎シーズン市場に出回る服をどのように組み合わせようかということに関心があるのだろう。ワードローブを構成するという企画があるのだが、いろいろなアプローチでワードローブを構築しており、熟読するととても楽しい。つまりMen’s Non-noは服好きのために服好きの人が作る雑誌であると定義できる。これを「押し付けだ」と感じる人もいるだろう。

ものを買う動機は多様化している

一方で、情報取得通路は多様化し、洋服を買う動機も多様化しているようである。これが「ファッション雑誌」の相対的な地位の低下に結びついているのではないかと考えることができる。少しあげただけでも様々な動機が考えられ、それぞれ働き掛けが違うことになる。

  • 自分の体のきれいなところを強調する。人間が主役なので洋服そのものはできるだけシンプルな方が良い。
  • 思い出作りの小道具として利用する。できるだけ安くて見栄えがよい方がよい。みんなから外れているのは良くない。ある期待があるので、相手にも同じような規範(モテコード)を求める。女性にとっては男性も小道具なので個性的過ぎるのは良くない。
  • 作られた製品としてのディテールを楽しむ。モノやデザイン志向になる。
  • 贅沢品を見せびらかす。誰でも知っている高級ブランドであることが求められる。
  • チームであることを強調する。洋服よりもコミュニティの方が大切。
  • 憧れの人を模倣する。インスタグラムなどを使って情報を集める。

ネットが台頭してきているからといって、毎日安売りのクーポンメールを送りつけても誰も見てくれないのは仕方がないことなのかもしれない。
この服に埋没してゆく感覚というのはよく理解できる。たとえばデザイン作業をやっていると、色使いやユーザビリティというものが「絶対」のような気がしてくるわけだが、実はそれを排除してみるということが必要になってくるはずなのである。
その意味では「作る人」と「売る人」は分離していた方がよいのかもしれないし、両方を経験すべきなのかもしれない。対象物に近すぎると視点が限られることになるからだ。