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ファッション写真の右と左

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ファッション写真を見ていると、右脚に重心をかけて立っているケースが多いように思える。特にカタログだとその傾向が顕著だ。だんだん気になって右と左について調べてみることにした。

ファッション写真に携わる人はアートの歴史について学んでいるはずだからという理由で、まずはギリシャ彫刻について調べた。

7世紀中頃から前5世紀前半にかけて制作されたクーロス(青年像)は左脚を前に出しているが、体重は均等に乗っている。このころの神の立像も重心は均等になっている。シンメトリーな方が神々しく見えるからだ。仏像もギリシャ彫刻の影響を受けているのだが、仏像は今でもシンメトリーである。あまり派手なポーズがついた仏像を見たことがある人はいないのではないだろうか。ありがたみが薄れるからだと考えられる。仏像が左右対称性を崩す場合、顔は大抵怒っている。荒々しさを表しているものと考えられる。

ところが、彫像の対称性は徐々に失われる。どちらかに重心がかかったポーズをコントラポストといい、紀元前480年ごろの「クリティオスの少年像」が初出だと考えられている。足部が失われおりどちらが支脚なのかはわからないが、左脚が支脚になっているものと思われる。筋肉の動きを見ると体重の乗せ方も均一ではないそうだ。

紀元前360年の「幼児のディオニュソスを抱く神ヘルメス」では、右脚が支脚になっている。左側に開いており、左に支えが置かれている。時代はアルカイックではなくヘレニズム期に入っている。ミロのビーナスも右脚支脚で左側(画面でいうと右側)に開いている。ギリシャ世界では神に人間味を与えた方がより信仰されるだろうという考え方があったのかもしれない。

しかし、このポーズは運動機能的な利き足を模写しているというわけでもなさそうだ。例えばディスコフォロスではディスクを左手に持つので、左支脚になっている。ドリフォロスではは槍を左手に持って右支脚になっている。

いずれにせよ、コントラポストは右支脚が基本になっており、これがローマ時代に盛んに模写されることとなる。こうしたお手本をカノンというのだそうだ。

だが、ファッション雑誌において、右を支脚にし左を遊脚にするという厳密な決まりごとはないようだ。同じ側ばかりだと退屈になってしまうので、時々入れ替えたりしている。また日本にはギリシャ彫刻の影響はそれほどないようで、日本のモデル事務所の場合ポートフォリオの写真がほとんど左支脚になっている人もいた。

さて、写真の中には脚を肩幅に開き均等に立っているものもある。正三角形が作られるので安定して見えるのである。ここで変化をつけるために体をどちらかに傾けることがあるのだが、左(画面で見ると右になる)を前にしているケースが多いように感じられた。似たようなポーズはボクシングで見られた。右利き選手の場合、パンチを打つ方の手が奥になり、左を前にしたスタンスになる。写真の場合殴り合うわけではないのだが、自然に左側を前にする(正確には利き手側を奥にする)ということになるのかもしれない。

演劇には上手・下手という表現がある。画面で見て右側が上手だという。優位になっている人は上手におり、劣位の人は下手にいるという約束事があるそうだ。登場人物は大抵上手から出てきて下手に下がって行く。ということで写真でも優位にいる人を画面で見て右側に置くことがある。スティル写真でも左にスペースを開ければ登場人物を引き立てつつ背景を説明することができる。

しかし、これもすべての演劇がそうというわけではない。例えば、戦争という運命に翻弄される「肝っ玉おっかあと子供達」では、巡回馬車は画面の右に向かって進んで行く。スーパーマリオブラザーズも左から右へと動く。このようにして少なくとも演劇では左右は重要な意味を持っていて、知らず知らずのうちのその常識を受け入れている。

こうしたテクニックはインスタグラムの写真などでも使える。例えば悲しい感じや圧迫された感じを出したければ、左から右へと上がって行く背景を選び左側に立つことで、圧迫感を演出することができるだろう。こうすると画面の左下にいるような印象を与えるからだ。逆に右側に立って(写真を撮る時には左側に立つことになる)左画面を解放すると、その場所に到達した達成感を表すことができるかもしれない。

政治ポスターでもこうした左右が使い分けられている。アベノミクスで困難に立ち向かうというポスターでは安倍首相は画面の左側にいて右上を見ている。一方で首相として権威付けたいときには画面の左が解放されているという具合だ。本人が意図していないものもあるかもしれないが、そう見えてしまう。

「民衆を導く自由の女神」でも市民は画面右に向かって進んでおり、中央よりやや右側に自由の女神が立っている。これは苦難に立ち向かう市民というようなニュアンスがあるのかもしれない。

Es Lebe Deutschland(ドイツよ永遠に)で検索するとヒトラーの画像が出てくる。この絵はハーケンクロイツを掲げて画面の中心に立ったヒトラーの背景に翼のような物体があり後光が差している。天に守られて前進するヒトラー像というものを演出しているのだろう。

このように画面の左右中央と上下を使い分けることは政治的プロパガンダでもよく使われている。私たちはこうしたメッセージに知らず知らずのうちに従っているのである。普通に構図を切っている分にはあまりこうした類型にはまる可能性は低いかもしれないのだが、知らないうちにはまってしまうことがあるかもしれない。逆に、意図的にこうした構図を利用することで面白い写真が撮影できることもあるだろう。

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