バラバラに買ってきた洋服の整理をしている。「セレクトショップ系のものが目立つな」と思ったのだが一体何がセレクトショップなのかがわからない。そこでセレクトショップについて調べてみた。
もともと戦後の日本の男性ファッションの歴史はヴァンヂャケットあたりから始まる。アメリカのIVYリーグのファッション(ブルックス・ブラザーズのことらしい)を持ち込んで国内生産したというのが始まりだと思う。代表の石津謙介さんはメディアにたびたび登場しTPOという言葉を定着させた。だがヴァンヂャケットは1970年代半ばごろから急速に業績が悪化し1978年に倒産してしまう。皮肉なことにあまりにも好調すぎたため経営を急拡大させたことが倒産の原因だったようだ。つまり大きすぎて潰れてしまったのだ。
その頃に登場したのがBEAMS(1976年)やSHIPS(1975年)である。BEAMSはもともとダンボール製造の会社だったそうで今でもグループ会社にダンボールを製造しているところがある。当時創刊したばかりだったPOPEYEと個人的なつながりを作り西海岸から仕入れてきたものを雑誌で紹介しそのまま売るという業態の店を始めたという。選んできて売るからこれを「セレクトショップ」と呼んでいる。もちろん和製英語なので英語としては通用しない。
ヴァンヂャケットとセレクトショップの違いは二つあるように思える。国内で再解釈されたものを生産せず向こう(西海岸)で売れているものを直接持ってくる点と石津さんの個人的資質に頼らず雑誌を通じた宣伝ルートをルーチン化した点である。
おそらくPOPEYE創業時代の話などを書いた読み物はいくつか出ているのだと思うのだが、この時代に何があったのかを分析したウェブの記事は少ない。定説化されたマクロな分析が出ていないという印象がある。
都市の若者(シティボーイ)のライフスタイルという言葉が生まれたことからわかるように余剰の所得を洋服や雑貨などにつぎ込むことができる学生らが生まれていたことはわかる。この頃のライフスタイルというのは主に洋服のことだった。つまり日本人は外見から欧米の豊かな暮らしを模倣しようとした。
ヴァンヂャケットの時代は見よう見まねでアメリカのエリート層の服装を真似ていた。だが体型的には合わないので日本風にアレンジする必要があった。落合正勝のように「洋服というのはこう着るべきである」という正解を紹介していた人たちもいる。落合のファッション観はいわば「ファッション道」「スーツ道」である。
セレクトショップの時代になるとこれが雑誌を通じた「ライフスタイル」紹介という形に落ち着いてゆく。雑誌の情報量があれば洋服以外の普段の暮らしぶりが紹介できる。そして渋谷界隈に行けばそれがそのまま手に入る。さらに渋谷・原宿は洋服を着て歩く舞台のようにもなっていた。こうして街とライフスタイルが組み合わさった「晴れの日」が作られていったのが1970年代から1980年代である。渋カジというアメリカのライフスタイルを模倣した人たちもいたし竹の子族と呼ばれる独特の格好をした集団も現れた。もともと米軍の住宅地があったエリアだが公園とショッピングセンターが近接していために舞台としては御誂え向きだったのだろう。
だが1980年代になるとこれでは飽き足らないという人が出てきた。それが重松理さんだ。
重松理氏がワールドの支援を受けてBEAMSから独立しUnited Arrowsを設立したのが1989年だったそうだ。「いきなり辞表を叩きつけた」などと書いてある記事がある。調べてみたところ洋服だけではなく衣食住をまとめたライフスタイルを追求したいという重松さんの姿勢が経営と折り合わなかったようである。いずれにせよこの独立により「セレクトショップ御三家」が揃ったことになる。
重松さんにとって不幸だったのはこの時代がバブルの絶頂期だったということだろう。ここでバブルが崩壊しセレクトショップを支えていた比較的時間とお金に余裕があるという層の若者がいなくなる。
高度経済成長期からバブルにかけては若者が海外に憧れ少しでも良いライフスタイルを求めようとしたプラスの時代だった。ところが就職氷河期が始まるとどこを切り詰められるのかというマイナスの時代になる。ユニクロでどれだけ失敗が少ない外見を作るのかという時代になってしまった。
このあとはできるだけ安く・楽に・周りから浮かないようにという脱個性化の時代に向かって進んでゆく。社会が全体で豊かさを追求することはなくなり「個人の成長」という言葉に置き換えられた。
セレクトショップは街と媒体がリンクした生態系を作り出していた。マガジンハウス社の雑誌でライフスタイルを勉強し渋谷や銀座の店を覗くというのが一般的な休日のスタイルだったわけだ。だからファッションにそれほど詳しくなくても渋谷から原宿の途中にあるUnited Arrowsのショップやその先にあるBEAMSなどの店の位置を大体覚えているという人は多いのではないかと思う。
今回色々調べていてセレクトショップ御三家との比較で「新御三家」という言葉があることを知った。だが、いくら調べてもそれがどの会社なのかということはわからない。
駅ビルにJournal StandardやNano Universeという店が入っている。これらのことを指すのではではないかと思ったのだが実はベイクルーズグループという同じグループがやっているらしい。大阪で始まったUrban Researchを加えるとだいたい今のプレイヤーに重なる。
もう少し調べてみると新御三家はベイクルーズグループがセレクトショップ御三家と肩を並べたということを表現するために使われている専門用語でこれといった実態はないようだ。ベイクルーズグループは大きなブランドを作らず細かく管理可能なブランドを複数立ち上げて展開するという手法を採用うしているそうだ。テナント戦略では大資本は必要だがコンテンツとしてのファッションやライフスタイル提案は少人数の方がいいということなのかもしれない。
一方で、かつて御三家と言われていたセレクトショップも格安なラインに手を出している。今回QuoraではヴァンヂャケットとBEAMSの比較について聞いてみた。そもそもBEAMSがセレクトショップだった時代のことは忘れ去られていて「なぜこの二つを比べるのだ?」と疑問視する回答だけがついた。マスコミを使ってライフスタイル提案をしていたという時代を覚えていない人の方が多いのだろう。
WEARなどを見るとセレクトショップであろうがオリジナルであろうが特に区別されているようには思えない。なんとなくゆるっとしていて自己主張がないシルエットが好まれており、このなんとなくの空気に合うものでなければおそらく売れないんだろうなと思える。つまり、ライフスタイルの提案だろうがオリジナルの提案だろうがある程度空気に迎合しないと生き残ってゆけないのだ。期待商品を選ぶのはコミュニティ参加者であってアパレルブランドではない。
一方でYouTubeをみると名物編集者だった人がオンラインセレクトショップの商品を紹介するコンテンツにも人気があるようだ。取り扱われている商品はどれも高額なものだが限定生産にするときちんとビジネスになるらしい。
とにかく作って売るという時代ではなくなっていて、まずはコミュニティを作ってそこに対して商品を売るという新しいスタイルができ始めている。つまり新しい渋谷がネットの中に複数出現していて、そこに向けてマーケティングをするという手法が広まりつつあるのだ。