日本はのび太ではなくジャイアン

NHKの朝の番組でトランプ大統領の機嫌を損ねることなくNOという方法について真剣に話し合われているのを見た。これを見て危険だなと思った。
多くの人は「日本はアメリカに逆らえない」という前提を持っているようだ。だからTPPではアジアの国を引き込んで交渉力を得るべきであるという結論になる。日本が先導してアメリカがアジア各国の市場に参入できるように手助けすればアメリカも納得するだろうという主張が展開されていた。アメリカはジャイアンに例えられ、日本はのび太の地位にあるという認識も共有されていたようだ。
ところが冷静に考えてみると日本の経済力は世界第3位である。つまりのび太だとしても、とてつもなく太ったのび太なのである。では力の方はどうだろうか。実は日本の軍事力は世界第9位程度なのだ。これより上には西ヨーロッパ諸国、ロシア、中国、アメリカ、韓国しかいないという実力である。つまりとてつもなく力が強いのび太だということになる。
つまり、諸外国としてみたら「ジャイアンが近づいてきている」ようにしか見えない。いくら「他国を攻撃するための武器は持っていません」と言っても、実際に実弾が発射できる装備(自衛隊は装備品などと言っているようだが)を見たら「それって人を殺せますよね」ということになって当たり前だ。
日本としてはアメリカに逆らえないからいうことを聞いて、それを他国にもお願いするだけという意識を持つかもしれないのだが、実はジャイアン同士が手を組んでのび太を襲っているようにしか見えていないということである。
こうした自己認識は他国への潜在的脅威になりかねず改めなければならないとは思うのだが、賢い解説委員がたくさんいるNHKでもアメリカが出てくると70年前の感覚を引きずってしまうんだなと思った。思い込みは恐ろしいものだ。

情弱に絡まれたら覚えておきたいルール

面白い体験をした。山本一郎さんが建築エコノミストの森山さんを批判している記事についてコメントしたところ絡まれたのだ。山本さんはいろいろなニュースに首を突っ込んでは話をかき回している。不利な側について話を搔き回す役割を担っているので、誰かが雇っているのかもしれないと思う。
とはいえ、山本さんは形成を逆転することはできないので、情報を足して「なんだかよくわからないなあ」という状況を作り出すというテクニックを使う。リンク先のニュースを見たところ、さまざまな技術的な情報が並んでいて精査が難しくなっている。だが、記事の趣旨はそこではなく「森山さんは怪しい」というものだ。つまり技術情報は飾りである可能性が高いのだ。
ということで、山本さんが通常運転なので「いつものクオリティなんだなあ」と香ばしいようなしょっぱいような優しい目でコメントした。もはや芸と言っても良い領域だし、森山さんが「怪しくない」とも思ってはいない。都の委員を退任されたということで「逃亡だ」という声が出ているのも知っている。だが、それでも山本さんをみると中身というよりも「あ、山本さんが出てきたってことは、豊洲やばいのかな」とか「いよいよ玉切れかな」などと思えてしまうのである。これは仕方がないことだ。
絡んできた人が面白いかったのは「山本さんをdisっているので、当然森山さんの味方であり、と同時に築地推進なんだろう」と思い込んでいるように思えたことだ。つまり「かなりの量の自動類推が働くのだがそれに気がつかない」で話を進めてしまう人が、ネットには結構多いことになる。
そこで「豊洲推進したいんだったら山本さんを出すのはあまり得策ではないですよね」という説得素をしようと思ったのだが「俺は絶対に正しい」との一点張りだった。それだけでなく「お前、俺にチャレンジしてるんだろう」という警戒心が行間からにじみ出ていた。ここでわかるのは「実は豊洲にはそれほど関心がない」ということである。豊洲の移転が白紙になっても別にどうでもいいと思っているが、築地派の意見が通ってしまうのは許せないのである。だから、表題について語っても無駄なのだ。
そこでプロフィールを見に行ったのだが「情弱です」と書いてあった。情報処理に自信がないわけだから「お前リテラシーがないよね」みたいなコメントは火に油を注ぐ可能性がある。そこで「あんな複雑な文章を読んで確信が持てるなんてすごいですねえ」ということにした。すると相手は攻撃する動機がなくなるので、突っかかってこなくなる。実際にそうだった。つまりたいていの人は実は表題ではなく自分にしか興味がないのだ。
つまり最初から豊洲なんかはどうでもよくて「豊洲問題を通じて自分が正しいことを訴えたい」と思っていた可能性が高い。なぜ豊洲問題にそれほどアタッチしてしまっているのかはわからないのだが、小池百合子都知事はいわゆる「生意気な女」カテゴリーなので、それに対する反発があるのかもしれないし、別の理由で自民党が好きなのかもしれない。
この人は明らかに思い込みがあって情報を色々足しながら、結局最終的には「俺を見てくれ」とか「俺を認めてくれ」と言っている。で、それが満たされないと相手に暴言を吐き、妥当しようと試みる。つまり「お前が俺の心理状態を見て、忖度して会話を合わせてこいよ」と言っているわけである。大人の世界では恥ずかしいとされることがネットでは堂々とまかり通る。普段、他人の目が気になってわがままに振る舞えないと感じている人ほど、匿名という安心感から子供返りしてしまうのだろう。
ただ、この人だけが特殊なのではない。例えば、自民党が好き放題しているのは「政治リテラシーが低く政治への参加意識が薄いからだ」と思い込んでいる人たちがいる。彼らはバカだから騙されているだけで、自分たちが啓蒙してやればおのずと野党への支持が集まり自民党政権はなくなるはずだなどと陶酔しているのである。情報は多く出ており、それでも野党支持が集まらないのだからなんらかの理油があるはずだ。が、それは全く考えないのだろう。
つまり情弱という人たちは、情報リテラシーが低いわけではなく、物事の理由を「相手がバカだから」と考えるという点と、信じているソリューションが非常に単純であるという点に問題があるのだ。絡んできた人は「山本一郎が正しいということを証明できれば、女が政治にしゃしゃり出てくることはなくなる」と考えているのだろうし、野党共闘の人たちは「野党さえまとまれば自民党政府は終わる」と信じているのだ。
本当に「やばい」と思ったら、どうにかして状況を変えなければならず、そのためには原因の特定が必要になる。が、民主主義の危機を叫んでいる人たちにそんな形跡は見られないので、実はそれほどの危機意識はないという結論になる。つまり野党共闘を叫んでいる人たちも実は民主主義なんて自然と守られるくらいにしか思っていないのだ。だが、こうした思い込みは社会を健全に保つためにはかなり有害なのかもしれない。

わざわざ政府の心配をしてやることはないのだが……

共謀罪の成立する可能性が高まっているという。多くのリベラルの人たちが監視社会を心配しているようだが、個人的にはあまり心配していない。なぜなら日本社会はもともと相互監視の強い「縛りあいと我慢の押し付けあい」社会だからだ。
小田嶋隆さんが次のように心配している。


これも今でも「警察が職場に来ただけであいつは怪しいのでは」となってしまうのだから、まああまり変わらないのではないかと思う。こういうあけすけな無神経さは今でも一般に浸透している。

が、心配事もある。
もともと、日本の相互監視はかなり高いコストがかかっている。職場では常に居酒屋会議が開かれ、学生はLINEで24時間仲間を見張っている。PTAも監視に忙しいので働いている女性は実質参加できないのだという。
共謀罪の趣旨は、国民を監視して誰も政府に反抗しないようにすることなので、国民全体が監視の対象になるだろう。するとこの監視コストを誰かに担わせなければならない。東ドイツにはシュタージという体制維持のための国民監視網があり、記録も残っていた。しかし記録が残せたのはドイツが比較的低コンテクストの社会だったからだ。
日本は高コンテクストの社会なので、監視は非公式のコミュニケーションルートを対象にしなければならない。情報量が莫大になってしまう。しかし東ドイツが「比較的容易だった」とはいえ、家族の間でも監視が行われていたそうである。日本政府の今の提案では「誰が監視を担うのか」ということが明確にされていない。これは政府に反抗する(政権交代を望んでいるだけの人も含む)があまり多くないからだ。警察だけで対応できると考えられているのだろう。
「メールの盗聴システムもあるから安心」となるかもしれないが、メールやSNSで政府を礼賛しておいて、FAXで政府転覆を働きかけることもできる。逆に偽装工作がしやすくなる可能性もある。やはり、足で監視する人たちが必要になる。が、政府の覚悟は「ぱっと見でわかりますよね」という程度らしい。

しかし、政府にここまでの覚悟と予算があるとは思えないので、捜査機関の規律が乱れて冤罪が乱発されるだけに終わる可能性の方が高い。現行の官僚組織では忖度が横行しているが、その正体は非公式な意思決定なので、管理できなくなり暴走する可能性が高い。
警察はすでに複雑化する政治的犯罪には追いつけなくなっていて、昔暴れていた人たちを監視して「お仕事をしています」というふりをしているだけなので、テロを恐れて一般人に手を突っ込めば10年程度の時間を経て警察の威信は大いに低下するだろう。
すると、国民の大半は警察に懐疑的になる。すると政府の定義ではこうした人たちはすべて一般人ではないということになってしまうので、すべて監視対象になる。さらにそれに反発する人たちが増えるという図式が生まれる。
今、野党に賛同する人が多くないのは、見世物のような政治ショーが時々行われるからである。つまり末端の大臣などを叩くことで溜飲を下げている状態だ。これがなくなれば政府への反発は行き場を失い、政府に反発心を持つ人は増えるだろう。
だが、表立って政府に反抗するのはコストが高いので、国民はあえて反抗はしないだろう。しかし、反抗というのは提案の一種なので、有力な「別の選択肢」を抑えこんでしまうことになる。すると強力な野党や選択肢が生まれない。翼賛体質になり「この道しかない」といって破綻への道を突っ走ることになるだろう。
もう一つできるのは、監視をやめて国民を檻に閉じ込めておくという方法だ。例えばウィグル人が多い新疆ウィグル自治区はそのような状態になっている。しかしこれが成り立つのは資源が豊富にありウィグル人の労働力に頼らなくても資源収奪ができるからなのだ。日本で同じ状況が整いうるかを考えた方がよいのではないか。
共謀罪は国民の内心に政府の泥だらけで汚い手を突っ込むような大いなる挑戦なので、国民を縛り付けられる覚悟があって法律を作ろうとしているのか、金田法務大臣や安倍首相に聞いた方がよいのではないだろうか。

森友問題が盛り上がらない理由を仮説を立てて考えてみた

今日は確かめようがない仮説の話。財務省が森友学園に勝手に安い価格で国有財産を売っぱらっていたことが明確になった。誰が入れ知恵しているのかはわからないが、籠池理事長は財務省を泳がせておいて、持っている材料を小出しに攻めてくる。すると「財務省は今度も嘘をついていたよね」ということが明らかになる。非常にうまいやり方だといえるだろう。
もう国民の中に財務省を信用する人は誰もいないだろうし、安倍昭恵も関わっていたのだから(少なくとも名前が使われるのを黙認していた)安倍首相の宣言が確かなら首相退任は避けられない。
が、世論は全く盛り上がらない。なぜなのだろうか。3つの仮説を考えてみた。
1つ目の仮説は攻め手の問題だ。民進党に信頼がないという理由がありそうだ。しかし、そもそもなぜ民進党が信頼されないのかということがわからない、これを解くためには別の「盛り上がっている」事例を引き合いに出す必要がある。豊洲の問題があれだけ盛り上がっているのは、都政に携わる人たちがなんらかの利権を獲得しているからだと考えられる。つまり「相手の得」が「自分たちの損」であるという理解があり、得をした人を罰するために小池都知事と都民ファースとの会があると考えるとうまく行く。「民進党」が盛り上がらない理由は、自民党に誰も私服を肥やした人がおらず、さらに民進党は国民の他罰感情を利用して政権をかすめとろうとしているという理解があるからではないかと思われる。
このようなコンフィギュレーションは日本人には説明不要だが、実はかなり複雑な情報がないと理解されないのではないかと思う。敵味方という文脈の方が、適当か不適当かという対象物よりも重要視されているからである。
民進党が有権者の支持を得られない理由だけはわかる。「俺たちにやらせてくれたら消費税増税はしない(つまり損はしない)」といって政権を奪取したが、消費税増税を押し付けた「嘘つき」だからである。つまり彼らは嘘で有権者の貴重な票を簒奪した悪人であり、日本の村落的なルールでは決して許されない裏切り行為なのだ。
一方で、日本人は納税者感覚を持っておらず、財務省が自分の財産が勝手に処分したという考えを持っていないのではないかという仮説も立つ。つまり、日本人は大局的な観点から損得を計算しておらず、目先に取引関係に強い関心を持っているのではないかという仮説につながる。もし財務省が籠池さんからなんらかのキックバックを受けており「おいしい思い」をしていたら違うリアクションがあったのかもしれない。
そもそも、日本人は最初から民主主義というものを信じておらず、自分も安倍首相たちとお近づきになれば、いい目をみることができるかもしれないと考えていたという可能性もある。これが最後の仮説だ。かつて国民が政府の不正に怒っていたのは政治というものが自分たちとは遠く離れたところで行われていて、自分たちのあずかり知らぬところでおいしい思いをしている人たちが多いと考えていたからなのかもしれない。が、安倍首相はネットを通じて国民に直接働きかけたために「俺もうまくやったら籠池のおっさんみたいになれるかもしれない」と感じているのではないだろうか。安倍政権を擁護する人の中には「大企業が傾けば俺たちの暮らしがダメになる」という人が多い。例えば東京電力が原子力発電をやめれば不況になって給料が下がるというような考え方だ。裏返せば普段からTwitterなどで安倍政権を擁護しておけば、悪いようにはされないという意識があるのかもしれない。
ここから日本人は、自分のところに得が回ってこないのに、別の人だけが得をするのがとても嫌なのではないかという大きな仮説が浮かんでくる。これを確かめる術はないのだが、この視点を持つといろいろなことがうまく説明できる。今回は籠池さんも学校をなくしており、最終的に「得」はしていない。ということで籠池さんへのバッシングにはならない。財務省は振り回されているだけであって特に得はしていない。安倍昭恵さんも特に得はしていない。さらに安倍総理も特にはキックバックなどを受けているわけではない。すると、国民の多くが向かう「敵」が作られないのだ。
多分、加計学園の件も、学園関係者が私服を肥やして豪勢な生活をしていて、一方で関連自治体が困窮しているという絵を作らない限りそれほど盛り上がらないのではないか。少なくとも銚子市は大変困窮しているわけだが、特に同情は集まっていない。他人の損にはあまり同情は集まらず「自己責任でしょ」ということになる。やはり「誰かが得をしている」という絵が重要なのではないだろうか。
もし、これを盛り上げたければ「加計学園の件を追求すれば嫌なこと(消費税が上がるとか財政が破綻するとか)」が避けられるという絵を描かなければならない。これは小泉首相がやったやり口だ。なんとなく納得されれば国民はそれほど深く考えずそのアイディアに乗るだろう。が、民進党は一度それに失敗しているので、誰か別のプレイヤーが必要ということになる。
日本人は民主主義のような内面化されたルールが一人ひとりを自制するなどということは信じておらず、絶え間ない相互監視を通じて相手を縛り付けることだけが損を回避する唯一の手段なのだと考えているのではないだろうか。民主主義は一流国として海外とお付き合いするためのドレスのようなものであって、決して物事の本質ではないということになる。

すでに監視社会に住んでいる日本人

面白いつぶやきを見つけた。監視されていると感じることによって息苦しさを感じることを「パノプティコン」と呼ぶのだそうだ。


共謀罪の議論が明後日の方向に進みつつあるなと思った。この議論が難しいのは西洋のように個人が内心の自由を持っている国とそうでない日本に大きな違いがあるからだ。以降の議論は「そもそも日本人には内心の自由を持っていない」という前提で進める。
日本の会社に入ると大抵は飲み会に参加することになる。上司がいるわけではないが、居酒屋で愚痴をこぼし合う。しかしこれは懇親会ではなく、相互監視のための組織で「抜け駆け」しないようにお互いを監視しつつ、どの程度の行動なら許されるのかということを探り合っている。日本人にはこうした非公式のコミュニケーションパスがあり、例えば上司への稟議などもこうしたルートが使われるし、ここから排除されることで「根回しされていなかった」と騒ぎ出す。
Wikipediaを読む限りではベンサムの考えるパノプティコンの概念には、権威が貧乏でだらしない人たちを監視して、社会全体の幸福度を上げて行こうという考え方があるようだ。つまり、ベンサムは街でダラダラして貧困に落ち込んでいる人たちを「自己責任だ」と考えていて、監視しないと身なりを整えたり立派に働いたりしないダメな人たちだと考えていたことになる。つまり、内心にディシプリンがないから、彼らはダメなのだと考えていたようだ。しかし、日本人はディシプリンがないのに、社会的にはお行儀がよいことで知られている。それは、お互いを常に監視しあっているからなのであろう。
このディシプリンのなさとコンテクスト依存は時に大変な問題を起こす。二階派には有権者を大切にしようというディシプリンはなく、関心事は「誰がどれだけ偉くなれるか」ということだけだ。だから今村復興大臣が「東北でよかった」と発言しても誰も疑問に感じない。彼らにとって政治とは大臣の地位とそこで扱えるお金のことであって、東北の被災し者たちの相手ではないのでそれは当然だ。これが問題になったのは、記者という「コンテクストが異なる」人たちが失言を求めてたむろしていたからである。彼らの目的は政治家の失言を集めて視聴率を集めたり、名前を売ることなので、二回幹事長からすると「排除されなければならない」のだ。
このパノプティコンの考え方が否定されるのは、自分のことは自分自身が一番よく知っているので、他人からあれこれ指図されなくても、身を保ち得るし、社会全体としても高い功利が得られると考えるからである。実際には東ドイツはパノプティコン社会だったが、経済的には西ドイツとの競争に負けてしまった。
いずれにせよ、日本にこうした非公式な縛りあいの関係を見つけるのは難しくない。そもそも学校で友達同士の相互監視があり(先生は排除されるので告げ口すると嫌がられる)PTAでもお互いの目が光っており「私はこんなに苦労したのだから、次の役員も苦労すればいい」と考える。さらに引退すると自治会などの組織があり、お互いのライフスタイルについて干渉し合っている。
窮屈だという人もいる。例えば先生に縛られるのが嫌だという子供は先生に隠れてこそこそと自分たちだけの集団を作る。ではそこで自分たちの生き方を追求するかといえばそんなことはない。LINEで自発的な監視網を作り24時間監視し合うのだ。
ここまでで言えるのは「共謀罪」などなくても日本人はお互いに監視し合っていて、それに息苦しさを覚えているということだ。日本が監視社会なのは政府の陰謀ではないというのも重要だ。つまり日本人は「自発的にお互いを縛りあって」いるのだ。
では、共謀罪ができても社会は変わらないのかという疑問が出てくる。これに応えているコラムは多くないが、ニューズウィークに「共謀が罪なら、忖度も罪なのか?」というコラムを見つけた。つまりもともと相互監視的な性質があるので、ちょっとした変化があっても社会の雰囲気が一気に変わってしまう可能性があるのだ。つまり「単なる犯罪防止のために」とルールを変えてしまうと、非公式のコミュニケーションルートが過剰に反応するので、コントロールが不能になってしまう可能性が極めて高いのだ。冷泉はこれは「ハイコンテクスト」という概念で説明している。
この実例を見つけるのも簡単だ。内閣が人事を握るようになると、法令を破ってでも内閣の要望に応えなければならないという気持ちが生まれた。一方で、自分たちで「人道的に」就職先を作ろうという天下りスキームができた。これは内閣の指示が曖昧で成果が出しにくいにもかかわらず、数値目標で処遇が変わるようになってしまったからだと考えられる。今言われている「忖度」はハイコンテクストな組織の暴走なのだ。
ここから言えるのは「お互いが抜け駆けしないように監視し合う」内なる相互監視をやめない限り、パノプティコンは無くならないということになる。何もかも政府のせいにしてはいけないのでである。と同時に日本人が極めてハイコンテクストな(日本語でいうと「阿吽の」)社会に住んでいるという理解なしに制度を変更したり批判してはいけないのである。

Uniqloのキャンペーンを見て、日本にデモがない訳を考える

Uniqloが面白いデニムのキャンペーンを始めた。なぜ、Uniqloが日本では通用してもアメリカで苦戦するのかがよくわかる。
Uniqloだけをみつめていてもよくわからないので、Appleがなぜもてはやされるのかを見てみよう。Appleはもともと巨人IBMに対抗するというイメージで成功した。コンピュータは専門的な知識が必要だと考えられていた当時、Appleのパソコンはグラフィカルインターフェイスを持っていて「誰でも簡単に」使うことができたのだ。これが巨人や権威をうちたおすというイメージに転換され、クリエイティブな人たちに受け入れられた。彼らの目標はパソコンで作品を作ることであって、コンピュータを操作することではなかった。
つまり、価値観を通じて企業と消費者が結びついていて、製品はその間を結びつける媒体になっている。価値観で結びつくためには、当然ながら消費者の中に価値観がなければならない。価値観は「生き方」である。こういうアプローチをライフスタイフ型という。
同じことはDIESELにも言える。DIESELの現在のキャンペーンは「壁を壊す」というものだが、当然ながらトランプ大統領のメッセージの否定になっている。つまり、消費者の中に価値観があり、商品を買うことでその価値観を発露しているということになる。政治は当然ライフスタイルの一部なので、アパレルメーカーが政治的メッセージを発するのは当たり前のことだ。
ここでUniqloのキャンペーンを見てみよう。Uniqloのキャンーペーンは、デニムの聖地であるロスアンジェルスで様々な形のデニムを研究するというものだ。やっていることはデニムの3D加工である。つまり、デニムは工業生産品として扱われており、その加工を「効率的に行う」ことで、できるだけ安価に人気のデニムが生産できることになっている。これは極めて工業生産品的な扱いかたである。それを象徴するのが「イノベーション」で、イノベーションそのものがかっこいいということになっている。
こうしたやり方は「みんなと同じものを」「より安く」手に入れたい日本人には受けるやり方なのかもしれない。しかし疑問もある。3D加工は何のライフスタイルの反映なのだろうか。
3D加工というのはもともとアメリカ人のお金持ちが「履き古したようなジーンズ」をできるだけ早く手に入れたいという欲求から生まれた。その祖型はビンテージのジーンズだと考えられる。ジーンズはもともとワークウェアなので、これ見よがしではないが高級感は出したいというような気持ちの発露なのだろう。例えていえば、ステーキではなくおにぎりを食べたいが、やはり近所の惣菜屋の弁当は嫌なので梅干しを南高梅にして、その伝統やうんちくを語るというような感じなのではないだろうか。
ところが、Uniqloはロスアンジェルスで3D加工のものを安く作れるという方向に舵を切ってしまう。確かにいろんなジーンズがあるけれど「どれがUniqloのオススメですか」ということはよくわからない。「いろいろ作ったからあとは自己責任で選んでよ」ということになっている。なぜそうなるかというと、日本人には作り手にも受け手にもライフスタイルがないからである。
まずUniqloにはデザイナーは存在しない。そもそも個人の価値観で消費者を引っ張るという考え方がないからだ。デザイナー集団は外注になっていて「部材」の一つとして扱われている。かといって、消費者にどんなデザインが欲しいのかを聞いても「よくわからない」というような答えしかも取ってこない。それは、消費者も「今流行っているものを手っ取り早く教えて欲しい」とは思っても、個人の価値観が存在しないからではないだろうか。多分、日本人にライフスタイルを聞くと「より安く」「より楽に」ということになるはずだ。
「人は見た目が100%」というドラマを見ているのだが、テーマは「男性や世間に受け入れられるためにファッションを選ぶ」というものになっている。つまり日本人にとっては「人は他人からどう思われいるかが100%」なのだ。
これは日本人にとっては極めて自然なことだ。日本人は政治的な意見を持つことを自分に禁止しているのだが、これは政治的意見に限らないということがわかる。つまり、日本人は自分自身がより好ましいライフスタイルを持つことを禁止していて、他人にもそれを強制するのだということが言える。日本人がライフスタイルを維持するのは他人の目を気にしているからなので、そこに協定が加わると「楽な方に」と流れてしまう。これを理解すると、次のような問題にも応用できるだろう。

  • なぜ、日本ではデモが起きないのか。
  • なぜ、野党がだらしなくなり、選挙がないと、自民党の中で失言が増えるのか。

また、改革は自己目的化するのだから、政治改革にはめざすものがなくなり、政治改革や民主化の推進が自己目的化した挙句、何も達成できないということになる。これはUniqloのキャンペーンでデニムのイノベーションが自己目的化しているのと同じことなのである。

今村復興大臣の何が間違いだったのか

大臣で初めて今村復興大臣が更迭(まあ、自分から身を引いたということになっているが)された。子分を切られた二階幹事長は納得がいかなかったようで記者団に不満を漏らした。舌禍事件を起こした大臣は多いが、更迭されたのは今村さんが初めてだ。今回は今村さんが何を間違えたのかを分析して行きたい。この違いを噛みしめることで、安倍政権がどのような論理で運営されているかがわかるはずだ。すると、私たち国民が政治に何を求めているかということもわかるのだ。
舌禍事件を起こした大臣やまともに答弁できない大臣はたくさんいる。にもかかわらず大した失策がない今村さんが罷免されてしまったのはなぜなのだろうか。
今村さんは、国政の視野に立って、関東地方と東北地方の被害を比べた。国政に携わり内閣の一員ともなると全体的な視野で俯瞰する癖がつくのだろう。これがまずかった。つまり、国政に携わる人は全体を俯瞰で見てははいけないのだ。ではなぜ俯瞰で見ることがいけないのか。
背景には直視しがたい現実がある。魅力のある産業がない東北地方は衰退して行くばかりだ。もちろん地震のせいもあるが、そればかりではない。若者たちが東京に惹きつけられるのは、面白いものはすべて東京にあるからである。秋田県の地震の被害はそれほどひどくなかったがそれでも人口が100万人を切ってしまった。さらに福島第一原発で毀損された福島県も元に戻ることはないだろう。国家予算と同じくらいのお金を全部つぎ込んでも完全な除染はできないのではないだろうか。
地方分権をしても東北は救えないだろうし、日本全体が衰退して行っているのだから東京からの援助もこれまでのようには期待できない。であればあとできることは「いやあ、東北はいつかは復興しますよ」と言い続けて、なおかつ何もしないことである。何かすれば「やっぱりダメだった」ということになりかねないからだ。つまり、復興担当大臣は、何もしないが「私たちに任せてくれれば大丈夫」と言い続ける人が求められるわけで、解決策を提案したり、国政全体の観点から「いくら復興費用をかけるのが妥当か」などということを考えてはいけないのである。
いろいろな人にいい顔をして口約束はするが決して何もしないというのはいろいろなところで見られる。最近では国防と外交に顕著だ。「誇り高い日本を取り戻す」などと言っても、アメリカから独立して日本を守ることはできないし、その意欲もない。が、それで構わない。どうせ、すべての人を満足させる解などはありえないのだし、国民もうすうすそれはわかっている。だから石破茂さんのように防衛に詳しい人を防衛大臣にしてはいけない。何かを決めることで、誰かが傷つくからだ。稲田さんのように最初から精神が崩壊している人のほうが都合が良いのだ。日本の国防政策が悪いわけではない。稲田さんの精神が変なのだと思えばこそ、みんなを納得させられるのである。
共謀罪もだれを満足させるための法律なのかはわからないが、もうめちゃくちゃなことになっている。これをぶち壊しにしようとしているのは法律に詳しく筋が通った副大臣だ。金田さんのように何もわからず、官僚の答弁を読み、馬鹿にされても黙っている人の方が大臣には適任なのだ。共謀罪が無茶なのではない。金田さんが変だと思える。
それでも都合が悪くなれば、資料を隠し、過去の内閣の閣議決定や答弁を歪める。佐川理財局長も無茶苦茶なことになっている。しかし、国民がそれに立腹することはない。なぜならば、国民も「過去とつじつまを合わせてまで現実を直視する」などということはやりたくない。つまり、国民が求めるているのは一時の麻薬的なまどろみなのである。
今村さんがいけなかったのは、この空気を読み取れず「国政ゴッコ」をしてしまったという点にある。大臣に求められるのは解決策ではない。サンドバッグのように叩かれても動じない精神力なのである。
政治は腐っている!と言いたいのはやまやまなのだが、こういうことはいくらでもある。例えば「レコード会社」に就職したい人は「音楽が好きでたまらない」とか「理想のアルバムを作りたいんです」などと言ってはいけない。レコード会社は「大衆が求めているようなレベルの」音楽を提供するべきだと考えられているからだ。理想を語る人は素人であり、プロの現場にふさわしくないとされる。同じように「本が好きでたまらない」人とか「理想の本を作りたい」人は編集者にはなれないのではないだろうか。それは「大衆が欲しがっているようなくだらないレベルのもの」を提供するのが編集者だからである。
そんなやる気のないことでは全体が沈んでゆくと考えるのが「頭のいい人」だ。頭がいい人ほど安倍政権の場当たり的な対応が許せなくなるはずだ。一方、ネトウヨは全体を統合できるほど頭が良くないので安倍政権の嘘が気にならないのである。理想の国家観を持って全体を統合しようとした瞬間にすべてが崩れ去ってしまう。合理的に考えると限界集落は打ち捨てられ、秋田、島根、鳥取、佐賀(秋田県を入れると全部で10県もある)などの100万人を切っている県はどこかと統合されるべきである。北海道の北部には人はいないのだから鉄道は廃止されるべきだし、銚子の近くには病院のない地域があって当然である。そして余った資本を人がたくさん住んでいる地域に振り向けるべきであろう。子育てに余裕のない世帯がたくさんある。
だが、どうだろうか。ネットの片隅で誰も読まない記事を書いているからこんなことが言えるわけで、有名人のブログだったら即炎上しているだろう。みんなそんなことはわかっている。だが言い出さないだけなのだ。
今村さんはそういう意味では頭がよすぎて、プロの政治家にはなれなかったのだ。政治家には国家観を語る資格などないのである。

Sketch Upで部屋の居心地をシミュレーションする

Sketch Upで部屋の模型を作った。手順を踏むと意外と簡単にできる。

枠組みを作る

まず、壁と窓を作った。本当はパンチングするとよいのだろうが窓を寸法通りに配置する方法がわからなかったので、壁を四角に分割して窓を当てはめた。ということで壁に変な線が入っている。枠線を取り除いてからグルーピングするという方法があるらしい。

家具を配置する

家具の寸法をかたっぱしから測って模型を作る。IKEAの家具は3Dデータが揃っているが、無印良品も少しだけ3Dデータが見つかることがある。基本的にユニットシェルフばかりを使っているので作業としては楽だった。

調度品を置く

Appleのパソコンなどは3Dデータがある。植物もデータを作っている人がいるので、植木鉢だけ再現した。別ファイルを作って、そこで作業して部屋に持ち込むのが一番簡単だった。
あとは100均で買ったボックスなどを入れて行く。本なんかもシミュレーションするとよいのだろうが、まあそこまでしなくても大体の雰囲気はわかる。

日当たり

日当たりをシミュレーションすることができた。北を設定するプラグインがあるので、これを導入して北を指定して、影をつけて行く。
近づくとこういう感じ。描画に時間がかかるが影が描かれている。

影設定というウィンドウがあり、左上端にあるボックスをクリックすると影がつく。季節や時間ごとの調整も可能だ。

知らずに自治会の役員なんかをやるとちょっと危ない? 法律の改正

いつものようにFeedlyを見ていたら政府広告が挟まっていた。個人情報保護法が変わるのだそうだ。もしかしたらニュースを見た記憶があるのかもしれないのだが、元来ぼーっとしたタチなのであまり意識していなかった。
ポイントは2つで、5000名以下の名簿も保護の対象になるということと、匿名化した個人情報の活用ができるようになるという点だ。後者はこれまでは統計データなら利用はできていたのだが、今後は統計処理しなくても個人の購買履歴や移動履歴などを活用できるということになる。活用というとよくわからないが、ぶっちゃけ「定期券を持っている人がどこからどこまで移動したか」という個人単位のデータを売り買いできるということである。マーケティングデータとしてはかなり貴重なものなので需要は高いだろうが、自分の購買履歴や行動履歴を勝手に売り買いされるというのはどうも「面白くないなあ」という気がする。こうした議論を恐れてか、広報ページの書き方は「公益」を全面に押し出した書き方になっている。
が、意外と見落とされそうなのが「5000名以下の名簿」の方である。タイトル立ては「5000名以下の個人情報を扱う事業者」となっているので、一般の人たちには関係なさそうだが、広報ページには次のようにある。

例えば、これまでは大勢の従業員を抱える企業や大量の個人情報を事業に利用していた企業などが個人情報保護法の主な対象でしたが、これからは中小企業や個人事業主も対象になります。また、個人情報を利用する事業が営利か非営利かは問われないため、町内会・自治会、学校の同窓会などにも、個人情報を取り扱う際のルールが義務づけられることになります。

つまり、自治会の役員を引き受けて名簿を作ったら「事業者扱い」されてしまうのだ。注意しなければならないことはいくつもあるが、管理にはこのような決まりが課せられる。
取得した個人情報は漏洩などが生じないように、安全に管理しなければなりません。

  • 紙の個人情報は鍵のかかる引き出しで保管する
  • パソコンの個人情報ファイルにはパスワードを設定する
  • 個人情報を扱うパソコンにはウイルス対策ソフトを入れる

など
Excelのパスワードの設定の仕方がわからなかったり、ウィルス対応ソフトが入っていなかったりすると、漏洩した時に「注意義務違反」になる可能性があるのだ。具体的には次のようなアドバイスがあるという。名簿を集める時に「親睦と連絡のために使いますよ」などということを明示した上で、了解を得る必要があるということだ。

そのため、同窓会名簿や自治会名簿を作成する場合には、①利用目的の特定(改正法第15条)、②利用目的による制限(改正法第16条)、③適正な取得(改正法第17条)、④取得に際しての利用目的の通知等(改正法第18条)、⑤第三者提供の制限(改正法第23条)等の個人情報取扱事業者としての義務を遵守する必要があります。これらの義務を遵守しているのであれば、従前と同様に名簿を作成することはできます。
なお、名簿を配布する先の会員が個人である場合には、個人情報保護法の適用はありませんが、会員に対して、名簿の紛失や転売をしないように注意喚起をすることが大切です。

もちろん、注意義務違反で直ちに逮捕されるということはない。しかし、注意義務違反が見つかった後で、監督官庁(個人情報保護委員会)の命令に従わなかったりして悪質性が認定されると、最終的には六ヶ月以下の懲役(または30万円以下の罰金)まで行くことがあるということになるようだ。逆に「いい加減な管理をしたから情報が漏れた」などというクレームも監督官庁へ報告することになるという。だが、現行法下で罰則を受けた事例はないとのことである。また、名簿が漏洩して、経済的な損出が出た時にも民事上賠償の責任が出てくることになる。
難しいことはわからないからパソコンでの名簿管理はやめようとする人たちもでてくるだろうが、そうなると手書きということになるので、あまり現時的とは言えない。今のうちに名簿管理ソフトのパスワード設定方法とか、ウィルス管理ソフトの勉強をしておくべきだろう。現在集めている名簿については取り直しは必要ないとのことだが、新しく取る名簿は適用対象になるということなので、五月末以降は運用に気をつけたい。

どうして安倍政権が野放しになるのか

市の施設で、ラックに押し込められるように置いてある資料を見つけた。わら半紙に両面コピーでびっしりとなにやら書き込まれている。多分、誰も手に取らないだろうなあと思ったのだが、中を覗いてみた。
中にはマニフェストに対応したアクションプランが掲載されていた。それぞれのプロジェクトにはタイムラインとKPIがある。もし変更があれば、変更点も書き込まれているようだ。
が、かなりたくさんのプロジェクトが走っているので、全てを把握することはできそうにない。資料としても重いので持って帰る人もいないだろう。いちおう工程表はPDFで公開もされているようだが、かなり細かい。そもそも市民はそれほどマニフェストには興味を持たないだろう。
担当部署に聞いたところ、ドキュメントそのものへの問い合わせはないそうだ。プロジェクトに興味がある人は担当部署で対応するので、どれくらいのリアクションがあるかもよくわからないという。担当者は誰かから引き継いだらしく、文章が作られた意義や経緯とか、他の政令市がどのような取り組みをしているかということは知らないらしい。つまり、作っている方もあまり関心がなさげである。
もちろん、自己報告なので嘘もつけてしまう。一応、市議会には報告が上がっているようであるが、市議会も真面目に見ているとはちょっと思えない。が、市民の注目度も高くないので嘘をつかなければならない動機はない。つまり、注目されないことにはメリットもある。
いずれにせよ、千葉市ではマニフェストは「選挙の時の口約束」になっていないというのは間違いなさそうだ。選挙の時の約束は行動計画にブレイクダウンされて行動計画は検証可能な目的を伴っている。たいしてテレビにアピールするような項目はないが、それでも着実に実行しようとすると、これだけのものになってしまう。注目度がそれほど高くないことを考えると、別にやらなくてもいいような仕事である。だが、それを真面目にやっているところに意味があるのではないかと思う。
現在の千葉市の市長は今は無所属だが、もともと民主党の市議だったという人だ。つまり、民主党政権が続いていることになる。かといって市政はめちゃくちゃにはなっていない。つまり、今の自民党政権がいうような「野党に政権を渡したら大変なことになる」というのはデマである。この工程表には「市民と行政を育てて行きたい」という市長の意気込みがあり、これが2009年以降、ずっと続いている。ちなみにさいたま市も同じような実行計画があるようだ。こちらの市長はもともと自民党の県議だったが、みんなの党と民主党の推薦と支持を受けたという人だそうだ。
国政でも民主党は2009年以降政権を担当したのだが、テレビ慣れした代議士が多く「とりあえず視聴率が取れることをやろう」という意識が強かったようである。そのためパフォーマンス重視の政権運用に終始し、最終的に「あの政権だけはダメ」という強烈な印象を残した。視聴率を稼ぐためには誰かを非難するのが一番手っ取り早い。しかし、誰かを非難して政権をつかむことと、着実に政権を運営することは全く別のことで、両立は難しいのだ。
もし、民主党政権が、3年の間に地道に政権運営していれば、我々が政権交代に対して持っていた印象はかなり違うものになっていただろう。今、森友問題や大臣の失言のように政権が吹っ飛びかねないスキャンダルが山積みになっても自民党が無傷なのは追求するのが民進党だからだ。
この国政での民主党の失敗は、のちに「安倍政権がどんなに無茶苦茶なことをやっても、とりあえず民主党よりはよい」という理解になり、安倍政権を増長させている。
千葉市は、財政が傾いて前の市長が汚職で逮捕されたあと、自民党に関わりのなかった市長が当選して今に至る。この市長は市議の経験があったので行政がどう動くかを理解していたこともあり、市職員も離反しなかった。自治会への依存度が高かったり、中心部が空洞化しつつあったりと、不調な点もあるが「前に比べるとマシ」という状態にあり、非自民への嫌悪感が生まれなかった。これが維新などのポピュリスト政党の台頭を防いでいる。国政を考え合わせると極めて幸運なことだったのかもしれない。
そう考えると国政レベルの「絶望」のかなりの原因は現在の民進党の執行部にあることになると思う。
ただ、政党だけに問題があるとは言えない。千葉市でもマニフェストに対する市民の関心はそれほど強くないはずだが、国政ではさらに関心が薄いだろう。千葉市長もちょっとしたツイートが反発を受けて、ジェンダー絡みの一部の人たちからは「敵認定」を受けている。地道な活動はあまり注目されず、ちょっとしたツイートだけで評価されてしまう。この意味で、政治は極めて「スマホ型」になっている。瞬間的に生じた印象で全ての評価が決まってしまうし、情報ソースが狭いのでいったん生じた印象が固定化されてしまうのである。
そこで生まれるのが小池都知事のような「劇場型」の政治家だ。劇場型政治は対立がそのまま政治だと理解される。例えば、築地・豊洲の問題ももはや本質的な議論とはいえない。本質的には「伝統的な魚食文化を守りつつ」「高度化した流通にも対応する」という両建ての議論が行われるべきだが、どちらかを二者択一で選択しなければならないという思い込みが生じている。だが、冷静に考えてみると「銀座久兵衛」と「すしざんまい」のどちらかしか寿司屋として残れないというのは乱暴すぎる議論だろう。
しかし、建設的な議論はそれほど面白くない。対立は人々を陶酔させる麻薬のような効果があるからだ。このブログでさえも他罰的な文章を書くとアクセスが伸びるくらいなので、経済的な要求のあるテレビや新聞などが他罰的で劇場型の報道に傾くのは無理がないだろうなあとは思う。
だが、いったん他罰型の統治機構を作ってしまうと、それに純化した人しか残らないので、いざ実務的な何かをしようと考えても、それを実行することができない組織ができてしまう。多分、安倍政権が増長する裏には、有権者の「他人を罰したい」というニーズがあるのではないだろうか。