わざわざ政府の心配をしてやることはないのだが……

共謀罪の成立する可能性が高まっているという。多くのリベラルの人たちが監視社会を心配しているようだが、個人的にはあまり心配していない。なぜなら日本社会はもともと相互監視の強い「縛りあいと我慢の押し付けあい」社会だからだ。
小田嶋隆さんが次のように心配している。


これも今でも「警察が職場に来ただけであいつは怪しいのでは」となってしまうのだから、まああまり変わらないのではないかと思う。こういうあけすけな無神経さは今でも一般に浸透している。

が、心配事もある。
もともと、日本の相互監視はかなり高いコストがかかっている。職場では常に居酒屋会議が開かれ、学生はLINEで24時間仲間を見張っている。PTAも監視に忙しいので働いている女性は実質参加できないのだという。
共謀罪の趣旨は、国民を監視して誰も政府に反抗しないようにすることなので、国民全体が監視の対象になるだろう。するとこの監視コストを誰かに担わせなければならない。東ドイツにはシュタージという体制維持のための国民監視網があり、記録も残っていた。しかし記録が残せたのはドイツが比較的低コンテクストの社会だったからだ。
日本は高コンテクストの社会なので、監視は非公式のコミュニケーションルートを対象にしなければならない。情報量が莫大になってしまう。しかし東ドイツが「比較的容易だった」とはいえ、家族の間でも監視が行われていたそうである。日本政府の今の提案では「誰が監視を担うのか」ということが明確にされていない。これは政府に反抗する(政権交代を望んでいるだけの人も含む)があまり多くないからだ。警察だけで対応できると考えられているのだろう。
「メールの盗聴システムもあるから安心」となるかもしれないが、メールやSNSで政府を礼賛しておいて、FAXで政府転覆を働きかけることもできる。逆に偽装工作がしやすくなる可能性もある。やはり、足で監視する人たちが必要になる。が、政府の覚悟は「ぱっと見でわかりますよね」という程度らしい。

しかし、政府にここまでの覚悟と予算があるとは思えないので、捜査機関の規律が乱れて冤罪が乱発されるだけに終わる可能性の方が高い。現行の官僚組織では忖度が横行しているが、その正体は非公式な意思決定なので、管理できなくなり暴走する可能性が高い。
警察はすでに複雑化する政治的犯罪には追いつけなくなっていて、昔暴れていた人たちを監視して「お仕事をしています」というふりをしているだけなので、テロを恐れて一般人に手を突っ込めば10年程度の時間を経て警察の威信は大いに低下するだろう。
すると、国民の大半は警察に懐疑的になる。すると政府の定義ではこうした人たちはすべて一般人ではないということになってしまうので、すべて監視対象になる。さらにそれに反発する人たちが増えるという図式が生まれる。
今、野党に賛同する人が多くないのは、見世物のような政治ショーが時々行われるからである。つまり末端の大臣などを叩くことで溜飲を下げている状態だ。これがなくなれば政府への反発は行き場を失い、政府に反発心を持つ人は増えるだろう。
だが、表立って政府に反抗するのはコストが高いので、国民はあえて反抗はしないだろう。しかし、反抗というのは提案の一種なので、有力な「別の選択肢」を抑えこんでしまうことになる。すると強力な野党や選択肢が生まれない。翼賛体質になり「この道しかない」といって破綻への道を突っ走ることになるだろう。
もう一つできるのは、監視をやめて国民を檻に閉じ込めておくという方法だ。例えばウィグル人が多い新疆ウィグル自治区はそのような状態になっている。しかしこれが成り立つのは資源が豊富にありウィグル人の労働力に頼らなくても資源収奪ができるからなのだ。日本で同じ状況が整いうるかを考えた方がよいのではないか。
共謀罪は国民の内心に政府の泥だらけで汚い手を突っ込むような大いなる挑戦なので、国民を縛り付けられる覚悟があって法律を作ろうとしているのか、金田法務大臣や安倍首相に聞いた方がよいのではないだろうか。

今村復興大臣の何が間違いだったのか

大臣で初めて今村復興大臣が更迭(まあ、自分から身を引いたということになっているが)された。子分を切られた二階幹事長は納得がいかなかったようで記者団に不満を漏らした。舌禍事件を起こした大臣は多いが、更迭されたのは今村さんが初めてだ。今回は今村さんが何を間違えたのかを分析して行きたい。この違いを噛みしめることで、安倍政権がどのような論理で運営されているかがわかるはずだ。すると、私たち国民が政治に何を求めているかということもわかるのだ。
舌禍事件を起こした大臣やまともに答弁できない大臣はたくさんいる。にもかかわらず大した失策がない今村さんが罷免されてしまったのはなぜなのだろうか。
今村さんは、国政の視野に立って、関東地方と東北地方の被害を比べた。国政に携わり内閣の一員ともなると全体的な視野で俯瞰する癖がつくのだろう。これがまずかった。つまり、国政に携わる人は全体を俯瞰で見てははいけないのだ。ではなぜ俯瞰で見ることがいけないのか。
背景には直視しがたい現実がある。魅力のある産業がない東北地方は衰退して行くばかりだ。もちろん地震のせいもあるが、そればかりではない。若者たちが東京に惹きつけられるのは、面白いものはすべて東京にあるからである。秋田県の地震の被害はそれほどひどくなかったがそれでも人口が100万人を切ってしまった。さらに福島第一原発で毀損された福島県も元に戻ることはないだろう。国家予算と同じくらいのお金を全部つぎ込んでも完全な除染はできないのではないだろうか。
地方分権をしても東北は救えないだろうし、日本全体が衰退して行っているのだから東京からの援助もこれまでのようには期待できない。であればあとできることは「いやあ、東北はいつかは復興しますよ」と言い続けて、なおかつ何もしないことである。何かすれば「やっぱりダメだった」ということになりかねないからだ。つまり、復興担当大臣は、何もしないが「私たちに任せてくれれば大丈夫」と言い続ける人が求められるわけで、解決策を提案したり、国政全体の観点から「いくら復興費用をかけるのが妥当か」などということを考えてはいけないのである。
いろいろな人にいい顔をして口約束はするが決して何もしないというのはいろいろなところで見られる。最近では国防と外交に顕著だ。「誇り高い日本を取り戻す」などと言っても、アメリカから独立して日本を守ることはできないし、その意欲もない。が、それで構わない。どうせ、すべての人を満足させる解などはありえないのだし、国民もうすうすそれはわかっている。だから石破茂さんのように防衛に詳しい人を防衛大臣にしてはいけない。何かを決めることで、誰かが傷つくからだ。稲田さんのように最初から精神が崩壊している人のほうが都合が良いのだ。日本の国防政策が悪いわけではない。稲田さんの精神が変なのだと思えばこそ、みんなを納得させられるのである。
共謀罪もだれを満足させるための法律なのかはわからないが、もうめちゃくちゃなことになっている。これをぶち壊しにしようとしているのは法律に詳しく筋が通った副大臣だ。金田さんのように何もわからず、官僚の答弁を読み、馬鹿にされても黙っている人の方が大臣には適任なのだ。共謀罪が無茶なのではない。金田さんが変だと思える。
それでも都合が悪くなれば、資料を隠し、過去の内閣の閣議決定や答弁を歪める。佐川理財局長も無茶苦茶なことになっている。しかし、国民がそれに立腹することはない。なぜならば、国民も「過去とつじつまを合わせてまで現実を直視する」などということはやりたくない。つまり、国民が求めるているのは一時の麻薬的なまどろみなのである。
今村さんがいけなかったのは、この空気を読み取れず「国政ゴッコ」をしてしまったという点にある。大臣に求められるのは解決策ではない。サンドバッグのように叩かれても動じない精神力なのである。
政治は腐っている!と言いたいのはやまやまなのだが、こういうことはいくらでもある。例えば「レコード会社」に就職したい人は「音楽が好きでたまらない」とか「理想のアルバムを作りたいんです」などと言ってはいけない。レコード会社は「大衆が求めているようなレベルの」音楽を提供するべきだと考えられているからだ。理想を語る人は素人であり、プロの現場にふさわしくないとされる。同じように「本が好きでたまらない」人とか「理想の本を作りたい」人は編集者にはなれないのではないだろうか。それは「大衆が欲しがっているようなくだらないレベルのもの」を提供するのが編集者だからである。
そんなやる気のないことでは全体が沈んでゆくと考えるのが「頭のいい人」だ。頭がいい人ほど安倍政権の場当たり的な対応が許せなくなるはずだ。一方、ネトウヨは全体を統合できるほど頭が良くないので安倍政権の嘘が気にならないのである。理想の国家観を持って全体を統合しようとした瞬間にすべてが崩れ去ってしまう。合理的に考えると限界集落は打ち捨てられ、秋田、島根、鳥取、佐賀(秋田県を入れると全部で10県もある)などの100万人を切っている県はどこかと統合されるべきである。北海道の北部には人はいないのだから鉄道は廃止されるべきだし、銚子の近くには病院のない地域があって当然である。そして余った資本を人がたくさん住んでいる地域に振り向けるべきであろう。子育てに余裕のない世帯がたくさんある。
だが、どうだろうか。ネットの片隅で誰も読まない記事を書いているからこんなことが言えるわけで、有名人のブログだったら即炎上しているだろう。みんなそんなことはわかっている。だが言い出さないだけなのだ。
今村さんはそういう意味では頭がよすぎて、プロの政治家にはなれなかったのだ。政治家には国家観を語る資格などないのである。

Sketch Upで部屋の居心地をシミュレーションする

Sketch Upで部屋の模型を作った。手順を踏むと意外と簡単にできる。

枠組みを作る

まず、壁と窓を作った。本当はパンチングするとよいのだろうが窓を寸法通りに配置する方法がわからなかったので、壁を四角に分割して窓を当てはめた。ということで壁に変な線が入っている。枠線を取り除いてからグルーピングするという方法があるらしい。

家具を配置する

家具の寸法をかたっぱしから測って模型を作る。IKEAの家具は3Dデータが揃っているが、無印良品も少しだけ3Dデータが見つかることがある。基本的にユニットシェルフばかりを使っているので作業としては楽だった。

調度品を置く

Appleのパソコンなどは3Dデータがある。植物もデータを作っている人がいるので、植木鉢だけ再現した。別ファイルを作って、そこで作業して部屋に持ち込むのが一番簡単だった。
あとは100均で買ったボックスなどを入れて行く。本なんかもシミュレーションするとよいのだろうが、まあそこまでしなくても大体の雰囲気はわかる。

日当たり

日当たりをシミュレーションすることができた。北を設定するプラグインがあるので、これを導入して北を指定して、影をつけて行く。
近づくとこういう感じ。描画に時間がかかるが影が描かれている。

影設定というウィンドウがあり、左上端にあるボックスをクリックすると影がつく。季節や時間ごとの調整も可能だ。

どうして安倍政権が野放しになるのか

市の施設で、ラックに押し込められるように置いてある資料を見つけた。わら半紙に両面コピーでびっしりとなにやら書き込まれている。多分、誰も手に取らないだろうなあと思ったのだが、中を覗いてみた。
中にはマニフェストに対応したアクションプランが掲載されていた。それぞれのプロジェクトにはタイムラインとKPIがある。もし変更があれば、変更点も書き込まれているようだ。
が、かなりたくさんのプロジェクトが走っているので、全てを把握することはできそうにない。資料としても重いので持って帰る人もいないだろう。いちおう工程表はPDFで公開もされているようだが、かなり細かい。そもそも市民はそれほどマニフェストには興味を持たないだろう。
担当部署に聞いたところ、ドキュメントそのものへの問い合わせはないそうだ。プロジェクトに興味がある人は担当部署で対応するので、どれくらいのリアクションがあるかもよくわからないという。担当者は誰かから引き継いだらしく、文章が作られた意義や経緯とか、他の政令市がどのような取り組みをしているかということは知らないらしい。つまり、作っている方もあまり関心がなさげである。
もちろん、自己報告なので嘘もつけてしまう。一応、市議会には報告が上がっているようであるが、市議会も真面目に見ているとはちょっと思えない。が、市民の注目度も高くないので嘘をつかなければならない動機はない。つまり、注目されないことにはメリットもある。
いずれにせよ、千葉市ではマニフェストは「選挙の時の口約束」になっていないというのは間違いなさそうだ。選挙の時の約束は行動計画にブレイクダウンされて行動計画は検証可能な目的を伴っている。たいしてテレビにアピールするような項目はないが、それでも着実に実行しようとすると、これだけのものになってしまう。注目度がそれほど高くないことを考えると、別にやらなくてもいいような仕事である。だが、それを真面目にやっているところに意味があるのではないかと思う。
現在の千葉市の市長は今は無所属だが、もともと民主党の市議だったという人だ。つまり、民主党政権が続いていることになる。かといって市政はめちゃくちゃにはなっていない。つまり、今の自民党政権がいうような「野党に政権を渡したら大変なことになる」というのはデマである。この工程表には「市民と行政を育てて行きたい」という市長の意気込みがあり、これが2009年以降、ずっと続いている。ちなみにさいたま市も同じような実行計画があるようだ。こちらの市長はもともと自民党の県議だったが、みんなの党と民主党の推薦と支持を受けたという人だそうだ。
国政でも民主党は2009年以降政権を担当したのだが、テレビ慣れした代議士が多く「とりあえず視聴率が取れることをやろう」という意識が強かったようである。そのためパフォーマンス重視の政権運用に終始し、最終的に「あの政権だけはダメ」という強烈な印象を残した。視聴率を稼ぐためには誰かを非難するのが一番手っ取り早い。しかし、誰かを非難して政権をつかむことと、着実に政権を運営することは全く別のことで、両立は難しいのだ。
もし、民主党政権が、3年の間に地道に政権運営していれば、我々が政権交代に対して持っていた印象はかなり違うものになっていただろう。今、森友問題や大臣の失言のように政権が吹っ飛びかねないスキャンダルが山積みになっても自民党が無傷なのは追求するのが民進党だからだ。
この国政での民主党の失敗は、のちに「安倍政権がどんなに無茶苦茶なことをやっても、とりあえず民主党よりはよい」という理解になり、安倍政権を増長させている。
千葉市は、財政が傾いて前の市長が汚職で逮捕されたあと、自民党に関わりのなかった市長が当選して今に至る。この市長は市議の経験があったので行政がどう動くかを理解していたこともあり、市職員も離反しなかった。自治会への依存度が高かったり、中心部が空洞化しつつあったりと、不調な点もあるが「前に比べるとマシ」という状態にあり、非自民への嫌悪感が生まれなかった。これが維新などのポピュリスト政党の台頭を防いでいる。国政を考え合わせると極めて幸運なことだったのかもしれない。
そう考えると国政レベルの「絶望」のかなりの原因は現在の民進党の執行部にあることになると思う。
ただ、政党だけに問題があるとは言えない。千葉市でもマニフェストに対する市民の関心はそれほど強くないはずだが、国政ではさらに関心が薄いだろう。千葉市長もちょっとしたツイートが反発を受けて、ジェンダー絡みの一部の人たちからは「敵認定」を受けている。地道な活動はあまり注目されず、ちょっとしたツイートだけで評価されてしまう。この意味で、政治は極めて「スマホ型」になっている。瞬間的に生じた印象で全ての評価が決まってしまうし、情報ソースが狭いのでいったん生じた印象が固定化されてしまうのである。
そこで生まれるのが小池都知事のような「劇場型」の政治家だ。劇場型政治は対立がそのまま政治だと理解される。例えば、築地・豊洲の問題ももはや本質的な議論とはいえない。本質的には「伝統的な魚食文化を守りつつ」「高度化した流通にも対応する」という両建ての議論が行われるべきだが、どちらかを二者択一で選択しなければならないという思い込みが生じている。だが、冷静に考えてみると「銀座久兵衛」と「すしざんまい」のどちらかしか寿司屋として残れないというのは乱暴すぎる議論だろう。
しかし、建設的な議論はそれほど面白くない。対立は人々を陶酔させる麻薬のような効果があるからだ。このブログでさえも他罰的な文章を書くとアクセスが伸びるくらいなので、経済的な要求のあるテレビや新聞などが他罰的で劇場型の報道に傾くのは無理がないだろうなあとは思う。
だが、いったん他罰型の統治機構を作ってしまうと、それに純化した人しか残らないので、いざ実務的な何かをしようと考えても、それを実行することができない組織ができてしまう。多分、安倍政権が増長する裏には、有権者の「他人を罰したい」というニーズがあるのではないだろうか。

マイナンバーカードとお役所のやる気のなさ

マイナンバーカードを取りに行ってきた。いろいろ考え込んでしまったことをだらだらと書いてゆく。目についたのは、国民と役所のやる気のなさだ。
「カードの受け取りをするように」という連絡はハガキでくるのだが、あらかじめ市役所側がマーカーで線を引いている。これは非正規の職員にやらせているのではないかとおもう。人件費の無駄だ。これは、ハガキが著しくわかりにくいためだ。多分、国には文書をわかりにくくするセクションというのがあって、そこを通過しないと文書が発出できないのではないかと思わせる。
わかりにくい理由は2つある。1つはAND条件とOR条件が複雑に絡んでいるからだ。「ないし」とか「または」というやつである。数回読んだが、箇条書きにすればいいのにと思った。あとは単純に字が小さい。多分優先順位がわかっていないのだろう。持ってくるものと、取りに行く場所だけ書いておけばいいのにと思う。
受け取りに行くと口を酸っぱくして「自己責任」の重要さを説かれる。これが非常にうざい。が、どうやら受け取りに来る人たちは想像以上にぼーっとしているらしい。「身分証明をもってこい」というのに持ってこない人が多く、通知カードの存在を忘れている人も多いそうだ。ちなみに身分証がないと受け取れないし、通知カード(に加えて住基カード)をなくすと紛失届を書かなければならない。
暗証番号が4つ必要なのだが、これを忘れる人も多いそうだ。カードを作った人が引越しの際などに手続きをするために市役所にゆき「番号を忘れた」などというと、そこでまた大騒ぎになる。そもそもなぜ同じような4桁のパスワードが3つあるのかもよくわからないが、それを同じにしても特に問題にならないというのもわからない。が、そもそもパスワードを管理できない人がいるのである。
しかし問題なのは利用者の側だけではない。電子証明は5年で切れてしまうのだが、再発行の通知はこない。これは自分で管理して自己申告で市役所に再発行をお願いしなければならない。が、そもそも暗証番号を忘れる人が多いのを見ると、彼らが自分で更新手続きをするようには思えない。また、カードの身分証明機能も10年で失効してしまうのだが、これもお知らせがこないそうである。
さらに、平成33年などと書かれているが、今年が平成何年かすぐに言える人がどれくらいいるだろうかという疑問もあるし、そもそも退位が予定されているので、平成33年という年はない可能性が高い。市役所の人に言ったら「ああ、考えたことがありませんでした」と感心されてしまった。
さらに10年後、どういう手続で再発行するかは決まっていないそうである。つまり、今カードを受け取った人は誰も更新手続がどんなものか知らない。つまり意識があっても知りようがないのだ。
高齢者なんか暗証番号も更新手続も忘れるでしょうねと言ったら「でも失効しても別に実害ないですし」と言われた。電子証明書を使うのはパソコンによる納税のときだけなのだが、これは専門のリーダを持っていないと使えない。こういう人はカードを毎年使うので当然意識するだろう。が、使わない人は忘れてしまうかもしれない。さらに身分証明機能もほとんど使う人はいないだろうから、失効しても気がつかなったという人が多そうだ。だったら何のためのカードなんだと思うわけだが、窓口の人も「持っても意味ないんじゃないか」と感じているらしい。「私がいうことでもないですが、別にそれほど困らないですよね」と言っていた。
ちなみにマイナンバーカードの普及率は8%程度なので、それを前提に民間がアプリケーションを作るなどということは考えられない。このまま普及しないだろうから、数年後には「ああ、そういうカードがあったね」ということになっているのかもしれない。
リベラル系の政党は「監視社会が到来する」と言っているのだが、監視社会になるほどの緻密さはなさそうだ。監視できるくらいのシステムを作ったら、その前に大規模な情報漏洩が起こりそうだ。もし、政府がカードの利用を無理強いすれば行政の現場がパンクするだろう。

Sketch UPで部屋の模様替えの計画を立てる

最近部屋の模様替えをした。元来無計画なタチで模様替えをするときにはいきなり家具を動かす。
だが、部屋の広さの割には家具がたくさんあって、いつも嫌になって途中でやめてしまう。パズルみたいになってしまうからだ。だから、部屋がごちゃついていてとても乱雑な感じになっている。
ようやく、これは馬鹿らしいということに気がつき、今回は家具の大きさを計測してIllustratorで平面図を作って「ああでもないこうでもない」とやった上で家具を動かした。
頭の体操をしてから家具を動かすと生理ができるのでいくらかはましになる。部屋がごちゃついている原因は多分、モニターや背の高い観葉植物が部屋のど真ん中にあることだと思えた。視界を遮って部屋を分断しているのだ。そこで、こうした背の高いものを壁際に移動させてゆく。その上で空いたスペースに観葉植物などを配置した。
で、終わってから、3Dソフトを使えばもっと具体的なイメージがわきそうだと思った。とはいえ3Dソフトは高そうだし、操作が難しそうだ。そこで、昔試しに使ったことがあるソフトを思い出した。それがSketch Upだ。かつてのSketch Upは正確に大きさが測れなかったような記憶があった。適当にものを置いてゆくのであまり正確なものが作れなかったように思う。毎年更新されているらしく、今年のバージョンはSketch Up2017という名前がついている。30日間のお試しでProバージョンも使える。
一番簡単なのは四角形を作ることだ。なのでひたすら四角形を作ってゆく。これは平面図を作ってあったので簡単に終わった。数字を入力すると実寸大の四角形がたくさんできる。それを押し出して立体にするのだが、これも高さが数字で指定できるようだ。これだけでもなんとなくイメージが湧く。この段階で家具の配置を変えてみてもよさそうだ。おじさんを立たせてみる。Sketch Upのスタッフの人だそうである。

モニターとかパソコンなどの素材はフリー素材がたくさん準備されている。モデラーの人たちが無償で提供しているらしいのだが、とても精度が高い。使い方は簡単で単にコピペして部屋に配置するだけである。すべて実寸表示なので机にモニターが乗り切らないところまで正確に表現できた。

やっているうちに欲が出てきて、無印良品の棚を自作で再現してみることにした。本物の棚を組み立てるのと同じ要領で組み上げてゆく。Illsutratorだと整列を使って端を揃えてゆくのだが、Skecketh Upは要点同士がスナップするようになっていて、意外ときっちり合わさる。コツはグルーピングだと思う。立体を作っただけでは線と面の組み合わせなのでオブジェクトとして選べない。これをグループ化し、さらにユニットをグループ化する。こうして最終的なオブジェクトを作るのだ。この棚の場合、支柱と棚板が独立したグループになっていて、これを組み合わせて棚一段分のグループを作る。さらにこれを組み上げて棚を一つのグループにするのだ。

組み立てた家具を配置して、壁も設置したところ。全体図はこんな感じだが「家具を減らした方がいいのかなあ」などとも思う。もっとちゃんとやろうと思えば多分窓の配置などもできるはず。

植木鉢なんかを作っているモデラーの人もいるので植物を使わせてもらった。白い植木鉢はなかったので自作してから他の人が作った植物を植える。実際には左側にはベゴニアが植わっている。今は植物でごっちゃごちゃになっているスペースなのだが、多分植木鉢を減らした方がよいことがわかる。

このツールのすごいところはお昼頃に思いついて開始してから何の予備知識も訓練もなしにそれなりの計画図が作れてしまうことではないかと思う。パソコンの速度もそれほど早いものではないので、ずいぶんお気軽に3Dソフトが使えるようになったのだなあと思った。
なお、Pro版はかなり高価で12万円程度するようだ。商用で使う場合にはProを購入する必要があるという。他ソフトとの連携にもPro版が必要なのだが、このレベルの使い方だと無料版でも十分に使えそうだ。
今回は天空に浮いたようになっている板が数枚あるが、実はこれは細かいアールのついた二本の支柱で壁に凭れかかるタイプの本棚だ。こうした細かいアールは他のソフトとの連携が必要かもしれない。身近なものだとコーヒーメーカーとか電気ポットのようなものが実はかなり複雑な曲線で構成されていた。試しに作ってみたが直線ではちょっと無骨になった。一応大きさはわかる。
もうじきゴールデンウィークなので、まとまった時間に部屋の模様替えなどいかがだろうか。実際には並べなおすよりも計画している時の方が楽しいのだ。いったん部屋のモデルができたら、あとはお気に入りの家具などの形状を計測して、部屋においたらどう見えるかをシミュレーションすることもできる。まあ、実際に家具を買うのは高いし、失敗しても簡単には捨てられないけど、パソコンの中なら無料でいくらでも試すことができる。特にIKEAの家具などは豊富に揃っている。実際に家具を買うわけではないのでいらなくなったらデリーとすればいいだけだ。

あなたが保守かリベラルかがわかるテスト

中川俊直さんという衆議院議員が騒ぎを起こしているようだ。奥さんがいるためハワイで結婚式ごっこをしたのだが、そのときに結婚証明書を取ってしまったために「重婚ではないのか」と騒がれているらしい。これを見ていて保守と革新ということについて考えた。中川さんを非難するかしないかで保守かリベラルかがわかるなと思ったのだ。
現代の日本には保守とリベラルという政治的姿勢があるとされている。保守は日本の伝統的な生活を守る姿勢であり、リベラルは多様性を保証する姿勢だと一般的には理解されているのではないだろうか。
すると、結婚のような制度を守る人は保守であり、それにとらわれない人はリベラルということになるだろう。野党に嘘をついても罪には問われないのが今の国会だが、結婚制度を守らないと大きなバッシングを受ける。つまり、日本人は極めて保守的だということになる。国会議員だけでなく、芸能人の不倫も重罪であり、社会的に抹殺されるか数カ月程度仕事をおやすみせざるをえなくなるというのが通り相場になっている。不倫はそれほど重い罪なのである。
一方、日本にはリベラルな人がほとんどいないということもわかる。現在少子化が進んでおり、結婚制度は事実上崩壊しつつある。例えば、女性の性病罹患率が増えているそうだが、これは「女性が性をバラ売りし始めたからだ」と理解されているそうである。結婚して女性を養える男性が減っているので、女性は結婚できなくてもお金のある男性を捕まえることを選ぶわけだ。つまり「不倫」は実際には広がっていて「地下化」しているのではないかと想定される。それどころか不倫は「ビジネス化」してしまっているのかもしれない。
これは「女性の多様な生き方」であり肯定されるべきかもしれない。さらに危険なのは「結婚こそがすべて」だと考えられてしまうと、却って「日陰の女」の社会的地位が下がり、社会保障も受けられなくなる。婚外子の経済も難しくなるだろう。本来これをどうにかするのが「リベラル」のはずだが、こうした議論が出てくる見込みはない。
これはリベラルの支え手になっているのが高齢化した主婦だという背景があるだろう。彼女たちは公共に対して不機嫌な態度を持っており、その不機嫌を取り除くことには関心があるが、社会的な改革には興味がないし、他人の権利にも概ね鈍感である。つまり、日本のリベラルという人たちは実は保守なのだ。
一方で保守の人たちの態度もよくわからない。もし中川さんが保守の政治家であれば家制度を大切に考えているはずであり、不倫などとんでもないと考えるはずだ。しかし、ハワイに出かけて「人が見てなければいいだろう」と考えて浮かれた写真を撮影し、それを女性に暴露されてしまったようだ。いわゆる「保守」を自認する人ほど、自分の行動に全く責任を持たず、伝統には無関心だということは今まで嫌という程観察してきた。つまり、日本の保守政治家や支持者たちは、実は保守というイデオロギーには興味がないのだ。
つまりこれをまとめると、日本にはリベラルはおらず、リベラルと呼ばれている人たちが保守であり、保守の人たちは不完全に成熟した個人主義を全体主義というイデオロギーを通じて実現しようとしているだけの人たちだということになるだろう。
そもそも「一夫一婦制」という制度はそれほど古いものではない。武家は制度化された妾制度を持っていたのだが、経済力のある男性が複数の女性に子供を産ませて同じ家に住まわせるというようなことが行われていたのだ。ゆえにこれが保守の姿勢だから妾制度を復活させようという運動があってもよさそうである。
ところが面白いことに、人権や平和憲法には何の興味も持たない人でも「妾制度を復活させたい」などという話を聞けば猛烈に反対するのではないかと思う。これは単に自分が生きてきたときの常識を更新できないということを意味するわけで本当の保守ではないのだろうが、人間としては極めて自然な態度であると考えられる。これが「保守はイデオロギーではない」と言われる所以なのだろう。
こうした自然に生じた保守の姿勢を何と呼ぶかはわからないのだが、かなり錯誤したものになっているようだ。ガンで闘病している奥さんにテレビ局が押しかけ、奥さんがマスク姿でててきて土下座したという映像が流されたようだ。中川さん個人に対する攻撃のはずが「家」に対する攻撃になっていて、奥さんが代わりに謝罪するということになっている。が、不倫によって地位や感情を傷つけられているのは奥さんであり、いったい誰が被害者なのかということがわからなくなっている。
このことからわかるのは、実は保守という姿勢さえも実は「社会がどうあるべきか」という姿勢ではなく、単に結婚制度を選んだ自分の選択の正当化に過ぎない可能性があるということだ。自分たちは一夫一婦制で我慢しているのだから、それを逸脱する人たちが許せないという姿勢である。そう考えると日本人はそれほどイデオロギーを持っていないということが言えるかもしれない。つまり、社会そのものにそれほど関心を持っていないのだ。

籠池諄子さんと統合されない母親

籠池諄子さんが大阪市役所で大騒ぎしたらしい。これを見てこの人の問題点がわかったように思えた。と同時にこういう人を相手にしたときにどう対処すべきなのだろうかと考え込んでしまったのだが、なかなか良いアイディアは浮かばなかった。
籠池諄子さんは当初「大阪市役所は保育園を潰そうとしている」という認識を持っていたようだ。話はかみ合わなかったらしいが、最終的には「大阪市役所が保育園の存続を認めてくれた」と感じたようだ。つまり認識が180度変わったことになる。しかし、後から大阪市役所に確認をすると、大阪市役所は「保育士が6名にならないと続けられないですよ」と言っただけだったようである。ただ、大阪市役所は籠池諄子さんに暴れられると困るので「存続できるためにはどうしたらいいか考えましょうねえ」という調子で話したらしい。
籠池諄子さんが「大阪市は保育園を認めてくれた」と思ったのは、市役所が「保育所を続けるにはどうしたらいいか」というような話の仕方をしたからではないかと考えらえれる。だが、そこには「条件が合わないと続けられないんですよ」という含みがあったはずだ。つまり、大阪市にはある期待があり、その期待に籠池諄子さんが応えたら保育園が続けられるということだ。ところが籠池諄子さんには「保育園を邪魔する悪い大阪市」と「保育園を許可してくれる良い大阪市」という極端に2つの像を持っており「悪い大阪市」に直面するとパニックを起こして泣き叫ぶ。一方で「良い大阪市」を認識すると、自分は全面的に肯定されたと思い込んでしまうのだ。
ここには対人関係に関する根本的で極めて深刻な問題があるように思える。極めて深刻なのだが、人間が成長するときには必ず通る道でもある。モデル化された生育論では、赤ん坊は良い母親と悪い母親という統合されない母親像を持っているとされている。これが統合されると母親を人格として認識できるようになる。この結果生じるのが人格の独立である。対象となっている人を多面的に捉えることができるようになり、自分もまた相手と同じように多面的であるということを理解してゆくのだ。
母親から独立していない赤ん坊は乳が与えられなくても「私に何か悪いことがあるのかもしれない」などと内省したりしない。ただ泣き叫ぶだけである。籠池諄子さんの大阪市に対する対応は乳を与えてくれない母親に対する態度に似ている。しかし、肯定的な態度に出られると、今度は全面的に信任されたと思い込んでしまうのだ。大阪市の話によれば「保育士は6名いる」という決まりが理解できず、勝手に3人くらいで十分でしょと言っていたという。
ここからわかる第一のポイントは、依存している相手が全面的に自分の期待に応えてくれないと感じて苦しんでいる人は、自己と相手の距離を置いてみて冷静に関係を分析することで、その苦しみを軽減することができるというものだ。相手を「良い悪い」に極端に分けてしまうというのは赤ん坊と同じ状態でいわば対人依存だ。自分の願望がすべて叶うことはないわけで、例えば50%だけ叶えられてもそれが不満に繋がってしまう。これはかなり苦しい人生だろう。相手と距離を置いて、必要最低限のことは叶っていると考えれば苦しみは軽減できるかもしれない。
ここで考え込んでしまったのは、籠池諄子さんのように良い人間悪い人間というくっきりとした対人関係しか結べない人が老年期を迎えてしまったとき、私たちに何ができるかということだ。噛んで含んで自分の主張を教えようとしても「悪い人」と認識されてしまったが最後、何も話を聞いてもらえず、その場で足をばたばたさせて泣き出してしまう老人だ。話し合いは成り立たず、その場の雰囲気は険悪なものになるだろう。
その場しのぎの対応はしないで冷たく拒絶するくらいしか対応策がないようにも思える。もはや、相手と調整してうまくやって行くという技術が獲得できないからだ。普通に考えると「なぜ学校経営者の娘なのにそんなことになってしまったのか」と思うのだが、生育歴だけで説明できるものではないのかもしれない。とはいえ、こうした症状から「あの人には妄想癖がある」とされて投薬治療に回されてしまう人もいるらしい。精神疾患はゴミ箱のように扱われており、薬で行動力を奪って「対処した」ということになってしまうのだ。
籠池諄子さんのような人格の研究はまだまだ進んでおらずしたがって対処が難しい。それが、こうした感情の激しい人に振り回され人生を無茶苦茶にされる多くの被害者を生んでいるのだ。

「株価維持」という大東亜戦争

日銀のETF購入額4兆円超。2年連続で最大の買い手に」という記事を読んだのだが意味がよくわからなかった。書き手は大前研一で、日本の政治的文脈とはわりと離れたところにいそうなので、へんな政治的意図はなさそうだ。
いわゆる「アベノミクスの生みの親」が信頼できない人だということがわかってきている。浜田さんという大学の先生はかなり前に逃亡してしまったし、今回は山本地方創生担当大臣の「大英博物館は学芸員を大量にクビにしたらしい」という発言がガセだということがわかった。二条城の件もデタラメだったわけで、この人のいうことは全く信頼ができないと考えて良さそうである。
さて、大前の文章だが、政府批判が混じっているので筋が追いにくい。大家なので編集が手を入れられなかったのかもしれない。例えば、この文章は「国債の総額が1300兆円」ということがわかればそれなりに読み解けるのだが、わからないと日本国債という主体が何か返せないものを持ち込んでいるというように読めてしまう。一方、主体(つまり価値を吸収しているもの)が何なのかという情報がない。

日本国債は、実際には全く返す予定のないものを1300兆円も持ち込んでいるわけで、しかもそのかなりの部分を、印刷した人たちがもう一度買っているという複合汚染ともいうべき状況にあるのです。

整理してみたら次のようになった。


日本の株価は政府が支えており、これは異常な状態だ。

  • EFTという日経インデックスに連動して価格が変わる金融商品の最大の買い手は日銀だ。海外の投資家が日本の市場から手を引いているのだが、日銀がこれを買い支えている。日銀が持っているEFTの時価総額は11兆円になる。
  • 年金資金を運用するGPIFも株式を買い支えている。

つまり、日本企業の業績があがったから株価が上がっているわけではない。政府が自分で株を買っているから株価が上がっているだけなのだ。
長期金利が上昇していて日銀は10兆円の赤字を出している。臨界点がどこかはわからないが、崩れるときには崩れるので、極めて危険な状態である。日銀が株を買い支えられなくなればGPIFも崩壊することになる。政府は資金が調達できなくなり、国債の価格も暴落するだろう。
日本国債の総額は1300兆円だがこれは返す予定が全くないものだ。しかも、価値を創造した人がもう一度買い込むという状態になっている。


「崩れる」という(多分原文には使われていないのではないかと思うのだが)表現だが、これを読むには砂山について理解する必要がある。砂時計のように上から砂を落とすと「崩れやすい」山ができる。が、それがいつ崩れるかというモデルをつくることはできないので、砂山がいつ崩れるかは予想できない。ある程度砂が積もると「ああ、これは崩れるな」ということはわかるが、ではどれくらい積もったら崩れるかということもわからない。砂山が崩れるのは上からの砂の重みに耐えられなくなった時か、外から何らかの刺激が加わった時である。
ここから読めることはいくつかあり、同時によくわからない点もある。

  • 狭義の「アベノミクス」は一種のバブルでありいつかは崩壊する。狭義のアベノミクスとは株価が上がることで、世論が景気は悪くないのだと感じることを意味する。広義のアベノミクスは賃金の上昇を伴う物価上昇だがこれは全く実現できていない。
  • 安倍首相は、企業や消費需要を全くコントロールできていない。コントロールできているのは、日銀と年金資金だけである。が、これは自作自演にすぎない。つまり、企業も消費者も政権を信頼はしていないことになる。
  • 海外投資家は日本の株式市場から撤退しているらしい。つまり企業の収益は悪化していることがうかがえる。イオンが値下げを発表したというニュースもあるので「デフレ」が始まっているのかもしれない。
  • これがバブルなのか、バブルがいつ崩壊するかは誰にもわからない。いわば砂山が崩れるのと同じだが、すでに崩れる砂山ができている。
  • いわば、日本経済は「大本営発表」という状態になっているのだが、新聞も不利な戦況を伝えない(政府の言い分をそのまま伝えている)ので、第二次世界大戦の敗戦直前と同じ状態になっている。ただ、不利な戦況を伝えるということは、信用不安に直結してしまうために、正直な報道が経済を崩壊させる可能性はある。

一方、最後の点がよくわからない。つまり1300兆円も返す予定がないものを吸収できる主体があるのなら「それでもいいんじゃないか」と思えてしまうのだ。何が信用を担保しているのかもわからないが、それだけ信頼があるなら無料でお金を印刷して国民にばら撒けばよいのではと思うが、これに成功した国はないはずなので、何か問題があるのだろう。


日銀というプロジェクトは崩壊を前提にしていて、その責任を誰が取るかということが極めて曖昧になっているようだ。その意味では日本の財政は豊洲市場移転とか国立競技場などのプロジェクトに似た構造があることになる。崩壊を前提にはしているがすべての人がここに関与する形になっているので撤退はできない。
確かに安倍政権は事実を歪めて解釈することで「何もしなくてもよい」という感覚を演出しているのだが、計画者は安倍晋三ではないかもしれない。つまりいわゆる「リフレ派」と呼ばれる人たちが、いろいろ「吹き込んだ」結果なのかもしれない。この山が崩れはじめると「なんとかしろ」という声が出るだろうが、その時には彼らの主張が事実に基づかなかったということがわかるだけで、責任の所在は明らかにならないだろう。それは山本地方創生担当大臣が「自分はアベノミクスの生みの親だ」と言っていることからも明らかだ。生みの親と言っても安倍さんをそそのかしただけで、実際に道筋について計画立案したわけではない。お互いの意思を読み合う無責任な構造があるということになる。
「大本営発表」とはいうものの、状況を分析している国会議員もいる。(リンク先は河野太郎)政府与党の立場としてはアベノミクスが成功するという立脚点しかもてないので、2%という目標が達成できると出口戦略が必要になるという書き方になっている。さらに砂山が崩れる前に砂を取り除こうというような話になっているのだが、砂山から砂を取り除いたとたんに崩れるというのもありえるシナリオだ。前回の土地資産バブルの時も砂山が崩れるきっかけになったのは大蔵省の通達だった。さらに大前の文章は一方で外国人が「仕掛けてくる」可能性を含んでいる。つまり、砂山が中から崩れるか外から崩れるかは誰にもわからないのである。

「教育勅語は学校独自の判断で教えてもよい」という狂気について考える

教育勅語を学校で教えるとき、何が憲法に触れるかということは学校が独自で判断していいということになったらしい。そういう閣議決定が出たそうだ。全く狂っているように思えるのでちょっと考えてみた。
学校や地域が独自でカリキュラムについて判断ができるというのはいいことだ。学校は良心に基づいて教育内容を判断するべきであり、これは個人の信条の自由と同じ意味合いを持つのではないかと考えられるだろう。その点だけから考えると、政府の決定は「正しいもの」ということになるかもしれない。
しかし、この決定に戸惑いが出るのは、そもそも教育勅語が現行憲法下で否定されているという事実を無視しているという点だ。「教育勅語は現行憲法とは相容れないからそこんとこよろしく」という念押しの決議も出ているそうだから、さらに事態は深刻と言えるだろう。本来なら「教育勅語は現行憲法下では否定されており、こういう考えが戦前にあった」というコンテクストでしか教えることができないはずだ。それ以外は「嘘を教える」ことになってしまう。
だが考えてみると、学校で憲法違反の何かを教えても罰則はない。「罰則がないなら何をやってもいう」という道徳心の決定的な欠如が安倍政権の本質なので、この閣議決定は極めて「安倍カラーが強い」ということになる。
ところがこれを延長して行くと。学校と教育委員会が適当と認めれば何を教えてもよいことになる。例えば「わが闘争」を中核理念とする学校があってもいいわけだし、「主体思想」も「資本論」もよいということになる。学校で「今の政府は米帝が日本の民衆を抑圧するために作った政権だから打倒しても構わない」と毎日唱えさせてもよいのだ。
「政府の打倒」などとは憲法に抵触するではないかという意見もありそうだが、政府の見解によれば「憲法はどうとでも解釈できる」わけだから、適当にこじつけて「幸福追求の権利を侵害する政府は打倒しても構わない」という解釈を作ってもよいことになるだろう。もうなんでもありになったということだ。
もちろん「教育委員会が赤化するはずはない」と思えるのだが、教育勅語が学校のカリキュラムになるなどという狂ったことは数年前には考えられなかったことなので、今後何が起こるかわからない。もちろん私立の学校であれば何の問題もないわけだから、共産党はマルクス記念小学校を作ればよいということになる。
要は、学校教育は教育者の解釈次第でどうとでもなるということだ。教育勅語を教えるような学校に子供を入れたり、極右の市長のいる自治体に引っ越して「知りませんでした」jは通らない。つまり、最終的に行き着くのは「学校を100%信頼できるようなお気楽な時代は終わった」ということである。先生を疑わなければ生きて行けない時代になってしまったのだ。