大臣で初めて今村復興大臣が更迭(まあ、自分から身を引いたということになっているが)された。子分を切られた二階幹事長は納得がいかなかったようで記者団に不満を漏らした。舌禍事件を起こした大臣は多いが、更迭されたのは今村さんが初めてだ。今回は今村さんが何を間違えたのかを分析して行きたい。この違いを噛みしめることで、安倍政権がどのような論理で運営されているかがわかるはずだ。すると、私たち国民が政治に何を求めているかということもわかるのだ。
舌禍事件を起こした大臣やまともに答弁できない大臣はたくさんいる。にもかかわらず大した失策がない今村さんが罷免されてしまったのはなぜなのだろうか。
今村さんは、国政の視野に立って、関東地方と東北地方の被害を比べた。国政に携わり内閣の一員ともなると全体的な視野で俯瞰する癖がつくのだろう。これがまずかった。つまり、国政に携わる人は全体を俯瞰で見てははいけないのだ。ではなぜ俯瞰で見ることがいけないのか。
背景には直視しがたい現実がある。魅力のある産業がない東北地方は衰退して行くばかりだ。もちろん地震のせいもあるが、そればかりではない。若者たちが東京に惹きつけられるのは、面白いものはすべて東京にあるからである。秋田県の地震の被害はそれほどひどくなかったがそれでも人口が100万人を切ってしまった。さらに福島第一原発で毀損された福島県も元に戻ることはないだろう。国家予算と同じくらいのお金を全部つぎ込んでも完全な除染はできないのではないだろうか。
地方分権をしても東北は救えないだろうし、日本全体が衰退して行っているのだから東京からの援助もこれまでのようには期待できない。であればあとできることは「いやあ、東北はいつかは復興しますよ」と言い続けて、なおかつ何もしないことである。何かすれば「やっぱりダメだった」ということになりかねないからだ。つまり、復興担当大臣は、何もしないが「私たちに任せてくれれば大丈夫」と言い続ける人が求められるわけで、解決策を提案したり、国政全体の観点から「いくら復興費用をかけるのが妥当か」などということを考えてはいけないのである。
いろいろな人にいい顔をして口約束はするが決して何もしないというのはいろいろなところで見られる。最近では国防と外交に顕著だ。「誇り高い日本を取り戻す」などと言っても、アメリカから独立して日本を守ることはできないし、その意欲もない。が、それで構わない。どうせ、すべての人を満足させる解などはありえないのだし、国民もうすうすそれはわかっている。だから石破茂さんのように防衛に詳しい人を防衛大臣にしてはいけない。何かを決めることで、誰かが傷つくからだ。稲田さんのように最初から精神が崩壊している人のほうが都合が良いのだ。日本の国防政策が悪いわけではない。稲田さんの精神が変なのだと思えばこそ、みんなを納得させられるのである。
共謀罪もだれを満足させるための法律なのかはわからないが、もうめちゃくちゃなことになっている。これをぶち壊しにしようとしているのは法律に詳しく筋が通った副大臣だ。金田さんのように何もわからず、官僚の答弁を読み、馬鹿にされても黙っている人の方が大臣には適任なのだ。共謀罪が無茶なのではない。金田さんが変だと思える。
それでも都合が悪くなれば、資料を隠し、過去の内閣の閣議決定や答弁を歪める。佐川理財局長も無茶苦茶なことになっている。しかし、国民がそれに立腹することはない。なぜならば、国民も「過去とつじつまを合わせてまで現実を直視する」などということはやりたくない。つまり、国民が求めるているのは一時の麻薬的なまどろみなのである。
今村さんがいけなかったのは、この空気を読み取れず「国政ゴッコ」をしてしまったという点にある。大臣に求められるのは解決策ではない。サンドバッグのように叩かれても動じない精神力なのである。
政治は腐っている!と言いたいのはやまやまなのだが、こういうことはいくらでもある。例えば「レコード会社」に就職したい人は「音楽が好きでたまらない」とか「理想のアルバムを作りたいんです」などと言ってはいけない。レコード会社は「大衆が求めているようなレベルの」音楽を提供するべきだと考えられているからだ。理想を語る人は素人であり、プロの現場にふさわしくないとされる。同じように「本が好きでたまらない」人とか「理想の本を作りたい」人は編集者にはなれないのではないだろうか。それは「大衆が欲しがっているようなくだらないレベルのもの」を提供するのが編集者だからである。
そんなやる気のないことでは全体が沈んでゆくと考えるのが「頭のいい人」だ。頭がいい人ほど安倍政権の場当たり的な対応が許せなくなるはずだ。一方、ネトウヨは全体を統合できるほど頭が良くないので安倍政権の嘘が気にならないのである。理想の国家観を持って全体を統合しようとした瞬間にすべてが崩れ去ってしまう。合理的に考えると限界集落は打ち捨てられ、秋田、島根、鳥取、佐賀(秋田県を入れると全部で10県もある)などの100万人を切っている県はどこかと統合されるべきである。北海道の北部には人はいないのだから鉄道は廃止されるべきだし、銚子の近くには病院のない地域があって当然である。そして余った資本を人がたくさん住んでいる地域に振り向けるべきであろう。子育てに余裕のない世帯がたくさんある。
だが、どうだろうか。ネットの片隅で誰も読まない記事を書いているからこんなことが言えるわけで、有名人のブログだったら即炎上しているだろう。みんなそんなことはわかっている。だが言い出さないだけなのだ。
今村さんはそういう意味では頭がよすぎて、プロの政治家にはなれなかったのだ。政治家には国家観を語る資格などないのである。
Comments
“今村復興大臣の何が間違いだったのか” への3件のフィードバック
でも、言っていいことと悪いことの区別がつかなかったって意味では、やっぱり頭が良いとは言えない気もしますσ(^_^;)
このニュースを聞いて最初に考えたのは「言っていいことと悪いことを区別する」というのはかなり高度な能力なんだろうなということでした。そういう能力が欠けていて訓練する機会もない人でも、偉くなれてしまうんだなと。
が、東大の法学部を出てIQそのものは高かったはずではないかとなりますよね。
つまり、自分の発言で誰かが傷つくかもしれないと想像できないとか、自分が相手にしている人に寄り添えない(つまり共感能力が著しく低い)というのは知能指数ではなく、共感指数とでもいえる別の能力だという結論になりました。
本来、この2つの能力を分けて分析するべきなんだと思います。
コメントありがとうございました。
なるほど。
確かにIQとEQは違いますもんね。
ただ、勉強ができるのと知能指数が高いというのは実は別なのではないかとも思うのです。
IQが示すのは記憶・推理・判断らしいですが、記憶力だけ高くても(そして日本の教育はほぼこれのみに注力しています)推理力・判断力が伴わなければIQが高いとも言えなくなってしまう。
先に舌禍を起こしたばかりなのに自重するという判断ができず、自分の発言がどういう結果をもたらすか推理できなかったのかなあ、と。
まあいずれにせよ、この方総合的な人間の能力として、著しくバランスを欠いているということなのでしょうね。
返信ありがとうございました。