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「株価維持」という大東亜戦争

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日銀のETF購入額4兆円超。2年連続で最大の買い手に」という記事を読んだのだが意味がよくわからなかった。書き手は大前研一で、日本の政治的文脈とはわりと離れたところにいそうなので、へんな政治的意図はなさそうだ。
いわゆる「アベノミクスの生みの親」が信頼できない人だということがわかってきている。浜田さんという大学の先生はかなり前に逃亡してしまったし、今回は山本地方創生担当大臣の「大英博物館は学芸員を大量にクビにしたらしい」という発言がガセだということがわかった。二条城の件もデタラメだったわけで、この人のいうことは全く信頼ができないと考えて良さそうである。
さて、大前の文章だが、政府批判が混じっているので筋が追いにくい。大家なので編集が手を入れられなかったのかもしれない。例えば、この文章は「国債の総額が1300兆円」ということがわかればそれなりに読み解けるのだが、わからないと日本国債という主体が何か返せないものを持ち込んでいるというように読めてしまう。一方、主体(つまり価値を吸収しているもの)が何なのかという情報がない。

日本国債は、実際には全く返す予定のないものを1300兆円も持ち込んでいるわけで、しかもそのかなりの部分を、印刷した人たちがもう一度買っているという複合汚染ともいうべき状況にあるのです。

整理してみたら次のようになった。


日本の株価は政府が支えており、これは異常な状態だ。

  • EFTという日経インデックスに連動して価格が変わる金融商品の最大の買い手は日銀だ。海外の投資家が日本の市場から手を引いているのだが、日銀がこれを買い支えている。日銀が持っているEFTの時価総額は11兆円になる。
  • 年金資金を運用するGPIFも株式を買い支えている。

つまり、日本企業の業績があがったから株価が上がっているわけではない。政府が自分で株を買っているから株価が上がっているだけなのだ。
長期金利が上昇していて日銀は10兆円の赤字を出している。臨界点がどこかはわからないが、崩れるときには崩れるので、極めて危険な状態である。日銀が株を買い支えられなくなればGPIFも崩壊することになる。政府は資金が調達できなくなり、国債の価格も暴落するだろう。
日本国債の総額は1300兆円だがこれは返す予定が全くないものだ。しかも、価値を創造した人がもう一度買い込むという状態になっている。


「崩れる」という(多分原文には使われていないのではないかと思うのだが)表現だが、これを読むには砂山について理解する必要がある。砂時計のように上から砂を落とすと「崩れやすい」山ができる。が、それがいつ崩れるかというモデルをつくることはできないので、砂山がいつ崩れるかは予想できない。ある程度砂が積もると「ああ、これは崩れるな」ということはわかるが、ではどれくらい積もったら崩れるかということもわからない。砂山が崩れるのは上からの砂の重みに耐えられなくなった時か、外から何らかの刺激が加わった時である。
ここから読めることはいくつかあり、同時によくわからない点もある。

  • 狭義の「アベノミクス」は一種のバブルでありいつかは崩壊する。狭義のアベノミクスとは株価が上がることで、世論が景気は悪くないのだと感じることを意味する。広義のアベノミクスは賃金の上昇を伴う物価上昇だがこれは全く実現できていない。
  • 安倍首相は、企業や消費需要を全くコントロールできていない。コントロールできているのは、日銀と年金資金だけである。が、これは自作自演にすぎない。つまり、企業も消費者も政権を信頼はしていないことになる。
  • 海外投資家は日本の株式市場から撤退しているらしい。つまり企業の収益は悪化していることがうかがえる。イオンが値下げを発表したというニュースもあるので「デフレ」が始まっているのかもしれない。
  • これがバブルなのか、バブルがいつ崩壊するかは誰にもわからない。いわば砂山が崩れるのと同じだが、すでに崩れる砂山ができている。
  • いわば、日本経済は「大本営発表」という状態になっているのだが、新聞も不利な戦況を伝えない(政府の言い分をそのまま伝えている)ので、第二次世界大戦の敗戦直前と同じ状態になっている。ただ、不利な戦況を伝えるということは、信用不安に直結してしまうために、正直な報道が経済を崩壊させる可能性はある。

一方、最後の点がよくわからない。つまり1300兆円も返す予定がないものを吸収できる主体があるのなら「それでもいいんじゃないか」と思えてしまうのだ。何が信用を担保しているのかもわからないが、それだけ信頼があるなら無料でお金を印刷して国民にばら撒けばよいのではと思うが、これに成功した国はないはずなので、何か問題があるのだろう。


日銀というプロジェクトは崩壊を前提にしていて、その責任を誰が取るかということが極めて曖昧になっているようだ。その意味では日本の財政は豊洲市場移転とか国立競技場などのプロジェクトに似た構造があることになる。崩壊を前提にはしているがすべての人がここに関与する形になっているので撤退はできない。
確かに安倍政権は事実を歪めて解釈することで「何もしなくてもよい」という感覚を演出しているのだが、計画者は安倍晋三ではないかもしれない。つまりいわゆる「リフレ派」と呼ばれる人たちが、いろいろ「吹き込んだ」結果なのかもしれない。この山が崩れはじめると「なんとかしろ」という声が出るだろうが、その時には彼らの主張が事実に基づかなかったということがわかるだけで、責任の所在は明らかにならないだろう。それは山本地方創生担当大臣が「自分はアベノミクスの生みの親だ」と言っていることからも明らかだ。生みの親と言っても安倍さんをそそのかしただけで、実際に道筋について計画立案したわけではない。お互いの意思を読み合う無責任な構造があるということになる。
「大本営発表」とはいうものの、状況を分析している国会議員もいる。(リンク先は河野太郎)政府与党の立場としてはアベノミクスが成功するという立脚点しかもてないので、2%という目標が達成できると出口戦略が必要になるという書き方になっている。さらに砂山が崩れる前に砂を取り除こうというような話になっているのだが、砂山から砂を取り除いたとたんに崩れるというのもありえるシナリオだ。前回の土地資産バブルの時も砂山が崩れるきっかけになったのは大蔵省の通達だった。さらに大前の文章は一方で外国人が「仕掛けてくる」可能性を含んでいる。つまり、砂山が中から崩れるか外から崩れるかは誰にもわからないのである。