ざっくり解説 時々深掘り

プログラマーとして幸せになりたかったら外国へ行け

カテゴリー:

面白い記事を見つけた。ニュージーランドで働いているプログラマーが残業がない労働環境を自慢している。プログラマーの粒が揃っていて無駄な作業が発生しにくい上に、給料が良いので残業をする必要がないのだそうだ。一応ブログとしては「日本でも同じような環境が作れる」と結んであったが、無理だと思った。
プログラマーの粒が揃っているのは、情報科学系の大学などを卒業してコードを書けることが採用の条件だからだそうである。ここにはかかれていなかったが、採用担当者がプログラムを読むことができるという前提なのだ。「何を当たり前のことを」と言われそうだが、実際にIT系の会社で働いている人はこれを笑えないのではないだろうか。
なぜこのようなことになってしまったのだろうかと考えたのだが、かなり根は深いように思える。もともと会社に「情シス」という部署は存在しなかった。企業業務が「電算化」されていなかったからだ。情シスで働く人は、趣味でコンピュータを知っているか、営業などをドロップアウトした人だったはずである。つまり、そもそもプログラムが書けない人が採用を始めてしまったために、今でもプログラマの質が判断できないのである。
バブル後期頃(まだコンピュータはパーソナルではなかった)になるとどういうわけか「このまま業務が拡大すると、プログラマーやSEが足りなくなる」ということがまことしやかにささやかれるようになった。そこで「誰でもいいから採用してしまえ」ということになり、文系の学生たちが大量に採用された。中には宴会を開いて学生を囲い込むような会社もあった。が、バブルがはじけると今度は「人件費を減らす経営者が偉い」ということになる。もし、あのままバブル景気が続いていれば、素人集団だった日本のIT技術者はプロ化できていたかもしれない。
バブル景気が崩壊するのは1991年とか1992年頃なので当時に人たちが中間管理職になっていたりするはずである。コンピュータ教育をまともに受けないで現場に放り出されたという人もいるだろうし、企業内SEも「フローチャートの書き方は……」くらいのことを会社に入って初めて習ったような人たちである。いきなり、海外で教育を受けたような人たちを採用するのは無理だろう。
つまり、本格的にプログラマとしてやってゆきたいなら、そもそも日本で教育を受けて日本の会社に勤めるのは不利だし、仮に才能があって独学で優れたプログラミング技術を身に付けられたとしても海外にリクルートされてしまう。つまり、日本の環境はプログラマには不利であり、その不利さは日を追うごとに拡大していってしまうのだ。
ここまで書いてくると「日本を軽蔑している」などと思われてしまうのかもしれないが決してそうではない。プログラミングそのものは日本でも学べる。PHPやMySQLなどを使ったアプリケーションなら組めるようになるだろう。しかし、開発環境を整えたり、標準的なプラットフォームを使って開発することはできない。また分からないことがあれば質問したり資料を調べて自己解決するのだが、やはり英語の方が情報が多い。このような自己解決能力を身に着けるためには、学校で基礎から教えてもらうか、実地研修を行う必要がある。今現場で何が使われているかを教えるためには教師がそれを知っている必要がある。
つまり、知識がネットワーク状になっているので、知識のあるところにどんどんと新しい知識が集約することになる。
製造業では核になる技術を韓国や中国に「売った」人が問題になることがある。これは核になる技術さえ持っていればそれなりの競争力を持てるということを意味している。だが、IT産業はプログラマ一人ひとりが自己解決力持っていることが求められているといえるだろう。
つまり、個人の努力ではどうしようもないくらいの開きがあるということになるので、間違った場所で努力しても無駄だ。だったら、プログラマとして生きて生きたいなら、海外の就職先を探した方が良いと思う。もし、日本で成功したいなら、何も作らないで組織の空気を読みながらパワーポイントでみんなを満足させるような職業を学ぶべきだろう。何も作らないし何も決めないということは責任を取る必要もなく、したがって絶対に失敗しない。
残念なことに、英語圏の先進国では技術系のビザが取りにくくなっているようである。アメリカファーストのアメリカも非移民ビザを制限し始めているし、オーストラリアも非移民系取得ビザの要件として英語などを加える予定のようだ。EUから離脱するとイギリスのビザも取りにくくなるかもしれない。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です