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あなたが保守かリベラルかがわかるテスト

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中川俊直さんという衆議院議員が騒ぎを起こしているようだ。奥さんがいるためハワイで結婚式ごっこをしたのだが、そのときに結婚証明書を取ってしまったために「重婚ではないのか」と騒がれているらしい。これを見ていて保守と革新ということについて考えた。中川さんを非難するかしないかで保守かリベラルかがわかるなと思ったのだ。
現代の日本には保守とリベラルという政治的姿勢があるとされている。保守は日本の伝統的な生活を守る姿勢であり、リベラルは多様性を保証する姿勢だと一般的には理解されているのではないだろうか。
すると、結婚のような制度を守る人は保守であり、それにとらわれない人はリベラルということになるだろう。野党に嘘をついても罪には問われないのが今の国会だが、結婚制度を守らないと大きなバッシングを受ける。つまり、日本人は極めて保守的だということになる。国会議員だけでなく、芸能人の不倫も重罪であり、社会的に抹殺されるか数カ月程度仕事をおやすみせざるをえなくなるというのが通り相場になっている。不倫はそれほど重い罪なのである。
一方、日本にはリベラルな人がほとんどいないということもわかる。現在少子化が進んでおり、結婚制度は事実上崩壊しつつある。例えば、女性の性病罹患率が増えているそうだが、これは「女性が性をバラ売りし始めたからだ」と理解されているそうである。結婚して女性を養える男性が減っているので、女性は結婚できなくてもお金のある男性を捕まえることを選ぶわけだ。つまり「不倫」は実際には広がっていて「地下化」しているのではないかと想定される。それどころか不倫は「ビジネス化」してしまっているのかもしれない。
これは「女性の多様な生き方」であり肯定されるべきかもしれない。さらに危険なのは「結婚こそがすべて」だと考えられてしまうと、却って「日陰の女」の社会的地位が下がり、社会保障も受けられなくなる。婚外子の経済も難しくなるだろう。本来これをどうにかするのが「リベラル」のはずだが、こうした議論が出てくる見込みはない。
これはリベラルの支え手になっているのが高齢化した主婦だという背景があるだろう。彼女たちは公共に対して不機嫌な態度を持っており、その不機嫌を取り除くことには関心があるが、社会的な改革には興味がないし、他人の権利にも概ね鈍感である。つまり、日本のリベラルという人たちは実は保守なのだ。
一方で保守の人たちの態度もよくわからない。もし中川さんが保守の政治家であれば家制度を大切に考えているはずであり、不倫などとんでもないと考えるはずだ。しかし、ハワイに出かけて「人が見てなければいいだろう」と考えて浮かれた写真を撮影し、それを女性に暴露されてしまったようだ。いわゆる「保守」を自認する人ほど、自分の行動に全く責任を持たず、伝統には無関心だということは今まで嫌という程観察してきた。つまり、日本の保守政治家や支持者たちは、実は保守というイデオロギーには興味がないのだ。
つまりこれをまとめると、日本にはリベラルはおらず、リベラルと呼ばれている人たちが保守であり、保守の人たちは不完全に成熟した個人主義を全体主義というイデオロギーを通じて実現しようとしているだけの人たちだということになるだろう。
そもそも「一夫一婦制」という制度はそれほど古いものではない。武家は制度化された妾制度を持っていたのだが、経済力のある男性が複数の女性に子供を産ませて同じ家に住まわせるというようなことが行われていたのだ。ゆえにこれが保守の姿勢だから妾制度を復活させようという運動があってもよさそうである。
ところが面白いことに、人権や平和憲法には何の興味も持たない人でも「妾制度を復活させたい」などという話を聞けば猛烈に反対するのではないかと思う。これは単に自分が生きてきたときの常識を更新できないということを意味するわけで本当の保守ではないのだろうが、人間としては極めて自然な態度であると考えられる。これが「保守はイデオロギーではない」と言われる所以なのだろう。
こうした自然に生じた保守の姿勢を何と呼ぶかはわからないのだが、かなり錯誤したものになっているようだ。ガンで闘病している奥さんにテレビ局が押しかけ、奥さんがマスク姿でててきて土下座したという映像が流されたようだ。中川さん個人に対する攻撃のはずが「家」に対する攻撃になっていて、奥さんが代わりに謝罪するということになっている。が、不倫によって地位や感情を傷つけられているのは奥さんであり、いったい誰が被害者なのかということがわからなくなっている。
このことからわかるのは、実は保守という姿勢さえも実は「社会がどうあるべきか」という姿勢ではなく、単に結婚制度を選んだ自分の選択の正当化に過ぎない可能性があるということだ。自分たちは一夫一婦制で我慢しているのだから、それを逸脱する人たちが許せないという姿勢である。そう考えると日本人はそれほどイデオロギーを持っていないということが言えるかもしれない。つまり、社会そのものにそれほど関心を持っていないのだ。