ざっくり解説 時々深掘り

真の保守とは何か

カテゴリー:

真の保守主義という言い方が気になっている。いろいろ転がしていてふと「分配の議論」にするとわかりやすいのかなと思った。
いわゆる保守とか愛国と言っている人たちは、なんらかの定義を作って「誰にどれだけ分配するか」ということを決めているのだと思う。代表的なのがトランプ大統領だが安倍首相も「お友達への利益分配を優先すべきだ」と考えているようで保守と言えるだろう。
そう考えると、それに対峙する人たちをリベラルと言って良いとおもうのだが、リベラルの分配方式は社会構造に依存しない。アメリカでリベラルというと自由放任主義を指すようだ。つまり、分配にできるだけ政府の意意思を介在させないのがリベラルということになる。ネオリベという人たちもいるようだが、ここでは自由主義的リベラルといおう。
一方で市場原理による分配は勝ち組が負け組から収奪するということになりがちなので、あるルールを決めておいて理性的に従うというのがもう一つのリベラルである。多分、ヨーロッパの社会民主主義はそのようなリベラルなのだろう。彼らが従うルールがいわゆる「人権思想」や「民主主義」だ。
リベラルに共通するのは、彼らが成長を志向しているということではないかと考えられる。一方は競争により成長を加速させ、もう一方は分配によってすべての人が実力なりの幸福追求ができると考える。これは間接的に成長に必要な余力を多くの人に与える。その一方で保守主義は成長を前提としていない。利益を囲い込むのは、社会の総和として算出できる富の量は決まっており、それを他人でなく自分たちに分配することが政治の目標ということになる。
社会民主主義的リベラルと保守にも、社会がなんらかのルールを決めて資源分配するという共通点がある。民族がその単位になったりするのだが、民族を分解すると家族になるので家族主義的な政策があり温かみを感じさせる。
ところがこの暖かさは社会的搾取があって初めて成立する。搾取が目立たないのは周縁が地理的に隔絶されていて見えないからだ。グローバル化した保守ではこれが可視化されるので不都合なことが起こる。
日本は第二次世界大戦敗戦以前に多くの食い詰めた市民たちを南米などに移住させた。彼らを養いきれなかったからだ。しかし国内的には日本は天皇を中心とした家族であると主張していた。しかし日本の労働人口が減り始めると「社会保障は受けさせたくないが労働者は足りない」ということになったので、一度追い出した日系人を安い労働力で使えないかと考えるようになった。彼らはもともと日本民族なので、保守主義者は同胞を大切にすべきだが、利用することしか考えていない。かといって国内にいる韓国系の日本人は血統が異なるといって差別する。居住地主義でもなく、血統主義でもない。つまり民族といってもその場の場で都合の良いように使い分けているだけなのだ。
保守主義者にとっては人間は「仲間」「利用できる相手」「敵」の三種類しかいないことになるだろう。だが、仲間内にとってはこれはとてもありがたく居心地がよい制度なのである。
そう考えると、すべての政治信条は2つの質問で分類できることになる。一つ目の質問は「政府は分配すべきか、分配に介入すべきでないか」というものだ。もう一つの質問は「社会階層は固定的であるべきか流動的であるべきか」というものだ。
すると「政府は介入すべきではないが社会は固定的であるべき」という選択肢も生まれるわけだが、これは原理的にありえない。社会秩序を作った時点で介入が存在してしまうからである。
アメリカの共和党は自由主義的なリベラルと保守主義者の連合体ということになる。民主党は社会民主主義に近い分配政党だ。
この分類方法で分類すると自民党、社会党、共産党は保守政党ということになる。自民党と他二党の違いは利益誘導が「自発的身分」に流れるか「非自発的身分」に充当されるかという点だけだ。どちらも、法の秩序はあまり重視せず、それぞれの利権構造への富の誘導が政治の仕事だ。公明党も宗教組織への利益誘導だから保守政党ということになるだろう。
共産主義が「保守」とはめちゃくちゃに聞こえるかもしれないが、北朝鮮では王朝が作られて日本よりも固定的な身分制度がある。中国共産党も共産党員を優遇しており、農村では身分制度が固定化している。都市の身分制度を一部解放することで擬似資本主義が実現されているのだが、それを支えているのは植民地化した後背部の農村労働者だ。つまりいわゆる「リベラル」という人たちは保守政党以上に保守化しやすいということがいえる。
現在よくわからないのは維新だ。大前研一が志向したのは多分自由主義的なリベラル政党だったのだろうが(地方分権をテーマにしていた)大阪で自民党からの富の収奪を目指す人たちが政策をゆがめ保守政党化した。橋下徹元大阪市長は自由主義的なことをいうが、松井一郎府知事はかなり保守的なようである。
こう考えてみると民進党がなぜ崩壊しかけているのかがわかる。彼らは誘導する利益集団を持たないし、かといって利益再配分するためのルールを提示できなかった。せいぜい自民党の利益分配のリエンジニアリングを提案しただけである。つまり、日本ではすべての政党は保守化する運命にあり、それに失敗した政党は消えてしまうのではないかと考えらえる。
まとめると政党を作るためには代表するべき利益集団があるか、分配に関するルール(分配するルールを作らないというルールを含む)を持つ必要があるということになる。言い換えれば分配政策を定義するか、統治政策を定義しなければならない。ゆえに長島昭久氏のいう「リアリズム」は真の保守にはなりえないだろう。代表する利権構造を持たず、経済的な分配にも全く何の意思表明もしていないからだ。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です