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わざわざ政府の心配をしてやることはないのだが……

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共謀罪の成立する可能性が高まっているという。多くのリベラルの人たちが監視社会を心配しているようだが、個人的にはあまり心配していない。なぜなら日本社会はもともと相互監視の強い「縛りあいと我慢の押し付けあい」社会だからだ。
小田嶋隆さんが次のように心配している。


これも今でも「警察が職場に来ただけであいつは怪しいのでは」となってしまうのだから、まああまり変わらないのではないかと思う。こういうあけすけな無神経さは今でも一般に浸透している。

が、心配事もある。
もともと、日本の相互監視はかなり高いコストがかかっている。職場では常に居酒屋会議が開かれ、学生はLINEで24時間仲間を見張っている。PTAも監視に忙しいので働いている女性は実質参加できないのだという。
共謀罪の趣旨は、国民を監視して誰も政府に反抗しないようにすることなので、国民全体が監視の対象になるだろう。するとこの監視コストを誰かに担わせなければならない。東ドイツにはシュタージという体制維持のための国民監視網があり、記録も残っていた。しかし記録が残せたのはドイツが比較的低コンテクストの社会だったからだ。
日本は高コンテクストの社会なので、監視は非公式のコミュニケーションルートを対象にしなければならない。情報量が莫大になってしまう。しかし東ドイツが「比較的容易だった」とはいえ、家族の間でも監視が行われていたそうである。日本政府の今の提案では「誰が監視を担うのか」ということが明確にされていない。これは政府に反抗する(政権交代を望んでいるだけの人も含む)があまり多くないからだ。警察だけで対応できると考えられているのだろう。
「メールの盗聴システムもあるから安心」となるかもしれないが、メールやSNSで政府を礼賛しておいて、FAXで政府転覆を働きかけることもできる。逆に偽装工作がしやすくなる可能性もある。やはり、足で監視する人たちが必要になる。が、政府の覚悟は「ぱっと見でわかりますよね」という程度らしい。

しかし、政府にここまでの覚悟と予算があるとは思えないので、捜査機関の規律が乱れて冤罪が乱発されるだけに終わる可能性の方が高い。現行の官僚組織では忖度が横行しているが、その正体は非公式な意思決定なので、管理できなくなり暴走する可能性が高い。
警察はすでに複雑化する政治的犯罪には追いつけなくなっていて、昔暴れていた人たちを監視して「お仕事をしています」というふりをしているだけなので、テロを恐れて一般人に手を突っ込めば10年程度の時間を経て警察の威信は大いに低下するだろう。
すると、国民の大半は警察に懐疑的になる。すると政府の定義ではこうした人たちはすべて一般人ではないということになってしまうので、すべて監視対象になる。さらにそれに反発する人たちが増えるという図式が生まれる。
今、野党に賛同する人が多くないのは、見世物のような政治ショーが時々行われるからである。つまり末端の大臣などを叩くことで溜飲を下げている状態だ。これがなくなれば政府への反発は行き場を失い、政府に反発心を持つ人は増えるだろう。
だが、表立って政府に反抗するのはコストが高いので、国民はあえて反抗はしないだろう。しかし、反抗というのは提案の一種なので、有力な「別の選択肢」を抑えこんでしまうことになる。すると強力な野党や選択肢が生まれない。翼賛体質になり「この道しかない」といって破綻への道を突っ走ることになるだろう。
もう一つできるのは、監視をやめて国民を檻に閉じ込めておくという方法だ。例えばウィグル人が多い新疆ウィグル自治区はそのような状態になっている。しかしこれが成り立つのは資源が豊富にありウィグル人の労働力に頼らなくても資源収奪ができるからなのだ。日本で同じ状況が整いうるかを考えた方がよいのではないか。
共謀罪は国民の内心に政府の泥だらけで汚い手を突っ込むような大いなる挑戦なので、国民を縛り付けられる覚悟があって法律を作ろうとしているのか、金田法務大臣や安倍首相に聞いた方がよいのではないだろうか。


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