SMAPと五社協定

SMAPが番組に出てきて「謝罪」した。TVでは「解散しないで良かった」という「街の声」が流されたが、ネット上には批判があふれていた。前近代的な芸能事務所の有り様が批判の対象になっており、会社を辞められないサラリーマンの境遇と重ね合わせるものもあった。フジテレビは視聴者の意見を募集したが「SMAPがかわいそうだ」とか「早く逃げろ」というツイートが集ってしまい放送では使えず、自前で一般ファンを装った情報操作を行った。しかし、ネットは即座に偽装を見抜き、非難の声が上がる騒ぎも起きた。
中には「SMAPが置かれている芸能界のあり方を議論により近代化するチャンスなのではないか」と書いている人もいた。だが、残念ながら「議論」であり方が改善することはないのではないかと思う。
とはいえ、芸能界のあり方も変わらざるを得ないだろう。「議論」で状況が変化することはないだろうが、経済的な圧力が状況を変える可能性が大きい。
かつて映画界に五社協定というものがあった。映画会社の専属スターは他社の映画には出る事ができないという規定だ。映画会社を退職してしまうと映画に出る事ができなくなるので、俳優は廃業せざるを得なかったのだ。
映画会社がこうしたカルテルを組む事ができたのは、映画が寡占産業であり、唯一の娯楽だったからだ。ところが、映画界はカルテルを組んだことで近代化が遅れた。その結果として急速な映画離れが起きることになる。ピーク時に1100万人だった動員数は10年で400万人まで落ちこんだ。その後も落ち込み続けて、最終的には200万人弱で安定した。
映画が落ち込んだのは娯楽の主役を白黒テレビに奪われたからだ。しかし、劣勢になっても映画界はスターの囲い込みをやめられなかった。この時にテレビと協業していれば、映画産業の運命も違ったものになったかもしれない。
映画界のスターの囲い込みには直接の因果関係はない。むしろ重要なのはスタッフを囲い込んだ点だろう。囲い込みによってアイディアの交流が起きず、邦画は昔当たった映画のコピーやハリウッド映画の二番煎じから抜け出す事ができなかった。スタッフと同時に顧客の囲い込みも起こっていたのではないかと想像できる。古くからの映画ファンは変化を好まず「これぞ映画」というような古い類型を待望したのではないだろうか。
日本のテレビも寡占業界にあり、アイディアの交流が起きにくくなっている。このため日本のテレビはつまらなくなった。大勢の視聴者に合わせると、どうしても無難なものしか作れなくなってしまうし、既存の視聴者に合わせると保守的な番組しか作れなくなってしまう。
日本のテレビに代わるものとは何だろう。それはネットだと考えられる。光ファイバーが普及するに連れて、オンデマンド型の放送も可能になった。一方方向の放送と違い、双方向なので視聴者のプロフィールが取りやすい。視聴率というおおざっぱな指標に頼らず、受け手一人ひとりにあった広告を配信することも可能だから、より細かい作り込みができる。「万人向けの無難な作品」ではなく「特定層に向けた切れ味のよい作品」が作れるのだ。
既存のテレビ離れは、アメリカではデジタルディスラプションと呼ばれているそうだ。
放送からネットへのシフトは完了していない。故に現時点ではSMAPが放送に残る事は合理的な選択なのかもしれない。ところが報道の界隈ではすでに放送の優位性が崩れはじめている。TVはコンテンツ(SMAPに人格があるとは見なされておらず、商品として認識される)価値の毀損を怖れて、商品価値を維持する為の情報操作を行ったのだが、ネットでは懐疑的な解釈が主流になった。一部ではジャニーズ事務所バッシング(芸能事務所はブラック企業だ)すら起こっている。
一部スポーツ紙報道では「中居君たちは事務所内で干されるのではないか」という観測も出ている。これはむしろチャンスだろう。「干される」ことで、ネットに進出する動機と機会が与えられるからである。
ただ、これがSMAP本人たちにとって「良い事」であるかどうかは分からない。SMAPはもともとアイドルの衰退期にバラエティに進出せざるを得なかったグループなのだが、中年期になってもまだ「開拓者」としての役割を果たさなければならないのだ。少なくとも楽な道でないことは確かだ。

麺とグローバリゼーション

CIMG3509最近、秋に収穫をしたトウガラシを使ったペペロンチーノを作っている。
単純なパスタだが、水とオリーブオイルを混ぜ合わせる乳化という作業があり、なかなか難しい。
単純なだけに却って熟練を要するように思える。なんとなく挑戦しがいがある料理なのだ。
さて、パスタといえばイタリア料理である。日本風の食材を使うと和風のペペロンチーノができる。ほとんどそうめんなのだが、それでもなぜか「これはイタリア料理なのだ」という気分になる。多分スパゲティのソースもイタリア風の名前をつけたほうが売れるに違いない。
なぜヨーロッパではイタリア人だけがパスタを食べるのか気になって調べることにした。以下『ヌードルの文化史』を参考にした。
小麦は中央アジアからイランのどこかに自生していたイネ科の作物だ。これを乾燥させて持ち運んだのもこの地域の人たちなのだそうだ。これが東に広がり「麺」と呼ばれ、アラビア経由でヨーロッパに持ち込まれたのが「パスタ」だ。中央アジアやロシアにも小麦を加工した食品は広く食べられている。
イタリア人も古はからパスタを食べていたと主張する。当初彼らが食べていたのはヌードル状になったパスタではなく、シートになった今でいうラザニアのようなものだ。パスタはエトルリア時代の遺跡からも見つかっているのだそうだ。
現在の「パスタ」はシチリア島に持ち込んまれた。シリチアは当時イスラム圏だった。そこからジェノバやナポリに広がり、ナポリでトマトと出会った。当時南イタリアを支配していたのはスペイン人で、ラテンアメリカから持ち込まれたトマトやトウガラシなどと合わさって、現在のような形ができた。
このことから、現在のようなパスタは「イタリアでうまれた」というよりは、貿易の拠点として栄えた多国籍文化を背景に育ってきたことが分かる。
結局、どうしてヨーロッパでイタリア人だけが麺料理に取り組んだのかはよく分からなかった。スペインもかつてはアラブ圏だったのだが、こちらは、パエリアのような米料理は食べても、ヌードル状の料理はなさそうだ。ギリシャとトルコにはヌードルやパスタがあるそうだ。

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台湾には牛肉麺と呼ばれる麺料理がある。

日本人はヌードル状の料理を麺と呼ぶ。これらはうどんを含めて中国経由だと考えられている。特にラーメンは「中華料理」の一種と見なされることが多い。
ところが、台湾や中国では、日本人が想像するようなラーメンを見かけることは少ない。例えば台湾で有名な牛肉麺はどちらかといえば、牛肉のダシで食べるうどんみたいな印象である。
そもそも中国語の「麺」には「ヌードル」の意味はないそうだ。麺は小麦粉を練って作った食品全般を指す。
とにかく、大陸生まれとされるラーメンは日本に入り様々な変化が加えられるようになった。特に劇的な変化は、麺を揚げたインスタントラーメンだ。この時「即席うどんを作ろう」という発想にならなかったのは、ラーメンが外来食品だとみなされていたからではないかと思われる。うどんやそばのような既成概念がなかったから却って自由な発想ができたのだろう。
これがさらに国際化されてカップヌードルがうまれる。
私達が英語だと思っているヌードルだが、語源はドイツ語なのだそうだ。ただしドイツではヌードルに麺という意味はなく、国際化された結果「麺のようなもの」を表す言葉として広く使われるようになった。中国の「麺」が日本で「ヌードル」の意味を持つようになったのと似ている。
例えば、ソバは小麦料理ではないので中国では「麺」とは呼ばれない。そもそもソバは穀類ですらないのだそうだ。
このように食べ物には保守的な側面と革新的な側面が共存している。土着の食べ物に対しては保守的な気持ちが働き古い性質が残される。ところが、外国から持ち込まれた食品に対してはとても大胆な改良が加えられることがある。その一部が土着化して固定される。麺やヌードルのように、ある国でうまれた言葉が誤解された結果、別の国に広がることもある。
例えば、日本産とされる寿司はsushiになる。西洋人は生魚など食べないという日本人の常識に反して、アメリカ人はランチにスーパーで買ったsushiを食べる。その中身を見ると、アボガドやサーモンなどが使われていて、主食というよりはサラダの感覚で食べられているようだ。
21世紀はグローバリゼーションの時代と言われるのだが、実際には紀元前から国際交流があり、その結果私達の食生活は豊かになった。こうした交流からイノベーションがうまれることがある。
 

開き方を覚える

まず、ビハインド・ザ・サンというブラジル映画を題材に、国家の調停力がないとどのような状態が起こるのかについて見た。協力がなくなると全体の生産性は落ちる。また、将来的な協業の可能性も奪われる。しかし映画を見る限り。当事者同士で分断された状態を協業に持ち込むのは難しそうだ。これが生存本能に基づくものだからだろう。こうしたフレームワークを拡大するとお互いに争っている企業や国家の状態を分析することができるだろう。
映画の洞察から、いくつもある国家の機能の中から「プラットフォーム」を作るという働きを取り出した。この国家観のもとでは、国が持っている労働力とリソースを最大限に活かすことが最大限の目標になる。ここではアイデンティティの保持、防衛力、公平などの概念は棚上げした。特に公平については別に議論しなければなるまい。国が持っている労働力とリソースを最大限に活かすためにはどうしたらよいのだろうか。経済学者はすべてを「市場原理」に任せるとこうした状態 -パレート均衡- を実現できるのだという。この考え方では、所得再分配などの政府の介入はすべて「コスト」として捉えられるのだった。しかし市場原理には限界もある。競争の結果リソースが一カ所に偏在してしまう可能性があるのだ。こうした状態を市場の失敗と呼ぶ。また空気や環境といった公共物も適切に扱う事はできない。こうした公共物をコモンズと呼ぶ。
ここまで見ると、市場競争は「分断」と「一極集中」という2つの失敗があることがわかる。そして国家の過度の介入はコストとなるのだ。ゲームルールの組み方次第でどれだけ円滑に長期間ゲームが続けられるかが決まるようだ。
さて、国家などの「単位の枠組み」は常に変動しているらしい。例えば、新重商主義と呼ばれる形態では、国が主体となってシステム化されたもの -例えば高速鉄道や携帯電話のようなもの -を売り込もうとする。これはいっけん、国家がスポンサーになってある地域の貿易を独占したかつての重商主義に似ているように見える。しかし見方を変えれば、かつて企業単位で行なっていた活動を国家が担うようになり、国単位だった市場が世界市場に変わりつつあるのだとも考えられる。この「単位」に関する揺らぎはこのあと至る所で目にするようになるだろう。
さて、こうした国家観とは別に、日本には国は利益誘導のためのパイプラインだという考え方があるようだ。こうした考えかたを分かりやすくするために「水田に水を引く」という例を挙げた。水田には、水門や水路がある。場所に利権がはりついているのだ。場を離れてしまうと、利益が得られにくくなる。故に流動性が妨げられるという仮説だった。例えば高速道路の建設に関する議論を見ていると、インフラを整備して全体の効率化を図ろうという「建前」の他に、公共工事を通して中央部で得られた利益を地方に分配したり、ETCのように長期間利権が得られるように水門を作るというような「本音」が見えるのだった。そして建前よりも本音の方が理解されやすい。選挙のための理屈としては「本音」のほうが優れている。
こうした利益誘導型の社会システムがいつも悪いというわけではない。中央に潤沢な利益があれば効率的かつ安定的に利益分配ができるよい制度とすら言える。アジアの開発途上国の中にはこうした利益誘導システムがないために、国力を十分に活かしきれないところがある。しかし一方で、利益ソースが外部にありコントロールが不能である点、システムが緻密すぎて柔軟性にかける(変化に対する耐久性がなく、不確実性に弱い)という欠点があるのだった。柔軟性のあるシステムは単純でモジュール化が可能である必要がある。単純なシステムは拡張が簡単だし、古い機械を新しい機械に置き換えるのも簡単だ。しかしシステムの変更は難しいかもしれない。特に当事者間の調整でシステムが変更されることはないかもしれない。こうしたシステムが変化するのは、全体の急速な崩壊が起こり、極端に不安定化した状態を経て、新しい秩序が生まれるというような急速な変化だろう。日本のシステムはクローズなシステムだが、拡張可能なシステムはオープンなシステムと呼ぶ事ができる。
さてクローズなシステムは自前主義を取っている。このような仕組みが病的な相を見せているのが「ゴミ屋敷」だ。ゴミ屋敷は過去に蓄積したものを全て自前で貯め込んだ姿である。もはやリソースの活用もできなければ、何がゴミでなにが資産なのか分からなくなった状態だと言ってよい。しかしこれも自然な人間の生存本能がもたらす状態の一つなのだ。人には所有欲があるのだし、他人は信頼できないと思うかもしれない。
こうした問題を解決してくれるかもしれないのがオープンイノベーションだ。これは自社で扱いきれなくなったイノベーションの種をサプライヤや顧客などの力を借りて推進するやり方である。さらに資産を解放するオープンソースというやり方すら行なわれている。こうして外部への開き具合をコントロールする事で、イノベーションの為のエコシステム(プラットフォーム)を作るのだ。しかしオープンイノベーションには一つ大きな障害がある。クローズな世界に慣れている人たちには、この開け放ったところから利益を生み出すという概念を理解することはできないのだ。つまり人間の自然な欲求の一部を諦める必要があるということになる。これはビハインド・ザ・サンのような状態だと考えられる。つまりゴミ屋敷に閉じ込められている状態は、貧しいサトウキビ農家が競合しているような分断を生み出しているわけである。
例えば「地域主権」は、地域をグローバル市場で独立したプレイヤーとして機能しうる単位に分解することを目指して作られた。うまく行けばシンガポールのような通商国家として繁栄することもできるだろう。九州のようにヨーロッパの1国と同じくらいの経済規模を持った地域もある。しかし議論をしている内に、いつのまにか議論が「水路」や「水門」をどうするかという利害関係の話にすり替わってしまう。そもそも有権者の間には「どうして地域分権するのか」という理解はないように思える。意識を変える事は、時にはほとんど不可能と思えるほど難しい。結果的に、依存的な制度が温存されたり地方同士の分断を加速させてしまったりするのである。
さて、今回の議論はここまでだ。この中では「オープン」なシステムの良さは分析できたものの、どうやって既存の組織を再活性化できるかというアイディアはない。変革には危機意識とリーダーシップ(目標を明確にし、ゴールを指し示す事)が必要なように思えるが、利益分配型の政治にリーダーシップは期待できそうにない。また日本人が「本当に変わらなければいけないのだ」と考えるに至るような深刻な事態は未だに起こっていない。また議論の途中で競争的市場原理に際して公平性をどう担保するのか、そもそも公平とは何なのかということは扱えないでいた。そもそも市場主義がうまく行かず、格差が拡大する(これはパレート均衡に反する)のはなぜなのか、十分には分からない。
協業がどれほど難しいかを考えるに当たっては、例えば隣の部署と垣根を越えて協業ができるかどうかを考えてみると良いだろう。きっとどれくらい分断されているかということがよく分かるはずだ。
日本ではまだ労働力をどう流動化させるかというレベルで議論が止まっている。いわゆる正社員・非正規社員問題というやつだ。一度正社員を辞めると二度と雇用ができないのでは技術移転は進まないだろうし、海外の優れた技術を内部に取り込むことも難しいだろう。海外にはこうしたオープンな協業ができている企業は多く、もともと日本よりは流動化が進んでいるのだから差はひらく一方である。海外の企業と協業していればこうした状態に危機感を覚えることもあるだろうが、人材の交流が進まず、孤立した状態ではこうした危機感を抱くことすらままならないに違いない。
外に向かって開いて行くということは自信のあられとも言える。全てを解放する必要はないし、強制されるべきものでもない。しかし、開き方を覚えることで企業や国家の打ち手の自由度は増すはずである。

イノベーティブな組織とチーム – Innovative Organizations and Teams

Table of Content

  • イノベーションとは何か
  • 発想のプロセス
  • 着想
  • 学習するプロセス
  • 実現するプロセス
  • 既存の組織ではだめなのか
  • 創造性の向上に必要な組織
  • 情報通信はどう進化してきたか
  • ネットワーク型組織の問題点と課題
  • 既存の文化を改良して新しい文化を作る事はできないのか
  • 具体的なイノベーションのためのチーム作り
  • イノベーターのための学習ガイド
  • コラボレーションのためのリソースガイド
  • いま、イノベーティブな組織を作るのに必要なもの
  • 参考文献

イノベーションとは何か

今存在するものを組み合わせて新しい価値を創造する事、あるいは所与の問題を解決するために現存しない解決策を作り上げる事を「イノベーション」と呼ぶ。ワルラスの一般均衡論の解釈から始めたシュンペーターは経済の均衡状態はつまるところ停滞であると考えた。しかし、実際の経済活動では均衡点は常に変動している。均衡点を変更するのがイノベーションだ。イノベーションは次の5つの方法でもたらされる。

  1. 新しい財貨の生産
  2. 新しい生産方法の導入
  3. 新しい販売先の開拓
  4. 新しい仕入れ先の獲得
  5. 5. 新しい組織の実現(独占の形成やその打破)

シュンペーターはイノベーションがなければ、資本主義はやがて社会主義やファシズム(国家社会主義)などの別の形に取って代わられるかもしれないと考えた。しかし、市場は自発的にイノベーションを行う。経済学者の関心は経済のモデル化に向かったので、イノベーションは経済学ではあまり研究されなかった。イノベーションを重要視したのは経営学だった。
均衡点を変更するのがイノベーションだ。だから、イノベーションには混乱がつきまとう。うまく管理された状態とイノベーションが起こる状態はかならずしも一致しない。また、イノベーションを積み重ねた結果、もう何も改良するものがないという状況にたどり着く場合もある。この状態をクリステンセンはイノベーターのジレンマと呼んだ。

発想のプロセス

イノベーションは次の3つのプロセスを通じて実現する。

  • 着想するプロセス
  • 学習するプロセス
  • 実現するプロセス

着想

着想するプロセスは一人ひとりの頭の中にある。このプロセスは意識してコントロールすることはできない。しかし、いろいろな手段を通じて援助を与えることは可能だ。例えば、創造するモチベーションを与えること、専門家、顧客、過去の事例などから有用なインプットを効率よく与えることなどを通じて着想するプロセスを間接的に支援することができる。
マーク・ステフィックによると、ブレイクスルーをもたらす発想はいくつかに分類できるという。課題が先行することもあるし、ソリューションが先に生まれることもある。

  • 何が必要かに着目するエジソン型の発明。灯りという目的のためにいろいろな素材でフィラメントを試す。 これをニーズ主導型と呼ぶ。
  • 何が可能かに着目するボーア型の発明。何に使われるかは分からないがとにかく可能なものを創出する。 理論を先に考えるアインシュタイン型や、データを集めるメンデル型、自然観察を通じて理論を考え出したガリレオなどの科学者がいる。
  • 何が可能で、何が必要かを同時に考慮するパスツール型の発明。

スタンフォード大学の教授でIDEOのフェローでもあるロバート・サットンも準備段階の大切さについて語っている。無駄の中にこそ、ひらめきの種が眠っているといえそうだ。 こうした無駄な段階を経て、Prepared Mind(準備された心)という状態を作り出す。

  1. 失敗を繰り返す人。一つのツールを使いこなすのに「まごまごとする」人。準備に時間がかかるほど後で成果を得やすい。また、一つの領域を重点的に学ぶのではなく領域横断的に幅広く学ぶほうが幅広い着想が得られる。
  2. 学習のやり方や研究の進め方を理解しておく必要がある。このためメンタリングは重要。最初のうちは短期的な目標を継続的に与える必要がある。これによって準備された心が生まれる。
  3. 創造的な対立

サットンはこのほかにも「役に立たないと思われる人を短期的にでもいいから雇ってみろ」と薦めている。これも無駄の一つだろう。特に次のような人は有望だという。

  1. 自分を客観的に見ない人
  2. 同僚や上司との付き合いを避ける人
  3. 自尊心の強い人

着想段階はコントロールが難しい。このことを説明したのが、チクセントミハイだ。チクセントミハイは外科手術を行う医者とのインタビューから、物事がうまく行っているときにはチームは流れるように手術を行うことを発見した。しかしひとたび問題が起こると流れが中断される。チームメンバーの頭の中は自我意識でいっぱいになるのだそうだ。
発想にも同じことがいえる。うまく行っているときにはチームメンバーの誰彼なしが新しいアイディアを思いつく。また1つの発想がきっかけになり問題が解決してゆくことがある。このときチームメンバーの間にはある種のバランスの取れた状態がある。しかし「失敗するかもしれない」といったような不安が状況を支配すると、フローは失われる。また「退屈過ぎる」状態もフローとはかけ離れている。

学習するプロセス

学習するプロセスは着想の精度を高めたり、着想と具体的な問題を結びつけたりすることにより、思いつきを解決策に変えるプロセスだ。着想するプロセスは個人作業だが、ここではチーム作業が可能だ。学習するプロセスが効率よく進むためには「分かち合う文化」と「失敗を怖れない態度」を持っている必要がある。学習過程は、意図した行為がどういった結果を生み出すかというフィードバックのプロセスだからだ。
学習する組織について研究したのがビジャイ・ゴビンダラジャンだ。学習する組織はある文化的な特徴を持っている。これをゴビンダラジャンはコードXと呼ぶ。イノベーションを形にするためには、イノベーティブ過ぎてもでも官僚的でもダメだという。イノベーションを起こす組織は既存の概念に囚われない組織であるべきだ。一方、実行する組織には効率的な運営が求められる。しかしその経過期間には全く異なった文化が必要だ。
この過渡期の文化は「忘却」「学習」「借用」というツールを組み合わせだ。忘却が多く必要だと考えれば組織は分割されなければならないし、借用が多く必要であると思えば、組織は共通している必要がある。
忘却は昔の成功事例や親文化を忘れること。新しい人を採用したり、客観的な評価基準ではなく主観的な評価基準を作ったりすることが忘却に役に立つ。
学習は新しい製品のマネージメントにふさわしい文化を体得すること。 売り上げ達成度よりも、何を学んだかを重視する文化や独自の文化を育む力を獲得することが求められる。
もっとも全てを自前で獲得しなければならないわけではない。必要なリソースを親文化から借用することも検討しなければならない。販売チャネルやブランドなど、新興企業が一から作り上げなければならないものは借用できる。ただし、サポート部門は独立させたほうがいいそうだ。新しい事業部の破壊的なイノベーションは、既存の組織と折り合わない場合も多い。もし新しい組織を活性化させたいのであれば、新しい部門の長には高いポストを与える必要がある。

実現するプロセス

また、思いつきを形にするためのリソース(資金や場所など)が配分される必要があるだろう。
着想が実用化されるためには、学習フェイズで得られた失敗を徐々に減らし、より確実に問題点を解決するように改良を加える必要がある。この現実的な解決策を作るのが、実現するプロセスだ。ここでは「やり抜く力」「効率性」といった学習フェイズとは違った文化が求められる。

既存の組織ではだめなのか

若い組織は失敗を怖れない。まだ前例のない状態では多かれ少なかれ失敗はつきものだからだ。結果的に、多くの試行錯誤が生まれ、運がよければそのなかから生き残る人たちが生まれる。しかし、組織が成熟すると、いまうまくいっている事例を押しのけて新しい試行錯誤をはじめることは難しくなる。
また、失敗を怖れる気持ちが強くなり新しい冒険はしにくくなる。規模が小さすぎて、大きな会社が手を染めるには相応しくないということも起こる。さらに既存の顧客に焦点があたるので、今顧客でない人たちが忘れられる可能性がある。こうした現象を研究したのが、クレイトン・クリステンセンだ。クリステンセンはちいさな会社が大きな会社を凌駕してしまう事例を研究し、これを破壊的イノベーションと呼んだ。破壊的イノベーションはローコストのソリューション新しい事業分野の創出によってもたらされる。
既存事業がうまく行かなくなった場合には、もはや新しい試行錯誤をはじめる余裕はないこともある。組織の維持に莫大なコストがかかり、実験的なプロジェクトに割くことができる予算が残らないことすらある。これを防ぐには、余裕があるうちから、イノベーション活動を継続的に行なう必要がある。また、新しいものを生み出せなくなった組織を速やかに解体して、人々が新しい組織に移ることができるような仕組みを整えなければならない。
新陳代謝が活発な社会は、新しいイノベーションを通じて社会を成長させることができる。逆に、成長が伸び悩んでいる社会は、何らかの理由でこうしたイノベーションが起こりにくくなっている社会だということがいえる。結びつきが緊密すぎて、新しい要求に応えられなくなっているのだ。
最初に検討しなければならないのは、硬直した組織に創造性を向上させる可能性があるかということだろう。既存の組織のままで創造性向上を図る事ができれば、組織を変革する必要はない。また、成長は創造性の向上のみによって実現するわけではない。一つには規模を拡大することにより成長するやり方がある。また、シックス・シグマやカンバン方式のように無駄をなくして生産性を向上させるやり方がある。つまり、効率化を通じて成長を実現させることもできる。規模の拡大は大量のリソースを投入する方が有利に思えるし、生産性を向上させるためにも規模の経済性や学習の蓄積は重要だ。
一方、創造性の向上はどうだろうか。必ずしも規模が重要になるとはいえない。今持っている文化が成長を阻害していることすら考えられるので、その文化を捨てる決断をしなければならないこともあり得る。これが、拡張戦略、生産性向上戦略と創造性向上戦略のいちばんの違いだろう。

創造性の向上に必要な組織

それでは創造性の向上に必要なものは何だろうか。イノベーションは多くの新しい結びつきによって実現される。それは過去に作られた事例の組み合わせだったり、事例と問題の組み合わせだったりする。また、まだ形になっていない着想同士が組み合わさって新しい思いつきが生まれる場合もある。つまり、個々の事例が必要に応じて組み合わさることによって新しいアイディアが生まれる。
次の段階では多くの顧客や同じ関心を持つメンバーが、着想に検討を加える。これも結びつきだ。例えば自動車業界で作られたアイディアが電気掃除機の改良に重要な役割を果たすかもしれない。
そして最後の段階では、実行力を持った人たちがそのアイディアの実現化を担当する。この場合に必要なのは異なる文化やスキルの結びつきだ。
つまり、こうした結びつきを円滑にすれば、創造性の向上が図れるのではないかと思われる。
創造性を向上させる組織には二つの特性が求められる。多くの人が緩やかな標準化で結ばれたプラットフォームと、そのプラットフォームの上で柔軟に体制を変えることができる組織だ。こうした組織をネットワーク型組織と呼ぶ人がいる。

情報通信はどう進化してきたか

インターネットに代表される情報通信は、ドキュメントとドキュメントをリンクすることで生まれた。そこに意味が追加され、セマンティックという言葉が生まれる。内部的にタグで管理されたり、ドキュメント内の情報を解析することにより外部的に意味付けされたりする場合がある。こうした意味付けのシステムは緩やかに共通化されている。標準化からうまれるのではなく、多くの人に採用された規格が標準化される。これをデファクト・スタンダードという。
ここから流れは2つの方向に発展した。一つは「本を買う」とか「価格を比較する」というような機能別なまとめられ方だ。機能的にまとめられたものをサービスと呼ぶ。アマゾン(ショッピング)、グーグル(検索)などだ。もう一つの流れは情報を人別に管理するやり方だ。これをソーシャル・ネットワーキングと呼ぶ。Facebookのようにソーシャルな部分だけを担当するサービスもあるし、Amazonのようにサービスを提供しつつ書評などを通じてソーシャルな機能を持たせたものもある。

ネットワーク型組織の問題点と課題

こうしたサービスや社会化されたネットワークを使えば、今すぐにでも旧来型の組織の問題は解決し、創造性の向上が期待できるように思える。それが実現しないのはどうしてなのだろうか。そこにはいくつかの問題があるように思える。
まず、こうしたネットワーク型組織の認知が進んでいないことが挙げられる。こうした組織を適切に管理するマネジメントスタイルとはどういうものなのだろうか。例えば中央集権型の統制組織に親しんだ人たちにとって、管理しないマネジメントスタイルというのは、自己撞着語でしかない。これに付随して英語や中国語などの言語の問題やコンピュータリテラシーの問題などが挙げられるかもしれない。ネットワーク型組織を作るためのスキルが欠けているのである。
成長性が乏しくなっているとはいえ、やはり安定した収入が期待できる大企業の人気は高い。いわゆるベンチャーと呼ばれる新興企業ですら、就職の対象とは見なされにくい。また、海外の企業への就職も人気がない。人々は新しい形態を模索するよりも、慣れ親しんだ形態が復旧して以前の安定性を取り戻すのを待っているのではないかと思える。
次の問題は取引コストだ。取引を開始するためにはいくつかの障壁がある。まず、問題を解決するのに相応しい個人や企業を探してこなれればならない。問題が明確でない場合には特に厄介な作業だ。次に、その人や企業が安定した仕事をしてくれるかを見極め、プロジェクトを管理する必要がある。
こうした問題が一夜にして解決することはないだろう。具体的な課題をこなす事で、徐々に解決されてゆくに違いない。
最後の問題はシステムコストだ。与えられた問題を解決するために、カスタマイズされたシステムを作る余裕がないことがある。特に個人や小さな企業がこうしたネットワークを構築するためには、システムは比較的単純で安価ないしは無料である必要がある。しかし安価なソリューションが必ずしも悪いソリューションであるとはいえない。それどころかクリステンセンの破壊的イノベーションになる可能性もある。Open sourceでプラットフォームを作り、プラグイン型のモジュールを充実させることで、システムコストの問題は解決するだろう。

既存の文化を改良して新しい文化を作る事はできないのか

「どこに向かうべきか」は、ぼんやりとではあるが見えて来た。我々が慣れ親しんだ大企業中心の文化を改良することによって、柔軟なネットワーク型の文化を作る事ができれば、スムーズな移行が行なえそうである。ネットワーク組織を指向する研究者は「ネットワーク型組織の利点とは、必要な時に必要なリソースを得られることである」と指摘する。例えばトヨタはこれを、部品調達で実現した。必要な時に必要な部品を納入してもらうのだ。このトヨタ自動車と系列の協力会社の関係を長期的に維持するには微妙なさじ加減が必要だ。これを応用して、トヨタ自動車は好きなときに好きなだけ労働者を手配できるシステムを作り上げた。これが製造業への派遣業だ。このモデルは、かつて成功への方程式だったのだが、今では社会問題になっている。その理由はよく分からない。自動車産業がもはやイノベーションを必要としていないということなのかもしれないし、一時的な膠着なのかもしれない。また、よく正体の分からない「グローバル化」のせいなのかもしれない。
いずれにせよ、こうした既存の環境にネットワーク型のイノベーションチームを組み入れるのはむずかしそうだ。多分、デザインの下請け会社やシステムベンダーのような位置づけで終わりになるだろう。
ネットワーク型組織では発注者と受注者の関係は固定的なものではない。やりとりの結果、発注者側が組織形態を変えなければならないこともあり得るのだ。トヨタと下請けの場合には、デザイン会社の提案でトヨタ自動車が組織を変えることは考えにくい。

具体的なイノベーションのためのチーム作り

大きな絵は分かった。しかし、あまりにも漠然としすぎていて、明日からそれを取り入れるのは難しそうだ。もうすこし具体的なところから「発想するチーム」を見てみよう。
シュンペーターは、イノベーションを作り出す源泉を実行者(企業者/起業者)と実行者にリソースを分配する人々(銀行家)に求めた。銀行家は銀行に勤めている必要はない。大企業がスポンサーになって新しいイノベーションを求めることもある。もちろん、企業者も独立して会社を起こさなければならないわけではない。企業者/起業者( Entrepreneur)は、ルーチンワークをこなすだけではなく、新しい組み合わせ(これを新結合という)を創造し実践する人のこと。シュンペーターはなぜかフランス語を使っている。一方、銀行家は財貨を持たない起業者に貸し付けを行い「信用」を付加する。銀行家は古い勢力から財貨を持ち出して新しい勢力に財貨を貸し付けて、信用を創出するのである。
経営の神様ドラッカーは「イノベーションは理論的分析と知覚的認識だ」といっているそうだ。しかし、これだけでは抽象的すぎてよくわからない。トム・ケリーは、『イノベーションの達人』の中で、イノベーションに関わる人たちをさらに細かく分類した。ずいぶん実務的な分類である。実務者なので、企業者/起業者にあたる人たちだ。
トム・ケリーのイノベーションは観察する所から始まる。人類学者の役割は観察するだけ。しかし観察するためにはただ漠然と見るだけではだめで、科学的な観察能力が必要とされる。また、観察対象を求めて探索する能力も求められる。ものを見るというのはそれだけで大変なスキルなのだということが分かる。
計算されたリスクを犯す実験者は、実験を繰り返し失敗の中から学ぶ。
花粉を運ぶ人は異文化を結びつける人。イノベーションの達人の中では無印良品が紹介されている。花粉を運ぶ人は、T型人間であるべきだ、とケリーは言う。これは得意分野を一つ持ち、幅広い分野に興味を持っている人という程の意味である。
無理と言われてもあきらめないハードル選手。企業は官僚主義に支配されることがあるのだが、それを乗り越えて突き進む人たち。 3Mの事例が挙げられている。
コラボレーターは多彩なチームを結びつける。このあたりからマネージメントの力が重用視されるようになると言えるだろう。イノベーションは異文化が交流することにより生まれやすい。インターネットが発達しても、リチャード・フロリダはイノベーションを起こす人たちが集まる場所は仮想の空間ではなく、都市であると考えている。
監督はスタッフを連れてきて、手助けする人たち。「ひらめき」を「形」にするためには、適切な管理が必要とされる。ケリーの本では、ブレインストーミングが紹介されている。ただ闇雲にアイディアを求めるのではなく、適切な管理・運営進行が必要とされる。ケリーのIDEOには、必ず視覚化するなどのルールがあるそうだ。
経験デザイナーは経験を作る。紹介される例はコールド・ストーン・クリーマリーの例。アイスクリームパーラーは成長が鈍化した業界だと思われていたがアイスクリーム作りのパフォーマンスを売り物にして成長した。コールド・ストーン・クリーマリーはこれを「ハッピー・クリーマリー体験」と呼んでいる。「お客様が店にいる間、ハッピーでいられるようなおもてなしをする」ことだそうだ。同じような価値観はスターバックスにも見られる。スターバックスの場合の経験は幸せではなくくつろぎである。
舞台装置家は働きやすく発想しやすい環境を整える。コラボレーターや監督と並んでマネージメントの仕事である。例えば、パーテーションで区切られたデスクではなく、顔の見えるデスクを使ってお互いの意思疎通を図るなど場所と雰囲気作りに工夫をこらすことが大切だという。
介護人はサービスを超えたケアを顧客に与える。バンク・オブ・アメリカの例が紹介されている。銀行を訪れると案内人が出てきて困ったことがないかに気を配ってくれる。もちろん番号札を取らせて待ってもらうこともできるだろう。自動化してしまったプロセスに人手を加えることによってサービスを向上させることができる。
最後に出てくるのは語り部だ。経験デザイナーと同じようにストーリーの力を利用している。ストーリーは概念を形にして聞き手を経験の中に引き込む力を持っている。ストーリーは顧客にも語られるし、従業員の間でも共有される。 有名なストーリーに「HPはガレージから始まった」というものがある。

イノベーターのための学習ガイド

学習はいくつかのフェイズで完成する。すなわち「計画」「実施」「比較」「評価」である。本腰を入れて計画を立て、計画は必ず実行する。この時目標は「必達」ではなく、学習であることを理解することが重要だ。また、結果はかならず事前の予測と比較する。そして生み出された差異は必ず分析しなければならない。この時に、何が原因で、何が結果だったかを理論建てて図示するなどして、部門内で共有する必要がある。
事後に検証可能な計画を真剣に立てる。目標は必達ではない。何を学べるかが重点だ。だから、あらかじめ立てた計画とのずれを必ず検証しなければならない。逆に、 目的が達成できたときには注意を要する。偶然達成されただけかもしれないからだ。

コラボレーションのためのリソースガイド

常時連絡を取り合ったり、とりとめのないアイディアを交換し合ったりするのには、マイクロメッセージサービスが適している。現在最も注目されているエリアで、Twitterやオンラインチャットサービスが挙げられる。Twitterは会話の内容を後から検索することができるのだが、非公開にしたい会話には向かない。
次に使われるのは、情報を蓄積したり、共有したりするサービスだ。チームを組んで情報を共有できるサービスにGoogle Appsがある。公開してもいい場合にはmedia wikiが使える。また、議題を決めて話あいをするためのフォーラムを設置できるサービスもある。例としてbb pressを挙げておく。顧客からのフィードバックを得るためにFacebookを使ったアプリケーションを構築する手もある。
もちろん、ブログを使って議論を深めることも可能だ。ただし、ブログは多くの人が使っているので利用方法はまちまちだ。まずコアになるメンバーがトラックバックやコメントの使い方を決めておく必要があるだろう。いったんルールが決まったら後のメンバーはそのルールに従うはずだ。ソーシャル・ネットワーキングのアカウントと組み合わせ可能なコメントシステムがいくつか出ているので、匿名のユーザーにシステムを荒らされたくない場合にはそれを利用するとよいだろう。
また、自前のソーシャルネットワーキングサービスも出ている。ここではbuddy pressを挙げておく。

いま、イノベーティブな組織を作るのに必要なもの

まず、第一に必要なものは具体的なプロジェクトだろう。実際に成果がでてはじめて社会的な影響力をもつことができそうだし、事例ごとに必要なプロセスは異なりそうだ。次にそれを実現するための資金が必要になる。サーバーやプログラムは無料のものを使うことができるだろうからそれほど大量の資金は必要にならないはずだ。
リソースよりも重要なのは同じビジョンを持った人たちと、新しいものを創造したいという意思ということになるだろう。目標する組織があまりにも既存の形態と異なっているので、コンセプトから新しい形を創造するスキルも必要になるだろう。
最も重要なのは、このままではいけないのではないか、もっとよいやり方があるのではないかといった探究心ということになる。
新しいアイディアを作るために必要なのは継続的なフィードバックだそうだ。それはこのドキュメントも例外ではない。よりよいアイディアを持っていると思う人は、ぜひこの機会にご連絡をいただきたい。

参考文献

戦略的イノベーション 新事業成功への条件 (ハーバード・ビジネススクール・プレス)ビジャイ・ゴビンダラジャン (著), クリス・トリンブル (著), 酒井泰介 (翻訳)
ブレイクスルー -イノベーションの原理と戦略-マーク・シュテフィク、バーバラ・シュテフィク(著)、鈴木浩、岡美幸 (翻訳)
明日は誰のものか イノベーションの最終解 (Harvard business school press) クレイトン・M・クリステンセン、スコット・D・アンソニー、エリック・A・ロス(著)、宮本喜一 (翻訳)
イノベーションの達人!―発想する会社をつくる10の人材トム・ケリー (著), ジョナサン・リットマン (著), 鈴木主税 (翻訳)

爆発的な進化

眼の誕生にも書かれていたグルードのワンダフル・ライフを読んだ。時代的にはちょっと古い本で、スティーブン・ジェイ・グルードもすでに亡くなっている。本はバージェス生物群についてを扱ったもので、カンブリア大爆発よりちょっと後の次代の生物だ。とりあえず彼の主張はこう要約される。

生命はたくさんの枝を分岐させ、絶滅という死神によって絶えず剪定されている樹木なのであって予測された進歩の梯子ではない。

これだけ読むとなんだかあたりまえのような気もするが、人間がこのようにすべての生物を支配できるのは人間が優れている(霊長)からだと信じていた人たちからすると、かなりショッキングな主張だったようだ。
グルードたちの考える進化は、悲運多数死(トライ・アンド・エラー)の時期があり、それが次第に安定するという姿だ。この考え方はアメリカ人の考えるイノベーションに影響を与えている。最初に試行錯誤の状態がある。規制を緩やかにして変化を誘発する。それを煮詰めていって生き残る製品を絞り込むというやりかたが取られる。必ずしも「デザインされた方向がある」というわけではないと考えるのが、この流派の進化観なのだ。なので人間が生まれたのも「単に運がよかっただけ」ということになる。
ちょっと脇道にそれるが、これは植物が伸びてゆく姿と少し似ていて、すこし違っている。植物は重力や日光といった伸びる方向が決まっている。しかし風が吹いて枝が折れれば脇から芽が(この場合たいてい数が増える)伸びてくる。もし、主になる幹が折れていなければ、脇芽は伸びなかっただろう。半分デザインされているが、事故にも対応できるのが実際の生物なのだ。
さて、グルードはどうしてバージェス生物群のような多様な生物群がこの時期に生まれたのかについて明確な回答を出していない。フロンティア(ニッチ)が多くあり、遺伝システムが比較的単純(もしくは変化に対して脆弱だったのかもしれない)だったということを挙げつつ、ステュ・カウフマン(本の名前などは言及されていないがスチュアート・カウフマンの自己組織化と進化の理論を示しているものと思われる。)の論に少しだけ言及している。
こうした進化・イノベーション観は日本人が持っている改良型のイノベーション感とはかなり異なっている。日本人の場合、既にでき上がった素地があり、それを地道に改良することによって、ある目的に達するというのがイノベーションだ。あるいはある目的のために試行錯誤を繰り返し、ブレイクスルーになる技術に出合う事で目標を達するというイノベーションもあるかもしれない。どちらにも、「明確な目的」が存在する。(多分、プロジェクトXを見るとこうした話がたくさんでてくるのではないだろうか)
しかしコアになるなんだか面白そうな製品がありこれは何かに使えないかというアプローチのイノベーションにはあまり興味がないようだ。それから市場を新しくつくるということはあまりしてこなかった。とりあえずたくさんアイディアを出してみる多産型のイノベーションも効率が悪いといって嫌う傾向があるかもしれない。
はてなあたりでささやかれている、現在「希望がない」という世界観は、ニッチがうめられていて新しい進歩の余地が残されていないことを意味しているのだと思う。漸進的な変化はやがて究極層に行き着いてしまい(パソコンのCPUはこれ以上早くなっても意味がない)クリステンセンのいうイノベーターのジレンマに陥ることになる。
さて、この本のもう一つの魅力は、奇妙な生物とそれを巡る人たちのお話だ。つまりグルードの主張はともかくとして読み物としてもとても面白い。とくにアノマロカリス(奇妙なエビという意味だそうだ)の姿はプラモデルっぽい。形も大きくてかなり気持ちの悪い生き物だったろう。多くは絶滅してしまったので、悲運多数死は出来損ないをつくるだけだという気がしないでもないが、こういった生物を眺めるだけでも結構楽しめる。そしてこのようなへんてこな生物がまぎれもなくかつてこの地球上にいたということが生き生きと描かれているのが、この本が人気を博した理由だろう。

どんな時に爆発的な変化が起こるのか

イノベーションを考えるとき「多種多様な状態」が何を示唆しているのかを知る事はとても重要だ。進化はなだらかに起きるのではなくある日突然爆発的に発生することが知られている。こうした進化の形態を断続平衡説と呼ぶそうだ。地球の生物にこういった変化が起こったのは、5億年前のカンブリア紀だ。これをカンブリア大爆発と呼んでいる。3種類しかなかった生物のグループ(門)がこのころ38にまで増えたのだそうだ。人間、魚、鳥といった動物からホヤに至るまでは脊索動物門という一つのグループに分類される。
「これがどうして起こったのか」については今の所定説がないようだ。この本では眼の誕生がカンブリア大爆発の原因になったのではないかと主張している。これ以前、光を感知するシステムはあったものの、光を脳で受け止めて像を結ぶシステムはなかったのだという。眼ができたことで補食活動が活発になった他、外観も重要になる。被捕食者は殻を作ったり運動能力を高めたりして生き残り競争が始まる。捕食者になったものは豊富な栄養が摂取できるようになる。カンブリア紀の三葉虫に眼が作られ、三葉虫の種類は爆発的に増える。その後なぜか「バージェス動物群」というように多種多様の動物群が現れた。三葉虫はペルム紀(約2億5000万年前)に絶滅してしまった。
この歴史を一般化すると、次のようになる。「最適」はストレートに生まれるわけではなく、壮大なムダの上に築かれているのだ。

  1. あるイノベーションが起こる。
  2. 過当な競争が生まれる。
  3. 試行錯誤の結果、種類が多様化する。
  4. それが整理され落ち着く。

過当な競争の結果進化が加速されるというのはなんとなくわかるようなわからないような考え方だ。競争圧力が強まるのだからだからそのまま絶滅するものが大多数なのではないか。これに応えるのがニッチという考え方だ。どうやら生物学でいうニッチは「AとBのすきま」という意味ではなく、新しい生活圏という意味らしい。例えばすべての生物が海に暮らしているとき陸はニッチだし、鳥などの飛ぶ動物がいない時には、空はニッチだ。ニッチに進出するには2通りの方法がある。一つは肺などの仕組みが発明され、陸に進出すること。もう一つは古い生物が絶滅して、その生物が占めていた所が空白になる方法だ。
カンブリア大爆発を起こした原因をイノベーションに求める説の他に、地球が冷えて(これを全球凍結という)環境が変化することに求める人たちもいる。恐竜の絶滅を説明するのによく引き合いに出される小惑星の衝突も環境的な変化だ。(ちょっと古いがWiredに記事が見つかった。)
一方、古い生物群が消滅するのにもいくつかの原因があるようだ。新しい競争に耐えられなくなるか、最適化が進みすぎて(大きくなりすぎたり、機能が亢進しすぎたりして)内部崩壊を起こすといった具合だ。だから閉塞的な状態が永遠に続くことは考えられない。だだし「変化」がいつもすべての人に快適なものだとは言えないし、変化の過程にいる人たちにとってそれはカオスにしか見えないだろう。