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繊維産業はなぜ「衰退」したのか

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アパレル産業は斜陽産業だと言われている。「国に依存しすぎたために、産業内調整力が失われた」らしい。現在では生地生産工程と縫製工程が分断されている。生地生産には国際競争力があるが。技術革新の波について行けず衰退するかもしれないと言われているそうだ。

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今回は二本の論文を参考にした。1本目は、慶応義塾大学産業研究所の「わが国繊維産業の現状と課題」(辻村、溝下)で、2本目は、三菱総合研究所が出している「転換期の日本経済・産業」(奥村)だ。「わが国繊維産業の現状と課題」はミクロとマクロの両面から繊維産業について調査・考察している。一方、「転換期の日本経済・産業」は短い読み物だ。

1930年代、繊維製品は主要な輸出品目だったが衰退が続いた。1991年には製造業の5.2%を占めていた売上げも2001年には2.5%%まで落ち込んだ。従業員も114万人(1985年)から51万人(2001年)にまで急激に低下している。

慶応義塾大学のレポートによると、日本の生地生産工程には競争力がある。しかし、縫製工程は手間がかかる割に収益が上がりにくく、中国などの発展途上国に流出した。これに引っ張られる形で、それ以外の工程も流出してしまうかもしれないとレポートは危惧している。

もう一つの問題は生産設備だ。意外にも生産機械は技術革新が早い分野だが、外国製機械への依存が強まっている。ニット織り機のように「プログラミング」が必要な分野もあるのだが、プログラミング技術者も不足している。

日本が国際優位性を持っているのは、資本設備(生産施設などのことだと思われる)が高度に集積した分野だ。同じような理由でヨーロッパにも繊維産業の拠点がある。しかし、生産設備が老朽化し更新ができないと、優位性が失われるかもしれない。一社では設備の更新ができず、技術革新についてゆけないということも起こっているそうだ。日本で製造した機械もメンテナンスする人材が高齢化で辞めてしまえば、やがて使えなくなってしまうだろう。

外部から見ると、中間工程(縫製)の流出や生産設備の更新など一社で対応できないものも、共同すればなんとか対応できるのではないかと思える。しかし、それぞれの中小企業が個別対応しようとしているのが実情のようだ。慶応技術大学のレポートを読んでもどうしてこのようになってしまったのかがよく分からない。「国がきちんとサポートすべきである」という提言が見られるのみだ。

三菱総合研究所の短いレポートはこの事情を分析している。戦前、繊維産業は国内の主要輸出物であり、国策で機械化などが進んだ。戦争で一時落ち込むのだが、戦後一気に需要が高まり、貿易摩擦を引き起こすほどに成長したが、国が主導する形で産業規模を縮小した。このような経緯から「政策依存」の体質が作られたのだというのだ。

朝鮮戦争が始まると繊維製品への需要が高まった。織り機さえ持っていれば飛ぶように売れたため「ガチャ万景気」と言われた。当時は農村からの格安の労働力が豊富にあり価格競争力も高かったものと思われる。

当時は円が安いレートで固定されていたため国際競争力が高かった。アメリカのニクソン政権は1970年代初頭に日本に圧力をかけて繊維産業の縮小を求めた。沖縄の返還交渉をカードにしたとも言われており「糸を売って縄を買う」と揶揄された。日本政府は田仲角栄通産大臣がが2000億円ほどの予算で救済策を実施した。国内の機械を買い取って企業を救済したのだ。その後、円高が進行すると国内の繊維産業は競争力を失った。

繊維産業衰退を分析する中には、エンドユーザーとのつながりに関する記述はない。三菱総合研究所のレポートで商社の役割が示唆されている程度だ。実際には商社から先にデパートや海外などへのつながりがあり、バリューチェーンが完成するはずだ。

アパレル産業は「趣味趣向」に左右される。であれば、少量多品種を管理して市場のニーズをいち早く掴めばよいように思える。しかし、実際に成功しているのはユニクロのような規模の経済を活かした大量生産・消費型の企業である。

業界内にリーダーシップを持った起業家さえいれば状況は改善するように思えるが、国が主導した「殖産興業」の歴史が長かったので、個人でリスクを取って産業を興そうという気にならなかったのかもしれない。また、改革に必要なシステムも整備されなかったのだろう。

[2015/8/30:書き直し]

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