ジェームス・ディーンは、「大人」と「子ども」しかなかった所に「若者」という新しいカテゴリーを作ったとされている。大抵の分析では、ジーンズはその象徴として扱われているが、必ずしも主役だったいうわけではない。まだ、現代のようなファッション・シーンはうまれていなかったからだ。
有名な映画三作は1955年から1956年にかけて公開されている。自動車事故で亡くなったのは1955年で、このとき二十四歳だったそうだ。世界的にはワルシャワ条約機構が成立して東西冷戦が始まった年だ。日本では自由民主党と社会党のいわゆる五十五年年体制ができ上がった時代でもある。十年かけて第二次世界大戦後の枠組みが完成しつつあった。
ジェームス・ディーンは身長百七十三センチと背の低い青年だ。近眼でメガネをかけていた。とてもファッションモデルにはなれそうにないのだが、だからこそ大人でも子どもでもない「若者」というジャンルが作れたのだろう。
彼を特徴づけているのは、役柄への直感的なアプローチだ。加えて、回りのことを気にしない。これは俳優としては致命傷になり得る。アンサンブルができないので脇役ができない。つまり、主役にしかなれないのだ。
このため、世の中に出るためにはそれなりの苦労をしている。ゲイの大物に食べさせてもらい―たいていほのめかすように書いてあるだけだが、肉体関係があったと主張する本もある―逃げるようにしてニューヨークの舞台に立つ。そこでエリア・カザンに見いだされハリウッドに戻った。親友の脚本家が書いたという伝記には彼らの肉体的な関係が書かれている。どうやら男性が好きだったというわけではなく、食べるための選択肢だったらしい。
現代から見ると「ジーンズ」というファッションアイテムがあり、それに似合うアイコンとしてジェームス・ディーンがいたように思える。しかし彼にとって服装は「単なる衣装だった」らしい。与えられるものを、直感的に着こなしていたということだ。本の中には衣装を着て写真を撮ったものが残っている。これを元に次の衣装を考えるのだそうだ。
背が低いのだから、ことさら大きく見せてもよさそうだが、肩をすぼませて「反抗的」なキャラクターを演じてみせる。これが「少年性」を演出した。中には上半身ハダカ―つまり伝統的な男らしさを求められる―もあるが、こちらはあまり効果的な写真になっていない。例えば、ジャイアンツに出てくる成功したあとの主人公はあまり「ジェームズ・ディーン」らしくない。
このことから、彼がファッションアイコンになったのは、有名になってから青年のままで亡くなってしまったからかもしれない。こうして見ると、ジェームズ・ディーンのファッションについて解説した本のなかに、ことさらファッション性や彼の着こなしのセクシーさを褒めているものを見つけると、却って「この人本当に分かって書いているのかなあ」とさえ思えてくる。ジェームス・ディーンはそれくらい刹那の人だった。だからこそ若者というカテゴリを作り出すことができた。五十代を過ぎても若者らしくジーンズが似合わなくてはならないと考えられる以前のことなのだ。
ジェームス・ディーンのファッションには、ことさら「かっこよく見せよう」という自意識が感じられない。スターとして扱われてもどこか寂しげである。アルマーニのようにファッションと映画が密接に結びつくのはずっとあとの事である。
もし、彼があのまま生きていたとしたら、スター性を維持するために「流行のファッション」を取り入れることになったかもしれない。しかし、彼は亡くなってしまったので、1955年から56年の青年はスクリーンの中でジェームズ・ディーンという、あのいつも肩をすぼませたキャラクターとして記憶されることになった。
時代は一足飛びには進まない。まずジェームス・ディーンが若者というカテゴリを作った。そこに市場がうまれ、新しい概念「ファッション・トレンド」が作られた。。いよいよ1960年代に入り、我々が知っているファッション・シーンが生まれるのだ。