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ヒラリー・クリントンとアルマーニのスーツ

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ヒラリー・クリントン大統領候補がアルマーニのスーツを着ていたとして批判されている。スーツは約12500ドルということで、最低賃金労働者の年収に匹敵する。彼女が訴えていたのは「労働者階級の生活をよくすること」なのだが、これでは説得力がない。偽善者だなどと言われているのだ。
着ている物で批判されるというのは、ある種の性差別だろう。しかし、それ以前にこの変化は驚くべきものだ。かつてのアメリカであれば「女性が高い地位につき、豪華なスーツを着ることができるようになった」とあこがれの対象になったかもしれない。しかし、アメリカの賃金は伸び悩んでおり、社会階層の移動も困難になりつつある。格差は大きな怒りの対象になっており、アルマーニはその象徴の一つなのだ。
ヒラリー・クリントン氏の動向にはあまり関心がないのだが、アルマーニの行く末には興味がある。もともと上流階級の服が映画などで広がってアメリカで支持されたのが、アルマーニ成功の始まりになっている。その国でアルマーニが「格差のシンボル」として憎悪の対象になっているようなのだ。
ヒラリー・クリントンばかりがなぜ批判されるのか。それは男性がスーツを着ていれば「それなりに」見えるからだろう。専門家は異議を唱えるかもしれないが、デザインにはそれほどの違いがない。男性は最初からスーツの選択という重荷から解放されているのだ。一方、女性は何を着るかということが人格と直結して見える。あまりにも女性らしい服を着ると「力強さがない」と言われるし、高級なスーツを着ると「偉そうだ」と批判されることになる。
アメリカでもヨーロッパでも代わりにもてはやされるのが、ファストファッションだ。スタイルがよいセレブの女性が「私たちと同じ」ファストファッションを着ると好感度が上がる。例えばミシェル・オバマさんやケンブリッジ公爵夫人キャサリンなどがファストファッションを着て人気を集めている。ただ、彼女たちはスタイルもよい。ヒラリー氏はスタイルもそこそこ崩れているし、最近の選挙戦で声も荒れているようだ。体型の崩れ始めたしゃがれ声のおばあさんが高い服を着ているというのは、とても「痛く」みえてしまうのだ。
ヨーロッパ人やアメリカ人の代わりにアルマーニなどのブランドに食いつくのは中国人やアラブ人などだろう。時々銀座などでコーディネートはめちゃくちゃだがブランド物の時計を身につけ高そうな服を着ている中国人を見ることがある。これを見ると「ああいう人にはなりたくないなあ」などと思ってしまう。
こうして、かつてのブランドは徐々に絞め殺されてしまうのだろう。代わりにハイブランドで注目できるのが、居心地のよい空間作りやフィットネスなどのライフスタイル支援だろう。(言い方は悪いが)お行儀の悪い中国人には真似できない分野だろう。多分ブランドは、工業製品の付加価値という地位からさらに抽象化が進んでゆくのではないだろうか。とても古い言い方だが「第三の波」が及んでいるのである。人々が何に付加価値を感じるのかということは、産業革命以降身に付いた常識を超えてゆくのだ。