産業革命はイギリスで1760年代から始まった。植民地からもたらされる豊富な資源と農業から解放された労働力などが背景になっている。このころからヨーロッパは急成長を始めた。サミュエル・ハティントンはgreat divergenceと呼ぶ、結果、豊かな中産階級が生まれた。
衣住のデザイン化はこのような豊かなヨーロッパで成立した。
1815年頃、アメリカから綿が豊富に流入しテキスタイルの機械化が進んだことで、ファッションの近代化が始まった。
1839年〜1841年頃にトーマス・クックが鉄道による団体旅行を思いついた。ヨーロッパ旅行が一般化しつつあった。トーマスクックは1851年に開かれた第一回ロンドン万博への団体旅行を成功させた。ロンドン万博は、工業化とデザインの祝典だった。
1860年に中産階級向けに服をデザインしていたチャールズ・フレデリック・ワース(シャルル・フレデリック・ウォルト)が、メッテルニッヒ公爵夫人に予めデザインした服を売り込んだ。これがナポレオン三世の皇后の目にとまりパリで評判になった。ワースのデザインは海外から観光客を呼び寄せるまでになる。ワースがオートクチュールを始めるまでデザイナーはいなかった。消費者が「生地を買い」「装飾品を選び」「仕立て屋に行き」「お針子に仕立てさせる」という作業を行っていた。
ビクトリア朝のイギリスでは産業革命の結果、安価な日用品があふれた。ジョン・ラスキンは職人と手工業の復活を唱え、ウィリアム・モリスに支持された。1861年にモリスは生活と芸術の一致を目的にしたアートアンドクラフツ運動を提唱し、さまざまな実践活動を行った。自然界のモチーフを取り入れたデザインが有名だ。モリスはその後、社会主義に傾倒した。
イギリスではモリスの運動は支持されなかったが、大陸に受け継がれた。その結果、フランスでアールヌーボーが花開いた。モリスのデザインも取り入れられたが、社会主義的なイデオロギーは引き継がれなかった。ガラスや鉄といった近代的な素材が取り入れられ、自然界のモチーフが多用された。デザインは次第に過剰になりグロテスクな造型も生まれた。
1890年代のフランスはベルエポックと呼ばれ、ロートレックのポスターがパリの街を飾っていた。
1892年にバルセルミー・ティモニエがミシンを商業ベースに乗せ、アイザック・シンガーがミシン業界を席巻した。工程の分業化が進み、デパートで注文服を受け付けるようになった。
1893年にシカゴで万博が開かれて、アメリカでもデザインが生活に取り入れられはじめた。アメリカでは雑誌が牽引役になった。雑誌は競争が激しく付加価値競争が起こったからだ。1900年頃には広告の取り扱いが9500万ドルになった。広告代理店が生まれ、広告スペースが売買された。
このように、純粋な芸術を暮らしの中に取り入れようという応用芸術の動きは万国博などを通じて海外にも広がった。1919年にはドイツにバウハウスが作られた。バウハウスでは先生は教授ではなくマイスター(職人)と呼ばれた。工芸と芸術を統合させようという努力が見られたのだ。イギリスではアーツ・アンド・クラフツ運動は実業家と結びつかなかった。フランスは豪華な手作業にこだわり芸術が大衆デザインにならなかった。ドイツだけが近代デザインに目覚めた。デザイナーという職業はこの頃のドイツで誕生した。
1929年に大恐慌が起きた。バウハウスはその後共産主義化し、審美性もなくなった。バウハウスはナチスに敵視されて1930年代に閉校させられた。
安価な装飾デザインが手に入るようになると、アートの世界では揺り戻しの運動が起きた。1960年代にアメリカを中心にミニマリズムという運動に発展した。
1960年代にはファッションがさらに「民主化」された。
1959年にピエールカルダンがプレタポルテ(既製服)を作り、高級だった服装を普通の人が買えるようになった。1965年にイブ・サンローランがプレタポルテのブティックを開店した。ジョルジョ・アルマーニは1975年に自身の会社を設立したが、その服装は斬新すぎてイタリアでは受け入れられなかった。アルマーニの服装を受け入れたのは、俳優やアーティストといった人たちだった。これがアメリカの高級デパートで扱われるようになった。1980年のアメリカン・ジゴロでリチャード・ギアが着たことで世界的に有名になった。
しかし、一般にファッションが広まると、ファッションの差別化効果は弱くなった。21世紀に入ってすぐユニクロのような「ファストファッション」という形態が一般的になった。ファストファッションは日本だけの現象ではなく、ヨーロッパやアメリカでも流行している。ついには「究極の普通」を目指すノームコアというスタイルが流行するまでになった。
参考
– グラフィック・デザインの歴史 アラン・ヴェイユ
– ファッションの歴史(下巻)J.アンダーソン
– ジョルジオ アルマーニ 帝王の美学
– ヨーロッパのGDPの推計は経済歴史学者Paul Bairochのもの。Wikipediaから引用