「リーマンショック」を最初に使い始めたのは誰か

民進党の議員が日本語文書に入っていた「リーマンショック」という言葉が英語文書にない、印象操作だと息巻いている。知らなかったのだが、この用語は和製英語なのだそうだ。政府は英語にはない表現なので使えなかったのだろう。wikipediaの対応する英語項目は「リーマンブラザーズの倒産」で、重要ではあるが金融危機の一部にしか過ぎない。
まあ、それだけの話なのだが、別の疑問が湧く。この和製英語は誰が使いだしたのだろうか。これも今回始めて知ったのだが、Google Newsにはニュースのアーカイブ記事を日付付きで検索する機能がある。調べてみたところ、ロイターの記事が見つかった。リーマンブラザーズが破綻した翌日に銀行の株を中心に値を下げた。これを金融業界の人が「リーマンショック」と呼んだのだろう。当初は鍵括弧付きで報道したのだが、そのうち一人歩きをすることになったようだ。今では2008年金融危機のこととして一般に通用している。
要は株価急落がリーマンショックだったことになる。日本人にとって経済危機とはすなわち株価が下がることなのだろう。欧米では住宅ローンの破綻が相次ぎ、全体的な金融危機になっていた。リーマンブラザーズの問題だけでもなかったわけだ。また、リーマン・ブラザーズが破綻したから金融危機が起った訳でもない。だから金融危機をリーマンブラザーズの破綻で代表させることはできないのだ。
このショックという言葉の元祖はニクソンショックだろう。一般的には、アメリカがドルを金に交換するのを停止したことを指す。ニクソンショックは英語だった。その後オイルショックという言葉が生まれたが、オイルショックも和製英語なのだそうだ。その後「〜ショック」という言葉は使われなくなったのだが、2000年代後半のITバブル崩壊の頃から株価急落の意味で頻繁に使われるようになった。英語ではショックと呼ばずにクライシスというのが一般的なようである。
リーマンショック(2008年金融危機)は100年に一度の未曾有の状態と言われた。それが8年で再来するというのは、1000年に一度の東日本大震災がもうじき起るというのに似ている。とはいえ、翻訳文書に「リーマンショック」という言葉がないから「印象操作だ」というのも滑稽な話だ。そもそも国内でしか通用しない和製英語なのだ。

Nuke is Cool!

昔、アメリカでマルチメディアタイトルの制作に携わったことがある。インターンとして学校からアサインされたのだ。多分、選ばれたのは日本人だったからだろう。そのマルチメディアタイトルは原爆に関する物だったのだ。そのときに驚いたのは、同世代の人たちが「Nuke is cool」だと考えていたことだ。核カッコイイくらいの意味合いだと思う。かなり感情的に反抗したのだが、英語がつたないせいもあったのか全く分かってもらえなかった。
ポイントになるのは、この人たちが特段強い反日感情を持っているわけではないということである。もし反日感情があればそもそも日本人など雇わない(インターンではあるがアルバイト程度のお金はもらっていたので)だろう。また、彼らはユダヤ系だったので、戦争に対する知識は平均のアメリカ人以上には持っている。さらに、マルチメディアタイトルを作るためにそれなりに勉強もしている。それでも放射能のあのマークをクールなシンボルとして扱い、ロック音楽に合わせたグラフィックスを作り「核カッコイイ」と日本人に悪気なく言ってしまうのだ。つまり、この言葉が日本人の心情を傷つけるなどとは考えていないことになる。彼らはかなり驚いたようで日本人を加えてしまったことに当惑していた。
今回オバマ大統領が広島を訪問したとき「アメリカは原爆投下を正当化している」と考える人が多かったようだが、若い世代はそこまでの知識を持っている訳ではない。どちらかといえば、スターウォーズのようなノリで捉えているのではないかと思う。日本人は広島・長崎を「悲惨な現実」と刷り込まれているので、そこに大きな文化的摩擦がうまれる。海外に出ている人は日の丸を背負っているような気分になりがちだ。
今回の件は「オバマ大統領が広島を訪問したことでアメリカ人の意識が変わった」などと捉えない方がよいと思う。アメリカは銃を所持する権利が認められている国なので「自衛のためには核を持つ」と考えることに抵抗感が少ないだろう。そもそも、覚えていないとか意識していない人も多い。殴った方は殴ったことを忘れてしまうものなのだ。日本人もアジア各国で行ったことを覚えていないが、被占領国はいつまでも覚えている。
あまりショックを受けないように、一般的なアメリカ人が原爆に対してそれほど強い意識を持っていないことは知っておいた方がよいのではないかと思う。それでも相手を変えたいと思うなら、なぜ原爆が馬鹿げていて危険な兵器なのかということを「日本語で」説明できるようにしておいた方がよいと思う。だが、これはなかなか難しい。日本はアメリカの核兵器に頼った自国防衛を行っている。被害だけをクローズアップしたり、一方的に「悲しいお話」にすることもできないのだ。
もっとも、公の場で日本人にあえて「原爆は正当だった」などという人は多くないと思う。唐突に政治の話をしたり過去の諍いを蒸し返したりはするべきではないというのが、ポリティカル・コレクトネスだからである。

100円均一観葉植物の土は使えるのか

100円均一ショップで観葉植物の土を買った。ネットで調べると「100均の土は使わない方がよい」という話を多数見かける。本当のところはどうなのだろうか。

成分を見ると「ココピート」と堆肥を混ぜ合わせた土のようだ。赤玉土が入っているがごく少量。多分、100均の土を最大の欠点は、赤玉土に入っているだろう微量のミネラル成分が欠けているところなのではないかと思う。つまり、後から肥料を足してやることが前提になっているのだ。ココピートはピートモスと違って劣化による目詰まりは少ないそうだ。

ネットで調べるとココピートの原産地はスリランカだそうだ。輸入する際のトラブル(鉄くぎが入っていたり、塩害があったりする)が多数見つかった。多分もともとは産業ゴミ(つまりココヤシのゴミ)なのだろう。また有機質は酸度が高い可能性がある。一応、100均の土には酸度・塩分濃度に関する保証が書いてある。

今回植え替えたのはマダガスカルジャスミンとオリヅルランだ。マダガスカルジャスミンは10年選手なので扱いが雑になりがちだった。古土を使って植えていたのだが、土になじんでいない上に根に土が充満していない状態で半年放置されていた。そのような状態に比べると、100均の土は「まだ、まし」と言える。繊維質が根になじむので通気性はよくなるだろう。

またオリヅルランは持て余し気味で捨ててしまおうかというものだった。これは水苔でも育つほど丈夫なので土にはあまりこだわらなくても良さそうである。

土が余ったので余分な植木鉢にも入れた。ただし、使えるかどうかはオリヅルランなどの経過を見て判断したい。

ただし、どちらも肥料は必要そうなので、100均で観葉植物の肥料というものを買ってきた。コーヒー殻と紅茶殻でできているという怪しげなものだが、一応お守り代わりに蒔くことにした。繊細な植物には微量元素(マグネシウムなど)の補給が必要になるのだろう。また、酸度に弱い植物(タイム、ローズマリー、ラベンダーなど荒れ地で育つ植物)にはあまり使いたくない。また繊維質の土は乾燥には弱そうなので、素焼き鉢で外に置くというような使い道には向かなさそうである。最後にココピートは4〜5年でへたるそうなので、植え替えは必須だ。ただし、土を4年も放置するというのはなかなか考えにくい。

以上の特性をふまえると、100均の土はそこそこ使えそうである。植物繊維由来の土は軽いので持ち運びがラクな点はメリットと言えるだろうし、栄養を外から補給できるということはコントロールがラクということでもある。

いろいろ特性を考えると100均の土にも使い道はある。取り扱いが簡単そうなプラスティックの鉢も取り揃えているので、室内で気軽に観葉植物を育てるには悪い選択肢ではないのではないだろうか。

なお、100均には赤玉土や堆肥なども置いてある。これは小袋に入っており、ホームセンターなどと比べると単価が高いそうだ。しかし余った土を捨ててしまうよりも、少量買えた方が便利なこともあるかもしれない。六号鉢には2.2リットルの土が入るとされている。

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政治的状況と演劇空間

このところ、政治と演劇について考えている。興味のない人にはどうでもよい話なのだとは思うのだが、興味がある人は「では、演劇とは何なのか」と考えるのではないだろうか。
ここでいう「演劇」とは、緊張とその緩和を指す。日常生活はどっち付かずの状態の連続で、これといったイベントは起らない。そこで人々は「きっちりとけりの付く状態」を体験することである種の爽快感を得る。この爽快感のことをカタルシス(浄化)と言ったりする。演劇の目的はカタルシスの獲得だ。
緊張は新しい情報という形でもたらされる。様々な形がある。いくつか例を挙げて考えたい。
オバマ大統領は「和解の外交」を標榜しており国内世論の反対を背景に広島訪問を強行し、広島で被爆者と抱き合った。これは被爆地では待ち望まれていた来訪であり日本人には緊張緩和の効果があった。「折り鶴」はその象徴として扱われるのだろう。しかし、そこで新しい情報ももたらされた。実はアメリカ人にも原爆の犠牲者がおり、それに気をとめた日本人がいたのだ。対立や謝罪という緊張があり、オバマ大統領の提唱する「和解」で解消する。すると、受け手はカタルシスを感じるのだ。
舛添東京都知事にも演劇的な背景が見られる。スマートな論客として知られていた舛添都知事は、実はお金に汚い人だったという新しい情報がもたらされる。ところが舛添都知事はこの疑念を解消する解決策を持っていない。すると観客は勝手にカタルシスを求め始める。それは舛添都知事が辞任することだ。そこには理屈はないし、法的な要請もない。しかし、視聴者(あるいはニュースの送り手)は状況がシナリオ通りに進むことを求めているようだ。このように「選挙のイメージと違う」という裏切りで辞任に追い込まれる政治家や活動自粛を余儀なくされる芸能人は多い。
小泉首相は、潜在的な自民党政治への不満を背景に「郵政民営化」という解決策を持っていた。だが対立がなかったので「自分は聖戦を実行しているが抵抗勢力がいる」というストーリーをでっち上げた。小泉首相が健在化させるまでは「旧態依然とした自民党の体質」は漠然とした不安に過ぎなかった。その背景にあったのはバブルの崩壊であって遊泳民営化は本質的な解決策ですらなかった。だが、人々は作られた対立に熱狂し、小泉首相の戦いを熱烈に支持した。
緊張と緩和には様々な類型があるが、一般的には喜劇と悲劇に分類される。伝統的には人知を超えた力に翻弄されるのが悲劇で、人間社会のあやを描いたのが喜劇とされるそうだが、現在では必ずしもそうした分類はなされない。しかし、悲劇類型であってもその結末が悲劇的とは言えない。
ある種の喜劇では緊張が起るが、ドタバタの末にある種の解決がもたらされる。嘘がばれないようにやきもきしていたが、結局嘘がばれてしまうという演劇の場合「嘘がばれた」瞬間がピークになり、その後の解決策(緊張の緩和)が提示される。演劇の中に緩和が組み込まれている。
別の喜劇に「うざい」キャラクターにうんざりしている周りの人たちがそのキャラクターを懲らしめるという形式がある。たいていの場合キャラクターは固定されている。「うざい」キャラクターが懲らしめられるところに緊張の緩和がある。
一方で悲劇の場合、最初にピークが来る場合もあるし、最終的に状況が破綻して終わることもある。劇場を重苦しい空気が支配するわけだが、劇中、緊張は緩和しない。緊張が緩和されるのは劇場を出たときだ。
スターウォーズはダースベーダーの人格の崩壊と、その後のreconciliation(和解)を扱っている。既存の悲劇や心理学を研究したものと言われている。少なくとも最初の6話は父親が経験した悲劇を最終的に息子が統合する話である。スターウォーズは悲劇類型だが、解決策も劇中で提示される。
例えば単純そうに見えるヒーローものでも緊張が見られる。ヒーローになる人は何らかの葛藤を抱えているのが常である。単純に悪を倒すだけでは面白くないのだ。いわゆる「悪」は純粋に倒す存在なので葛藤の源としては弱いことになる。運命に翻弄されるという意味では悲劇類型だ。実際には悪は問題というより終わりを規定している。悪を倒した時点でヒーローの課題が解決し物語が終わるのだ。
もちろん、こうした緊張と緩和の演劇を脱しようする試みもある。中には演劇の状況に心理的に取り込まれないように観客に要請する劇作家もいる。しかし、それでも感情移入の力は強い。感動を求められない芝居にも人は感動してしまうのだ。
演劇は限られた空間を必要とする。そこから解放されることがカタルシスを生み出すからだ。故に、携帯電話に遮られ時間が寸断される世界ではドラマそのものが成立しない。一方で、本来出口我ないはずの日常のニュースが演劇化してしまう。人々はそこにカタルシスを求めてしまうことになるわけだ。
演劇空間をうまく利用すれば、普段は埋もれている社会的問題に新しい光を当てて、新しい視点を獲得することができる。しかし、問題の解決が図られず、単にカタルシスを得るために演劇空間が利用されるということも多い。こんな事例がある。
オバマ大統領はYes We Can!というフレーズで演劇的な空間を作り出した。諦めなければ状況は変えられるという幻想を有権者に与えたわけである。今になって思うと人々が何に熱狂したのかよく分からない。その揺り戻しは「政治家は嘘をつく」という不満になって現れた。煽動しただけで何もしてくれないというわけである。それを体現しているのがトランプ候補だ。
小泉政権も悲惨だった。自民党をぶっつぶすと言ったのだが、実際につぶれたのは小泉陣営に反対する派閥だった。3代に渡る混乱の後、民主党はそれを利用した。公共事業を抵抗勢力と位置づけ「コンクリートから人へ」と主張したのだ。しかし、それでも緊張は緩和されず、安倍政権の「アベノミクス」に引き継がれた。アベノミクスは問題を先送りしただけなのだが、民主党が作り出した緊張(あるいは巨大地震が作った緊張なのかもしれないが)は緩和されたように見える。
現在の緊張は消費税が上がるかということなのだが、作り出された緊張は安倍首相により取り除かれようとしている。新聞は意識せずにこの演劇空間作りに加担している。消費税増税延期というゴールをほのめかしつつ、緊張を煽ったのだ。
人々は次に新しい問題が起るまで、弛緩した非演劇空間を生きるのだろう。次に何かが起るのは状況が逼迫したときだが、何が起るかは今は分からない。問題は全く解決していないからだ。

日本政治最大の問題とその解決策はなにか

どうやら予定通りに消費税増税が延期されそうだ。そんな中、自民党と政権の内部に亀裂が見られる。財務省よりの人たちが「総選挙せよ」といい、安倍首相を牽制している。財務省は景気に関係がなく安定した税収が見込める消費税に依存したいのだろう。その代弁者になっているのが麻生、谷垣両議員だ。「経済指標がよくなってきているのに、増税延期では筋が通らない」と主張し、安倍首相の「アベノミクスはうまく行っているが、世界経済が悪い」という妄想と化した言い訳に真っ向から対立している。
過去、このような内部対立が起ると自民党の支持率は下がってきた。有権者はいわゆる「〜下ろし」という不調和を嫌うのだ。ところが、今回は野党が優勢だという話は聞かない。民進党は共産党との共闘にも統一名簿にも積極的ではない。また、おおさか維新は自民党からではなく民進党から票を奪いたいらしい。専ら民進党を攻撃している。そもそも民進党の中ですら意見の隔たりが大きい。自民党は不調和なのだが一応党としてのまとまりがある。しかし、野党側にはそもそもまとまりがないし、まとまるつもりもなさそうだ。
ここのところ新聞各社は傍観者として淡々と状況を伝えている。安倍首相がG7を増税延期の口実にしたいということは早くから伝えられてきた。その観測を日付まで入れて伝えていた。海外メディアが「世界経済は危機にない」との主張もそのまま伝える。麻生さんや谷垣さんが総選挙だといえばそれも伝える。ただ、それについて考えたり、世論を誘導することはない。単なる伝言屋さんになっている。もはや状況に関与しようという意欲がないのだろう。
では、マスコミが問題の本質かというとそんなこともなさそうだ。根本にあるのは国民の冷えた目線だ。国民には政治に関与しようという意欲はない。政治家の説明がどんなにでたらめでも、政治日程はまるで儀式のように目の前を通り過ぎてゆく。
進んで負担しようという気持ちは誰も持っていない。国民は消費税を払いたがらないし、企業は法人税を減税しろという。中小企業は個人事業主を雇ったことにして社会保障の負担を回避している。仕方がない部分はある。たいていの政治的決断は国会審議とは関係のないところで進行している。全ての結論は数で決まる。議論が状況に関与すると思ってい人は誰もいないだろう。安保法制もそうだったし、消費税議論もそうなりそうだ。春からの国会審議は全て茶番だった。国会では「景気は上向きつつある」という前提で議論が進んでいたのだが、一点して「100年に一度の危機がもう一度来る」ということになった。だが、誰も怒らない。
日本政治最大の問題はこの国民の無関心にあるといえるだろう。御神輿を担いでいるのだが、実はみんな手を離しているから、重みを感じないのだろう。残って神輿を担いだのは逃遅れた人たちなのだ。
こうした状況を打破するためには「驚きによる緊張とその緩和」が必要である。いわば、劇場型の政治である。しかし劇場型の政治にも大きなデメリットがある。理性が吹き飛び、とんでもない決断を下すことが多い。
現在の状況ではこうした劇場型の政治は起りそうにない。しかし、構造上起りそうなことは必ず起る。観客は現在の膠着状態には長く耐えられないだろうし、それを見つける政治家も必ず出てくるはずだ。議論による政治を再開しないと、近いうちに、日本にも劇場型の政治家が台頭するのではないだろうか。

オバマ大統領と演劇的才能

オバマ大統領の広島訪問が終わった。終わってみると、その見事な演出家ぶりが印象に残った。メディアはオバマ大統領が被爆者代表と抱き合う<感動的な>写真を載せた。これはオバマ大統領が標榜する「リコンサリエーション」の見事な象徴といえる。ハバナ訪問に続いて「かつての敵国と和解した偉大な大統領」というレガシーが作られたのだ。
加害者であるはずの日本人と抱き合うとは何事かという声は当然出るだろう。そこでオバマ大統領は見事なツイストを用意していた。実はアメリカ人にも原爆被害者がいる。その人たちに光を当てたのが、この抱き合った人なのだ。決して謝罪しているわけではない。アメリカ人の恩人に感謝を示しているのだと主張できるわけだ。この人選が偶然であるはずはない。計算された筋書きだろう。
これは国内向けの対策であるだけではない。原爆は(当然のことながら)その場にいた人たちを分け隔てなく殺す。人類に対する罪であり、アメリカ軍だとか日本軍という隔てを超越してしまう恐ろしい兵器なのだ。アメリカ人は「日本人を殺したから正当だった」と考えるのだが、実は同胞も殺していたと知り、少なからず動揺したはずである。
スピーチ自体はあまり意味のないものだったが「アメリカ人にも被害者がいる」という話が予め知られていたら、このような演出は成り立たなかっただろう。演劇は新しい発見による緊張とその緩和が要点なのだ。
演出は偉大なリーダーにはなくてはならない資質だ。アメリカは1年以上もかけて大統領を選ぶので、こうした演劇的な才能が正否を分けるのだろう。オバマ大統領とスタッフたちが演出家としての才能を持っていることは間違いない。
一方、安倍首相は日米同盟は盤石なものであることを見せつけて、国内の支持を盤石なものにしようとした。いつでもバラクの隣に座りたがるその姿は、クラスのイケていない学生がスポーツ万能で勉強もできる学生と友達になりたがっているようにも見えた。その見事な小物ぶりがますますオバマ大統領を引き立てることになった。オバマ大統領はそんな晋三の肩を叩いて「これからもがんばろうな」と言ったそうである。
安倍首相はG7を自らの失敗を糊塗するのに利用しようとした。しかし「リーマンショック級の事態が起きている」という主張(妄想と言っても良いだろう)は世界のメディアから嘲笑された。日本のマスコミは消費税増税延期を既定路線として捉えており、描かれたシナリオを淡々と伝えるだけである。マスコミはもはや反対や論評すらしてくれない。意図は見え透いており、誰も驚かないのだ。安倍首相とそのブレーンに演出の才能がないのは明白だ。
オバマ大統領と安倍首相の一番の違いは何だろうか。それは、緊張を生み出す力とそれを解消する力の有無だろう。オバマ大統領にはリーダーシップがあるので人々の反対を押し切って状況を打破しようという意欲があった。一方安倍首相は基本的にはアメリカのフォロワーなので、独力で緊張を作り出すことはできなかった。むしろ、支持者たちの関心を惹き付けるのに腐心している。状況に振り回されているのである。
一方で、作り上げられた緊張は緩和させられなくてはならない。そのために使われるのが「共感力」なのである。安倍首相は基本的に空気が読めないので共感力がない。だから、安倍首相が作り出した緊張は単に状況を混乱させるだけなのだ。反対者と対話していないのだから当然だ。
つまり、シナリオを作り、状況をコントロールする人だけが演劇的才能を駆使できるのだ。
とはいえ、オバマ大統領の演劇的才能が良いことだったのかどうかは議論が分かれるところだろう。演劇的才能に頼りすぎるあまり「出落ち」のようになってしまい、現実を変えることはできなかった。大統領のピークは間違いなくYes We Canだろうし、ノーベル平和賞の受賞だろう。だが、その後、せっかく作った健康保険プランはうまく機能せず、銃犯罪もなくすことができない。演劇は他人の緊張を見ているから楽しいのであって、自分自身について考えるときには別の回路が働くのかもしれないし、大統領の手足となって実務を進めるパートナーに恵まれなかったのかもしれない。

消費されるニュースとブログメディア

オバマ大統領が広島を訪問するニュースが大きく報道された。これを見ていきなり「なぜ、オバマは謝らないんだろう」と考えた人が多かったらしい。検索での流入がリアルタイムで増えたのだ。そこでそれをタイトルにしたエントリーを30分で書いたところ、流入があった。
本来ならば「今回の歴史的な訪問を考えるきっかけにしてほしい」などときれいにまとめたいところなのだが、そうはならないだろう。テレビ中継が終わって流入はぴったりと止まった。NHKはニコ生のようにTwitterの反応を流せば面白かったのかもしれない。ニュースはその場のイベントとして共有されて、そのまま忘れされれてしまう。ユーザー(というのか視聴者というのか)はニュースに反応して消費したら、捨ててしまうのだ。その意味ではニュースはチューインガムに似ている。後には何も残らない。
もう一つ面白いのは検索ワードだ。本来なら「なんでオバマ謝らないんだよ」というのは、友達や家族に向けての言葉だろう。そういう話をする相手がいないことになる。代わりに、ソーシャルネットワーキングサイトで似たような人をフォローし、エンジンで似たような意見を探すのではないかと考えられる。本来の集団主義的な指向が崩れつつあるのではないかと考えられる。
これが良いことなのか悪いことなのかは分からない。ユーザーの時間は限られており、考えなければならないことはたくさんあるのだろう。いずれにせよ、送り手になる人はこれを現実として受け入れる必要がありそうだ。
そもそも「なぜ、オバマ謝らない」で検索した人がいるのだろうか。もともと広島・長崎での謝罪がなかったのは、アメリカに占領されアメリカを責めることができなかったことが出発点になっている。敗戦国なので戦争犯罪として断罪することもできなかった。また、物質的な豊かさに圧倒されて複雑なあこがれを持つようになった日本人も多かった。その上で被害者たちは苦しみ抜き、最終的に許すことを決めたわけだ。その一方で多くの日本人はそれを天災のように捉えることにした。決して他人ごとだったわけではなかっただろう。多くの都市が空襲に会っているからだ。
現在「オバマはなぜ謝らないのだろう」という疑問を持つ人が出てきたのは、占領の記憶が薄れ、アメリカが特別な国ではなくなりつつあるからだろう。そもそも、日本とアメリカが戦争をしていたという認識さえ、確かに共有されているかどうか怪しい。マスコミはある思い込みのもとに作られるので、こうした素朴な疑問や足下で起りつつある変化を見逃してしまうのだ。
一方で、個人のブログメディアは細かな変化を感じ取り、数十分でアップできてしまう。組織の意見に縛られることはないし、事実誤認が見つかれば書き直せば良いのだ。

オバマ大統領はなぜ原爆投下を謝らないのか

オバマ大統領が広島を訪れるのだが、早々に謝らないことを決めた。報道する側は事情がよく分かっていて、微妙な問題であることも知っているので、ほのめかすようにしか書かない。当たり前だからみんな知っているだろうという前提もあるようだ。だが、いちおうなぜ謝らないのかということについて書いておく。
オバマ大統領が謝らないのは国内(米国)世論に配慮したからだ。
第一に、原爆は大量破壊兵器を市民に使った事例である。アメリカは他国の大量破壊兵器には厳しい目を向けているのだが、自分たちが最初に使ったということも知っている。そこで「正当化」する必要に迫られた。そこでできた理屈が「あそこで決断しなければ、戦争がもっと酷くなっていた」という理屈である。これは、実際にアメリカでは学校でも教えられているらしく、多くの人が当たり前のように信じている。だが、悪いことをしたという意識もある。そこでオバマ大統領が広島を訪れることが決まったとき、最初に米国内で議論されたのが「オバマ大統領は謝るべきか」ということだった。
アメリカは大量破壊兵器を使った訳だから当然日本は謝罪を要求していると考えたのだ。そこでアメリカ側は「あれは真珠湾のお返しだった」という反論まで用意したのだ。
オバマ大統領は野党共和党から「弱腰外交」と非難されている。トランプ候補の台頭を防ぐためにもあまり弱気な態度は見せられない。だが、その一方で「リコンサリエーション外交」を進めようともしている。過去を清算して過去の敵味方で仲良くやってゆこうというような意味合いだ。かつての敵国ベトナムを訪れたのも同じ文脈による。難しいバランスを取った形だ。
アメリカ人の予想とは違って、日本人の多くは原爆を「天災」のように捉えようとしている。多くの被害者たちはかなりつらい思いをして「ここで許さなければ先に進めない」と考えるに至ったようだ。故にアメリカに謝罪を要求したいと思っている人は多くない。そこで「そもそも戦争を起こした当時の世界情勢が悪いのだ」と考えることになった。「過ちは繰り返さない」に主語がないのはそのためである。だから、アメリカ人が日本人に謝罪すべきかについて議論しているというのはすこし滑稽にすら見える。
バランスを取るために安倍首相が真珠湾(こちらはアメリカ市民が日本軍の爆撃で殺された事例だ)を訪れるべきだという意見もあったようだ。だが、安倍首相が真珠湾で謝ってしまうと「なぜ、日本だけが謝ったのか」という議論が起りかねないし、謝らないと「アメリカは真珠湾攻撃を正当化するのか」ということになりかねない。「謝罪」はこのように新しい対立を生むのである。
つまり、国内世論に押されて謝れないのだという見方もできる一方で、謝罪合戦はをどこかで終わらせなければならないという見方もできる。対立を乗り越えて「リコンサイル」するのが、謝罪がない第二の理由である。だが、リコンサイルするためには双方の合意がなければならない。広島・長崎についてはリコンサイルする条件が整いつつある一方で、真珠湾にはまた日本を許せない人たちがいるのだ。
被害者側が「赦す(怒りを手放す)」ことの重要性が分かる。日本は(特に広島と長崎の被害者たちは)70年もの長い時間をかけて、この境地に至った。世界平和という大げさな問題もあるが、怒りを手放すことで「怒りと無縁の人生を手に入れる」とか「自らを解放する」という機能もあるのだと考えられる。
ただ、広島で謝るか謝らないかということにはあまり意味がない。ここで核軍縮を進めなければ「単に過去を正当化」しただけの弱腰の大統領ということで終わってしまう。一方、なんらかのアクションを示すことができれば、怒りを手放すのに一生を費やした人たちの思いが少しだけでも報われることになるだろう。残念なことにオバマ大統領は核軍縮には成功しておらず「弱腰で期待はずれ」の大統領になりつつある。また、国内問題を放置していたために、現在のトランプ対クリントンという政治不信の構図を作り出している。これは日米同盟を危機にさらすかもしれない。
オバマ大統領は死が降ってきて世界を変えたと表現したのだが、これは主語をぼかした言い方だ。実際にはアメリカが死を降らせたのである。犠牲者は広島や長崎にいた日本人だけではなく韓国人やアメリカ人(同時通訳には乗らなかったがdozen of Americansと表現された)へ言及し、韓国への一定の配慮を見せた。その後、話題を人類史全般に拡大し、原爆投下から話題をそらした。さらに自分が核保有を終わらせることはできないが、狂信的な人たち(北朝鮮のような国家を指しているものと思われる)に核爆弾を渡してはいけないと言っている。さらに国内事情(銃による殺し合いが常態化している)をふまえ、人間は平等なのに殺し合いをしていると語った。それが間違いだいうことを証明するために広島に来たと言っている。目の前の広島向けというよりは米国民向けの演説だったと言える。
名演説の機会を失ったと言ってよいと思う。
また安倍首相は、広島長崎の被爆者に同情を示すより前に、アメリカ上下両院議会の合同会議でアメリカの若者の命が失われた(日本が奪ったとは言わなかった)といい、日米同盟に配慮を見せた。しかし、日本軍はアジアでも多くの人を殺しており、沖縄を見捨てたのである。つまり、夢を失ったのはアメリカ人だけではなかったのだ。オバマ大統領が「人類の問題」について語っているにも関わらず、空気を読まず日米同盟の話に矮小化したと言える。
この謝るか謝らないか問題でよく引き合いに出されるのが、韓国や中国が日本に謝罪を要求するという問題である。韓国や中国は民度が低いからいつまでの謝罪を要求するのだと言われることが多い。だが、安倍政権は「謝罪はしない」とする一方で「戦争は仕方がなかった」とか「日本は悪いくない」という正当化発言を繰り返して中国・韓国を刺激し続けている。慰安婦問題では河野談話の破棄をほのめかし、オバマ大統領に強制される形で(アメリカはそう見ているようだ)継承を決めた。お互いが頑になればなるほど、極東地域に緊張が走り、怒りに縛り付けられる人が増える。その意味で安倍首相の罪は大きいと言える。

G7伊勢志摩会合はどのように見られているか

ついつい、海外の報道を先に読むクセがついてしまった。今回は伊勢志摩サミットについて。
CNNは会議の内容について詳細にレポートしていない。そもそも関心が高くないのかもしれない。オバマ大統領が広島訪問の「ついで」にG7に出席したみたいな印象さえ受ける。
代わりにヘッドラインになっているのは「シナリオ通りに進まなかった日米首脳外交」というニュアンスのものだ。日米同盟の強化を国内外に印象づける絶好の機会だったのだが、沖縄で問題が起きたために関係がぎくしゃくしたというのだ。オバマ大統領はreconciliation(和解とか仲直りという意味がある)外交を進めているが、安倍首相の周辺国との関係修復は進んでいないとしている。それどころかオバマ大統領は河野談話(慰安婦問題は存在する)の継承を求めるなど、安倍首相の目の上のたんこぶになっているというわけである。
興味深いのは、多分日本ではあまり報道がされないであろう難民問題だ。安倍首相は前回難民問題を単なる労働者不足の問題と捉えてしまい「女性や老人など国内の労働力を優先する」ととんちんかんな発言をしているのだが、これが間違って「国内問題の解決に手一杯で難民問題には興味がない」と捉えられている。
その他の話題は通過安競争の抑止だ。ヨーロッパと日本は金融政策を通過の切り下げに使っているという認識が根強くあるようだ。
もう一つ見つけたのはフォーチュンだ。こちらは国内報道と同じように、安倍首相はコモディティ価格の下落のチャートを使って「リーマンショック以来の危機だ」と説明したが、各国の首脳からは賛同が得られなかったというニュースを伝えている。オバマ大統領は通貨の切り下げについて言及したらしい。
フォーチュンは冷静に安倍首相は消費税増税の延期などの国内問題にG7を利用したかったと伝えている。だが、同意が得られなかったというわけである。都合のよいデータを持ってきて危機を演出するのは安倍首相の常套手段だが、それは世界では受け入れられないのだろう。これらの報道を総合すると、日本は国内問題を優先し、政権の支持率を上げ、アッパーハウス(参議院)選挙を有利に進めようとしたが、必ずしもうまくいっておらず、安倍首相のナショナリスティックな姿勢はアメリカの懸念材料になっているという図が浮かぶ。
日本で同じような主張をすると反日とかサヨクと言われてしまうのだ。
これをふまえてNHKのニュースを見てみる。民進党はアベノミクスは失敗したと大騒ぎしているが、各国の首脳は世界経済が厳しい状況にあり、政策を総動員すべきだという認識で一致したと伝えている。NHKの報道を鵜呑みにしてあれこれ論評するのは、知的に脆弱であるというスティグマでしかないが、もう、さすがにそんな人はいないのではないだろうか。

世界は伊勢神宮「参拝」をどう伝えたか

安倍首相がG7の首脳を伊勢神宮に招待した。はじめは「参拝」と伝えた報道もあったが、後に「訪問」などの中立な表現に改められた。NHKは正殿前の記念撮影までは映したのだが、参拝の映像は配信しなかった。一方で、産經新聞は「自由な形で参拝した」と伝えている。あくまでも観光ではなく、崇敬の念を持って参拝したことにしたかったようだ。
しかし、よく考えてみると安倍首相以外はすべてクリスチャンだ。キリスト教は一神教なので他の神様に参拝することはあり得ない。なおユダヤ教もイスラム教も神様は一緒であり、聖典も共通しており、異教の神様を参拝したことにはならない。
過去の記事を調べてたところ、インド訪問の際にシーク教の寺院を「訪れなかった」ことがあるそうである。ゴールデンテンプルを訪れるためにはターバンを巻かなければならないのだそうだが、イスラム教徒という噂があったオバマ大統領がこれを嫌った可能性があるというような伝え方だった。ただし、イスラム教の史跡は訪れている。どちらかといえば「どのような絵を撮られるか」を気にしていたようだ。
さて、BBCは控えめに「安倍首相が伊勢志摩を選んだのには政治的な意図がある」と伝えている。詳しく伝えているのはガーディアンだ。安倍首相が神道系の復古勢力と結びついているとしており、日本会議の主張も掲載している。国内向けのアピールだったというような論調になっていて、安倍首相と右派のつながりを詳しく伝えている。
ABCは次のように伝えている。大統領の広島訪問で頭がいっぱいらしい。もちろん、謝るか謝らないということを気にしているのだ。安倍首相が真珠湾を訪れないことにしたというニュースでは「日本では広島長崎と真珠湾をパラレルのものとして捉えていない」と伝える。真珠湾は軍事施設を攻撃したものと見なされており、市民が殺されたという認識がないのだというわけだ。こうした見方は指摘されるまで分からない。立場が違えば見方も違って見えるということだ。
面白いことに日本語版のwikipediaには市民の攻撃についての言及はないのだが、英語には記述がある。

エコノミストは「G7誘致に名乗りすらあげていなかったのだが、官邸の強い意向で選ばれた」と欠いてある。観光都市としての伊勢志摩の魅力を伝えたいとがんばっている地元の人たちが見たら泣きそうな報道かもしれない。オバマ大統領は正式な参拝(柏手や手水など細かく描写してある)はしないかもしれないが、戦争を推進した神道とG7が結びつくことになるとやや批判的に紹介している。ただし、メインはやはりオバマ大統領の広島訪問であり、伊勢神宮の訪問はそれより議論を呼ぶ可能性は少ないとしている。
エコノミストはこう結んでいる。

The problem for America in dealing with Mr Abe, however, is that it is impossible to separate those of his policies it likes from the broader nationalist agenda of some of his unappealing fans. That includes a revisionist view of history, in which Japan’s only important mistake in the second world war was to lose it; a rejection of the American-imposed constitution and its renunciation of war; and perhaps a revival of Shinto as a state religion. In helping Mr Abe, America is unintentionally also boosting forces that want to take Japan in a direction feared by many around the region, and indeed in the country itself.

正確ではないがざっと訳すと次のようになる。アメリカが安倍首相とつきあう上で難しいのは、安倍首相のナショナリストとしての主義(例えば、歴史修正主義、アメリカが押し付けた戦争放棄を含む憲法の排除、国家神道の復活などの)を政策から分離できない点だ。安倍首相を助けることによって意図的ではないにせよ周辺諸国と国内が恐れている方向に日本を向かわせる可能性がある。
アメリカは、日本が中国と対抗心を持っており、それに巻き込まれるのは得策ではないと考える人たちがいる。一方、中国の海洋進出にも懸念を持っており、地域大国である日本の協力が欠かせないという認識もある。日本はある意味で扱いにくい相手になっているのである。
今回の伊勢神宮では、オバマ大統領が特別扱いされていた。各国の首脳がオバマ大統領を出迎えたような絵が作られ、それを先導したのが強固な同盟国である日本だという図式を作ろうとしたわけだ。国内的には効果があったのかももしれないのだが、アメリカにとって「話ができる」同盟国は同じ言語を共有するイギリスとカナダなわけで、茶番にしかならないし、各国を平均的におもてなしすべきだという意味では礼儀にも反する。序列上は任期が一番長いメルケル氏が真ん中に来るべきなのだ。
日米首脳会談の後、オバマ大統領と安倍首相の二人での写真撮影はなかった。政府は時間がなかったと説明し、沖縄事件を配慮したものだと国内的には説明されている。しかし、実際にはオバマ大統領が安倍首相と距離を置きたがっているのかもしれない。日本に過剰なエンドースメントを与えてしまうと、周辺国を刺激するからだ。
今回は英米系のメディアだけをざっと読んだのだが、意外と冷静に日本の状況を見ている。よく左翼的な人たちが日本の悪口を触れ回っていると被害者意識たっぷりに主張する人たちがいるのだが、それは正しい物の見方とは言えない。世界のリーダーが崇敬の念を以て伊勢神宮に参拝したのだと純粋に喜ぶ分には構わないと思うのだが、世界の目が割と冷ややかに日本の行く末についての懸念を持っていることは知っておいた方がよいだろう。その上で日本の報道を読むとまた違った味わいがあるのではないかと思う。