政治的状況と演劇空間

このところ、政治と演劇について考えている。興味のない人にはどうでもよい話なのだとは思うのだが、興味がある人は「では、演劇とは何なのか」と考えるのではないだろうか。
ここでいう「演劇」とは、緊張とその緩和を指す。日常生活はどっち付かずの状態の連続で、これといったイベントは起らない。そこで人々は「きっちりとけりの付く状態」を体験することである種の爽快感を得る。この爽快感のことをカタルシス(浄化)と言ったりする。演劇の目的はカタルシスの獲得だ。
緊張は新しい情報という形でもたらされる。様々な形がある。いくつか例を挙げて考えたい。
オバマ大統領は「和解の外交」を標榜しており国内世論の反対を背景に広島訪問を強行し、広島で被爆者と抱き合った。これは被爆地では待ち望まれていた来訪であり日本人には緊張緩和の効果があった。「折り鶴」はその象徴として扱われるのだろう。しかし、そこで新しい情報ももたらされた。実はアメリカ人にも原爆の犠牲者がおり、それに気をとめた日本人がいたのだ。対立や謝罪という緊張があり、オバマ大統領の提唱する「和解」で解消する。すると、受け手はカタルシスを感じるのだ。
舛添東京都知事にも演劇的な背景が見られる。スマートな論客として知られていた舛添都知事は、実はお金に汚い人だったという新しい情報がもたらされる。ところが舛添都知事はこの疑念を解消する解決策を持っていない。すると観客は勝手にカタルシスを求め始める。それは舛添都知事が辞任することだ。そこには理屈はないし、法的な要請もない。しかし、視聴者(あるいはニュースの送り手)は状況がシナリオ通りに進むことを求めているようだ。このように「選挙のイメージと違う」という裏切りで辞任に追い込まれる政治家や活動自粛を余儀なくされる芸能人は多い。
小泉首相は、潜在的な自民党政治への不満を背景に「郵政民営化」という解決策を持っていた。だが対立がなかったので「自分は聖戦を実行しているが抵抗勢力がいる」というストーリーをでっち上げた。小泉首相が健在化させるまでは「旧態依然とした自民党の体質」は漠然とした不安に過ぎなかった。その背景にあったのはバブルの崩壊であって遊泳民営化は本質的な解決策ですらなかった。だが、人々は作られた対立に熱狂し、小泉首相の戦いを熱烈に支持した。
緊張と緩和には様々な類型があるが、一般的には喜劇と悲劇に分類される。伝統的には人知を超えた力に翻弄されるのが悲劇で、人間社会のあやを描いたのが喜劇とされるそうだが、現在では必ずしもそうした分類はなされない。しかし、悲劇類型であってもその結末が悲劇的とは言えない。
ある種の喜劇では緊張が起るが、ドタバタの末にある種の解決がもたらされる。嘘がばれないようにやきもきしていたが、結局嘘がばれてしまうという演劇の場合「嘘がばれた」瞬間がピークになり、その後の解決策(緊張の緩和)が提示される。演劇の中に緩和が組み込まれている。
別の喜劇に「うざい」キャラクターにうんざりしている周りの人たちがそのキャラクターを懲らしめるという形式がある。たいていの場合キャラクターは固定されている。「うざい」キャラクターが懲らしめられるところに緊張の緩和がある。
一方で悲劇の場合、最初にピークが来る場合もあるし、最終的に状況が破綻して終わることもある。劇場を重苦しい空気が支配するわけだが、劇中、緊張は緩和しない。緊張が緩和されるのは劇場を出たときだ。
スターウォーズはダースベーダーの人格の崩壊と、その後のreconciliation(和解)を扱っている。既存の悲劇や心理学を研究したものと言われている。少なくとも最初の6話は父親が経験した悲劇を最終的に息子が統合する話である。スターウォーズは悲劇類型だが、解決策も劇中で提示される。
例えば単純そうに見えるヒーローものでも緊張が見られる。ヒーローになる人は何らかの葛藤を抱えているのが常である。単純に悪を倒すだけでは面白くないのだ。いわゆる「悪」は純粋に倒す存在なので葛藤の源としては弱いことになる。運命に翻弄されるという意味では悲劇類型だ。実際には悪は問題というより終わりを規定している。悪を倒した時点でヒーローの課題が解決し物語が終わるのだ。
もちろん、こうした緊張と緩和の演劇を脱しようする試みもある。中には演劇の状況に心理的に取り込まれないように観客に要請する劇作家もいる。しかし、それでも感情移入の力は強い。感動を求められない芝居にも人は感動してしまうのだ。
演劇は限られた空間を必要とする。そこから解放されることがカタルシスを生み出すからだ。故に、携帯電話に遮られ時間が寸断される世界ではドラマそのものが成立しない。一方で、本来出口我ないはずの日常のニュースが演劇化してしまう。人々はそこにカタルシスを求めてしまうことになるわけだ。
演劇空間をうまく利用すれば、普段は埋もれている社会的問題に新しい光を当てて、新しい視点を獲得することができる。しかし、問題の解決が図られず、単にカタルシスを得るために演劇空間が利用されるということも多い。こんな事例がある。
オバマ大統領はYes We Can!というフレーズで演劇的な空間を作り出した。諦めなければ状況は変えられるという幻想を有権者に与えたわけである。今になって思うと人々が何に熱狂したのかよく分からない。その揺り戻しは「政治家は嘘をつく」という不満になって現れた。煽動しただけで何もしてくれないというわけである。それを体現しているのがトランプ候補だ。
小泉政権も悲惨だった。自民党をぶっつぶすと言ったのだが、実際につぶれたのは小泉陣営に反対する派閥だった。3代に渡る混乱の後、民主党はそれを利用した。公共事業を抵抗勢力と位置づけ「コンクリートから人へ」と主張したのだ。しかし、それでも緊張は緩和されず、安倍政権の「アベノミクス」に引き継がれた。アベノミクスは問題を先送りしただけなのだが、民主党が作り出した緊張(あるいは巨大地震が作った緊張なのかもしれないが)は緩和されたように見える。
現在の緊張は消費税が上がるかということなのだが、作り出された緊張は安倍首相により取り除かれようとしている。新聞は意識せずにこの演劇空間作りに加担している。消費税増税延期というゴールをほのめかしつつ、緊張を煽ったのだ。
人々は次に新しい問題が起るまで、弛緩した非演劇空間を生きるのだろう。次に何かが起るのは状況が逼迫したときだが、何が起るかは今は分からない。問題は全く解決していないからだ。

日本政治最大の問題とその解決策はなにか

どうやら予定通りに消費税増税が延期されそうだ。そんな中、自民党と政権の内部に亀裂が見られる。財務省よりの人たちが「総選挙せよ」といい、安倍首相を牽制している。財務省は景気に関係がなく安定した税収が見込める消費税に依存したいのだろう。その代弁者になっているのが麻生、谷垣両議員だ。「経済指標がよくなってきているのに、増税延期では筋が通らない」と主張し、安倍首相の「アベノミクスはうまく行っているが、世界経済が悪い」という妄想と化した言い訳に真っ向から対立している。
過去、このような内部対立が起ると自民党の支持率は下がってきた。有権者はいわゆる「〜下ろし」という不調和を嫌うのだ。ところが、今回は野党が優勢だという話は聞かない。民進党は共産党との共闘にも統一名簿にも積極的ではない。また、おおさか維新は自民党からではなく民進党から票を奪いたいらしい。専ら民進党を攻撃している。そもそも民進党の中ですら意見の隔たりが大きい。自民党は不調和なのだが一応党としてのまとまりがある。しかし、野党側にはそもそもまとまりがないし、まとまるつもりもなさそうだ。
ここのところ新聞各社は傍観者として淡々と状況を伝えている。安倍首相がG7を増税延期の口実にしたいということは早くから伝えられてきた。その観測を日付まで入れて伝えていた。海外メディアが「世界経済は危機にない」との主張もそのまま伝える。麻生さんや谷垣さんが総選挙だといえばそれも伝える。ただ、それについて考えたり、世論を誘導することはない。単なる伝言屋さんになっている。もはや状況に関与しようという意欲がないのだろう。
では、マスコミが問題の本質かというとそんなこともなさそうだ。根本にあるのは国民の冷えた目線だ。国民には政治に関与しようという意欲はない。政治家の説明がどんなにでたらめでも、政治日程はまるで儀式のように目の前を通り過ぎてゆく。
進んで負担しようという気持ちは誰も持っていない。国民は消費税を払いたがらないし、企業は法人税を減税しろという。中小企業は個人事業主を雇ったことにして社会保障の負担を回避している。仕方がない部分はある。たいていの政治的決断は国会審議とは関係のないところで進行している。全ての結論は数で決まる。議論が状況に関与すると思ってい人は誰もいないだろう。安保法制もそうだったし、消費税議論もそうなりそうだ。春からの国会審議は全て茶番だった。国会では「景気は上向きつつある」という前提で議論が進んでいたのだが、一点して「100年に一度の危機がもう一度来る」ということになった。だが、誰も怒らない。
日本政治最大の問題はこの国民の無関心にあるといえるだろう。御神輿を担いでいるのだが、実はみんな手を離しているから、重みを感じないのだろう。残って神輿を担いだのは逃遅れた人たちなのだ。
こうした状況を打破するためには「驚きによる緊張とその緩和」が必要である。いわば、劇場型の政治である。しかし劇場型の政治にも大きなデメリットがある。理性が吹き飛び、とんでもない決断を下すことが多い。
現在の状況ではこうした劇場型の政治は起りそうにない。しかし、構造上起りそうなことは必ず起る。観客は現在の膠着状態には長く耐えられないだろうし、それを見つける政治家も必ず出てくるはずだ。議論による政治を再開しないと、近いうちに、日本にも劇場型の政治家が台頭するのではないだろうか。

オバマ大統領はなぜ原爆投下を謝らないのか

オバマ大統領が広島を訪れるのだが、早々に謝らないことを決めた。報道する側は事情がよく分かっていて、微妙な問題であることも知っているので、ほのめかすようにしか書かない。当たり前だからみんな知っているだろうという前提もあるようだ。だが、いちおうなぜ謝らないのかということについて書いておく。
オバマ大統領が謝らないのは国内(米国)世論に配慮したからだ。
第一に、原爆は大量破壊兵器を市民に使った事例である。アメリカは他国の大量破壊兵器には厳しい目を向けているのだが、自分たちが最初に使ったということも知っている。そこで「正当化」する必要に迫られた。そこでできた理屈が「あそこで決断しなければ、戦争がもっと酷くなっていた」という理屈である。これは、実際にアメリカでは学校でも教えられているらしく、多くの人が当たり前のように信じている。だが、悪いことをしたという意識もある。そこでオバマ大統領が広島を訪れることが決まったとき、最初に米国内で議論されたのが「オバマ大統領は謝るべきか」ということだった。
アメリカは大量破壊兵器を使った訳だから当然日本は謝罪を要求していると考えたのだ。そこでアメリカ側は「あれは真珠湾のお返しだった」という反論まで用意したのだ。
オバマ大統領は野党共和党から「弱腰外交」と非難されている。トランプ候補の台頭を防ぐためにもあまり弱気な態度は見せられない。だが、その一方で「リコンサリエーション外交」を進めようともしている。過去を清算して過去の敵味方で仲良くやってゆこうというような意味合いだ。かつての敵国ベトナムを訪れたのも同じ文脈による。難しいバランスを取った形だ。
アメリカ人の予想とは違って、日本人の多くは原爆を「天災」のように捉えようとしている。多くの被害者たちはかなりつらい思いをして「ここで許さなければ先に進めない」と考えるに至ったようだ。故にアメリカに謝罪を要求したいと思っている人は多くない。そこで「そもそも戦争を起こした当時の世界情勢が悪いのだ」と考えることになった。「過ちは繰り返さない」に主語がないのはそのためである。だから、アメリカ人が日本人に謝罪すべきかについて議論しているというのはすこし滑稽にすら見える。
バランスを取るために安倍首相が真珠湾(こちらはアメリカ市民が日本軍の爆撃で殺された事例だ)を訪れるべきだという意見もあったようだ。だが、安倍首相が真珠湾で謝ってしまうと「なぜ、日本だけが謝ったのか」という議論が起りかねないし、謝らないと「アメリカは真珠湾攻撃を正当化するのか」ということになりかねない。「謝罪」はこのように新しい対立を生むのである。
つまり、国内世論に押されて謝れないのだという見方もできる一方で、謝罪合戦はをどこかで終わらせなければならないという見方もできる。対立を乗り越えて「リコンサイル」するのが、謝罪がない第二の理由である。だが、リコンサイルするためには双方の合意がなければならない。広島・長崎についてはリコンサイルする条件が整いつつある一方で、真珠湾にはまた日本を許せない人たちがいるのだ。
被害者側が「赦す(怒りを手放す)」ことの重要性が分かる。日本は(特に広島と長崎の被害者たちは)70年もの長い時間をかけて、この境地に至った。世界平和という大げさな問題もあるが、怒りを手放すことで「怒りと無縁の人生を手に入れる」とか「自らを解放する」という機能もあるのだと考えられる。
ただ、広島で謝るか謝らないかということにはあまり意味がない。ここで核軍縮を進めなければ「単に過去を正当化」しただけの弱腰の大統領ということで終わってしまう。一方、なんらかのアクションを示すことができれば、怒りを手放すのに一生を費やした人たちの思いが少しだけでも報われることになるだろう。残念なことにオバマ大統領は核軍縮には成功しておらず「弱腰で期待はずれ」の大統領になりつつある。また、国内問題を放置していたために、現在のトランプ対クリントンという政治不信の構図を作り出している。これは日米同盟を危機にさらすかもしれない。
オバマ大統領は死が降ってきて世界を変えたと表現したのだが、これは主語をぼかした言い方だ。実際にはアメリカが死を降らせたのである。犠牲者は広島や長崎にいた日本人だけではなく韓国人やアメリカ人(同時通訳には乗らなかったがdozen of Americansと表現された)へ言及し、韓国への一定の配慮を見せた。その後、話題を人類史全般に拡大し、原爆投下から話題をそらした。さらに自分が核保有を終わらせることはできないが、狂信的な人たち(北朝鮮のような国家を指しているものと思われる)に核爆弾を渡してはいけないと言っている。さらに国内事情(銃による殺し合いが常態化している)をふまえ、人間は平等なのに殺し合いをしていると語った。それが間違いだいうことを証明するために広島に来たと言っている。目の前の広島向けというよりは米国民向けの演説だったと言える。
名演説の機会を失ったと言ってよいと思う。
また安倍首相は、広島長崎の被爆者に同情を示すより前に、アメリカ上下両院議会の合同会議でアメリカの若者の命が失われた(日本が奪ったとは言わなかった)といい、日米同盟に配慮を見せた。しかし、日本軍はアジアでも多くの人を殺しており、沖縄を見捨てたのである。つまり、夢を失ったのはアメリカ人だけではなかったのだ。オバマ大統領が「人類の問題」について語っているにも関わらず、空気を読まず日米同盟の話に矮小化したと言える。
この謝るか謝らないか問題でよく引き合いに出されるのが、韓国や中国が日本に謝罪を要求するという問題である。韓国や中国は民度が低いからいつまでの謝罪を要求するのだと言われることが多い。だが、安倍政権は「謝罪はしない」とする一方で「戦争は仕方がなかった」とか「日本は悪いくない」という正当化発言を繰り返して中国・韓国を刺激し続けている。慰安婦問題では河野談話の破棄をほのめかし、オバマ大統領に強制される形で(アメリカはそう見ているようだ)継承を決めた。お互いが頑になればなるほど、極東地域に緊張が走り、怒りに縛り付けられる人が増える。その意味で安倍首相の罪は大きいと言える。

G7伊勢志摩会合はどのように見られているか

ついつい、海外の報道を先に読むクセがついてしまった。今回は伊勢志摩サミットについて。
CNNは会議の内容について詳細にレポートしていない。そもそも関心が高くないのかもしれない。オバマ大統領が広島訪問の「ついで」にG7に出席したみたいな印象さえ受ける。
代わりにヘッドラインになっているのは「シナリオ通りに進まなかった日米首脳外交」というニュアンスのものだ。日米同盟の強化を国内外に印象づける絶好の機会だったのだが、沖縄で問題が起きたために関係がぎくしゃくしたというのだ。オバマ大統領はreconciliation(和解とか仲直りという意味がある)外交を進めているが、安倍首相の周辺国との関係修復は進んでいないとしている。それどころかオバマ大統領は河野談話(慰安婦問題は存在する)の継承を求めるなど、安倍首相の目の上のたんこぶになっているというわけである。
興味深いのは、多分日本ではあまり報道がされないであろう難民問題だ。安倍首相は前回難民問題を単なる労働者不足の問題と捉えてしまい「女性や老人など国内の労働力を優先する」ととんちんかんな発言をしているのだが、これが間違って「国内問題の解決に手一杯で難民問題には興味がない」と捉えられている。
その他の話題は通過安競争の抑止だ。ヨーロッパと日本は金融政策を通過の切り下げに使っているという認識が根強くあるようだ。
もう一つ見つけたのはフォーチュンだ。こちらは国内報道と同じように、安倍首相はコモディティ価格の下落のチャートを使って「リーマンショック以来の危機だ」と説明したが、各国の首脳からは賛同が得られなかったというニュースを伝えている。オバマ大統領は通貨の切り下げについて言及したらしい。
フォーチュンは冷静に安倍首相は消費税増税の延期などの国内問題にG7を利用したかったと伝えている。だが、同意が得られなかったというわけである。都合のよいデータを持ってきて危機を演出するのは安倍首相の常套手段だが、それは世界では受け入れられないのだろう。これらの報道を総合すると、日本は国内問題を優先し、政権の支持率を上げ、アッパーハウス(参議院)選挙を有利に進めようとしたが、必ずしもうまくいっておらず、安倍首相のナショナリスティックな姿勢はアメリカの懸念材料になっているという図が浮かぶ。
日本で同じような主張をすると反日とかサヨクと言われてしまうのだ。
これをふまえてNHKのニュースを見てみる。民進党はアベノミクスは失敗したと大騒ぎしているが、各国の首脳は世界経済が厳しい状況にあり、政策を総動員すべきだという認識で一致したと伝えている。NHKの報道を鵜呑みにしてあれこれ論評するのは、知的に脆弱であるというスティグマでしかないが、もう、さすがにそんな人はいないのではないだろうか。

世界は伊勢神宮「参拝」をどう伝えたか

安倍首相がG7の首脳を伊勢神宮に招待した。はじめは「参拝」と伝えた報道もあったが、後に「訪問」などの中立な表現に改められた。NHKは正殿前の記念撮影までは映したのだが、参拝の映像は配信しなかった。一方で、産經新聞は「自由な形で参拝した」と伝えている。あくまでも観光ではなく、崇敬の念を持って参拝したことにしたかったようだ。
しかし、よく考えてみると安倍首相以外はすべてクリスチャンだ。キリスト教は一神教なので他の神様に参拝することはあり得ない。なおユダヤ教もイスラム教も神様は一緒であり、聖典も共通しており、異教の神様を参拝したことにはならない。
過去の記事を調べてたところ、インド訪問の際にシーク教の寺院を「訪れなかった」ことがあるそうである。ゴールデンテンプルを訪れるためにはターバンを巻かなければならないのだそうだが、イスラム教徒という噂があったオバマ大統領がこれを嫌った可能性があるというような伝え方だった。ただし、イスラム教の史跡は訪れている。どちらかといえば「どのような絵を撮られるか」を気にしていたようだ。
さて、BBCは控えめに「安倍首相が伊勢志摩を選んだのには政治的な意図がある」と伝えている。詳しく伝えているのはガーディアンだ。安倍首相が神道系の復古勢力と結びついているとしており、日本会議の主張も掲載している。国内向けのアピールだったというような論調になっていて、安倍首相と右派のつながりを詳しく伝えている。
ABCは次のように伝えている。大統領の広島訪問で頭がいっぱいらしい。もちろん、謝るか謝らないということを気にしているのだ。安倍首相が真珠湾を訪れないことにしたというニュースでは「日本では広島長崎と真珠湾をパラレルのものとして捉えていない」と伝える。真珠湾は軍事施設を攻撃したものと見なされており、市民が殺されたという認識がないのだというわけだ。こうした見方は指摘されるまで分からない。立場が違えば見方も違って見えるということだ。
面白いことに日本語版のwikipediaには市民の攻撃についての言及はないのだが、英語には記述がある。

エコノミストは「G7誘致に名乗りすらあげていなかったのだが、官邸の強い意向で選ばれた」と欠いてある。観光都市としての伊勢志摩の魅力を伝えたいとがんばっている地元の人たちが見たら泣きそうな報道かもしれない。オバマ大統領は正式な参拝(柏手や手水など細かく描写してある)はしないかもしれないが、戦争を推進した神道とG7が結びつくことになるとやや批判的に紹介している。ただし、メインはやはりオバマ大統領の広島訪問であり、伊勢神宮の訪問はそれより議論を呼ぶ可能性は少ないとしている。
エコノミストはこう結んでいる。

The problem for America in dealing with Mr Abe, however, is that it is impossible to separate those of his policies it likes from the broader nationalist agenda of some of his unappealing fans. That includes a revisionist view of history, in which Japan’s only important mistake in the second world war was to lose it; a rejection of the American-imposed constitution and its renunciation of war; and perhaps a revival of Shinto as a state religion. In helping Mr Abe, America is unintentionally also boosting forces that want to take Japan in a direction feared by many around the region, and indeed in the country itself.

正確ではないがざっと訳すと次のようになる。アメリカが安倍首相とつきあう上で難しいのは、安倍首相のナショナリストとしての主義(例えば、歴史修正主義、アメリカが押し付けた戦争放棄を含む憲法の排除、国家神道の復活などの)を政策から分離できない点だ。安倍首相を助けることによって意図的ではないにせよ周辺諸国と国内が恐れている方向に日本を向かわせる可能性がある。
アメリカは、日本が中国と対抗心を持っており、それに巻き込まれるのは得策ではないと考える人たちがいる。一方、中国の海洋進出にも懸念を持っており、地域大国である日本の協力が欠かせないという認識もある。日本はある意味で扱いにくい相手になっているのである。
今回の伊勢神宮では、オバマ大統領が特別扱いされていた。各国の首脳がオバマ大統領を出迎えたような絵が作られ、それを先導したのが強固な同盟国である日本だという図式を作ろうとしたわけだ。国内的には効果があったのかももしれないのだが、アメリカにとって「話ができる」同盟国は同じ言語を共有するイギリスとカナダなわけで、茶番にしかならないし、各国を平均的におもてなしすべきだという意味では礼儀にも反する。序列上は任期が一番長いメルケル氏が真ん中に来るべきなのだ。
日米首脳会談の後、オバマ大統領と安倍首相の二人での写真撮影はなかった。政府は時間がなかったと説明し、沖縄事件を配慮したものだと国内的には説明されている。しかし、実際にはオバマ大統領が安倍首相と距離を置きたがっているのかもしれない。日本に過剰なエンドースメントを与えてしまうと、周辺国を刺激するからだ。
今回は英米系のメディアだけをざっと読んだのだが、意外と冷静に日本の状況を見ている。よく左翼的な人たちが日本の悪口を触れ回っていると被害者意識たっぷりに主張する人たちがいるのだが、それは正しい物の見方とは言えない。世界のリーダーが崇敬の念を以て伊勢神宮に参拝したのだと純粋に喜ぶ分には構わないと思うのだが、世界の目が割と冷ややかに日本の行く末についての懸念を持っていることは知っておいた方がよいだろう。その上で日本の報道を読むとまた違った味わいがあるのではないかと思う。
 

ケネス・シンザト容疑者と地位協定上の地位

Twitter上でケネス・シンザト容疑者は海兵隊員ではなく軍に雇用されているだけのコントラクターだから、日米地位協定とは関係がないという人たちがいる。だから基地に結びつけて話をするのはおかしいと言いたいらしい。だが、これは事実認識として間違っている。一般市民だけがそう言っているだけならまだいいのだが、識者の中にも同じようなことを言う人がいるのだ。
事件が起きてすぐに米軍側は「被疑者は地位協定の保護下にあるので、責任がある」という声明を出している。また政府の報道官は「地位協定上の地位を与えられるべきではなかった」と語った。この2つの話からは、この人は軍を退役して「単なる」コントラクターになっているにも関わらず、地位協定で保護されていたということが分かる。
そもそもそれが問題であり、米軍と政府はそれを認識しているものと思われる。
米軍から見た地位協定は米兵および関係者を「未成熟の日本の司法制度から守る」という機能があるのは間違いがない。また、作戦上、国益がぶつかったときに日本の司法が妨害になっては困るという気持ちもあるのだろう。しかし、プリビレッジ(特権)には義務が働くと考えるのもアメリカ人だ。少なくとも建前上は「アメリカが日本を守ってやっているから優越的地位にある」と考えたいわけである。と、同時に特権的地位にいるのだからそれなりに管理したい(あるいはするべきだ)という気持ちもあるだろう。
だが、ケネス・シンザト容疑者は基地にも住んでもおらず、軍の命令系統にも属さない。故に、管理ができなかったものと考えられる。軍の綱紀粛正が利かないし、深夜に基地から出るなとも言えない。もともと基地の外に家を持っているからだ。にも関わらず駐日米軍は、特権を与えた人がなにかしでかした場合には責任を取らなければならないし、米軍排斥運動に結びつく危険性がある。
ワシントンポストのコメント欄を見る限り1995年の事件はアメリカ人にも知れているようである。残虐な事件であり地位の見直しやむなし(あるいは面倒だから撤退してしまえ)という人も多いようだ。少なくとも被害者には同情的だ。沖縄がいらだつのはこうした米国民の一般市民感覚が日本側に伝わってこないという理由もあるのかもしれない。
報道から類推する限りでは、日米地位協定には「どこまでを適応範囲にするか」という点において曖昧な部分があるようだ。だが、問題が加熱しておりそれどころではないのだろう。両国政府もマスコミも世論を刺激しないように神経を尖らせている。誰がどう考えても殺人事件なのだが、未だに死体遺棄事件だ。オバマ大統領が帰るのを待っているのではないだろうか。
すると自分たちに都合がよいように解釈する人たちが出てくる。普通の読解力があれば「ああ、グレーな部分があるんだなあ」と思えるのだが、それが吹っ飛んでしまうのだろう。特に「左翼に得点を与えたくない」などと思っている人にはその傾向が強そうだ。このような人たちは、自分の専門分野でも同じように事実をねじ曲げる傾向が強いのではないだろうか。
対抗心は知的レベルを押し下げる働きがあるといえそうだ。

やはりガイドラインの改正しかないのではないだろうか

沖縄で女性が殺された。どうやら乱暴されたようだ。これについて橋下徹さんが下記のようなツイートをしている。


また、次のようにも言っている。


いい線行っているように思う。ポイントを突いているのではないだろうか。つまり、兵士の性処理は「マネジャブルか」という問題である。
ボコハラムという武装集団が女子学生をさらった。キリスト教の教育への反発心が背景にあるのだが、その一方で部隊での切実な性処理の悩みを解決する狙いもあったのだろう。最近、一人の女子学生が解放されたが子供連れだった。敵兵士の子供を身ごもったのだと考えられる。この女子学生は敵の子供を我が子として育ててゆくことになる。「敵の子供を育てている」と自分のコミュニティで白眼視されるかもしれない。だが、それはまぎれもなく自分の血を分けた子供でもあるのだ。
アフリカではこうした事例が多発している。中には民族浄化策の一環として「敵の女を襲って身ごもらせろ」などという人たちもいて、子供を抱えた女性も社会問題化している。敵を逃れてきたものの、自分の身内からも「裏切り者」と見なされてしまうのだ。
こうしたことが起るのは、ヒトという動物が集団性の征服欲求を持っているからだと言える。法律の規範というものは、こうした本能の前でほとんど何の訳にも立たない。
アメリカ人はもっと洗練されていると思う人がいるかもしれない。だが、アメリカ軍ではレイプが蔓延している。女性の場合には「お前にも隙があった」と責められるケースが多いようだ。だが、被害者の中には多数の男性が含まれる。つまり性処理は「序列の確認(つまりマウンティング)」の手段に使われているのである。GQ(リテラではありませんよ)によると男性被害者は14,000人もいて、全体の半数を占めるそうだ。もう、狂っているとしかいいようがないのだが、米軍はこれをとめられずにいる。なお、彼らは同性愛者ではないと考えられている。
米国兵士に「レイプはいけませんよ」と教育しても何の訳にも立たない。もし教育でなんとかなるなら、既に問題は解決しているはずだ。
その上、駐日米軍兵士はガイドラインに守られている。そのため「法的に何をやってもよいのだ」という見込みを抱きやすい。「俺たち」と「奴ら(つまり、日本人のことだ)」という区分が作られやすい物と思われる。「狙われる側」にいた序列の低い男性兵士が、塀の外では一転して「過剰な万能感」を得てしまうのだ。日本での彼らは法律を超越した存在なのだ。
故に解決策は3つしかないことになる。

橋下徹さんは優秀な政治家であり、組織の有能なマネージャとして知られる。そんな彼であっても、兵士というものがいかに暴力的になり得るのかということがよく分からなくなっている。日本が70年もの長い間戦争と無縁だったからだだろう。
だが、実際には兵士の征服欲というのはマネジャブルなものではなく、風俗(それが何を意味するかは不明だが)をあてがったからといって解決できるような生易しい物ではなさそうだ。もし、兵士への風俗を考案するとしたら、それは女性の人格を破壊してしまうような乱暴行為を伴うものになるだろう。
「日本の平和を守るために、特定の女性の人権を蹂躙し、人生を根本的に破壊する」というのは少なくとも現代では受け入れられないだろう。
この問題の根本には人類が抱えている搾取の構造がある。権力がある人には性的な手段を含めて相手を屈服させたいという欲求がある。しかし組織では全ての人がその欲求を満たすことはできないので、征服欲が外に向いてしまうのだ。いわば搾取の構造があるわけである。ガイドラインを見直さないということはこの種の搾取を容認しているというのというのと同じことなのだ。

オバマ大統領の広島訪問について、まずアメリカ人が考えたこと

オバマ大統領が広島を訪問する。日本では割と好意的な見解を持っている人が多い。一方でアメリカ人はオバマは謝るべきかという問題で揺れているらしい。ワシントンポストの記事についているコメントを読むと、原爆投下を正当化し、日本に謝るべきではないと言う声が多い。
簡単に要約すると日本人はこの件を「水に流したい」と考える一方で、アメリカ人は行為の意味と行動の責任について考えるようだ。物事の捉え方が全く異なるのである。
日本人はこのコメント欄を読むことはないだろうし、謝罪を要求する人も少数派である。にも関わらずアメリカ人は「謝罪すべきか」どうかで議論している。
もっともこの議論は内向きな側面が大きいのかもしれない。共和党はオバマ大統領の外交を弱腰と非難している。この文脈で「謝罪に行くのだろう」と非難しているのだ。大統領選挙を控えて、被爆者への鎮魂を「弱腰だ」として政治利用しようとしている。
「日本の大統領も天皇も真珠湾で謝罪していない」という興味深いコメントがあった。確かに日本の首相は戦後真珠湾を訪れていないようだ。アメリカは過去2度しか本土を攻撃されていない。真珠湾とワールドトレードセンターである。真珠湾はアメリカ人にとって特別な場所だ。
安倍首相が真珠湾を訪れるという計画がある(あった)そうだが、ここで謝罪しないと「なにしに来たんだ」と言われる可能性はある。だが、謝れば謝ったで「どうしてアメリカは謝罪しないのに日本だけが謝るんだ」という声が起るだろう。天皇が南京に行って謝罪せよという声も出かねない。その意味ではオバマ大統領に謝罪を要求しないというのは賢い選択といえるだろうし、真珠湾を訪れるのはやめた方がよさそうだ。「日本の首相が」というより、オバマ大統領が謝罪を要求しなかったと非難される可能性があるのではないかと思う。いずれにせよアメリカ人は真珠湾を「水に流しては」くれないだろう。「真珠湾で謝らないということは、かつての行為を正当化し、アメリカはそれを容認した」ということになってしまいかねない。この意味では日本人は異常に寛容であえる。
なぜ、日本人は「アメリカ人が原爆投下について謝罪しなければならない」と考えないのだろうか。合理的な説明は難しそうだ。ある人は天災のように捉えているのかもしれないし、日本人が無謀な戦争を仕掛けたから報復されたのだと考える人もいるだろう。あるいは、遠い過去の歴史として忘れ去っているひともいるかもしれない。理由は様々だが、日本人はこの件をうやむやにしたがっている。
いずれにせよアメリカ人は「あんな酷いことをされたのだから、当然日本人は猛烈に怒っているだろう」と考えているらしい。また「訪れても謝らないのは、自己の行動を正当化することになる」と捉えるのだ。異文化間の相互理解は実に難しい。

アメリカ人は沖縄の事件をどう捉えたか

沖縄在住の軍属が女性を殺したニュースは国内で波紋を広げている。日本では主に基地の存在や日米同盟と結びつけて考えられているわけだが、アメリカではどのように捉えられているのだろうか。ワシントンポストのコメント欄を読んでみた。
まず「黒人が殺した」ことを重要視する人たちが多い。かなり人種差別的な内容で驚かされる。黒人はアメリカ国内でもこのような犯罪を起こしている。恥さらしだ。オバマは黒人の「兄弟」を庇っているのさという具合だ。コメント欄は匿名なのでこのようなコメントが横行するのだろう。と、同時にアメリカ人たちが治安の悪化にいらだっているのが分かる。「日本人はアメリカにないもの「安全に歩き回れる自由」がある」という人もいた。つまりアメリカではこの手の事件は決して珍しくないという認識があるのだ。
もし、容疑者が白人だったらどのような反応だったのかが気になるところだ。日本人の反応は扇情的で、外国人だから敵視しているのだという反応だったかもしれない。
自称日本通の中には沖縄は伝統的に日本の一部ではなく、本土とは別だということをいう人たちがいる。沖縄は日本の植民地的地位にあると認識しているのだ。生半可な知識は危険だとも思えるのだが、現実を見ているのかもしれないとも思う。日本人は沖縄人に基地を押し付けているという主張はあながち間違っているとは言い切れない。一方で現在の日本にはあからさまな沖縄人差別は存在しない(かつては名前で差別されるようなことがあったようだ)わけで、実情を正しく反映しているとも言えない。
中国と近海の事情についてはよく知られているようだが、国内事情の方に関心があるようで「自国国境も守れないのに、中国が日本に侵攻するのを心配してやっている場合か」という声があった。仮想敵を仕立て上げて、アメリカが引き上げたら取られてしまうというような幻想は持つべきでないということを言う人もいる。いちいちごもっともな意見だ。トランプ候補を引き合いに出して米軍は日本から撤退すべきだという人もいた。
なかには、寛大なアメリカはかつて自国を攻撃した日本をアメリカの税金で守ってやっていると考える人もいた。日米同盟は片務的だと考えているわけで、長年の日本政府が日米同盟の意義を宣伝してこなかったことが悔やまれる。米国内向けに宣伝活動を展開すべきだったのだろう。小さな珊瑚礁のために中国を敵に回すのは得策ではないから沖縄から撤退しろと言っている人もいた。いつまでもアメリカが日本をファーストプライオリティだと考えてくれているかは分からない。
多数ではないのだが、反日的な言動も見られた。日本とドイツは大量殺戮者なので背中を向けるのは危険だという人や、南京大虐殺をしているのになぜ一人のレイプで大騒ぎするのは偽善だという人もいる。
国内ニュースだけを見て事件を捉えるのは危険だろう。と、同時に海外の人たちが何を考えているのかということが直接分かるようになっているのだ。便利な世の中になったとも言える。

自民党の女性蔑視的な「選挙に行こう」マンガについて考える

自民党が18歳選挙権解禁に向けて「選挙に行こう」というマンガ冊子を作った。これが女性蔑視的だとして一部で盛り上がっている。内容はあまり頭がよくなさそうで自分にも自信がなさげな女性がイケメンで頭の良い男子学生に導いてもらうというものだ。自民党の人たちが持っている「女は馬鹿」という思い込みが反映されていて面白い。
しかし、これが有害だとは思えなかった。そもそも学生がこれを読むとはなさそうだ。女性に限らず読み手は「万能感」を持ちたがる。供給者よりも消費者の方が偉いわけである。万能であるはずの自分たちにとって「ピンと来ない」のは供給者の商品開発力が足りないからで決して自分たちの理解力が足りないからではない。ぱっと見でよく分からないものは「スルー」すればよいのである。
NHKが選挙に行こうキャンペーンをやっていたが、そこに出てくる若い女性マーケティングコンサルタントが「政治は女性に近づくべきだ」と言っていた。これは政治的に女性や若者に優しい政策を立案せよということでは決してない。お洋服や小物を売るような感覚で商品開発に力を入れろと言っている。あぜんとさせられる要求(正直なところ、女ってパカだなと思った)だが、当然である。そもそも「オンナコドモ」には自分たちのコミュニティの自治を任せてこなかったから「自分たちの意思決定が他者に影響を及ぼす」などという頭はない。代わりに刷り込んできたのは「消費者としての私」である。
これは女性蔑視ではない。男子学生にも「自分の意思決定が他者に影響を及ぼす」という意識はないだろうからだ。
もし本気でアピールしたいならば「顕示欲求」を満たすべきだろう。一言でいえば「投票に行く絵」をインスタグラムにのせて自慢できるかということである。この「インスタで私らしさアピール」という図式は高齢者には理解しがたいようだ。比較的新しい消費スタイルだろう。
消費者の行動は二分化されている。生活必需品には最低限の関心しか向けないが「インスタで絵を作る」ようなものにはおおいなる関心が向く。ただし、自己認識に関わるので「私用に完璧にカスタマイズ」されていなければならないだろう。彼ら彼女らが考える「私らしさ」は自然らしく作られたイングリッシュガーデンのようなもので、決して自然ではない。雑草など生えていてはいけないのである。
そこまでして若い有権者にすり寄るのはいかがなものかという声もあるだろう。で、あれば学生時代から政治課題について討論させて、主権者意識をしみ込ませる必要がある。ところが、自民党は学生が政治意識を持つのは嫌っているようだ。先生が政治運動をするのも禁止されているようだし、デモにも届け出などの制限がかかりそうだ。ただ黙って何も考えずに自分たちに投票してほしいのだろう。よく考えればそんなことはあり得ないことが分かる。だが、それが自民党の望みなのだ。
民主主義の根付いた国では議員がでかけていって、学生の課題を聞いたりしているそうだ。ところが日本人は(政治家に限らず)ただひたすらに自分の歌だけを聞かせたがる。これは民主主義と言えないばかりか、コミュニケーションとしても成立していない。
こうした「有権者に考えさせない教育」はいっけん権力者によって都合が良さそうだが、大きな欠点がある。一部の人は過激な思想に触れて熱心な政治的意見を持つようになるのだ。「安倍首相は戦争ができる国を目指しているが、話合いによって戦争はなくせるはずだ。だから自衛隊を災害救助専門部隊にしろ」という発言が出てくるのは、学生時代に政治や歴史に触れさせなかったからだ。それに対峙する人たちも「アメリカとの同盟関係さえ維持できれば、国防予算を支出しなくても守ってもらえる」などと言い出す。どちらも現実的ではないが、始めて政治的意見形成したわけだから、仕方がないことなのだ。
禁止するから過激な意見を持つ人と全く関心がない人という二極化が起る訳である。