トランプ大統領が誕生し公約通りに日本に駐留米軍協力費を請求した。オプションのない自民党は防衛費を二倍にした予算案を作成した。国民は「憲法第九条があれば大丈夫だ」と反発したが、冴えない民進党の対応もあり予算案は可決した。
しかしその頃から財政の健全化を懸念する声が市場に出始め、邦銀が手持ちの国債を売り始め、金利が上昇を始めた。日銀が国債の無限買い取りを約束したために強烈な円安が起き、物価が上昇を始める。
新規資金の調達ができなくなり、自民党は「増税」を表明したが、国内世論の圧倒的な反対を受けて断念した。アメリカ政府は言い出した手前、駐留米軍を撤退せざるを得なくなったが、横田空域は利権と考え返還しなかった。
この頃から、政争の具として「中国に守ってもらえれば防衛予算は拡大させなくてもすむ」と考える人たちが現れた。中国との関係を表立って言えないため「国連中心の平和主義」を提唱するようになった。国連派は媚中派と呼ばれ、対抗上現行勢力は従米派とののしられた。「国連派」の小沢一郎が自民党に復党したのはそのころだ。
自民党は事実上二派に分裂したが小選挙区制度のもとでは与党にいたほうが有利なため内輪の勢力争いが激化した。派閥を作る力はなく、非公式の派閥が乱立し、それぞれの領袖が勝手にアメリカや中国と話をする多元外交が状態化する。民進党も状況は同じでTwitter上でそれぞれの思惑を勝手に発言しはじめた。
制度上政党は維持されたが、実質的な政策立案能力をなくした結果、官僚が提示した予算を否定しあうようになり、国債が調達できないこともあり、予算が成立させられなくなった。真っ先の困窮したのは地方自治体だった。病院や学校が閉鎖された。国ではハローワークなどが非正規職員を解雇し運営不能になった。
また、韓国が中国との同盟協約が結ばれ、北朝鮮は孤立化する。「事実上の支援」を求め、アメリカに接近するようになったが、表面上は恫喝鼓動を繰り返した。毎週日本海側でミサイル実験を行うようになった。沖縄に人民解放軍が攻めて来ることはなかったが、沖縄、長崎、島根などでは周辺海域での漁ができなくなった。
自国で石油が調達できるようになったアメリカはシーレーン防衛を放棄したが、すぐさまタンカーが航行不能になることはなかった。しかし、フィリピンが中国の同盟国になり、両国が南シナ海で「内海航行使用料」なるものを徴収することに決めたために、迂回を余儀なくされ、円安もあり石油価格は暴投した。真っ先に困ったのが野菜や果物の燃料費(ハウス栽培に欠かせない)であり冬場の食料生産が滞るようになった。
台湾は消滅し、日本人は魅力的な観光資源を1つ失った。
政府への抗議活動は状態化したのだが、政党は機能不全に陥っていたため、有効な選択肢はなかった。投票率は15%にまで落ち込んだ。官僚が予算を組むため思い切った費用削減のアイディアはなかった。どうせ否定されるのだからということで、多めに予算を請求することが状態化した。
形骸化したが、従米派のメンツを守るために日米の同盟関係そのものは維持された。中国も日本本土に侵攻することはなかった。彼らが欲しかったのは海上航行権だけだったからだ。沖縄から基地はなくなり、自衛隊も予算が停止され機能不全に陥った。主な任務はボランティアによる災害援助になった。アメリカは日本が核武装するのを恐れたためウランなどの供給は止まり、国内に備蓄していたプルトニウムは返還が決まった。こうして使い道のない核のゴミが残っただけで原発政策は破綻した。
右派のメンツは守られ、左派の望みは完全にかなった。と、同時に左派が求めていた手厚い福祉政策はなくなった。再配分が期待できなくなったことで左派は政治への関心を失い、投票率は7%にまで低下した。
なぜか横田の管制権だけは戻ってこなかった。アメリカは日本の治安が悪化し、親中国派の政権ができることを恐れたのだった。
国会は膠着状態が続いていたので、憲法の発議はできなくなった。週刊誌になった新聞で夢想的な憲法案が次々に出てきたが、誰も聞く人はおらず、仲間内でますます過激な案が出てきた。そのうち「俺が王様だ」と言い出す人が出てきて、各地にミニ独立国ができた。
災害時に自制心が働く日本人は警察が機能不全に陥っても暴徒化することはなかった。資産家は資産を海外に逃避させていたので、大方の資産は無事だった。しかし土地の値段は暴落したので、土地で生計を立てていた人は没落せざるを得なかった。非正規雇用はなくなり(仕事自体がなくなってしまったのだ)労働者階級の生活は苦しくなった。その結果自殺者は急増したが、殺人事件は増えなかった。耕作放棄地を不法に占拠してサツマイモや野菜を育てるのがブームになり、園芸家が尊敬を集めるようになった。ただし、日照りによる水利権争いが常態化し、ときおり死者がでるようになった。