民共合作とは民進党と共産党の選挙協力を揶揄した言葉である。なぜこれが揶揄なのかというと、中国の国共合作(国民党側から見ると結局大失敗に終わった)を連想させるからだ。日本でも民共合作が民進党の有権者を離反させるのではないかと言われているのだが、実際には「そんなことはない」のではないかと思う。
実際の有権者はそもそも政党など信じていないからだ。
千葉県選挙区の定数は6(改選は3)である。現在の改選議員は自民1、民進1、旧みんなの党1だ。今回自民党は現職1と新人1を立てている。ところが、話はこれほど単純ではない。旧みんなの党の水野賢一氏は自民党の有力議員だった水野氏の娘婿として知られている。自民党を離れみんなの党に行き、みんなの党の分裂の結果、最終的に民進党に流れ着いた。
ということで水野賢一氏の支持者には自民党支持が多い。正確に言うと自民党を支持している人などおらず「それぞれの候補者の家」を支持している。
それを顕著に表しているのがこうしたポスターだ。水野氏のポスターは自民党の市議会議員や衆議院議員と一緒に掲示されていることが多い。今回はここに岡田さんの顔がプラスされたのだ。
この傾向は今に始まったことではない。みんなの党時代からそうだった。昔、水道や道路を引いてもらったり、あまり利用価値のない土地を市に高値で買い取らせたりするのに自民党の世話になった人が多い。こういう人は政党をあまり気にしないのだろう。それよりも「水野家の娘婿」というのが大切なのだ。自民党はこうした人たちを支持者に多く抱えており、別に「自民党」を支持しているわけではない。憲法改正案など読んだことがないという人も多いかもしれない。
日本人が政党を気にしないというのは左派も同じことである。市民ネットワークと呼ばれる主婦を中心にしたネットワークがあるのだが、こちらは「戦争法反対」「原発反対」「九条擁護」などを唄っており、福祉の充実を目指している。
市民ネットワークの事務所には所属する市議会議員のポスターと並んで民進党の小西ひろゆき氏のポスターが掲示されている。面白いのは比例だ。ここでは大河原まさこ氏のポスターが掲示されているが、先日見たちらしには福島みずほ氏の名前もあった。
もし仮に政党が政治的理念を同じくする人たちの集まりだと仮定すると説明がつかなくなる。ある人は選挙区では水野氏に入れ、比例は自民党に入れるかもしれない。これは保守的な人(いわゆるネトウヨではなく、旧来型の)には当然の投票行動だ。が、一方で自分は共生型だと思っている人は、小西氏と社民党(あるいは無所属)に票を入れるように要請されてるのである。
左派は政策を気にしているように見えるのだが、実際には核になる集団があって、その人たちが考える理想に追随しているに過ぎない。小さな政治サークルが疑似家族のように機能している。
もし仮に民進党の支持者がいたとすれば大問題になっているはずだが、千葉選挙区で大騒ぎしている人は誰もいない。むしろ「民進党A」と「民進党B」は候補者の棲み分けが行われていると考えるべきだろう。
これに共産党が加わったとしても「カオス」が「よりカオス」になるだけの話で特に大きな混乱はないのではないだろうか。離れている人はとうの昔に離れているはずだし、無党派層は動かないだろう。無党派層を惹き付ける物語がないからだ。
もっとも、民進党が政権を取れるとは思えない。実際に政権を取ったとたんにAとBは分裂をせざるを得ない。それぞれ選挙で支持者たちに違う物語を吹聴しているからだ。
このことからもう一つ分かるのは、日本には小選挙区制は向かなかったということだろう。小選挙区は抽象的な理念(政治の世界ではマニフェストと呼ばれる)をコミュニケーションの乗り物として利用しているのだが、日本人はそんなものは信じないし、そもそもよく分からないのだ。日本人にぴんとくるのは「あの人はあの家の婿」という人間関係で、それがない人もたちもどの集団に所属しているかで距離を図っている。その意味では日本人はムーミンに出てくるにょろにょろのように集団で物を考える。
こうしたパースペクティブがなくなるとTwitterの政治議論のように暴走するのだろう。Twitterは匿名性が問題というより、集団性のなさが問題なのではないだろうか。