Twitter上でケネス・シンザト容疑者は海兵隊員ではなく軍に雇用されているだけのコントラクターだから、日米地位協定とは関係がないという人たちがいる。だから基地に結びつけて話をするのはおかしいと言いたいらしい。だが、これは事実認識として間違っている。一般市民だけがそう言っているだけならまだいいのだが、識者の中にも同じようなことを言う人がいるのだ。
事件が起きてすぐに米軍側は「被疑者は地位協定の保護下にあるので、責任がある」という声明を出している。また政府の報道官は「地位協定上の地位を与えられるべきではなかった」と語った。この2つの話からは、この人は軍を退役して「単なる」コントラクターになっているにも関わらず、地位協定で保護されていたということが分かる。
そもそもそれが問題であり、米軍と政府はそれを認識しているものと思われる。
米軍から見た地位協定は米兵および関係者を「未成熟の日本の司法制度から守る」という機能があるのは間違いがない。また、作戦上、国益がぶつかったときに日本の司法が妨害になっては困るという気持ちもあるのだろう。しかし、プリビレッジ(特権)には義務が働くと考えるのもアメリカ人だ。少なくとも建前上は「アメリカが日本を守ってやっているから優越的地位にある」と考えたいわけである。と、同時に特権的地位にいるのだからそれなりに管理したい(あるいはするべきだ)という気持ちもあるだろう。
だが、ケネス・シンザト容疑者は基地にも住んでもおらず、軍の命令系統にも属さない。故に、管理ができなかったものと考えられる。軍の綱紀粛正が利かないし、深夜に基地から出るなとも言えない。もともと基地の外に家を持っているからだ。にも関わらず駐日米軍は、特権を与えた人がなにかしでかした場合には責任を取らなければならないし、米軍排斥運動に結びつく危険性がある。
ワシントンポストのコメント欄を見る限り1995年の事件はアメリカ人にも知れているようである。残虐な事件であり地位の見直しやむなし(あるいは面倒だから撤退してしまえ)という人も多いようだ。少なくとも被害者には同情的だ。沖縄がいらだつのはこうした米国民の一般市民感覚が日本側に伝わってこないという理由もあるのかもしれない。
報道から類推する限りでは、日米地位協定には「どこまでを適応範囲にするか」という点において曖昧な部分があるようだ。だが、問題が加熱しておりそれどころではないのだろう。両国政府もマスコミも世論を刺激しないように神経を尖らせている。誰がどう考えても殺人事件なのだが、未だに死体遺棄事件だ。オバマ大統領が帰るのを待っているのではないだろうか。
すると自分たちに都合がよいように解釈する人たちが出てくる。普通の読解力があれば「ああ、グレーな部分があるんだなあ」と思えるのだが、それが吹っ飛んでしまうのだろう。特に「左翼に得点を与えたくない」などと思っている人にはその傾向が強そうだ。このような人たちは、自分の専門分野でも同じように事実をねじ曲げる傾向が強いのではないだろうか。
対抗心は知的レベルを押し下げる働きがあるといえそうだ。