山尾しおり議員が安倍首相に質問をし、またも話題になった。安倍政権を男尊女卑政権だと決めつけたのだ。どのような経緯でそうなったのかはよく分からないが、「レッテル貼り」としては、かなり効果的だったのではないかと思う。非論理的に「ああ、そうだよな」と思えるからだ。
確かに論理はすばらしいのだが取り扱いを間違えるといくらでも嘘がつける。安倍内閣は男尊女卑内閣だとは思わないが、ラベルを貼り嘘をついている内閣だ。この内閣について心配するのは、自分たちが嘘をつかれているからではなく、その嘘がすべてその場しのぎだからである。安倍首相が「レッテル貼り」に怒りを持つのは、そのレッテルが自分の貼ろうとしているレッテルと違っているからに過ぎない。
さて、山尾しおり議員が質問したのは保育園問題についてだ。自民党が子供向けの政策に積極的でないと印象づけようとしたという意味では印象操作以外の何者でもない。民進党が政策を作れないというのは本当だろう。党内でまとまらないのだ。
ただ、これに対する安倍首相の対応はまずかった。上から目線で「お前は国会のルールを勉強しろ」とやってしまったのである。女性や若年者はこうした上から目線で意味の分からないルールをうんざりされるほど押し付けられている。たいてい、女性は黙って聞いているが納得はしていないだろう。表立って言えないのは「勉強不足なのかもしれない」とか「きっと私が至らないからだ」などと感じてしまうからだ。
山尾議員は東大を出て検事のキャリアを持っているので勉強不足でも至らないわけでもない。しかし国会では上から目線で「黙って俺たちのルールに従え」と言われてしまう。それは女だからである。一方、安倍首相は成蹊大学を出て海外で語学留学しただけだが、良い家出身のお坊ちゃんなので首相になることができた。同じような「共犯者」たちが安倍首相を支えている。
こうした社会に順応する為に女性がまずしなければならないのは「女性らしさ」を捨て去ることである。例えば永田町では男以上にネトウヨ的な言論を身につける必要があるのだ。高市早苗議員や稲田朋美議員のように自分の中にあるアニムスを肥大化させないと「男社会に忠誠を尽くした」とは見なされない。野田聖子議員のように「是々非々でいきたい」とか「女性らしいしなやかさを持ちたい」などと言っていてはダメなのだ。子供を産まなければ首相になれたかもしれないなどと平気で言わせるのが今の国会だ。
男社会が新しく作ったルールは「均衡待遇」だ。言い換えれば「分をわきまえよ」ということである。今回の保育園問題では、保育士の給与を「女性の平均」と比べている。女性の給与は男性より劣り、保育士の給与はそれよりも劣るということらしい。「まずは段階的に」などと言っているが「女が男並みに稼げる」などとは考えていないのだろう。女性に対して失礼な話だし、保育士にも看護師にも男性がいるのだから「育てる仕事」や「ケアする仕事」は女のものだと決めつけるのも問題だ。
山尾議員の存在は一部の男性をいらつかせているらしい。自分よりも学歴が上で、男性中心に作られた調和が脅かされると感じる人が多いのだろう。
政府は正規・非正規にも「均衡待遇」という言葉を使い、実際に末端の職員に多くの非正規雇用を採用している。実は「分をわきまえよ」と言われているのは女性だけではない。加えて「育てる仕事、ケアする仕事」には金は払えないから海外から労働者を輸入しようという検討までされている。多分「奴隷労働」なしに社会が立ち行かないという共通認識があるのだろう。女を使い潰したら次は外国人でもつれてくるかと思っているのだ。
繰り返しになるが安倍内閣は男尊女卑内閣ではない。国の意識がそうなっていて、たまたまそれが現れただけに過ぎないのだ。