ダイヤモンドオンラインで面白い記事を見つけた。「若者のパソコン離れ」が加速しているという記事だ。ありふれたものに思えるのだが、結論は少し意外なものだった。スマホのフリック入力に馴れていない中高年の方が時代に遅れるというのだ。それは中高年にとって「恐ろしい未来」なのだという。
一瞬「ほー」と思いそうな内容ではある。だが、ちょっとまとはずれなのかもなあと思った。
個人的にはフリック入力が苦手だ。使う前には「時代に遅れるんじゃないか」などと思っていた。そこでスマホにも挑戦してみたが「小さくて使いにくいなあ」と感じた。Twitterやインスタグラムで短い文章を打つのはよいが、まとまった入力や調べものには不向きだと思う。目的さえ達成できればいいわけで、別にスマホじゃなきゃ絶対にできないことは、実はそれほど多くない。
問題を解決するのは簡単だった、中古屋で300円のミニキーボードを買ったからだ。多分、秋葉原あたりにゆけば1000円くらいで買えるはずだ。これならスマホ(古いもので恥ずかしいのだが……)でも入力ができるし、持ち運びも苦にならない。
しかし、これもあまり使わない。スマホのたいていの機能はクラウドでPCと連携している。できないのはインスタグラムの投稿くらいで、あとは(LINEでさえも)PCから送信ができる。
確かに、スマホで文章を見るというのがどんなものなのか確認するのは重要だ。特にグランドナビゲーションを設計する上では、実機確認は欠かせない。
しかし、ユーザーとしてみれば「デバイス依存」というのはそもそも古い考えなのだなあと思った。
入力という観点から見れば、時代はさらに先に進んでいる。音声入力が実用化されつつあるのだ。Googleの検索で音声入力を使ったことがある人は多いと思うのだが、文脈判断のおかげで正確な検索ができる。ChromeでGoogle Documentを使うと自動音声入力ができる。APIが公開されているので、音声認識を使ったアプリケーションはこれから開発されるものと思われる。10年先の研修指導員は「そもそも若者は入力すらできない」と嘆く日がやってくるかもしれない。
しかし、音声入力ができるようになったから、キーボードがなくなるということはないだろう。好きな物を使えばいいのだ。
エッセイの要点は「顧客にあわせたソリューションを提供せよ」ということだと思う。それには問題はない。しかし、一つのテクノロジだけがデファクトになり、過去のユーザーごと排除してしまうという認識こそが過去のものになりつつあるようだ。いろいろなソリューションがあり、選択可能になっている。
このエッセイのもう一つの問題点は「時代遅れになるかもしれない恐怖」だけが現状を変えうるという視点だろう。コンサルタントとしては実感なのかもしれない。「ああ、いろいろ使えて便利だなあ」というのはポジティブなドライバーだが、遅れるかもしれないから習得しておこうというのはネガティブなドライバーだ。ポジティブなドライバーの方が強力で広がりが大きい。
ネガティブなドライバーにばかり意識が向くと「時代にさえ遅れなければ変わらなくてもよい」という気分になるだろう。
パソコンがあると表現手段が広がっておもしろいからパソコンを買うわけだ。だが、世の中について行くためにはスマホがあれば十分だと考えてしまえば、パソコンに手が伸びることはなくなるだろう。結局のところ「ついて行ければいい」という意識こそが「若者のパソコン離れ」とつながっていることになる。なんとも皮肉な話である。