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ごめんよパナソニック – ガラケーがスマホに負けた、多分たった一つの理由

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手持ちのデジカメを比較してみた。「カメラ専用機」が最高だろうと思っていたが。もしかしたらiPhoneもスマホだからすごいのかもしれないと思ったからだ。その一方、ガラケーには期待していなかった。ガラケーは時代遅れだし、カメラなんかおまけ機能の機能に過ぎないはずだと思ったのだ。
この常識は間違っていた。スペックの上ではガラケーのカメラが一番だったのだ。P-04という機種なのだが、解像度が13Mもあり、タップするとフォーカスが変わる機能(タッチシャッター)まで付いていた。VIERAケータイというのだそうだ。テレビ「VIERA」に付いている高画質技術のモバイル版が使われているのだという。これに比べて、iPhoneのカメラは8Mに過ぎない。
ある意味でガラケーを見直した。これは日本の技術の粋が集められた「意外とできるやつ」だったのである。今度ガラケーをバカにされたら(まあ、面と向かってそんなことを言う人はいないだろうが)モノを知らないやつだと言い返してやろうかとすら思った。
だが、やはりガラケーの評判はよろしくない。なぜなのだろうか。たった一つの要素が欠けているからだ。
8MカメラというのはA4の用紙にも十分に印刷できるレベルらしい。Twitterにアップするにはこれでも大きすぎるというレベルだ。iPhoneは機能を割り切っているのだ。そのかわり、操作性には力を入れている。最小の操作で、写真共有・バックアップ・SNS投稿などができる。簡単に、シームレスに操作ができるのがiPhoneの魅力だ。
一方、VIERAケータイは複雑だ。できることが多いのはよいのだが、アイコンが多すぎる。「すべての機能は揃えたので、あとは勝手にやってくれ」と言わんばかりだ。また、この携帯電話は電話機として使うモード(ノーマルスタイルと呼ばれている)と家電として使うモード(ビューアスタイル)があり、個別のインターフェイスがある。つまり、1つの機械を買って2つの操作体系を覚える必要がある。
vieraインターフェイスが違っているのは、表(ノーマル)では使えないタッチスクリーンが裏(ビューワ)で機能するようになっているからだ。例えていうとWindows(マウスが使える)とMS-DOS(マウスが使えない)を共用しているような印象だ。
iPhoneは総合的に考えられている。1つ1つの課題のために部品を組み合わせてゆくという考え方だ。それぞれのスペックはそれほど高くないかもしれないが、いろいろなことができる。こうした作業の固まりを「アプリケーション」と呼んでいる。アプリケーションはいくつかの問題を解決する「ソリューション」だ。
VIERAケータイにも「ブログ投稿」という機能がある。小さくした写真をメールで送れるようにはなっている。しかし、直接SNSに上げることはできない。カメラにはカメラの枠があり、枠間の連携は一切考えられていない。いろんなことができそうで、どこへも行けない仕組みになっている。
つまり、VIERAケータイにはこのアプリケーションという考え方がない。このため「写真を撮る」機能と「保存した写真を見る」機能が別のメニューに割り当てられている。「いろいろ用意したから、あとは勝手にやれ」というのがパナソニックなどの日本の家電のやり方である。アプリという概念がないのだ。
だから、VIERAケータイのエンジニアは「カメラの解像度を増やす」という方向にしか性能を向上させることができない。ユーザーにソリューションを提供できないし、ソリューションの簡単さ(エクスペリエンス)を与えることもできない。解像度を上げてゆけばやがてオーバースペックになり、そこで差別化ができなくなる。
VIERAケータイの各機能はスマホより優れている。こうした機能は一朝一夕で作られたものではなく、エンジニアたちの努力の賜物である。決してさぼっていたわけではないのである。にも関わらず「ガラケーはなんとなく遅れていて恥ずかしい」という印象すらある。
たった一つ「アプリ」という概念がなかったがために、スペックの低いスマホに負けてしまったのである。