Appleが新しいiPadを発表した。株価の低迷が続いているAppleとしては起死回生を狙った商品だ。だがその戦略はかつてのマイクロソフトを彷彿とさせる迷走ぶりを見せている。個人的には全く興味がなかったのでプレゼンテーションは見なかったのだがXではプレゼンに怒っている人がいた。楽器をスクラップにしてiPadに入れる表現がありこれが反発されたようだ。もちろん全般的にはお祭りムードだが気が付く人は気がついているのだなと感じた。
Appleの株価は200ドル目前で伸びが止まりその後は停滞が続いていた。だが、4-6月期は増収に戻るのではないかとの見通しが示されたことで180ドル台を回復した。このところの業績低迷に不安を募らせていた投資家たちの不安が払拭されたことで時間外での上昇率は7.9%ほどだったそうだ。
しかし冷静に見ると配当を増やしたり自社株買いをしたりと株価を支えるための努力を多くしている。日経新聞は「失速を示す自社株買い」とかなり冷めた評価だ。
失速の理由は3つある。
バフェット氏の投資会社がApple株を手放している。単なるハイテクを「オシャレハイテク」にするブランド化の能力が陳腐化しておりバフェット氏はこれを見限ったものとみられる。今回のプレゼンの後の一部の敏感なユーザーの反発を見るとバフェット氏の評価は妥当なものなのかもしれない。
中国での事業が伸び悩んでいる。中国の資本主義はバブルを経験した後のリブート中で今後もかつてのような高い成長が見込める保証がない。テスラも同じような状態だが、イーロン・マスク氏が中国の首相に直接呼びかけたことで株価が回復した。ただAppleに同じことができるのかと問われるとそれは難しいのではないかと感じる。
さらにAIの取り組みも遅れている。FORBESは次のように書いている。
生成AIをローカルで駆動させるためには、卓越した性能のチップが必要だ。クアルコムやメディアテック、サムスンの最新のアンドロイド向けチップセットは、いずれも生成AI専用のハードウェアを搭載しており、速度と必要なエネルギーの両面でプロセスの効率を高めている。注目すべきは、1世代前の2023年のチップセットでさえ、端末上でAIを実行する能力が制限されており、クラウドを利用する以外の選択肢が存在しないことだ。
アメリカでは生成AIに期待が集まっている。だが「生成AIをどう使えばキラープロダクトが作れるのか」の答えが見つからない。
仮にFORBESの観測が正しかったとすると「ローカルAI」はかなり苦しいアイディアだ。かつてGoogleがなぜMicrosoftを抑えて躍進したのかを考えるとわかりやすいだろう。Microsoftは全てを自社のOSの中に取り込み自社製品で全てを完結させようとした。ところがGoogleはブラウザーという「窓」を作り重要な部分は全てサーバーサイドで実行することにした。つまり囲い込み戦略とオープン戦略の違いだった。
AppleもまたかつてもMicrosoftのようにサーバーではなくiOS端末というクローズドの世界で生成AIを賄おうとしている。今後彼らの戦略が成功するかは民主的に決まる。開発業者はまずユーザーの多い分野での開発を優先するからである。この時にアメリカの開発者は「その環境が自分たちの政治的実感に合っているか」も気にするだろう。
今回のiPadはM4チップを内蔵しており次に行われる開発者フォーラムではAIを使った開発ツールやAppleの取り組みなどが発表されるのかもしれない。Appleは閉じた世界の中にユーザーを囲い込みたいのだろうが開発業者がこれをどう捉えるのかは未知数である。
ここまではお手並み拝見という感じだったのだが、Xの反応を見て驚いた。円安効果で高くて買えないという評価はまだ良いほうで楽器などをスクラップにする演出に反発を覚えた人たちがいた。ごく一部の鋭敏な人たちが生理的に反発したようだ。
Appleは元々IBMの帝国を崩すという「1984年」をモチーフにしたCMで一世を風靡した会社だった。1984年は当時の大学生などではバイブルのように取り扱われていた。専制主義的な抑圧が人の心を壊してゆく様子が克明に描かれている。このためモチーフとしてわかりやすかったのだろう。この時代のアップルはユーザーと共感できていた。
ただし現在のアメリカのテック業界はさらにリベラル化が進んでおりテクノロジーを使って民主主義を改良し社会から貧困をなくしたいと考える人もいる。OpenAIのアルトマンCEOなどもその一人である。Appleは間違いなく旧世代側と見做されているがこれまではこの空気の変化が日本人に伝わることはなかった。
Appleの新製品発表動画はYouTubeでの人気も高いため今回の発表でネガティブな印象が一気に広がるということはないのだろうが、やはりユーザー層の気持ちが理解できなくなりつつあるというのは確かなことのようである。
日本でiPhoneの普及が進んだ原動力の一つに音楽業界や音楽ファンたちの熱烈な支持がある。CDというパッケージメディアからAppleが音楽を解放し持ち歩けるようにした。まだインフルエンサーという言葉が一般化していない時代に先進的な音楽ファンに憧れてiPhoneを選択した人たちも多かっただろう。
Appleと政治には全く関係がないように見える。特にCMとテレビに依存している日本の音楽業界は滅多に政治については口にしない。ところが実際には次世代や解放への憧れといったリベラルな雰囲気が製品とブランドの魅力を作っている。意外かもしれないがテクノロジーと政治は地続きなのである。